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第3章 お茶会にないもの、終わりと答え

Chapter III The thing which a tea party does not have, the end and answer



 薄暗い森の中でまた一人きりになり、アリスは不安げに周囲の木々に視線を走らせた。

 再びむくむくと湧き上がってきた恐怖を振り切ろうと駆け出すようにして三月兎の家への道を急ぐ。

 こんなことならチェシャ猫について来てもらえばよかったと後悔しながら走っていると、突然森が開けて、一軒の家が建っているのが見えた。


 兎の耳のような二本の煙突に、ふかふかとした毛皮の屋根。全体的に兎の顔のような形で、漆喰の壁には窓が目の位置に、ドアが口の位置にそれぞれついている。

 見るからに奇妙な家にアリスは思わず首を傾げた。

 庭の木陰に視線を向けると、クロスを掛けた大きなテーブルが置いてある。チェシャ猫の言う通りそこでティーセットを広げてお茶会をしているようだ。隅の席が、どうやら三つだけ埋まっている。


 アリスはここで改めて自分の格好を見た。青いワンピースに白いエプロンのピナフォア・ドレス。それに白い靴下に黒い靴。普通の女の子の服装だし、お茶会で無礼でもないはずだ。

 アリスは一つ深呼吸をすると、テーブルに向かって歩き出した。


「席はないよ、お嬢さん」


 近づいてくるアリスに、正装した麦穂色の兎が口を開いた。チェシャ猫の例があるのでしゃべることには驚かないが、アリスよりも少し大きい体にはいささかぎょっとした。こんな大きさの兎など見たことがないのでまるで縫いぐるみのように感じる。

 青い瞳をきょろきょろさせ、手に持ったバターナイフをくるくる回している彼が家の主の三月兎だろう。今はもう五月なのに、ちっとも落ち着きがない。


「いいの。私は呼ばれていないし」


 アリスは多数の空席を見ながら言った。


「あなた達に、ちょっと頼みたいことがあって」

「頼みって?」


 テーブルの上で丸くなっていた眠り鼠が薄目を開けてアリスを見た。濃い茶色の毛皮は上等の襟巻きみたいで、アリスは思わず撫でてみたくなった。


「眠りながらできることだといいけど」


 眠り鼠はか細い声でそう言うと、欠伸をしてまた寝入ってしまった。


 最後は帽子屋だった。

 シルクハットに燕尾服を着込んだ美しい青年。大鴉のように黒い髪は濡れたように艶があり、顔立ちは人形のように端整だった。黒手袋を嵌めた手で優雅にティーカップを運び、紅茶を飲んでいる。


「君は少し髪を切った方がいいな」


 帽子屋は水銀のような灰色の瞳でアリスをじっと見つめて呟いた。


「そうすれば完璧だ」


 アリスは顔を顰めた。結われず垂らされたアリスのブルネットは肩よりも少し長い。もっと伸ばせば姉や母のように結い上げることができるのに、なんて提案だろう。


「人の事とやかく言わないで」


 帽子屋というからには鋏を持っているだろう。切られてはかなわないので、少し強めに言い返す。

 すげなくされた帽子屋は嘆息した。


「惜しいな」そう言って三月兎の方に顔を向ける。「骨格も申し分ないし、背丈も手足の長さも不足なしだと言うのに」

「あーあ、また始まったよ」


 三月兎が紅茶にミルクを入れながら肩を竦めた。せわしない動作のせいで、ミルクはティーカップよりもテーブルクロスの方に多く注がれた。


「帽子屋の人体観察。君はかなり気に入られたみたいだね」


 アリスが意味がわからないという顔をしていると、三月兎がさらに言葉を続ける。


「気に入らないところがあるとすぐ興味を失くすのに、一箇所にこだわってる。それだけ他の部品が気に入ったってことだよ」

「何なの、それ」


 観察だの部品だの言われると自分が標本か何かになった気がする。決していい気分ではない。

 そしてふとチェシャ猫を言葉を思い出した。


(綺麗ってこういうことだったのね)


