第十七話 愛の日記
「つっ」
思わず、僕は、日記を閉じた。
決して、叶わなかった願い。
それがそこにあった。
彼女に次はなかった。
次の夏はなかった。
もう一度海やお祭りや、遊園地に行く事は出来なかった。
最初から、それは決まっていた。
決まっていたから、僕は、出来るだけ、たくさんの予定を詰め込んだ。
残された時間が、あまりにも少なかったから。
彼女が退院する前に、僕は聞かされた。
でも、不思議と、それを聞いても、驚かなかった。
分かっていた事だった。
奇跡はない。
あまりにも長すぎる闘病。
心のどこかで、思っていた。
彼女は不治の病で、長くはないのかもしれないんじゃないのか。
だから、鈴穂さん達は、一生懸命に奏穂と向き合ってるんじゃないのか。
そう考えていたから、だから、彼女が長くはないと言う事を聞いても、ショックであったのは、ショックだったけど、それほど、大きいものではなかった。
「まずっ」
とりあえず、気を紛らわせようと、コーヒーを飲んだけど、すっかり冷えてしまったそれは、とても飲めたものじゃない。
「新しく淹れるか」
休憩にもちょうどいいだろう。
多少、根つめ過ぎてるような気がしないでもない。
付き合い始めてから夏休み終了まで。
一ヶ月間の日記を全部読んだんだ、多少目も疲れてきている。
コーヒーを淹れるついでに、目薬でもさしておこう。
キッチンでコーヒーを淹れなおし、ついでに目薬をさす。
途端に、目にじわりじわりとしみこんでくる。
なんていうか、傷口に消毒液をたらしたときと同じような痛み。
どうやら、そうとう負担をかけてたみたいだ。
とはいえ、ここから、一番重要なところ。
夏休み明け。
そこから、僕達の環境はがらりと変わったんだ。
ただのバカみたいな恋愛から、ひどくありふれた悲恋物のラブロマンスのような恋愛に。
9月6日
予感はあった。
多くなった投薬。
逆に少なくなった診察。
そして、いきなりの退院。
覚悟はしていた。
日記には書かなかったけど、不安はあった。
もう、私が長くないんじゃないのか、と。
だから、聞いても、言われても、すんなり理解できた。
一月足らずで、私は死ぬと言う事を。
9月7日
ユーキは私の命が短い事を知っていた。
知っていて私と一緒に居てくれた。
一緒に海に行って、お祭りに行って、遊園地に行った。
辛いはずだ。
絶対に辛いはず。
自分の恋人が、一ヶ月も持たずに死んでしまう。
それを受け止めて、今まで通りに振舞う。
普通に笑って、傍に居る。
それが、辛くないはずがない。
なのに、それをしてみせる。
不安だった。
もしかすると、そんなに私の事を好きじゃないんじゃないのか。
どうでもいいんじゃないのか。
だから、そんなふうに、普通に振舞えるんじゃないのか、と。
でも、彼の手が私に触れるたび、彼が抱きしめてくれるたびに、そんな疑惑は薄れていく。
彼は、『人アレルギー』。
誰にも触れられない。
触れる事がストレスで、苦痛。
そんな苦痛を我慢してまで一緒に居るだろうか。
どうでもいい相手にたいしてまで、そこまで頑張るだろうか。
そう思ったら、彼を信じてしまう。
信じられる。
だからこそ、別れを切り出すべきなんじゃないだろうか。
彼を傷つけないためにも。
彼にこれ以上辛い思いをさせないためにも。
9月16日
散々迷った挙句、今日別れを切り出した。
切り出そうとすればするほど、どんどん苦しくなる。
自分の思いに潰されそうだった。
彼と触れ合うたびに、このままでいたいと願いたくなる。
自分が長生きできない事は分かっていた。
だから、諦めていた。
幸せになんてなれない、そんな月並みの事を考えてた。
奇跡はない。
どんなに願っても、私の病気が治る事はない。
だから、いつか来る死の時。
そのときを迎えても、私はきっと大丈夫だろうと思ってた。
だけど、今は違う。
今は、怖い。
死ぬのが怖い。
そして、何よりいや。
彼ともっと一緒にいたい。
ユーキともっといろんな事がしたい。
また、海に行ったり、遊園地に行ったり、花火を見たり、クリスマスのイルミネーションやお正月に振袖とか来て、一緒に初詣とか、バレンタインに渡すときに、ちょっとどきどきしたりとか、そんな事がしたい。
そんな当たり前の事がしたい。
だけど、もう、私にはそんな時間はない。
そんな猶予は残されてない。
私に残されたのは、一月にも満たないという短い時間。
あまりにも短すぎる時間。
なんで、私なんだろう。
どうして、私なんだろう。
私が何をしたって言うんだろう。
私は、何も悪い事なんてしていないのに。
ただ、普通に生きてきただけなのに。
それなのに、どうして私が死なないといけない。
どうして、私とユーキが引き離されないといけない。
どうしてなの?
