そして、またひとつ。
僕は、長く生きるつもりはなかった。
流れゆく雲のように、運命を風に委ね。
そして、ちぎれ逝くのだと思っていた。
ずっと。
僕は病弱だった。
こころも、からだも。
弱っていた。
ふとした事に怯え、ふとしたことで病を発する。
青空は、僕には眩しすぎて。
夜空の月明かりの方が、生きていく上でちょうどよかった。
僕は、もうすぐ死ぬのだろう。
そう、思っていた矢先のこと。
母が、死んだ。
元気だった、母が死んだ。
僕より後に病んだ、母が先に逝ってしまった。
どうして?
どうして、僕を連れて行かなかったの?
この世に「死神」なるものがいるならば、間違っている。
連れて行かれるものは、「僕」の方だ。
どうして、「生きたい」という母を連れて行く?
どうして、「逝きたい」僕を連れて行かない?
あぁ、これはきっと「罰」なんだ。
前世で犯した「罰」を、僕は受けているに違いない。
今日また、僕はひとつ年を重ねる。
複雑だ。
生まれ落ちた喜びを知るには、まだ早い。
ただ、母の最期のひと呼吸が忘れられない。
「今まで、ありがとう」
そんな声が聞こえてくる。
「あのね、じいちゃんが迎えに来てくれたの」
後に見た、母との夢。
母が大好きだった、母の父。
僕の祖父にあたるひとが、母を迎えに来ていたらしい。
確かに、母が死んでしまう前夜。
母の病室には、多くの白いモヤが飛び交っていた。
「死」が近いのは見えていた。
迎えが来ていることは、わかっていた。
「ママ、じいちゃんと一緒なんだね」
今、僕はお墓の前にいる。
母の墓前。
そこには、今は母だけが眠っている。
「僕はまだ、逝けないらしい」
背を向けて、歩き出す。
生まれ落ちた喜びは分からない。
ただ、母を愛している。
父を愛している。
それはこれからも、変わらないこと。
ずっと、変わらないと誓えること。
年を取るということは、生きているからこそ出来ること。
生きている「証」。
辛いことは、たくさんある。
目を背けたいことだらけだ。
それでも……僕はまだ、生きている。
だから、この人生に終止符が打たれるまでは、生き抜かなければ。
そうしなければ、迎えには来てもらえないから。
最期のひと呼吸を……この世にさよなら告げるそのときまで。
約束する。
僕は、生きる……と。
こんにちは、はじめまして。
小田虹里です。
これは、ほぼ実話です。
そして今日は、何度目かの小田の誕生日であります。
夢で母のことを見たのも事実。
母が亡くなった翌日に見た夢は、母は「ごめんね、ごめんね」と、謝っていました。
子どもを残して死にゆくのは、宿命かもしれません。
ですが、母はまだ若く、母の母(私の祖母)は健在です。
「親」よりも先に、逝ってしまいました。
今年は、母の手作りケーキが食べられないのか……。
今年は、母からのプレゼントもないのか……。
今年は、誕生日会もないのか……。
気は滅入り、最近はよく泣いていました。
それを知ってか知らずか、珍しく。
一体、何年ぶりでしょう。
父が、誕生日プレゼントを買ってくれました。
「虹里ちゃんの、ケーキも買わなきゃね」
とも、言ってくれました。
だから、救われたのだと思います。
まだ、私には「父」という救いがある。
「父」まで亡くしたら、絶望しかない……。
でも、そんなことを考えていたら、本当に自分も最期のひと呼吸に導かれそう。
そんな思いを胸に、「詩」という形で残させていただきました。
どうか来年も、無事に息をしていますように。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。