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第7章 子供部屋の誘惑

Chapter VII Temptation of the nursery



 通されたのは客間ではなく子供部屋だった。

 幼子が遊び戯れるための、大人の邪魔をしないための部屋。トランプ兵によると女王の手配らしい。


(女王様は私を、小さい子供だと思ってる?)


 アリスは少々困惑したが、そこは子供部屋とはいえ城の一室。とても広く豪華だった。


 深緋に薔薇の花模様が描かれた壁紙に象牙色の柔らかな絨毯。天井には水晶の雫がいくつもぶら下がったシャンデリア。絹布が張られ、房飾りがついた天蓋付きの典雅なベットは午睡のためのものだろう。


 嘆息しながら、配置されているおもちゃたちも見て回った。

 アリスの背丈程もあるドールハウスや色とりどりの積み木がいっぱいに入っているチェスト。きらびやかな馬具が着けられた揺り木馬。隊列を組んだブリキの兵隊。

 これらのおもちゃで遊ぶのはすでに卒業しているアリスだが、それでも心が踊った。


 最後にマホガニーの飾り棚を見てみると、ドレスを着た陶磁器人形ビスク・ドールが何体も飾られていた。

 硝子戸を開けて空色の服を着た一体を手に取ると、その途端に頭が転がり落ちてしまった。首の部分を見てみると刃物ですっぱり切られている。他の人形も調べてみたが、全てそうなっていた。


(変なの)


 アリスは溜め息を吐き、おもちゃや処刑された人形たちに背を向けて外を見た。

 部屋自体はテラスに面した一階にあり、床面まである大きな両開きの硝子窓からは薔薇の庭園が一望できる。落ちかけた陽に赤く染め上げられ、どの花も赤薔薇の仲間入りをしていた。

 アリスはそっと高い扉を開けた。テラスへ出て微かな風を感じながらその光景を眺めていると、覚えのある声が傍らから聞こえてきた。


「調子はどうかな?」


 驚いて横を見ると、テラスの欄干の上にいつの間にかチェシャ猫が猫の姿で座っていた。

 アリスはぎょっとして辺りを見回し、誰もいないことを確認してから小声で話し掛けた。


「どうしてここにいるの?」

「あんたが気になったから、見に来たんだ」

「ここには来たくないようなこと言ってたのに」

「猫は気まぐれなんだよ」


 そう言うが早いか目の前で白いコートが翻り、チェシャ猫は人の姿になった。欄干に浅く腰掛けながら会ったときのように笑っている。


「こんな所で人になったら目立つでしょ!」


 アリスは押し殺した声で叱責すると、チェシャ猫の腕を掴んで子供部屋に引っ張り込んだ。室内の夕陽が当たらない所まで来ると、笑みを絶やさない青年に向き直って厳しい目をしてみせる。


「あなた死刑を宣告されてるんでしょ? 女王様に見つかったら大変なことになる」

「その女王は気に入った?」


 チェシャ猫はアリスの言葉にも自身の立場にもまるで頓着せず、アリスに唐突な質問をくれた。


「ええ、まあ」アリスはきょとんと答えた。「ちょっと怖いけど、私が元の世界に帰れるように取り計らってくれたし」

「――それは良かった」


 そう言うチェシャ猫は、細めた金色の瞳にどこか剣呑な光を湛えている。何か不満でもあるのだろうか。

 眉を寄せて訝しがるアリスの頬に、突然白い手がそっと触れた。冷たい手の平に身体が震えたが、何故か振り払うことはできなかった。アリスは唇を結び、目の前のチェシャ猫をただじっと見つめる。


「あんたが言う『元の世界』はきっといいところだろうね。でも、もっといいところがあると思わない?」

「何それ、どこのこと?」

「もちろん、このいかれた不思議の国だよ」


 チェシャ猫はアリスの頬から手を離すと、世界を披露するように両腕を軽く広げた。


「あんたはこの世界の何にでも驚いてた。今まで閉じていた目を開けたみたいに。それまでは眠ってたみたいに」

「……寝惚けてるような顔してるって言いたいの?」

「あはは、違うよ。光が灯ってるみたいに輝いて見える。ここにいれば、ずっとそうでいられると思うけど」

「――ここもいいところだけど、私は元の世界に帰りたいの」


 呟くように言うアリスに、チェシャ猫は落胆するどころかさらに笑みを深めた。吊り上げた口端から尖った牙がのぞき、彼が人の形をした獣であることが改めて思い知らされる。


「選ぶとしたらここだと思うけどね。ああ、それとも」チェシャ猫はここで言葉を切った。「この世界しかないと言った方がいいかな?」

「――それって――」


 どういうこと?

 そう続くはずだったアリスの言葉は、唐突に遮られた。


「俺の城に何の用だ? この害獣」



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