第十章 罪と罰と贖罪
二章開始です。
で、しょっぱなから、暗いですが、次は戻りまふww
文化祭の準備は着々と進んで行く。
僕も当然クラスの準備に追われていた。
だから、自然と秘密基地にも、そして、保健室へと足が向くことはほとんどなかった。
とはいえ、とりあえず、瑞穂さんとの微妙な関係はどうにかなった。
一応、名目は恋人になってしまった。
とりあえず、僕も彼女も好きでもない相手にキスを出来るような人間じゃない。
そうなると、自然と恋人、と言うものに落ち着いてしまった。
もちろん、だからと言って、どうこうするつもりは、やはりない。
恋人の権利、なんて言うものを振りかざす気も毛頭ない。
同じだけの思いを、なんて言うつもりは毛頭ないけれど、それでも、自分の思いをしっかりと彼女と向けて居ない以上、そんなものを行使する権利は僕にはない。
だから、時々あるお誘いも当然拒否している。
ある意味平和な学校生活。
秘密基地でのおかしな逢瀬が始まる前と同じ生活。
それが退屈になるんじゃないかと、最初は思っていた。
正直言って心労がひどかったのは事実だ。
辛くないわけがなかった。
だけど、それでも、たのしくなかったわけじゃないし、確かに充実した生活ではあった。
それがいきなりごろっと変わるのだ、多少不安はあった。
けれど、そんな不安も杞憂で、あっさりと僕は元の生活に戻れた。
そう、この瞬間までは。
こうしているこの瞬間以外だけは、どうしてもそれとは切り離されてしまう。
たぶん、それは一生変わらないと思う。
どんなに僕が前へと進んでも、全く違うものの考え方をするようになったとしても、それでも変わらないと思う。
それだけ、僕にとっては重要で、そして、忘れられないもの。
僕の根底に根付いている過去の出来事。
たった一つの儚い生。
「ちょうど一年振りだね。元気してたかい?」
無駄なことだと分かっていても、そうすることが無意味だと分かっていても、それでもそうしてしまう。
それはきっともう本能的な物で、理性でどう抑制しようとしても、やってしまう事だろう。
「新しい世界での君は幸せかい?そうだといいんだけどな。僕?僕は、まあ、変わらずやってるよ」
もうここにはいない、遠い世界の住人。
遥か彼方、今の僕ではどう足掻いても辿りつけない場所にいる。
もちろん、そんな世界があるのならば、という前提条件月だが。
そう、死後の世界なんてものが。
「そうそう、君のもう一人のお姉さんに会ったよ?うん、君の言う通り綺麗だったよ。本当に綺麗な人。外見だけじゃなくて、魂まで綺麗な人。君が嫌っていたのが、分からないぐらい素敵な人だったよ?」
死んだ人間に言葉は届かない。
どんなに願っても祈っても、そこにあるのは悲しい現実。
もう二度と交わる事のない言葉。
だけど、それでも、僕は問いかけてしまう。
弱いから。
未だに、過去に縋り付いてしまっているから。
「ホント、世界中の男達はどんだけ目が節穴なんだろうね?君の二人のお姉さんは、もうびっくりするぐらい素敵なのに。そういえばさ、最近、鈴穂さんがまた振られたんだけど、ふざけんじゃねぇ、って感じじゃない?あんな素敵な人を振るって、どんだけ自分偉いと思ってんだよ、って感じだし。鈴穂さんが振るなら良く分かるんだよ?あれだけ素敵な人だもん、よっぽどの人じゃないと釣り合わないだろうしさ。なのに、振るんじゃなくて、振られるだなんて、もうふざけんな、って感じ。とりあえず、今度夜討ちに行っちゃおうか?」
くだらない冗談。
女性恐怖症。
そんなものがある中で、くだらない冗談を気取らずに言えたのは、遠い世界に旅立った十人一人だけ。
自然体でいられた。
いさせてくれた。
「で、瑞穂さんは瑞穂さんで、僕に告白してくるし。ホント女性としてはもう最高と言ってもいいのに、見る目がなさすぎるよねぇ?僕なんかよりも、もっともっといい男なんているのにさ?いや、まあ、僕を選んでくれた君を否定するわけじゃないよ?そう、うん、なんだ、あれだ、歳相応の男と付き合えって事。ああ、だからと言って、年増扱いしているわけじゃないよ?要するに、こんな子供なんか相手にせず、大人でもっと素敵な紳士さんと付き合いなさいってこと」
それは、今でも変わらない。
今も昔も変わらない。
バカみたいに話せる。
そう、昔の恋人と。
死んでしまった恋人。
死なせてしまった恋人。
