Epilogue
神様に願いを託してみた。
争いのない平和な世界を。
誰も泣かない優しい世界を。
しかし願いは叶わない。
涙を流すのはとても悲しい。
誰かが死ぬのはとても悲しい。
だから、彼はもう一度願った。
神様お願いします。
この世界を創り直してください。
それは空虚な願いだった。
決して叶うことのない空虚な願い。
Epilogue
フランスにある小さな葡萄畑。連日の大雨でぬかるんだ地面に足を取られながら、ぶどうの樹樹をの間を歩く。
雨が止み、雲は流れ、空は快晴。
「結局、お前は組織に戻らなくていいのか?」
隣を歩く少女に問いかけると、少女は不思議そうに小首を傾げた。
「別に、組織なんてのは属するものであって帰る場所ではありませんよ?」
「……あぁ、そうかよ」
「はい。私が帰る場所は師匠の元だけですから」
「別に帰ってこなくてもいいけどな。それにお前、俺に嘘ついてただろ?」
「嘘?」
「レポート。何が見えてたんだ、お前は」
「私が見えていたのは彼の思想だけですよ。術式は箱に残されていた記憶から読み取りました」
「思想?」
「ええ。彼は、ただこの世界に嫌気が差していたんです。と言っても、彼の知っている世界なんて、たかが知れていますけどね」
オーケストラ家の長男に生まれて、家を出るまで彼はずっとオーケストラ家のスパルタ教育の下にあった。幼い頃から厳しい教育に晒されていた彼が、この世界が心底から嫌いになったのだろう。
彼の知っている世界など、本当に狭い狭い空間だというのに。
「彼は、泣いてほしくなかったんです。あの人はね、シスコンだったんですよ。だから、オーケストラ家の厳しい魔術訓練を受ける妹のことがとても気がかりだった。
だから、妹の為に、妹の泣かないで済む理想の世界を作り上げたかった」
「ふん。そう言えば聞こえはいいが、遅すぎだ。その為に俗世から離れて、実家から飛び出して、極東の僻地で自身の魔術研究に入り浸るなんてな」
「研究をするに連れて、彼にとって手段と目的は入れ替わっていたんですよ。まあ、よくあることですよねぇ人間って、直ぐに目的を見失う生き物ですから」
「目的……ねぇ」
「先輩も的はずれな推論を建てたものですよ。神域なんて、まともな精神状態で目指すような場所ではありません」
「まともじゃなかっただろ、彼奴は」
葡萄畑を抜けると、木造の民家が建っていた。古ぼけた看板に、ワインの絵が書いてある。恐らくは、この葡萄畑の持ち主の家だろう。
「で、お前は俺の前ではそのキャラで居続ける気か? 本当は、もうちょっとまともな脳みそ持ってんだろ」
「そんなことないですよー。と言うか、私いたってまともですー」
「そういう話し方がまともじゃないって言ってるんだ」
「まあ、いいさ。死人の考えなんて、知ったところでどうなることでもない」
「全くです。私は特別な魔術を手に入れた。師匠は亡き友人の遺言を妹に届けたら、それで今回の仕事は終わりです」
「……そういや、彼奴何で死んだわけ?」
ふと、思い出したように訪ねてみる。
「あぁ、単純に衰弱死ですよ。太陽も浴びず、あんな不健康な部屋で研究に没頭していたら、そりゃ死にますよ。魔術師だって人間なんですから」
当たり前じゃないですか、とでも言いたげなアルの頭を小突いて、空を見上げる。
雲一つない青空と、人気のない葡萄畑。
あぁ──と三谷は呟く。
外に出てみたら、世界には平和な場所だってあるというのに。
そんな益体もない事を考えてみた。