第十四話 もう一人の女神様
「起きろ!!」
その声と同時に、打撃音が部屋中に広がった。
いや、誰が何をしたのか分かっているけど。
「ごめん、昨日励みすぎて、無理」
だけど、とりあえず、無視。
眠い。
恐ろしく眠い。
まあ、第三ラウンドまで突入してしまった辺り、若さなんだろう。
つか、頑張りすぎ。
だから、その反動で、今はものすっごく眠い。
「起きんかい!!」
再度、声と同時の打撃音。
小気味いい、『パシーン』と言う音。
もしかして、ハリセンなのだろうかとも思うけど、そんなものは、この部屋にはないから、除外。
「てか、励み過ぎって、もう少しデリカシーって物を考えなさい」
更にもう一発。
確かに、年頃の女性に対して言っていい言葉ではないだろう。
デリカシーがないと言われたら、それは仕方のない事だろう。
でも、だからと言って、そんなに叩きまくらなくてもいいと思う。
これ以上、アホになったら、残念な子になったら、どうしてくれるんだ。
責任を取ってくれるとでも言うのだろうか。
「でも、眠いから無理」
なんて事も考えたけど、結局撃沈。
だって、眠いんだもの。
眠すぎる。
結局、第三ラウンドが終了した後も、なんだかんだと二人いちゃついてたし。
やっぱり、タイムリミットが近づけば近づくほど寂しい物なんだ。
例え、拒否反応が起きても、それでも、その温もりを否定は出来なかったわけだし。
あの夜の出来事中、ずっとずっと拒否反応は出てた。
苦しかったし、辛かったし、気持ち悪かった。
確かに、彼女の言う通り、彼女ではダメだった。
どうしても、奏穂の面影を追ってしまう。
だけど、それでも、やっぱり、幸せなのには違いなかった。
失いたくはない時間だった。
だから、その時間が残り少なくなるたびに、胸が締め付けられるように寂しかった。
僕も気づかないうちに、彼女に惹かれていた。
そういうことなんだろう。
「だから、寝るなっつうに!!」
更なる追い討ち。
この人は何がしたいんだろう。
さっきから人の頭をポンポン叩いて……
簡易裁判所に訴えてやろうか。
「こっちは、聞きたい事があるのよ!!」
更に、追撃の一撃。
どうやら、無言のまま眠りにつこうとしてたのを察知したらしい。
なんとも、敏感な人だ。
「良し、分かった。この庵原夕貴。何でも答えてやろう。好きな食べ物から、好みのタイプ、フェティシズム、なんならスリーサイぶっ!!」
なら、さっさと答えて眠りにつこうと思ったら、思いっきり叩かれた。
獲物は、教科書だった。
まあ、妥当だろう。
すっごく痛かったけど。
というか、思いっきり、横っ面をなぐるとは、どうかと思う。
「今からするのは大事な話し、奏穂の……て、なんだ、そんな顔も出来るんじゃない」
彼女の顔が不意に緩む。
とりあえず、自分の顔をいじってみるが、分からない。
分からないけど、なんとなく予想が付く。
さっきまでの、ぼけっとした、というか、瑞穂さんの言葉からでは、飄々としている、目の前にいる彼女にしてみれば、何考えているのか分からない表情から、多少真面目になった、ということだろう。
「で、奏穂がどうしたのかな?」
だけど、そんなことはどうでもいい。
それよりも、奏穂の事、というよりも、こうして、ルリとの話しで、彼女の事が出てきた事の方が気になる。
「全く、ホント、いい性格してるわ。まあ、そんなんだから、奏穂も、好きになったんだろうけど」
そんな僕とは裏腹に、彼女はため息。
褒めているのか貶してるのか、微妙だ。
ただ、なんとなく、僕には褒められているような気持ちにはなれない。
というのは、もしかすると、自分自身でも、意外と認識しているのかもしれない。
人から見ると、自分が、飄々としていて、何を考えているのか分からないと言う事を。
「まあ、いいわ。奏穂の事、というよりも、それが原因で貴方の身に起こった事について聞きたかったのよ。貴方、女性恐怖症らしいわね?しかも、重度で、拒否反応が起きるぐらいひどいらしいわね?」
思わず、自分でも表情が強張ったのが分かった。
このタイミングで。
そう、このタイミングで、こんな事を聞かれるとは思わなかった。
それは、まるで、誰かに仕組まれていたかのように。
そう、初めて、瑞穂さんの家に招かれたときのように。
「言ったのは、鈴穂さんと瑞穂さん、どっち?」
それ以外のところから漏れるとは思わない。
そもそも、僕のそれを知っている人間はかなり限られている。
むしろ、その二人だと考えるのが妥当だ。
そして、一番可能性が高いのが……
鈴穂さん。
「鈴穂さんから聞いたわ。と言うよりも、お願いされた、と言うのが正しいんでしょうね」
内心で、やはり、そう思いながら、彼女の表情を見ると、そういった彼女は苦笑している。
まぁ、憎んでいる人間にすることではないだろう。
「初めは、ふざけんな、って思ったけど、そうね、確かに彼女の言う通り、よくよく考えてみたら、苦しんでいるのは、別に私だけじゃない。貴方だってそうよね」
だけど、その目は優しい。
瑞穂さんや鈴穂さん達がするような優しいまなざし。