死にたくない。
もっと生きたい。
もっともっと、ユーキと一緒にいたい。
いたいのに。
ユーキは私からの別れ話を拒絶した。
どんなに辛くても、悲しくても一緒にいたいって言ってくれた。
未来が暗くても、今を大切に生きたいと、私を大切にしたい、他の誰よりも、私の事が好きだから、そう言ってくれた。
嬉しかった。
このままじゃいけないことぐらい分かってる。
絶対に、ユーキを傷つける。
だけど、もう、私には出来ない。
ユーキが好きだから。
ユーキと一緒にいたいから。
だから、もう言えない。
私は、彼と、一緒に居る。
死ぬまで、絶対に。
9月20日
身体がだるい。
思ったように動かない。
夏休み明けから、確かに辛かったけど、今はそれ以上。
他人の身体のように思えてくる。
だから、病院に戻った。
戻った、っていういい方も変。
そのついで、というか、家族の目を盗んで、弁護士に会った。
会って、尊厳死の書類を作ってもらった。
もう長くない。
ここまで来ると、自分でも良く分かる。
私は死ぬ。
どんなに祈っても、願っても、それは変わらない。
そして、ユーキともお別れ。
辛い。
すっごく辛い。
大好きだもん、辛くないはずがない。
今だって、泣いてる。
9月のページはほとんど涙で濡れてる。
書くたびに泣いてた。
悲しくて、辛くて、寂しくて、ずっと泣いてた。
今日、ユーキが言ってた。
『前、奏穂が残されるほうが絶対に辛いって言ってたけど、それは、違うと思うんだ。僕は、どっちも辛いと思う。残すほうも、残されるほうも』
私は、幾度となく謝った。
辛い思いをさせて、悪いと思った。
だけど、彼は、それを優しく包み込んでくれた。
私を抱き締めて、そう言ってくれた。
救われた気持ちだった。
辛かった、苦しかった。
彼を残して死んでしまうことが、彼を傷つけてしまうことが。
だから、そう言ってくれた事が嬉しかった。
私を慰めてくれたことも、そして、私の気持ちを分かってくれたことも、全部が嬉しかった。
本当に、良かった。
ユーキに会えて、本当に良かった。
姉さんに、本当に感謝しないといけない。
こんなに素敵な人に会わせてくれて、一緒にいさせてくれて、感謝しないといけない。
だから、私は綺麗に死にたい。
ずるずると生き残って、皆を苦しめたくない。
死ぬときはあっさりと死んで、後に引くことなく逝きたい。
だから、お願いした。
尊厳死を。
延命措置をされることなく、あっさりと死なせて欲しいと。
皆を早く解放させて、あげたいと。
9月28日
日記を書くのが、今日で最後かもしれない。
そう思いつつ、最近は書いてる。
握力がどんどん弱くなって、ペンが持てなくなってきてる。
いつだろうか。
最近は、そんな事を考える。
皆には、悪い気がするけど、そう思ってしまう。
辛い。
もう、注射を、点滴をどれだけ差しても、痛みは引かない。
まるで、なぶり殺しにされてるかのような辛さ。
早く死にたい。
そう思ってしまうほど。
だけど、そう思っても、ユーキが触れるたびに、消えていく。
ユーキと一緒にいたい。
ユーキにもっと触れていたい。
そう思えて、もっと頑張りたいと思う。
なんだか、前と言ってる事が違うような気がする。
早く死んで、皆を解放させたいと言ってたのに、なのに、今の私は、まだ生きたいと思ってる。
嫌な女だと思う。
本当に、しつこい女だと思う。
だけど、そう思うたびに、それに気が付いたかのように、ユーキがぎゅっと私を抱き締める。
抱きしめて
『大好きだよ』
そう言ってくれる。
それだけ、私は救われる。
私は、楽になる。
ユーキ、ありがとう。
私を好きになってくれて、ありがとう。
私を大切にしてくれて、ありがとう。
私は、幸せだった。
私は、本当に幸せだった。
他の人に比べたら、きっと短いけれど、本当に私は幸せだった。
とっても優しい温もりを感じられた。
それは全部ユーキのおかげ。
ユーキが居たから、いてくれたから、私はそう思えた。
こうして、幸せな気持ちでいられる。
ありがとう。
本当にありがとう。
だから、もし、私が死んだら、私がいなくなったら、他の誰かと幸せになって欲しいと思う。
そりゃ、他の女にユーキが取られると思うと、すっごくいや。
すっごくむかつくし、許せない。
だけど、でも、それは、きっと私の我侭。
ユーキにだって、幸せになる権利はある。
ううん、幸せにならないといけない。
こんなに、私を幸せにしてくれたんだから、幸せになってもらわないと困る。
だから、もし、私が死んだら、やっぱりすっごく嫌だけど、それでも、ユーキの幸せを願うから、他の誰かと幸せになって欲しい。
なんなら、ルリでもいいかも。
美人だし、私と違って、スタイルもいいし、性格はちょっときつめだけど、心根はすっごく優しいし、頭の回転もいい。
それに何より、ユーキの事、好きみたいだし。
必死になって隠してるけど、ばればれ。
普通、人ののろけ話なんて、好き好んで聞こうとしない。
なのに、ルリは、それを嬉々として聞いてるし、ユーキの名前が出る度に、過剰に反応してる。
それで、気づかないほうがおかしい。
まぁ、でも、仕方ない。
私が言うのもなんだけど、ユーキはホントにすっごく素敵な彼氏だし。
ルリが好きになるのも仕方がない。
それに、きっと、傷ついたユーキを癒してくれるだろう、ルリなら。
うん、今度、お願いしちゃおうかな?
なんちゃって。
て、これじゃ、なんだか、遺書みたいだな。
まだまだ、死ぬ気はないんだけどな。
とりあえず、明日も、日記が書けるといいな。
一杯一杯、ユーキへの愛情を書けたらいいな。
なんちゃって。
やっぱり、それは、恥ずかしいな。
私のキャラじゃないし。
でも、うん、ユーキへの感謝の思い、もっとたくさん書きたいよ。
恋から愛へ。
慈しみのある思いだからこその愛の日記。
て、臭いか?(ぁ