第十一話 女神様の悪戯な手
「あら、ばれちゃったのね?全く、変なところで抜けてるんだから」
昼休み、一応名目上は相変わらず恋人になっている彼女のところに来ていた。
まあ、要するに保健室なわけだけど。
「否定はしませんけど、まさか来るとは思ってませんでしたからね。あそこに行くところは誰にも見られたくないんで、わざわざ時間をずらしてましたし」
誰にも見られたくない。
そして、それと同時に、会いたくない。
特に彼女の両親とは。
だから、時間をずらしていたのに、まさかずらした分だけど、損をするとは思わなかった。
こうなるなら、もう少し早くか、遅くに来れば良かった。
そうすれば、かち合わせ、なんて事もなかったし。
「でも、まあ、ちょうどいいんじゃない?いつまでも隠し通せる事じゃないもの。下手にこじれる前に、まあ、あるかどうかは分かんないけど、親しくなる前にばれといたほうが、あとくされは無いし」
まあ、確かに彼女の言うことには一理ある。
下手に複雑な状況になるよりも、ただ、距離を取られるぐらいの方がちょうどいいだろう。
「そうですね。で、この手は何?」
とりあえず、そのことはもう気にする必要はないだろう。
と言うか、正直どうでもいいと言えばどうでもいい。
あくまでも、奏穂の友人だった、というだけで、今までだって大してそんなに親しいわけでもない。
長年来の親友ならまだしも、その程度だったら、わざわざ心を痛める必要はないだろう。
それに、それよりも、もっと気になる事もあるし。
「随分悪戯好きな手ですね?」
僕の服を脱がそうとしている本当に悪戯大好きな手。
「あー、えっと、何て言うか、その、戴きます?」
「食うな!!」
その手を思いっきり叩き落とす。
全く、彼女と言ったら、本当に油断も隙もない。
まあ、そんな事を言ったら言ったで
『油断したり、隙を見せるほうが悪い』
なんていわれそうだが。
本当に、女の人って得だ。
男がやったら、それも完全に犯罪だと言うのに。
「いいじゃない、恋人同士なわけだし。プラトニックな愛情だけじゃなくて、ちゃんと身体のお付き合いもしないとダメなのよ?」
「まだ一ヶ月も経ってないのに、そういうのは早いと思うんですが?」
「あら、堅いわねぇ。いいじゃない、愛がそこにちゃんとあれば、慈しみの心があれば、期間なんて関係ないのよ?」
「それでも、慎み深さも忘れちゃダメだと思いますけど?」
まぁ、言うだけ無駄だろうが、とりあえず、言わないわけにもいかないだろう。
どちらにしろ、拒否する気は満々なわけだし。
「分かってないわね。慎み深さ、それも大事だけど、それ以上にもっと深いところでつながっているっていう安心感とか絆の方が大事なのよ?お互い、誰にも見せない秘密を見せ合う。そう言うのって結構大事なんだから」
まあ、その気持ちは分からないでもない。
分からないでもないが、なんともおかしな感じだ。
やっぱり、どうしても本来あるはずの男と女のやりとりがあべこべになっている感が否めない。
最近は、男と女の立場が逆転しつつあるとは言うけど、ここまで真逆なのは珍しい方じゃないだろうか?
「というわけで、戴きます」
「ぎゃぁぁぁぁああああ!!」
そして、手際良く彼女は僕の制服を脱がして行く。
「もう、騒ぎすぎ。誰か来たらどうするのよ?」
「そのときは、無理矢理先生に手篭めにされそうになりましたって言うから大丈夫です」
そこらへんの対応はばっちりだ。
抜かりはない。
「貴方ねぇ……」
「でも、事実でしょう?」
あきれたような目で僕を見るが、事実は事実。
最初のキスだって無理矢理だし、今、こうして押し倒されたのも無理矢理。
僕の意思は全くない。
「そっか。その手があったか。未成年に対して成人が何らかの性的行為をした場合は、罰せられるんだっけ。それが少年相手に女性だったとしても」
そうだ。
そういえばそうだった。
ずっと、自分が男だから守られる側じゃないと思ってたけど、その前に僕は未成年者。
守られるべき存在。
「いや、まあ、確かにそうだけど、まさか訴えたりしないでしょうね?」
「えー、どうしよっかなぁ?」
初めての立場逆転。
なんだろう、これは。
このいいようもない高揚感と解放感は。
自由って言うのは、こんなに素晴らしいものだったのだろうか。
長らく不自由しか知らなかった僕には、分からない。
いったい、自由がどんなものだったのかさえ覚えていない。
だけど、今、僕は自由だ。
何にも縛られることない。
