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第6章 青空逍遥

Chapter VI Blue sky stroll



 帽子屋が辞去し、アリスは女王と二人きりになった。美しくも恐ろしい女王の傍らで、無礼がないか粗相がないか、とてもじゃないが落ち着かない。

 なので人を呼ぶと言ってくれた時にはアリスは心からほっとした。


「今いるのはあいつだな――グリフォン!」


 女王は声を張り上げ、初めて聞く誰かを呼んだ。しかしその声に返事をする者はいない。

 女王は険しい顔で舌打ちをすると、玉座から立ち上がり苛立たしげに歩き出した。アリスも慌ててその後を追う。


 行先は庭園内の、蔓薔薇を這わせた棚を屋根としたあずまやだった。

 近づいて行くにつれて棚の下に設えてある長椅子が、そしてその上で横になりぐっすり眠り込んでいる若い男が見えてきた。

 女王はその青年の前に立つや否や、その身体を軍靴で蹴り飛ばした。


「起きろ怠け者!」


 蹴られて長椅子から落ち、怒鳴りつけられた青年はびっくりしたように飛び起きた。そして怖い顔で自分を見下ろす女王を見て、少しばつが悪そうな顔になる。


「えーっと、陛下、何か御用ですか?」

「用も無いのにお前の所に来ると思うか?」


 女王に睨まれ、青年――グリフォンは頭をかいた。

 暗褐色の髪に淡い黄色の瞳。精悍で整った顔立ちだが、どこかとぼけたような雰囲気がある。着ている赤いモーニングコートは横になっていたためか少し皺が寄っており、その印象に拍車を掛けていた。


「日も高いうちから何を眠りこけているんだ? 呼ばれても来ないで、臣下としての自覚はないのかこの能無しが」

「すみません。でも、陛下の御命令でさっきまで海岸にいたんですよ? 疲れていて」

「そうか、そんなに寝ていたいならいつまでも眠らせてやろう。さあ首を差し出せ」

「うわー! すみませんってば!」


 地面に座り込んでいたグリフォンは慌てて立ち上がった。背は女王よりも少し高いが、態度や雰囲気から上下関係がはっきりと見てとれる。

 ふとグリフォンがアリスに気づき、意外そうに目を瞬かせた。


「その女の子は誰です?」

「アリスだ。しばらく相手をしてやれ」


 女王はそれだけ言うと、踵を返して向こうへ歩いて行ってしまった。

 その背中を見送った二人は、何となくお互いに顔を見合わせた。アリスが目をぱちくりさせると、グリフォンは人懐っこい微笑みを浮かべて腕を頭の後ろに組んだ。


「あーあ、陛下ったら人遣い荒いんだから。いくら俺が“ハートのジャック”だからってさ」

「“ハートのジャック”?」

「女王陛下付きの使用人のことさ」


 グリフォンは欠伸を一つしてからアリスを見た。


「この国の子じゃないよね。見たことないし」


 アリスは頷く。


「いろいろあって、ここへ来ちゃったの」

「それは大変だね」グリフォンは眉を下げて同情を示した後、すぐに屈託なく笑った。「まあ何でも聞いてよ。陛下から君のこと任されてるし」


 そう言うと、彼はどこかわくわくしたような目でアリスを見た。姿は成人だが、子供が大人ぶって年下の子供の面倒を見るような感覚で、世話を焼くのが好きなのかもしれない。

 アリスは上を向いて何か質問はないか考えた。幸いなことにすぐに思いついた。


「あなたはどうしてグリフォンっていうの?」


 アリスの問いに、グリフォンは困ったように頬をかいた。


「どうしてって、グリフォンだからとしか答えようがないかなぁ」

「でもグリフォンって鷲とライオンが、ええと、混ざった生き物でしょう」

「そうそう、それだよ」


 彼は嬉しそうに頷くが、グリフォンは空想上の生き物だ。アリスだけでなく、誰もが本の挿絵や紋章でしかその姿を見たことがないはずだ。


「あ、変な顔してるね。じゃあ見せた方が早いかな」


 アリスの不思議そうな顔を見たグリフォンが笑って言うや否や、突然一陣の風が吹いた。

 アリスが一瞬目を瞑り、また開く。

 するとそこには一頭の獣がいた。

 牛馬のように大きな体。鷲の頭と翼、前脚をはやし、ライオンの胴体と後脚を持っている。その姿は確かに、伝説の中のグリフォンそのものだった。


「おいで。せっかくだから空の散歩でもしようか」


 鷲の嘴からグリフォンの声音で言葉が紡がれる。

 アリスは目を見開いて驚いた。


「飛べるの?」

「もちろんさ。この翼は飾りじゃないよ」


 グリフォンはそう言ってゆっくりと翼を動かした。微かな風がアリスの髪とワンピースを揺らす。


「それじゃあ、乗るわね」


 アリスはグリフォンに近づき、その背中に手をかけた。

 しかしいざ乗るとなると少し躊躇ってしまう。

 馬にだって乗り慣れていないのに空飛ぶ生き物に乗るなんて。少しでもバランスを崩せば背中から落ちて地面に真っ逆さまだ。

 考えて、ないよりはいいだろうと白亜麻のエプロンをはずし、グリフォンに断ってその首に巻きつけて結んだ。手綱の代わりだ。

 そうした後にライオンの胴体に馬の鞍にまたがるようにして乗ると、エプロンの紐をしっかりと握った。


「準備はいい? それじゃあ離陸だ」


 翼が力強く羽ばたかれて風が起こる。大きな体が地面から浮き上がり、徐々に高度を上げていく。


「すごい!」


 アリスははしゃいで声を上げた。動物に乗って空を飛ぶなんて、アリスの世界では夢や空想以外では考えられない経験だ。


 上空の風は冷たいが、陽光は眩しく暖かかった。眼下には黒い森が広がり、その上を雲とグリフォンの影が流れていく。下ばかり見ていると、池と白い建物が目に入った。


「あれは涙の池、あの白いのは公爵夫人の館」


 グリフォンが教えてくれるそれらは、空高くから見ると水溜りやミニチュアのようだった。遥か上から地上のものを見る体験に、アリスの気分はますます高揚した。


 十分ほど空の散歩を楽しんだ後、グリフォンは城へ戻った。薔薇園の、ちょうど離陸した場所へ降下すると、翼を上手く動かして静かに着地する。

 アリスはグリフォンから降りると、その首からエプロンをほどいてまた着直した。

 紐を結び終えて顔を上げると、彼は人の姿に戻っていた。


「どうだった?」

「すっごく、楽しかったわ。本当に」


 アリスは何とか口を開いたが、空にいた余韻からはまだまだ覚めていなかった。地に足着かない、ふわふわとした感覚。風になぶられた頬はいまだに火照ったままだ。


 二人で笑い合っていると、遠くの方から「グリフォン! いないのか!」と女王の声が聞こえてきた。


「うわ、まずい、すぐ行かないと。今日は一度無視しちゃってるし」


 呼ばれたグリフォンはアリスに「またね!」と言うと慌てて駆けて行った。

 入れ違いのようにしてトランプ兵がこちらにやって来た。スペードの2だった。


「お部屋へ案内します」


 言われて、アリスは素直に着いて行った。

 そっと振り返り、さっきまでいた空を見る。

 太陽はそろそろ傾きかけていた。



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