第五話 甘く淫らな罪深い罰
あれから、僕は、昼と放課後は、保健室で過ごしている。
まあ、彼女には相変わらずからかわれてばかりだけど、それはそれでおもしろい。
さすがは大人と言うべきなのか、それとも保健医というべきなのか、それとも彼女自身の性格と言うべきなのかは、判然としないが、彼女は踏み込みすぎない。
これ以上言われると嫌だと思う手前でやめる。
そういう加減が上手なのだ。
だから、普通なら思わず嫌になりそうなやり取りも、僕にとってはとてもおもしろいものだった。
「じゃじゃーん、私特製愛情たっぷり手作り弁当」
「やっぱり、普通が一番だよなぁ」
そして、今日も今日とていつもの如く保健室に来ているのだが、とりあえず、彼女のボケは無視。
ボケ殺しとして名高い僕としては、やらないわけにはいかない。
「ほら、私特製の愛情たっぷり、手・づ・く・り・弁・当・だ・よ!!」
「痛い痛い痛い!!」
まあ、その後思いっきり頭を鷲づかみにされたけど。
これもいつも通りと言えばいつも通り。
意外とバイオレンスな関係なんです、僕達は。
「ほら、おいしそうでしょ」
そう言って、オープンして差し出してくれた弁当の中身は確かに美味しそうだった。
「わー、おいしそー、食べるのがもったいないぐらいだー、てか、もったいなくて食べられないやー」
「なんで棒読みなのよ!!」
「とりあえず、食べません」
まあ、だからと言って食べる気はゼロだが。
何をたくらんでいるのか分からないし。
この人からのプレゼントは確実に裏がある。
「全く、他の子なら、泣いて喜ぶのに、貴方って人はねぇ」
「そりゃ、先生みたいな綺麗な人にお弁当を作ってもらうのは嬉しいし、幸せものだなぁって思いますよ?」
確かに、普通に考えれば、そうなる。
美人が大好きな僕ならなおさら。
「だけど、先生が相手だと裏がありそうで怖いですし、特に今みたいに脈絡もなしじゃ、絶対にいやですよ」
だけど、やっぱり先生だと言うのが一番怖い。
絶対に裏があるっていうか、何か恐ろしい結末が待ってそうだ。
「それに、やっぱり、そういう手作り弁当イベントは、恋人関係じゃないと、おかしな感じがしますし」
ついでに言えば、とりあえず、それは、僕の中での確定条件なのだ。
恋人、または、お互いが友達以上恋人未満の関係で、後はきっかけを待つのみ状態でないと、やってはいけないイベントなのだ。
いや、まあ、単純に僕が、勘違いしそうだから、というのもあるけど。
素敵な女の人に優しくされると、男って言う生き物は勘違いしてしまいがちなんです。
「分かったわ。じゃあ、とりあえず、今日一日だけ、私の旦那ね」
彼女はそういうと僕にしな垂れかかってくる
て、おい、ちょっとタイム。
「いきなり旦那?!飛躍しすぎじゃない?!」
順序としては、まずは恋人じゃないかな?
「いいじゃない。なんなら、ちょうどベッドもある事だし、夫婦の夜の営み体験してみる?」
「………ぐぁ」
思わず想像して、絶句。
悪魔じゃない、この人は。
魔王だ。
いたいけな少年の心を今弄んでいる。
まっさらで純情な少年の心を弄んでいるのだ。
これを魔王と呼ばすになんと呼ぶ。
「はい、いつでもいいわよ〜」
けれど、そんな僕の内情を知りながら彼女は、ぺたんとベッドの上に腰を下ろすと、わざと短いミニから伸びているすらりとした細く長い足を組み直し、シャツの第二ボタンをあける。
そこから覗く肌は抜けるように白く艶かしく、その奥にあるだろう二つの膨らみが微妙に見えそうな状態。
理性が崩れ始める。
というか、自分でも驚きだが、良くこの状況で、完璧に理性が崩れないものだ。
ただのへたれ、なのかもしれないが、それでも、この状況でなおも耐えているのは、なかなか評価されるべきものではないだろうか。
まあ、そうとう間抜けな顔をしているではあろうが。
「あら、まだ粘るのねぇ。うんうん、やっぱり君はそうじゃないとねぇ。だから、サービスしてあげちゃう」
すっと立ち上がると、机に置いておいた彼女手製の弁当を持つと。
「はい、ご褒美」
そう言うと、彼女はいつの間にか半開きになっていた口に玉子焼きを一つ入れる。
ふわりとした上品な甘みが口に広がる。
素直においしいと思った。
けれど、それ以上の破壊力があるものが二つ、自分の眼前にある。
第二ボタンの開いたシャツの奥に見えるエルドラド。
男達の桃源郷、アルカディア、シャングリラ。
ああ、今、僕は幸せです。
「あらあら、まあ、男の子だものね、仕方ないわ。でも、もうサービスはおしまい」
そう言って、つんと僕のおでこをつんと押すと、桃源郷への門を閉じた。
なんだろう、これは。
いつの間に、こんなところに来てしまったんだろう、僕は。
それとも、なんだろうか、いつの間にか、僕は彼女が惚れてしまうようなことをしてしまったのだろうか。