そして、僕が殺してしまった恋人を。
「あんた、何してるの」
「っ!?」
不意の声。
思わず、びくりと身体を振るわし、言葉にならない、それこそ声になったかどうかも差だけ出ない音だけがのどから漏れた。
それぐらい、驚いた。
そして、それ以上に迂闊だった。
「て、聞くまでもないか。そっか、そうよね、あんたの名前は庵原夕貴だったわよね。つまり、あの子が言ってたユーキてのが、あんたって事だったわけだ?」
他人には誰にも知られたくない過去。
傍から見たらただ痛い人にしか見えないそんな姿をしたのだ、もう少し周りに気を配るべきだった。
そして、何より、彼女の知り合いに見られた事がまずい。
とはいえ、まさか、知り合いだとは思わなかった。
彼女が、良く彼女が言っていた少女の名前。
「じゃあ、君がルリだったんだね。そうか、柚子原瑠璃。どうして、気づかなかったんだろうね、良く良く考えてみれば、あれだけヒントがあったというのに」
何故分からなかったんだろう。
良く、彼女は言っていた。
自分の友達であるルリは、自分と同じく美形が大嫌いな美少女だと言っていた事を。
そして、彼女と同じくして非常に裕福な家庭で生まれ育った、と。
まぁ、とはいえ、その友達であるルリは、彼女の美形嫌いが伝染して美形嫌いになったらしいのだが。
彼女の延々と続く美形に対する呪詛の言葉を聞き続ければ、嫌いになってもしかたないだろうが。
ちなみに、僕は美形は嫌いじゃない。
むしろ、大好物。
もちろん、女子限定だけど。
けれど、その友達であるルリは、彼女の言葉を聞いているうちに嫌いになったらしい。
一人っ子で、彼女と同じく友人の少なかったルリが、彼女の言葉をあまりにも素直に聞き入れすぎてしまったのが、一番の原因だろうが。
ちなみに、同じく一人っ子で、友達の少ない子である僕が、そうならなかったのは、自分が美形じゃないので、それに対する憧れがあるのと、彼女が延々と言い続けた呪詛の言葉に出てくる美形が言った言葉を一度も耳にした事がなく、ピンとこなかったからであるが。
身近か身近じゃないのか、それで結構変わるものなのだ、感じ方は。
そして、身近に感じすぎたルリは、美形嫌いになり、自分自身の容姿も嫌いになった。
それを考えれば、目の前にいる彼女は、確かにそれに当てはまる。
まさしく、彼女こそルリだ、と思うことはしなくても、多少、そうではないのかと疑問を持つべきだったし、多少の探りも入れるべきだった。
彼女の知り合いには、できるだけ会うつもりはないし、関わるつもりはなかった。
担当医である鈴穂さんや校医である瑞穂さんは仕方ないとは言え、彼女との接点はいくらでも切ろうと思えば切れたのだ。
それをしなかった自分の甘さ。
なんと、情けないのだろう。
「そうよ、私がルリ。あんたが殺したあの子の、奏穂の親友だったルリよ」
そこに居る少女は、ルリは、深い憎しみと殺意を込めた瞳をしていた。
だが、僕には、それを嗜めることはできない。
そう、確かに僕は、彼女を、奏穂を殺した。
この手で、必死になんとか生きようとしていた彼女を殺した。
だから、否定することは出来ない。
その瞳を、僕はまっすぐと受け止めなくちゃいけない。
「ずっと聞きたかった。なんで、あの子が殺されたのか。殺されないといけなかったのか。恋人であるあんたに」
その気持ちは良く分かる。
僕だって、そうだ。
何故、彼女が死ななくちゃいけなかったのか。
彼女が死ぬ必要なんてなかった。
彼女は生きていないといけない人だった。
僕だって、心の奥底から、生きていて欲しいと、そう願っていた人だった。
だけど、僕はそんな人をこの手で殺した。
彼女がそう望んだから。
彼女が死にたいと言ったから。
延命措置なんてされたくないと、自分自身で生きようとしているんじゃなくて、生かされている、無様に生かされているなんて嫌だから、そんな姿でいたくないから。
そんな姿で居るより、自然に死んでいきたかったから。
だから、僕は彼女を殺したんだ。
彼女をこの世に繋ぎとめていた医療器具のスイッチを根こそぎ切っていった。
それは、他のなんでもない、純然たる殺人。
もちろん、彼女は尊厳死を求める書類を作成していた。
その書類とて、ちゃんとした手順を取って、弁護士を通じて作成した。
だから、その書類はしっかりとした効力はある。
それを、担当医及び病院側が容認したら、という条件が付くが。
