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第38章 めちゃくちゃクロッケー

Chapter XXXVIII Unreasonable Croquet



 日が昇り、夢から醒める時間になった。部屋に満ちる朝の気配にアリスはゆっくりと瞼を開けた。

 奇妙な夢だった、ような気がする。すでにところどころを思い出せず、何かが地面に落ちたことだけが頭に残っている。しかしそれも朝靄のようにすぐ消えてしまう。夢なんてそんなものだ。

 枕から頭を上げないまま真っ赤な天蓋を見つめていると、部屋にノックの音が響いた。アリスは腕を支えに体を起こして「どうぞ」と入室を促した。

 扉が開くと、数人の女中が挨拶と共に入ってきた。ぼんやりとおはようを返す間にカーテンが開けられ、陽光が室内に差し込む。アリスの朝の支度のために来た女中たちだった。

 アリスは早速用意された洗面器の湯で顔を洗った。タオルを受け取って顔を拭いていると、傍らの女中がアリスのための衣服を用意しているのが見えた。その服はアリスの青いワンピースではなかった。


「私の服は?」

「洗濯をしています。少々汚れていましたので」


 アリスは納得してうなずいた。確かにお世辞にも新品のようにきれいとは言えなかった。


「あちらのお召し物がよろしければ、後ほど持って参ります。それまではこちらをお召しになってください」


 ネグリジェを脱がされ、アリスはてきぱきと衣服を着せられた。

 用意されたのは赤と黒の色を組み合わせた豪奢なドレスだった。広くとられた襟ぐりやスモッキングが施された胸元、その真っ赤な布地には黒いリボンとレースが豪華に飾られている。袖はベルスリーブだが、必要以上に長いものではないので腕を動かす妨げにはならない。腰周りには黒のサッシュリボンが巻かれ、膝丈の裾はプリーツやフリルで縁取られている。

 黒い絹のストッキングをガーターリングで留め、サテンの赤い靴を履く。最後に鏡の前で布の表面や裾をきれいに整えられて着替えは終わった。

 アリスは断ってから昨夜の化粧着からブリキの箱を取り出した。しかしドレスにはポケットがない。どうしようかと思案した後、腰に巻かれたサッシュの中に押し込んだ。


 全ての支度を終えると、朝食のために食堂へ案内された。広く長い回廊を抜けた先にある食堂は天井の高い広々とした場所で、四方の壁には奇妙な絵画がぐるりと飾られていた。アリスは給仕に椅子を引かれ、白いクロスが掛けられた巨大な長テーブルに着いた。すでに済ませたのか、女王が座すであろう席は空いていた。他に食事をする者もなく、アリスただ一人の朝食だった。


 豪華な朝食を終えて食後のミルクティーを飲みながら、アリスはこれからのことを考えた。何とかしてチェシャ猫と落ち合いたいが、そのためにはまずハートの城から出なければならない。しかし今日はクロッケーの試合をすると言っていた。参加しないわけにはいかないから、城を出るのはその後になりそうだ。外出の理由も考えないといけない。

 考えにふけっていると、背後に誰かが近づいてくる気配を感じた。振り向くと人の姿の白兎がこちらへ向かって歩いてくるところだった。チョッキから懐中時計を取り出して文字盤を確認している。


「おはよう」

「おはようございます」白兎は懐中時計を懐に仕舞いながら言った。「もうすぐ午前十時です。昨夜お伝えした通り、クロッケーの試合が始まります」

「クロッケーねえ」アリスは少し困ったように言った。「できるとは答えたけど、すごくうまいってわけじゃないの」

「いえいえ、かまいませんよ。あなたの世界のクロッケーとはいろいろと違うでしょうし。では早速クロッケー・グラウンドに向かいましょう」


 アリスは白兎の後に着いて城内から出た。朝の陽光に目を細めながら白い敷道を歩き、茨の茂みに囲まれた場所に到着する。そこはアリスが頭に思い描いていたクロッケー・グラウンドではなかった。


 本来なら整えられた芝生のコートで行う競技のはずなのに、地面はでこぼこの畝の状態。かろうじてコートの形にリボンが張ってあるが、ところどころ耕したようにめくれあがり、黒い土が露出している。こんな場所ではどんな競技だってプレイすることはできないだろう。


