幸せのミルク
人通りのある道の横で毎日ミルクを売る。
手押車にたくさん乗せて、声がかかるのをひたすら待つだけだが、
そんなことを十年も続けている。
買っていく人はまばらで、子供だったり、老人だったり、
この仕事を始めてから色々な人を見るようになった。
皆、瓶に入ったミルクを1ドルと引き換えに持っていく。
美味しそうに飲む姿はお金以上の価値があるものだ。
今日も朝からミルクを売る。
晴天の下、手押車を止め、椅子に座ると見計らっていたかのように
子供達が駆け寄ってきた。
ミルクを受け取ると、その場で飲み干す。
たった1ドルの小さな幸せ。
それを売っているのが自分だと思うと、天使になったように錯覚する。
幸せを売る仕事、なんて響きがいいのだろう。
まあ、実際に売っているのは150mlの普通のミルクなのだが。
今ではすっかり生き甲斐になってしまった。
夕方になり、手押車と余ったミルクを持って帰ろうとしたら
一人の少女がフラフラとした足取りで駆け寄ってきた。
「おじさん、そのミルク、捨てちゃう?」
まだ二瓶ほど余っているミルクを指差しながら少女が言った。
ミルクが余ったからといって捨てたりはしない。
首を振りながら「いいや、捨てないよ」と答えると少し残念そうな顔をして
その場を去ろとしたので、少女を引き止める。
「ミルクが欲しいのかい?」
少女は立ち止まると、小さく頷いた。
「なら、持っていくといい」
「いいの?」
「ああ、構わないよ。おじさんの仕事は幸せを売ることだからね」
小瓶を少女に手渡すと、嬉しそうにお辞儀をして路地裏へと駆けて行った。
あのミルクは少女にとって幸せの一欠片になるだろうか。
そんな事を考えながら帰路へとついた。
次の日も、少女は現れた。
昨日のようにミルクを渡してやると喜んで路地裏へと消えていったが
昨日よりも何故だが元気がなさそうだった。
その次の日も、またその次の日も、少女は現れた。
毎日ミルクを持って路地裏へと消えて行く。
それが少女にとってプラスになっているのなら何も文句はないのだが
少女は日に日に衰えているように見えるのだ。
頬は瘦せこけ、髪は荒れ、目からは正気を失っていく。
そんな少女を見ているのは辛かった。
ミルクだけではなく、パンやお菓子をあげるようになったが
少女が元気になる様子はなかった。
ある日、ぽつりと少女の訪問が途絶えた。
いつも決まった時間に来ていたのに、今日は一向に姿を見せない。
ミルクを持ってその場で待ちながら空を眺めていると
足元から声がした。
「にゃあ……」
掠れて元気のない泣き声で、野良猫が鳴いていた。
ミルクが欲しいのかと思い少し手に汲んで差し出してやったが
それを飲まず、何かを訴えるように泣き続けた。
首を傾げながら猫を見ていると、はっと、思い至り
路地裏へと走った。
自分より先に辿り着いていた猫が、少女の顔を舐めている。
近くには子猫の姿もあった。
「君は、このために……」
急いで病院へと運んでやると、少女は一命を取り留めることができた。
数日後、少女は目を覚ました。
焦点の合わない目で自分を見るとかすかに笑い
「私…死んだかと思った……」と零した。
そんな少女の手を握り「死ぬわけないじゃないか」と強く言う。
「おじさんの仕事は幸せを売る仕事だって言っただろう?
君は死なないさ、絶対に」
少女は弱々しく手を握り返した。
「ありがとう…、おじさんは、天使みたいだね……」
「はは、そうかもな」
猫と少女が元気に遊ぶ横で、今日も幸せを売る。