けれど、担当医と病院側は渋り続けた。
最近では、尊厳死を許容するような考え方もちらほら出てきつつあるが、完全に容認されている思想でもない。
多少リスクのある問題。
表に出たら、かなり騒がれることは間違いない。
それぐらい、繊細な問題。
だから、どうしても、簡単にゴーサインを出せなかった。
それに、尊厳死をさせなかったとしても、延命措置をしたところで、そんなに彼女は長くは持たない事が分かっていた。
だったら、そこまで長くないんだったら、リスクを冒してまで、尊厳死なんてものを実行しようとは思わなかった。
そして、彼女の家族もそうだった。
彼女が尊厳死を望んでいるのは良く分かる。
目の前に居る自分の子供が、妹が、もう普通に生きている状態だと思えなかった。
そんな状態で居続けるのが、彼女の幸せだなんて思えなかった。
だけど、だからと言って、彼女の思いを汲み取るだけの踏ん切りはなかった。
出来ればしてやりたいけれど、するだけの勇気が出なかった。
結局、彼女のためとは言え、やっていることは、人の命を消すこと。
人殺しと何も変わらない。
自分の大事な家族を殺すことと変わらない。
そんな事が出来るわけがなかった。
だから、代わりに僕がした。
彼女が望んでいたことだから。
自分の大好きだった人が、自分の望まない姿でいるのを見ていたくなかったから。
彼女が無様な姿をさらし続けているのを見たくなかったから。
だから、彼女を殺した。
そう、殺したのだ。
だから、僕は裁かれるべき人間だった。
殺人は人が一番犯してはいけない罪。
しかも、自分が一番愛していた恋人を殺したのだ、重く裁かれるべきもの。
なのに、僕は裁かれなかった。
そこにあった人殺し、という罪はなくなり、ただ、延命措置の甲斐なく事切れたという嘘の報告。
そう、もみ消されたのだ。
病院側にとっても、そして、彼女の家族にとっても表に出すわけにはいかないことであると同時に、ほっとしている事でもあったのだから。
彼女が望みながら、それを実践できなかった。
しっかりとした手順を取って、効力のある書類を作成しながら、実行できなかった病院側と奏穂の願いをかなえてやりたいと思いながら、尻すぼみして、結局実行出来なかった家族側、どちらとも後ろめたさがあった。
だから、隠した。
元々、そんな事が起こる余地もなかったとした。
だから、問題になりようがなかったのだ。
どんなに、僕が人殺しであろうと、延命措置中の彼女にとって最後の命綱の医療器具を止めていようと、最初から、当の延命措置がなかったら、延命措置が意味を成さず、そのときに死んでいたのなら、僕が止めたというアクションはまず起こりえないのだから。
けれど、それでも、隠しきれる問題でもない。
そう、例えば、ルリのように近しい人間ならば。
彼女は知っていたのだ、そして、駆けつけようとしていたのだ、奏穂の元へ。
せめて、最後の別れをするために、延命措置で何とか命を繋いでいる彼女の元へ。
延命措置は、きっと本人のためじゃない。
ただ、死別となる人達に一刻の猶予を、別れをするための猶予を与えているだけに過ぎないんじゃないのだろうか。
それが、本当に真実なのかどうかは、人によって違うだろうが、ルリにとっては、きっとそうだったんじゃないかと思う。
もし、僕が延命措置を止めていなければ、ルリは奏穂と最後の別れが出来た。
生きているとは言えないが、まだ死んでもいない奏穂と別れが出来ていた。
けれど、ついたときには、既に彼女はもうこの世にいなかった。
延命措置をされているはずの彼女は、もう死んでいた。
まだ、もう少し猶予があったはずなのに、間に合わなかった。
本来あるはずだった時間が奪われた。
殺されたのだ。
彼女はそう思ったのだろう。
僕が、彼女を殺したと思ったのと同様に。
彼女が尊厳死を望んでいた事を知らないルリは。
「教えなさい、なんで、あの子を殺したの?どうして、延命措置を止めたのよ」
きっと誰かから聞いたのだろう。
必死になって聞き込みをしたのだろう。
もう少しで手にする事の出来たはずだったのに、最後の最後で奪われた時間のために。
「彼女が、それを望んだんだ」
答えるべきか、答えぬべきか、迷いはした。
奏穂は、ルリには言わなかった。
何故、言わなかったのかは、知らない。
どうして、相談しなかったのかは知らない。