「大切な、初めて触れ合えることのできた、心の奥底から愛してるって言える人を殺したんだもの、辛くないはずがないわけじゃないし、トラウマにならないほうがおかしい」
それは、同情なのだろうか。
可哀想な人。
大好きな恋人を殺さなくちゃいけなかった人。
殺したが故に、余計に拒否反応がひどくなった人。
誰にも触れられなくなってしまった人。
そう思っているのだろうか。
「それに、あの子が選んだ男だもの、程度の低い男のはずがないわ。いつもいつも、耳にたこが出来そうなほど聞かされてたわけだしさ、のろけ話をさ」
一瞬、浮かんだ思いは、あっさりと霧散して行く。
違う。
彼女がしているのは、同情ではない。
いや、多少なりは同情はしているだろう。
けれど、だからと言って、それ一色ではない。
それ以外の何か。
それ以上の何かを、見せようとしてくれている。
「ホント、でも、もしかしたら、それが原因だったのかもしれないわね」
続けた彼女は、その言葉と同時にため息。
僕にはその意味が分からない。
というよりも、今の彼女がしようとしている話自体が分からない。
何を思って、何をしようとして、こんな話をしているのかが、皆目検討もつかない。
「奏穂には内緒よ?私は、彼女が延々と自慢そうに言うユーキって人に憧れてた。ううん、憧れ以上に、好きになってた。だからこそ、信じられなかった、許せなかった。憧れていた、大好きだったあのユーキが、そんな事を、奏穂を殺しただなんてことを。そして、彼女を殺しておいて、のうのうと生きていることが」
裏切られたと感じたのだろうか。
自分が憧れていた、大好きだったあのユーキが、恋人である奏穂を殺した。
だけど、私の知っているユーキはそんな事はしない。
私の中にいるユーキは絶対にそんな事はしない。
なのに、現実のユーキがしたのは、神をも恐れぬ行為。
自分の気持ちを踏みにじった最低の行為。
最初の羨望の気持ちが高かった分、失望の度合いもひどかった。
愛しかったからこそ、余計に憎く思える。
そういうことなんだろう。
「鈴穂さんは言ったわ。『私でも、瑞穂でもダメ。私達はあまりにもあの子に似すぎていて、近すぎる。絶対に、甘えられない。私達の妹を殺してしまった事の罪をずっと感じさせてしまう』って。まあ、そうよね。確かに、あの二人は、本当にそっくりだし。ただの知人である前に、どうしても、奏穂の姉、という見方をしてしまうわ」
それは、避けられないこと。
だけど、それでも、それを覚悟した上で、僕は彼女と付き合った。
どんなに悲しくても、苦しくても、辛くても、それでも、自分が向き合って、乗り越えていかないといけない問題だから、誰かに手伝ってもらっていいものではないから。
そうじゃないと、彼女を殺した罪を償えない。
僕自身が本当に楽になれない。
例え、彼女が望んだことだったとしても、それでも、自分が殺めたという事実は変わりないわけだし、自分自身が、それを罪だと思っている以上、それを乗り越えないといけない。
そう思っていた。
だけど、彼女は、僕のために、僕の幸せのために、手を離した。
ただの友人として、自分の気持ちを押し殺してまで、僕を支えるという決断をした。
「だけど、私は違う。確かに、あの子の親友。でも、それだけ。特に、私があの子の親友だって知ったのは、つい最近で、その意識だって、そんなに強くない。私を見て、あの子の面影を見ることもない。だからこそ救える。貴方の傷と痛みと過去を知りながら、あの子との関係を意識しないですむから」
そういった彼女は、本当に綺麗だった。
彼女の容姿が素晴らしいのもある。
だけど、それ以上に、内側からにじみ出る美しさ。
奏穂や瑞穂さん、そして鈴穂さん達のように、心の強さ、気高さ、美しさからでる、本当の美。
それを、初めて彼女から観たような気がする。
「で、質問。貴方は、私にどうして欲しい?何を望むのかしら?」
普通に聞けば、おかしな質問。
尊大で傲慢な態度の質問。
だけど、実際は違う。
ただの純粋な質問。
何故、そうしようと思ったのか。
それは、分からない。
事実を知ったから。
鈴穂さんから、お願いされたから。
そんな事だけで、彼女が納得し、挙句に僕の手助けをしようだなんて考えるとは到底思えない。
きっと、もっと複雑な事があったのだろう。
それは、きっと僕がどんなに考えても分からないことだろうし、もしかしたら、一生知らずに終わる事なのかもしれない。
けれど、それでも、彼女が僕を助けようとしてくれている意思はあると思う。
そして、だからこそ、この質問。
純粋にどうすれば助けられるのか、それが分からないから、だから、尋ねる。
『貴方は何を望んでいるのか?』
そう聞くのだ。
けれど、分からない。
僕自身が何を望んでいるのか。
何があれば、救われるのか。
そして、どういう結果なら、彼女が死んだ事で生まれた悲しみの螺旋は終わりに迎えるのか。
それが、分からない。
だから、考える。
考えるが、やはり答えは出ない。
出ないから、堂々巡り。
同じ問いかけが頭の中を駆け巡り、浮かんでは消えて行く。
「ごめん、少し、時間をくれないか?」
だから、その言葉が出たのは、何十回も考えた数分後の事だった。
これにて、第二章終わりです。
三章で終わりです。