第十五話 始まりの日記
第三章開始です。
シンと冷えた空気のせいか、相変わらず思考はクリアなまま。
考え事をするにはちょうどいいのかもしれない。
家に帰ると同時に、というよりも、帰宅途中も延々と考えていた。
『貴方は何を望んでいるのか』
その答えを。
けれど、その答えは、どれだけ考えても出て来ない。
欲しい者はいくらでもある。
人並みの欲求ぐらいある。
いくら、変わってると言われようとも、仙人や僧侶でもないんだから、欲求ぐらいはある。
けれど、その中で何を一番求めているのか、僕が救われるために、彼女に何を望むのか、それを考えようとすると、どうしても、浮かんで来ない。
だから、考えを切り替えた。
一つ一つ、想い出を振り返って見る事にした。
そもそも、今の僕には、今の自分がどんな状況にいるのかさえ、分かって居ないと思う。
自分の事は自分が一番分かっているのは確かだろう。
だけど、だからと言って、何もかも分かっているわけでもない。
気づいていない、気づこうとしていない部分も、かならずどこかにある。
もしかすると、そこに目を向ければ、思いつくかもしれない。
思いつかなかったとしても、何かのヒントになるかもしれない。
そう思っての事だった。
とはいえ、思い返すとは言っても、日記なんてものはない。
ものぐさで面倒くさがり、三日坊主の僕だ、そんなものが続くわけがない。
けれど、その代わりに、別の物がある。
残すべきか、捨てるべきか、散々迷った挙句、結局捨てられなかったもの。
鈴穂さんから、葬式の日にもらった。
奏穂の残した日記を。
だけど、もらったはいいけれど、一度も見ることなく、押入れの中に押し込んでいた。
それを開封する。
何が書いてあるのか、何を思っていたのか。
それを知りたい。
そして、あのときの僕は何を願って、何を望んでいたのか、どんな未来を描いていたのか。
それを知りたい。
6月28日
姉さんが、いきなり男の人を連れてきた。
見た感じはどこにでもいるような、平凡な男で、同い年。
まぁ、この前、自分の知り合いのイケメンを連れてきて、思いっきり罵倒しまくったせいだろう。
悪いとは思うけど、きしょかったので、仕方がない。
なんて言うか、惰弱。
世の中舐めきってます、っていう態度が気に食わなかった。
だから、散々ドS発言しまくったら、泣いて帰っていった。
まあ、その後、姉さんにしこたま怒られたけど、姉さん達と違って、私は美形が嫌いなんだから仕方がない。
もう、視界に入られるだけで、嫌悪感を抱く。
だから、平々凡々な彼は、まあ、いい線だろう。
ただ、なんだか、思いっきり不服そうな顔をしている辺りがおしいけれど。
まぁ、いきなり、
『さあ、この子とお友達になりなさい!!』
なんていわれたら、そうなっても仕方ないだろう。
私もそうだったし。
でも、それでも、なんだかんだで、ちゃんと仲良くしようと努力している辺りは、なかなか高得点。
この前のイケメンよりかは、ましだろう。
うん、友達か……
これからの彼の頑張り次第だね。
6月29日
彼がまた来た。
診察ついでに来たらしい。
病名は聞いてないけど、割としんどいらしく、姉さんも心配してた。
毎日通院するように言ってたぐらいだし。
もしかして、私のためだろうかとも思ったけど、否定されたし、実際の姉さんの彼を見る目は、本当に心配しているような目だったから、おそらく間違いない。
にしても、どんな病気なんだろうか。
やっぱり、私と同じで、そうとう重たい病気なんだろうか。
ちょっと、気になる。
7月4日。
毎日来るようにと行っていたのに、あっさりそれを破って今日で五日目。
で、五日目にして、ようやく来た。
理由を問い詰めようとしたけど、頑として答えてくれなかった。
仕方ないから、姉さんに問い詰めて見たけど、笑って誤魔化すばっかり。
どうやら、かなり複雑な事情があったんだろうけど、それでも、教えてくれてもいいじゃないかと思う。
これで、口は固いほうだし、というか、友達は、ルリだけだし、ルリと彼とは面識がないんだから、別に、関係ないはずだし。
だから、教えてくれてもいいじゃん。
友達になろうとしてるんでしょ?
だったら、秘密は厳禁。
とりあえず、油断してるときに、聞き出してみよう。
7月8日
ユーキに、私の名前を呼ばせるようにした。
なんか、姉さんは名前で呼んでるくせに、私には、敬語で苗字にさん付けで、距離感を感じるからだ。
で、それと同時に、今日からユーキと呼び捨てにさせてもらうことにした。
これで、前まで感じた距離感はない。
というか、前よりずっとずっと近くなったように感じる。
ユーキ。
うん、なんだか、これでやっと友達らしくなったような気がする。
7月9日
ユーキが来ない。
なんていうか、つまらない。
せっかく、距離が縮まったというのに。
というか、毎日来いと言われてるんだから、毎日来さないって言うのよ。
にしても、つまんない。
日記のネタもたいしてないし、うーん、どうしたものか。
7月10日
今日も来なかった。
なんていうか、どうしてくれよう。
明日、もし来たら、罰を与えてやろう。
どんなのがいいだろう?