ああ、なんて素敵な事なんだろう。
「そう、そうね。もう、止まっている暇なんてないのよね。というわけで、さっさと既成事実を」
「って、どうしてそうなる!?」
そんな安穏もつかの間、さっそく飛びついてくる。
「いいの、訴えてもいいの!?」
「訴えられるのは困る。そう確かに困る。だけど、ねちねちと言葉責めされるのは、趣味じゃない。というわけで、食べれる内に食べておこうかと」
「逆効果!?」
どうやら、逆に火をつけてしまったようだ。
「ちょ、ま、待って。訴えないから、訴えないからちょっと脱がすの待って!!」
「ふふふ、もう遅いわ。やると決めたら、止まらない。それが私の信条だもの」
「何、その暴走列車みたいな信条!?」
「おいしく戴かれなさい」
「いやぁぁぁぁぁぁあああ」
「二人して何やってるんですか?」
不意の侵入。
そして、静かなツッコミ。
『………』
そして、固まる二人。
もちろん、僕と瑞穂さん。
「て、なんだルリか」
それと同時に氷解。
いきなりの侵入者。
それは、ルリだった。
「いや、いきなり呼び捨てにしないでくれる?」
「うん?ああ、ごめん。どうも奏穂が言ってたのがうつっちゃって、つい。苗字で呼んだほうがいいかな?」
いつもいつも、奏穂は彼女の事をルリと呼んでいた。
それがどうしてもうつってしまったのだ。
とはいえ、確かに失礼と言えば失礼。
てか、確実に失礼。
「いや、別に名前でもいいけど、呼び捨てだけはやめてもらえるかしら?」
だから、苗字で呼ぼうと思ったが、そこまではいかないらしい。
「うーん、じゃあ、ルリっちでも、いいかな?」
「……何、そのセンスもひねりもないあだ名は」
どうやら、それはそれで気に入らないらしい。
まぁ、確かにセンスがないのは認めるが。
だが、言わせてもらえば、あだ名なんてものをつけようとしたこと自体一度もないのだ。
経験もないのに、いきなりひねったものを出せと言うのが、無茶と言うもの。
初体験なんだから、多少は多めにみてもらいたい。
なんだってそうだ、初体験と言う物は緊張するものなんだ。
成功するとは限らない、というか失敗する可能性が大きい。
だから、広い心で見てもらわないと。
「にしても、ホント、性格変わったわよね?この前とは大違い。おどおどびくびく、何この図体のでかくてきしょい小動物は、って思ったけど、こっちが地でしょう?」
なかなか言いえて妙だ。
確かに、彼女の前での僕はそういう感じだっただろう。
怯えていた。
彼女と言う少女、というか恐怖の対象でしかない人間と言う物が身近にいると言う事に。
「うーん、どうだろう?どっちも地じゃないかな?怖い物を前にすると怯える。でも、どっちでもないものの前だったら、さほど気にしない。そういう感じじゃないかな?」
でも、今は違う。
彼女は恐れる必要はない。
奏穂の友人だった。
それだけで、全く別の物になりかわる。
だからといって、友人になるわけでもないけれど。
そこはまた別の話し。
「ああ、確かにそんな感じよね、夕貴は。怖い物に対しては敏感だけど、それ以外の事には無頓着と言うか、開き直ると、投げっぱなしジャーマン……ポテトだっけ?そんな感じの事をするわね」
「いや、違いますよ。てか、なんで、そんな誰も分からないようなプロレスネタなんか使うんですか。そもそも、ちゃんと分からないんだったら最初から言わないでください」
「うーん、とりあえず、ここはボケておくべきかな、って女の直感が。いやはや、ごめんねぇ」
「役に立たない直感ですね」
「あら、女の直感を舐めてると怖いわよ?」
「そんなのは重々承知ですよ」
女の勘が怖いのは、もう経験済みだ。
鈴穂さんしかり、目の前の瑞穂さんしかり、奏穂しかり、かなりの恐ろしい経験がある。
思い出すだけでも、震え上がってしまうような事だってあった。
なので、舐めて掛かるようなことはしないが、それでも今回は役に立ってないには違いない。
「ホント全然違うわね。全く、今のあんた見てたら、すぐに分かったわよ。あの子が言ってたユウキにそっくり」
「あ、呼び捨てやめてくださいね?名前で呼ぶのはいいんですけど、呼び捨ては、瑞穂さん限定ですから」
一応、名前を呼び捨てにしていいのは、なんだかんだで恋人の瑞穂さん限定。
特別、と言うことだ。
まあ、そんなことを彼女が気にするかどうかは分からないけど、僕なりのけじめだ。
「はいはい、悪かったわよ。たく、その飄々ぶりったら、なんと言うか、まぁ、一筋縄では全くいかなさそうね」