……まあ、ないな。
勘違いは情けないから、やめておこう。
そこまで、考えが行った辺りで、どうにか冷静さを取り戻し始める。
「これから先は、ちゃんと私の恋人になってから、ね?」
「ぐあっ!!」
ごめんなさい。
ノックダウンです。
どうやら、僕というキャラは魔王にレベル1で丸腰の状態で突っ込んでいった勇者、という感じらしい。
まあ、それ以前に、単なる序盤で殺される村人Aなのかもしれないが。
なんにせよ、完璧負け。
これ以上行くと、自分でもどうなるか分からない。
「とりあえず、白旗をあげてお弁当を食べますから、許してください」
もうここは謝るしかないだろう。
深々と頭を下げる。
「あら、残念。もう少し粘ってくれたら、それはそれでおもしろそうだったのに。私は、別に君に襲われても良かったのにねぇ?」
けれど、目の前にいる魔王は、けらけらと笑っている。
いったいどこまで本気なのか分からない。
まあ、あっさりと全部冗談、とか逆に、全部本気、と言われそうで怖いのだが。
どちらにしろ遠慮したいものだ。
「まあ、でも、貴方はそういかないわよね?はい、どうぞ」
それぐらい彼女もお見通しなのだろう。
くすくすと笑いながら、そう言いつつ、お弁当を手渡す。
それを机に置くと、
「いただきます」
そう言って、食べ始める。
とはいえ、とりあえず、まだ、自分が持ってきた弁当があるから、机の上には二つどんと弁当が置いてある。
とりあえず、残っている自分の弁当を綺麗に食べてしまう。
そんな僕を彼女はじと目で見るが無視。
まあ、おいしいものは最後に残す主義なのだ。
というか、最初においしいものを先に食べたら、普通なお弁当を食べる気がなくなってしまう。
まあ、作ってくれた母に対して失礼だが、しかたがない。
現実はいつも人には冷たいものなのだ。
それはさておき箸を進めていく。
先ほどの玉子焼きと同じく食べるおかず全てが本当にうまい。
バランスもしっかりと考えて、温野菜も入っているが、ただ入れているんじゃなくて、しっかりとアレンジもされていて、非常に食べやすい。
これなら、野菜嫌いな子も、割かし食べやすいと思う。
「どう?おいしいでしょう?」
『美味しい?』じゃなくて、そう聞く辺り、自分の腕に自信があるんだろう。
まあ、その自信も頷ける程美味しい。
時々不思議に思うのだが、同じようにレシピどおりに作っても、味に差異が出る事が良くある。
いったい、その差異はどうやって出来るのだろうか。
不思議でたまらない。
「そうですね。これなら、いつでもお嫁に行けますね」
ただ、これだけの物が掴めるんだ、いくらでも男を虜に出来るだろう。
男なんて胃袋を押さえつければ、簡単なものだ。
まあ、もちろんそれだけじゃないが、かなりの破壊力を持った武器になるのは確かだ。
受け売りだから、なんとも言えないけど、僕としてはそれに賛成票を一票。
料理がうまいか下手かと言ったら、うまいほうがいいだろう。
「そうね。じゃあ、貴方がもらってくれるかしら?」
くすりと笑うと、またしな垂れかかってくる。
本当にこの人は心臓に悪い。
何が狙いなのか分からないが、どうしてそうまでして僕を誘惑するのか分からない。
もしかして、本気なのだろうか?
いや、それはないだろう。
どんなものだろうと、恋愛にはきっかけがある。
切り替えるスイッチがある。
それこそ些細な出来事がきっかけになることだってある。
だけど、それがなかった。
それすらなく、ただ呑気に適当に居ただけなのだ、どうなりようもない。
「そんな訝しげな顔をしなくてもいいじゃない?いつもいつも否定してばっかりじゃなくて、肯定してみてもいいんじゃない?」
そんな僕の心内なんて丸分かりなのだろう。
くすくすと笑って、耳元でそう囁き掛ける。
状況判断不能。
そんな単語が頭に浮かぶ。
自分の頭の処理能力の許容量オーバー。
「私は、貴方にもらって欲しいと言っている。じゃあ、戴きます、でいいじゃない?」
不意に思い出した言葉。
『好きなら好きでいいじゃない。難しく考える必要はないと思うけど?』
懐かしい言葉。
僕が好きだった言葉。
だけど、信じられなくなった言葉。
「ほら、戴いちゃいなさい」
そう言って摘み上げたから揚げを僕に口移しする。
なんて事のない、流れるような動作。
それを僕はよけられなかった。
しな垂れかかるように彼女は僕の身体の自由を奪われていたから。
そして、それ以前に彼女の言葉で頭がとけてしまっていたから。
「貴方が悪いんだから。いつもいつも来るから。私の我慢を不意にするような事をしたんだから。だから、これは罰。私から貴方に下す淫らで罪深い罰なのよ」
だから、僕はそのまま彼女に飲み込まれていく。
甘く淫らな罪深い罰を。