うーん、全裸で中庭一周?
いや、さすがに、それは可哀想すぎるか。
そもそも、見たくもないし。
ユーキの裸。
………
いや、うん、興味ない。
男の裸なんかに、て言うか、ユーキの裸になんか、興味なんてない。
明日来たら、絶対しばいてやる。
7月11日。
ユーキが来なかった。
どうしたんだろう。
姉さんに聞いても、笑ってはぐらかすだけ。
もしかして、病気が悪くなったんだろうか?
ちょっと心配。
7月12日。
ユーキが来た。
しかも、へらへらと笑って。
むかついたから、無視してやった。
すると、姉さんに怒られた。
怒られて、いじられた。
たく、わけが分からない。
むかついて、無視したからって、なんで、いきなり
『あらあら、大好きな夕貴君に会えなくて、寂しかったのかな?それで、むくれて、すねてるんだ?』
とか言い出した。
いや、意味わかんないから。
とりあえず、ユーキは私の好みじゃない。
全然違う。
かすってもない。
ただの友達。
7月15日
最近、姉さんに言われて気づいたんだけど、どうにも、私とユーキの距離感が近い。
最初の頃はそれこそ、机一つ半分ぐらい距離があったのに、今では机半分ぐらい。
普通に手も握ったりする、
なんて言うか、近いと言うか、近すぎ。
もう少し気を付けた方がいいんだろうか?
変に、ユーキを勘違いさせるのもなんだし。
確かに、ユーキの事は、好きだけど、それは、単に友達として。
恋人云々なんて気は全くない。
だから、変に勘違いさせて、せっかくの友達を、失うのは嫌だ。
良し、明日からは、気を付けよう。
7月16日。
昨日は、あんなに気を付けよう。
そう言ったのに、またやっちゃった。
最初は気を付けた。
うん、いすの位置が近いのは仕方ないとしても、ボディタッチは厳禁。
そう決めてたんだけど、なんだか、それを気にしてると、妙にむずむずというか、むかむかというか、すっごくストレスがたまってくる。
しかも、私が、ユーキに触れず、すっごくイライラしてるの分かっているくせに、わざと私の前で、姉さんがユーキとイチャついてみせる。
めちゃくちゃ腹立ったから
『セクハラ女医』
って言ってやったんだけど
『あら、サービスって言うのよ、こういうのは?いつもいつも貧相な身体の妹の相手ばっかりで、大変だと思って、目の保養をってね?』
なんて言い返された。
ものすっごく腹立ったけど、事実なだけに言い返せない。
こっちは、病気と運動不足と引きこもりのせいで、まっしろでちっちゃくてガリガリ。
華奢と言えば聞こえは良いけど、実際は、単に胸も何もなくて、ぺったんこの洗濯板。
もう、とりあえず、何そのメロン、って言いたくなるような胸をしてる姉さんには、手も足もでないぐらいだ。
ユーキも、満更でもないような顔をしてたし、やっぱり、ああいうのが良いんだろうか?
なんか、むかつく。
まあ、いいや、とりあえず、どうせ、姉さんも普通にくっついているし、私がくっついても、構わないだろう。
そんな事じゃ、勘違いなんてされないと分かってて、姉さんもやってるんだろうし、私も大丈夫だろう。
7月20日
今日、ようやく、ユーキの病名を知った。
いや、病名らしい病名はない。
ただ、確かに病気であることには間違いない。
『人アレルギー』
人に触れる、または、近づくだけでストレスがたまって、頭痛、吐き気などを起こして、発熱するときもある。
病院に来たときには、それが一番ひどくて、ストレス性の胃炎を起こしたそうだ。
『人アレルギー』
それは、いったいどんな世界なんだろう。
入院生活の長い、というか、ほとんど入院ばかりをしているから、私だって、かなり制限された生活をしている。
だけど、だからと言って、人に触れない、近づけないなんて事はなかった。
なのに、ユーキは違う。
触れると、近づかれるだけで、すっごく苦しくなる。
それって、どんな世界なんだろうか。
私が、触れても、やっぱり苦しいんだろうか?
辛いんだろうか?
だったら、近づかないほうがいいんだろうか?