「来たようだな」


 嬉しげな男の声にアリスがそちらを向くと、深紅の軍服の女王がコートの前の玉座に座していた。その傍らではグリフォンが欠伸をしている。


「用意させた服も着たようだな。では早速始めるぞ。木槌マレットはこいつらだ。好きなやつを選べ」


 そう言って女王が手で示したのは、コートから少し離れた柵の中にいる十数羽のフラミンゴだった。

 あまりのことに、アリスは目をまん丸にして彼ら(または彼女ら)を見つめた。驚く少女に女王は機嫌が良さそうに言った。


「最初は駝鳥にしようと思ったが、やめた。こちらの方が色がいいからな」


 鮮やかな紅色の羽、細長い脚、曲がったくちばしを持つ鳥たちは、自分たちの役割に何の興味もないらしく思い思いにくつろいでいる。アリスはしばし驚いた後、横にいる白兎を見て質問した。


「フラミンゴがマレットなら、ボールは?」

「彼らですよ。ほら、あそこに」


 白兎が指差したのは、コートの横で日向ぼっこをしている数匹の針鼠たちだった。身体を丸めると確かにボールのようになるが、こちらも驚きの配役だった。

 さらにコートの中で小門フープの役をつとめているのはトランプ兵だ。平べったい体を弓なりになりにして地面に手足をつくことでその役目を果たしている。

 困惑しながらもアリスは一羽の小柄なフラミンゴを選んだ。その後に白兎とグリフォン、選手プレイヤー役のトランプ兵たちも各々のマレット選び、準備が整った。


「位置に着け!」


 女王の声にアリスを含むプレイヤーたちがコートのあちこちに駆け出した。皆が決められた位置に着いたところで試合が開始された。


 こんなにおかしなクロッケーは見るのもするのも初めてだった。まず道具が全て動物のためてんで思い通りにならない。フープ役のトランプ兵は頻繁に起き上がってはあちこち動き、フラミンゴと針鼠は言うことを聞かず逃げたりつついたりしてくる。またプレイヤーたちも順番を守らず一斉にプレイしようとするので、ぶつかり合ったりボールの取り合いになったりする。

 敵味方入り乱れる――と言うより誰が敵で誰が味方かもわからない――中で、アリスもプレイを試みてフラミンゴを小脇に抱えて持ち上げた。幸い彼(もしくは彼女)は大人しい性格らしく、暴れたりアリスをつついたりすることはなかった。しかしいざ首を伸ばさせて針鼠を打とうとすると、フラミンゴはくるりとこちらを向いて、アリスを見つめて目をぱちくりさせるばかりだった。

 アリスは思わず笑ってしまい、近くにいた白兎に話し掛けた。


「だめだわ、マレットになってくれる気はないみたい」

「そうですね、彼らも馬鹿ではありません。お互いにぶつかって痛い目に遭いたくないでしょうから――おい逃げるな、じっとしてろ!」


 白兎は怒鳴り声を上げ、向こうへ行ってしまった針鼠を追いかけていった。他の競技者も似たような有様で、マレットとボールの扱いに四苦八苦している。女王はと言うと気に入らないことがある度に首を刎ねろと喚いている。てんやわんやの大騒ぎだった。


「情けない奴らだ、ボールもろくに打てないのか!」

「無茶ですよ陛下、こいつら生きてるんですよ? 自分のやりたいようにやるでしょうよ!」


 グリフォンが暴れるフラミンゴを押さえながら女王に進言する。彼のマレットは随分気性が荒いようで、ひっきりなしにモーニングの裾を引っ張ろうとしている。


「ごちゃごちゃ言うな。俺がプレイするときにはこいつらもちゃんと自分の役割を果たすぞ」

「そりゃあちゃんとしないと陛下が癇癪を起こすからでしょう!」


 グリフォンの一言に女王の眉が吊り上がった。


「俺がいつ癇癪を起こした! どこまでも無礼な奴だ、今度こそ首を刎ねてやる!」


 女王は玉座から立ち上がると、サーベルを抜いてグリフォンに斬りかかった。ぎょっとしたグリフォンはフラミンゴを抱えたまま、慌てて逃げ出す。

 女王とグリフォンの追いかけっこに、他のプレイヤーたちも慌てて走り回っている。

 また始まったわ、とアリスが思ったそのとき、足元を一匹の針鼠がころころと転がっていった。勢いがついていたのか、そのまま茂みの奥へ消えて見えなくなってしまった。

 アリスはあ、と声を上げて相棒のフラミンゴを抱えると、その針鼠を追いかけた。

 背中で女王とグリフォンが騒ぐ声を聞きながら、アリスはどこまでも走っていった。



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