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「お久しぶりです。お兄さんは相変わらず?」
高級そうなソファに腰掛けて、机を挟んだ向こう側へと問いかけた。
コーヒーカップから漂う湯気と、空調の風に身を委ねる観葉植物。窓から差し込む日差しは、夏らしく眩しい。
まるで昼下がりのカフェに居るようだ、と心中で嘆息して、三谷は対面に座る女性へと視線を戻す。女性は自身のカップを机に置くと小さく首を横に振った。
「? 何かあったの?」
「兄は死にました。死亡原因は分かりませんが、体に外傷はなかったそうです」
「死んだ? 外傷がないってことは何らかの身体的な不具合か、もしくは魔術的な事故か……」
「恐らく後者でしょう。兄は自身の研究のために身体に細工を施していたようですし、その術式が暴走をしたか、もしくは何か処置を誤ったか……。しかし、三谷さんは驚かないんですね」
「予感はしていたんだ。何か嫌な予感はね。だからこうしてわざわざ此処に足を運んでいる」
目の前のカップを持ち上げて、小さく肩を竦めてみせる。女性は興味なさげにそうですか、と呟いた。
「それで、ミスオーケストラとしてはどうかな。彼が死んだ事に悲観はないわけだ」
「その呼び名はやめていただきたい、と昔言ったはずですが……。まあ貴方に言ったところで無駄でしょうね。ミスター三谷」
「さあ? 少なくとも僕の記憶にはないけれど? フルート・オーケストラ」
「私はそもそも家系から逃げた身ですので、家名で呼ばれてはまるで私がまだその家に属しているようではないですか」
「じゃあなんて呼べばいいのかな?」
「『小奇麗な淑女《neat lady》』──なんて素敵じゃないかしら? 貴方好みの素敵な呼び名でしょう?」
怪しげな笑みを浮かべるオーケストラに三谷は苦笑で返した。
元々見目麗しい彼女なのだけれども、一番似合うのが今のような怪しげな笑みだと言うのは、勿体無い。そんな事を考えながらコーヒーに口をつける。
「君の能力を鑑みて名付けるならば強制の魔女の方がよっぽどらしいけど──いや、今日はそんな口喧嘩をしに来たわけではないんだ。適当にフルとでも呼ばれてもらうよ」
「……名前を呼ばれるよりよっぽどいいわ。
それで? 家の事なら結構ですよ。」
「君のご実家はもう君たち兄妹に関わるつもりはないだろう。なんせ、向こうは向こうで今現在雑務に追われているようだし」
「また弟子が逃げ出しましたか。無理もありません。あの家は少々乱暴にすぎる《・・・・・・》」
「仕方ないさ。何せ扱う魔術が魔術だ。本来門外不出であるべき魔術なんだから、弟子を取るにしても必要以上の用心はするにこしたことがない」
「あら? この国には言葉家と言う似たような魔術を扱う一族がいると聞きましたが」
「あの家は特殊だ。そもそもが魔術よりも超能力に近いし、現当主は血縁関係すら持っていない養子だ。どんな神のイタズラか、魔術の継承自体には成功したようだが所詮まがい物だし、仮に次期当主が産まれようとも、それに魔術的素養が宿る保証もない。既に行き詰まっているよ、あの家は」
「言葉による暗示なんて、効率が悪いですものね。私なら、目を見ればそれで終わるというのに」
「それこそ異常だ。先天的な魔眼持ちなんて、そりゃ世界には何人もいるだろうけれど、それにしたって君のは質が悪い。魔眼なんて言うのはね、本来人が持つべきものではないんだから。それこそどこぞの教会ではないが、神への冒涜に他ならない。魔術なんて危険なものは、順序だって安全を確保して扱うものなんだ」
「でも、便利なものよ。例えば私に不都合な輩を無言で操れるんだもの。何より、魔力を消費しなくていいというのは魔術師であることを否定した私にはとても都合が良い」
「魔眼なんて言う、それ自体が魔術である特性を持ちながら魔術師であることを否定する……か、本当に君は魅力的な女性だ」
カップのコーヒーを一気に飲み込んで、苦笑してみせる。どうも、この女と話をするのは骨が折れる。
「脇道にそれる雑談も悪くないけれど、今日はちょっと面倒な話もあるんでそちらを優先してもいいかな?」
「ええ。お好きにしてください。察しはついているんですけれど」
「お兄さん……フォルテ・オーケストラの部屋の鍵を借りに来たんだ。彼、生きていたとしても絶対に自分から部屋の扉を開けてくれないからね」
「生きていても死んでいても、兄に会う方法は一つしかないということね。はぁ……本当、私の兄はどうしてあんな兄なのかしら」
陰湿なところなんてそっくりだ、なんて愚痴をどうにか心のなかで噛み潰す。彼女は自分たちが兄妹であるということに疑問を抱いているようなのだが、三谷からすればどっちもどっちだった。
偏執狂であることにはどちらも変わらない。そもそも魔術師という生き物がそういうものなのだから、それは仕方ないことなのかもしれないが。
フルートから鍵を受け取ると、三谷はソファから腰を上げた。既にこの場所には用はない。今からフォルテの部屋に向かい、彼の遺品を整理する。それは生前彼から頼まれていた仕事だった。
「一ついいですか?」
「ん?」
部屋を出ようとしたところで、フルートに声をかけられる。振り向くと、フルートは少し怪訝そうな顔をしていた。
「どうして兄が死んだことも知らずに、兄の部屋の鍵を受け取りに?」
その質問は言外に、貴方が兄を殺したのでは? という疑問が潜んでいるように聞こえた。その質問に三谷は簡潔に「予感だよ」と答えた。
「予感?」
「ああ。一週間前に彼から、遂にレポートが書き上がったという連絡があってね。普段、何があっても彼は連絡なんてよこさない。そういう世捨て人なんだ、あいつは。だけど、昨日に限って連絡があった。それっておかしくない?」
「レポートが書き上がったということは理論が構築されたということでしょう。別に疑問ではないと思いますが」
「いいや、彼はそれくらいで連絡を入れるほど人を信用していない。だから、嫌な予感がしたんだ」
「よく分かりませんが……信用していいんですね?」
「信用は少し重いかな。まあでも、疑う必要ないとだけ言っておくよ」
話は終わった、とでも言うように、三谷は部屋の扉を開いた。ちょうど近くを通ったトラックの排気ガスの匂いが流れてくる。
ガチャリ、という扉の閉まる音。
それで完全に、フルートの視界から彼の姿は消失した。