7月21日
とりあえず、いきなり距離を取るのは変だから、距離はいつも通りで、触れる事を自粛した。
ユーキは大事な友達。
だから、辛い思いをして欲しくない。
だけど、なんだろう。
そうやって、距離を取ろうとすればするほど、なんだか、近づきたくなる。
触れたいし、触れて欲しい。
もっと近くにいたいと思う。
なんだろう、これは。
7月23日
姉さんに怒られた。
初めて見るぐらい、すっごく怒った。
理由は、私が距離を取った事。
散々怒られて、その後、頭を撫でられた。
もう、わけがわかんない。
怒られる理由は分かる。
『奏穂がしてる事は、病人は可哀想だから、優しくしてあげないといけない、見守ってあげないといけない、そう言って、哀れむような目で見ているような人間と同じ事をしてるのよ?』
姉さんはそう言った。
私に分かりやすく言ってくれたんだろう。
すぐに分かった。
確かに、私は、普通に見たら、不幸だろう。
ずっと入院してばっかりで、学校になんていけてないし、友達もユーキとルリの二人だけ。
それは、傍から見ると、不憫な物に見える。
でも、私はそう思ってないし、そう思われると、すっごくむかつく。
私の何も知らないくせに、知ったふうな口を聞くなって言う感じ。
そして、それと同じ事が言えるんだろう、ユーキの事も。
ユーキは、今、自分と向き合って、アレルギーを治そうとしている。
人とのふれあいを大事にしようとしている。
姉さんはそう言っていた。
それは、すごいことだと思う。
どんなふうに辛いのかなんて、私は知らないけど、病気克服のためにやる事は、並大抵の気力で出来るものじゃない。
すっごい根気がいる。
それなのに、それに対して弱音を言わず、一生懸命努力している。
それを、すごいと思わないわけがない。
それと同時に、姉さんが、心配した理由が良く分かった。
これだけ頑張っているんだ、心配しないわけがない。
手を差し伸べたくならないわけがない。
だから、姉さんは、面倒を見ているんだろう。
なら、私も、それを手伝いたい。
というのは、建前で、やっぱり、今までどおりでいたい、と言うのが、本音。
やっぱり、こっちもこっちでストレス溜まるし。
ユーキにとっては、治療?になるし、私はストレスが溜まらなくて澄む。
一石二鳥じゃない。
良し、明日から、べったり行くぞ。
7月26日
今日は、ユーキは来なかった。
なんか、用事があるらしく、来れなかったらしい。
その代わり、今日は、ルリとずっと一緒にいた。
いろいろと忙しいから、滅多に長居はしてくれないんだけど、今日はぎりぎりまで居てくれた。
それが、私には、すっごく嬉しかったんだけど、ルリは、どうやら違ったみたい。
というか、彼女から見た私が思ってるほど、私は嬉しそうに見えなかったみたい。
なんて言うか、心ここにあらずって言うか、話していても、ユーキの事ばかり。
それが、ちょっと気に食わなかったみたい。
私自身は気づかなかったんだけど、思い返してみると、確かに、ユーキの事ばかりを話してたような気がする。
でも、どうしてだろう。
『ユーキの事好きなんじゃない?』
ルリにそういわれたけど、そうなんだろうか?
いや、確かに、好きなのは好きなんだけど、ルリの言ってるニュアンスとは違う。
ルリの言ってるニュアンスは、恋愛感情の好き。
親愛の好きじゃないって事。
でも、そう言われても、私にはぴんとは来ない。
そりゃ、確かにユーキと一緒にいると楽しいし、落ち着くし、いないと寂しい。
だけど、それは、ルリも同じ。
ルリと一緒に居ると楽しいし、落ち着くし、いないと寂しい。
だから、私の中では変わらない。
変わらないはずなんだけど、なぁ……
7月27日
ユーキが今日も来なかった。
今日は用事があるとは言ってなかった。
だから、来ないはずがないんだけど……
どうしたんだろう?
ちょっと、心配。
それと、寂しい。
そこで、思うのは、やっぱり好きだからなのだろうか、と言うこと。
でも、やっぱり、しっくりと来ない。
うーん、私は、ユーキの事が好き?
それとも違う?
どっちなんだろう。
7月28日
今日も、ユーキは来なかった。
だけど、その代わりに、ルリが来た。
その代わり。
よくよく考えて見たら、随分ひどい言い方だ。
だけど、ルリが言ってた事が良く分かる。
今日、ルリに相談したら、あっさりと言われた。
『んじゃ、奏穂がユーキにしてること、されてることを、他の女の子とやってたら、どう思う?』
そう聞かれた瞬間にいらっとした。
もちろん、想像したからだ。
ユーキが他の誰かも分からない女子と、仲よさそうにしている。
それが、そのどこからどう見ても恋人にしか見えない姿が、羨ましくて、腹立たしくて、そんな事を私以外にして欲しくない、というか、したら許さない。
しばらく、口なんか聞いてやんない。
まあ、結局のところ、単なる嫉妬。
てか、既に、自分の中で出来上がってる。
恋人にしか見えない姿が、なんて言っている時点で。
『まあ、答えは言わなくても出てるみたいね』
そう言って、ルリは笑ってたけど、逆に私は心臓バクバク。
恥ずかしいったりゃありゃしない。
でも、まあ、それでも、良かったとは思う。
自分の気持ちも分かったし、明日、とりあえず、ユーキが来たら、頃合を計らって、それとなく聞きだしてみよう。
で、あわよくば……
なんちゃって。