「そうですか?てか、奏穂は、僕の事どういう風に言ってたの?」
飄々としている。
それは、いい意味なのか悪い意味なのか、どっちなのだろう。
一応、恋人なんだから、嫌っていないでくれるとは思うんだけど。
「そうね、優しくて、おもしろくて、なよなよっとして弱そうだけど、意外と頼りになるんだけど、いつも何を考えているのか分かんない人だって言ってたわよ?」
うーん、なんと言うか
「微妙ね」
瑞穂さんがそういった。
だけど、その通り。
確かに、微妙。
というか、最後の奴は余計だ。
「でも、確かにその通りね。優しいし、おもしろいし、なよなよっとしてなんだか頼りなさそうだけど、意外となんだかんだで頼りになるし」
「で、考えていることは分かりそうで分からない」
だから、最後のは余計だって。
わざわざ瑞穂さんが言った事に付け加えなくてもいいだろうに。
「てか、そんなことよりも、どうして、ルリっちがこんなところにいるわけ?」
もう一度センスのかけらもないあだ名で呼ぶと、彼女は眉をひそめたが
「まぁ、あんたがあそこに来ないから、こっちに来てみただけよ。てか、あんな事言っといて、しょっぱなから来ないってどういうことかしら?」
あきれたように返す。
いや、確かに、どういうことだろう。
あんなお願いしといてしょっぱなから来ないっていうのも、なんか変な話だ。
「いや、先に瑞穂さんに状況説明をしておこうかと。いつ、また迷惑をかけるか分からないからね。鈴穂さんともども」
ただ、どうしても、先にこっちのほうをかたしておきたかった。
これから先は何がどうなるかは分からない。
だから、不安な材料は出来るだけ片付けておきたかった。
「迷惑?意味がわかんないんだけど?」
けれど、それは彼女にとっては分けのわからないことだろう。
何も言ってないんだから当然だ。
僕の病気のことも、そして、彼女を殺してしまった後のことも。
そう、自分の恋人を、最愛の人を殺して、平気で生きていけるほど最低な奴になった覚えもなければ、割り切れるほど大人でもない。
苦しまないはずがない。
「いや、君にばれただろう?一応、もみ消してしまった事だから、表に出たら困ることなわけだし、その関係者でもあるからね。一応報告義務はあるの」
でも、それは彼女に話す必要のない事。
関係のない事。
だから、嘘をつく。
瑞穂さんが何か言いた気な表情をするけど、それは無視。
「だから、昨日お願いしといてなんだけど、昨日言った事は黙って欲しいんだ。君が僕の事を恨んだり、憎んだりするのは構わない。だけど、それを言いふらすようなことはして欲しくないんだ。そんな事をすると病院と彼女の家にも迷惑がかかる。奏穂のためにも、黙っていてくれないかな?」
「随分卑怯な言い回しね?」
そんなことは重々承知だ。
厚顔無恥だと言われても否定できない。
だけど、僕だって自分が犯した罪で、誰かに迷惑をかけたくない。
自分のせいで、誰かが傷ついていく姿を見たくない。
「だけど、まあ、黙っといてあげるわよ。奏穂も望んじゃいないだろうし、先生や鈴穂さんにまで迷惑がかけるつもりはないし、ってか、それぐらい私だって分かってるから、言うつもりなんて最初からないわよ」
「そっか、そうだよね、うん、ごめん」
まぁ、そりゃそうだろう。
自分の大事な親友とその家族。
その人達に迷惑をかけるようなことはしないだろう。
どんなに、僕の事が憎かろうとも。
それぐらいの常識はあるだろう。
少々どころではなく、かなり彼女を低く見てしまった。
これは、反省点。
「で、話し合いは終わったかしら?」
「はい?まあ、別に聞きたいことは聞きましたけど?」
不意に瑞穂さんが話しに入ってくる。
さっきまで、黙っていたのに、いったいどうしたのだろうか。
「それは、良かった。じゃあ、これからは、恋人同士の甘い時間になるから、邪魔物は、はい、退散ね?」
そう言ったルリをぽんとドアの方へと押し出す。
「というわけで、戴きます、って、あれ?」
「残念ですけど、もうそろそろ授業が始まるんで、僕も戻ります」
それについて行くように僕も、ドアの方へと既に退避済み。
先生との付き合いも多少長くなった、というか濃くなってきたせいで、だいたいの行動が読めるようにはなってきている。
「それじゃ、また、今度」
だから、こうして、逃げる事も出来る。
「う〜、今度こそ、今度こそ、戴くからね!!」
とはいえ、いつまでもは、逃げられないだろうけれど。