だけど、言わなかったのは事実だ。
なのに、僕が言っていいのかどうか、分からなかった。
けれど、これ以上何も言わなければ、それはそれで彼女を苦しめる事になると思う。
行き先のない、行き場のない感情をいつまでも持っていると、その感情に溺れて、前も後ろも見えなくなってしまう。
そんなことを奏穂が望んでいるとは思えなかった。
「奏穂は、尊厳死を望んだ。延命措置をされたくない。ただ生かされているだけ、機械に生かされているのが嫌だと言っていた。だから、それを叶えてやったんだ。医療器具のスイッチを止めて、彼女を殺した」
だから、言おうと決めた。
真実を。
「だから、君がそれを恨むなら、好きなだけ恨んでもらって構わない。どんな罰も受ける。それは僕が背負うべき罪だ。僕が人殺しだと言う事実にはなんら変わりないんだ。書類上でどんな事が書かれていようとも」
そして、それが今出来る僕の罪滅ぼし。
誰も裁いてくれなかった。
彼女を殺した僕を誰も攻めず、裁かなかった。
むしろ、心配してくれた。
鈴穂さんも、奏穂の事があるから、僕の事を見てくれている。
無料での診断。
いくら、カウンセリングだけとはいえ、それでも、結構な額になる。
それが、毎月となると家計に多少響くことになる。
それに、僕自身、親に、自分の病気のことは言っていない。
元々、僕が病院に行っていたのも、原因不明の体調不良だったわけで、それも、当時診察した医者は単なる気のせいですませて、親もそうだと思い込んでいた。
だけど、その当時、ただの研修医だった鈴穂さんは違った。
医者としては珍しく熱意を持って診察してくれたおかげで、僕はその当時の体調不良の原因がストレスから来るものだと分かった。
人間が怖い庵原夕貴。
理由は分からない。
ただ、人の傍にいると恐ろしく緊張する。
そして、恐怖する。
不安になる。
自分の居場所が分からなくなって、自分自身が分からなくなって、混乱してしまう。
そんな僕に気が付いてくれたのが鈴穂さんだった。
鈴穂さんだけだった。
そして、そんな鈴穂さんが引き合わせてくれたのが、奏穂。
ルリと言う少女しか友達のいない妹のために、そして、対人恐怖症の僕のために引き合わせた。
何かを変えるために。
色を失いつつある、生きる気力を失いつつある妹のために。
一人でいる事を当たり前と考える、一人でいる事こそに安心感を求める僕のために。
だけど、その結果は片方には希望を、片方には絶望を与える事にしかならなかった。
奏穂は希望を手にした。
悲しくて苦しくて怖くて暗い闇の中にいながらも、それでも希望を手にした。
ほんの一瞬の安らぎを手にして、闇の終わりを手に入れて、安らかに眠った。
そして、逆に僕は、更にひどい対人恐怖症を手にした。
失われていく体温。
奪ってしまった命の炎。
目の前で死んでいく最愛の人。
自分が殺してしまった最愛の人。
つかの間の幸福のために手にして閉まった暗い暗い闇。
だから、鈴穂さんは、僕に手を差し伸べる。
自分が犯した罪に対する贖罪のために。
後ろめたさから。
「お断りよ。確かに憎いわよ。殺してやりたいぐらいだわ。だけど、だから、罰なんて与えてあげない。一生苦しみないさ。一生そうやって悔いて、苦しんで、絶望してなさい。私は絶対に許さない。何があっても許さない。だから、絶対に罰なんて与えてあげない」
「そう」
そして、僕もまた、その後ろめたさから、過去の苦しみから逃げ出したかった。
そのために、彼女に縋ったが、それも無駄だった。
深い深い憎しみを背負った彼女は、贖罪をすることすら許さない。
それほどまで、大事だったんだろう、奏穂の事が。
若くして死んでしまった彼女は確かに不幸。
絶対に幸せだったなんて言えやしない。
だけど、それでも、家族に愛され、友人に愛されていた彼女は、全くの不幸だったわけじゃない。
ほんの少し、人が見たらホントにちっぽけに見えるぐらいだけど、それでも確かに幸せも手にしていたんだろう。
心の底から愛される幸せを手にしていたんだろう。
「じゃあ、僕は帰るよ。君も奏穂に会いにきたんだろう?ゆっくりと話していけばいいよ」
僕はそう言って、ルリの前を、奏穂の前から去る。
「あ、ついでに一つお願い。学校にいるときだけでいいから、変わらず扱ってくれない?保健室とあそこ、そこしか、僕の居場所はないから」
最後にその言葉だけを投げかけて。