「まあ、座ってもいいよ。立ったままじゃ何だから」


 三月兎に席をすすめられたアリスはありがたく彼の隣にある肘掛け椅子に腰掛けた。帽子屋から一番遠い席だ。

 ワンピースの裾を直していると、三月兎がティーポットを手に取ってアリスの前にあるティーカップに紅茶を注いでくれた。零す量の方が多かったが、文句は言わない。ここは三月兎の家なのでお茶をふるまうのは彼の役目なのだ。


「ありがとう」

「じゃあ、話してよ。頼みっていうのは?」


 三月兎が席に座ると、眠り鼠が聞き取りづらい口調でアリスに水を向けた。一応話は聞いていたようだ。

 そうだ。彼らの案内を頼まなくてはならないのだ。

 アリスは居住まいを正すと、真剣な顔をして口を開いた。


「ハートの城に連れて行ってほしいの」


 アリスの言葉に、三月兎と眠り鼠が顔を見合わせた。帽子屋は変わらず紅茶を飲んでいる。


「どうして? ハートの女王に何か用?」

「女王様じゃなくて、白兎に用があるの」


 アリスは今までの経緯を話した。祖母の家のこと、白兎のこと、チェシャ猫のこと。


「なるほどねぇ」


 三月兎は納得したように頷き、その後に首を傾げた。


「あいつ結構すばしっこいのに、そんな華奢な脚でよく追いかけられたね」 

「足跡があったの。赤黒いのが廊下にずっと」


 アリスの言葉に、三月兎は「ああ」と納得した。


「白兎の奴、処刑場にいたんだな。今日も罪人が首を刎ねられたばっかりだし」


 事も無げに言うが、「処刑」や「首を刎ねられた」という言葉はアリスに身を竦ませた。

 こんな所に長々とはいられない。早く帰らないと。


「お願い、お城に案内して」


 アリスはまっすぐに三月兎を見て懇願した。一番見込みがあるのが彼だったからだ。


「僕はお茶会の主催者ホストだからね。ここを離れるわけにはいかないよ」


 バタつきパンを食べながらあっけなく断られる。

 アリスは落ち込む暇もあらばこそ、次の案内の候補である眠り鼠を見た。

 しかしその小さな動物は申し訳なさそうに目を逸らすと、のそのそと白い大きな琺瑯のティーポットに潜り込んでしまった。やはり拒否、らしい。


 こうなると、どうしても帽子屋に頼まなければならなくなった。わずかな時間ですっかり苦手になってしまった彼だが、背に腹は変えられない。


「お願い、帽子屋。お城へ連れて行って」


 アリスが眉根を下げてすがりつかんばかりに請うと、帽子屋は乗り気でも不服でもなさそうな顔で、つまり無表情で立ち上がった。


「いいだろう」そう言ってシルクハットのつばに手をかけ、位置を直す。「久方ぶりに女王のご尊顔を拝見しに行くのも悪くない」

「引き受けてくれるのね?」


 ぱっと立ち上がるアリスに、帽子屋は一瞥をくれて口を開いた。


「君は礼儀作法の心得はあるか?」

「え?」アリスは目をぱちくりさせた。「ええと、少しは」


 幸いある程度なら両親や家庭教師に躾られている。女王に謁見するのだから、帽子屋がその点に留意するのは当然だと納得した。


「なら、いい」帽子屋は視線をあらぬ方に向けた。そちらの方角に城があるのだろうか。「少なくとも首と胴体が泣き別れということはないだろう」

「それ、どういうこと?」


 物騒な言葉の深意については答えないまま、帽子屋はお茶会から背を向けて歩き出した。アリスも急いで後を追う――前に三月兎の方に顔を向ける。


「お茶の席をありがとう。結局飲まなかったけど」

「また今度どうぞ。お茶会に終わりはないからね」


 何かが消えてばかりの不思議の国だが、このお茶会はいつまでも存在し続けるのだろう。



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