第34章 いかれたパーティー
Chapter XXXIV A Mad Party
祝宴が催される大広間の奥に位置する玉座、その控えの間にアリスは案内された。大広間にはすでに招待客が集まっており、彼ら彼女らの喧騒が聞こえてくる。少し首を伸ばせば、壇上にある玉座の後ろからはその全景を見渡すことができた。
ひとつづきの部屋は縦に長く、巨大な回廊のようだった。一方の壁には薔薇とハートの紋章の綴織が掲げられ、中央に掛けられた黒檀の巨大な柱時計が絶えず振り子を揺らしている。反対の壁一面は高く大きな窓がずらりと並び、ランプが灯された薔薇園を見渡すことができる。その向こうの敷地からは花火が何発と打ち上げり、夜空をとりどりの色に染めていた。
装飾彫刻が施された丸天井を見上げると水晶のシャンデリアが燦然と輝き、その間から薔薇の花飾りがいくつも吊るされている。また壁には身の丈ほどもある薔薇と茨をかたどった金の燭台が等間隔で配置されているので、頭上からの光にと合わせて眩しいほどの明るさを大広間の隅々にまで与えていた。宴の場は、どこもかしこも荘厳ではなやかだった。
大広間の四隅では薔薇で囲まれた管弦楽団がときどき調子をはずしながらも陽気な曲を演奏し、金糸雀の歌い手が豊かな声を響かせている。にぎやかな音に取り巻かれた部屋の中央には白いクロスを掛けられた長テーブルがいくつも置かれ、その上はありとあらゆる食べ物で埋められていた。そしてその周りを、着飾った招待客がぐるりと席に着いてさんざめいている。
知らない顔が多かったが、知った顔もいくつか見つけ出すことができた。相変わらず黒い燕尾服の帽子屋、青い盛装の三月兎、椅子にうずくまっている眠り鼠。義眼を拭いている公爵夫人の背後では蛙の従者が控えており、魚の従者と何やら話をしている。ドードーの横にいるのがコーカス・レースで話をするはずだった鼠だろうか、五回も絡まってしまったという長い尻尾をしきりに気にしていた。動物たちは今のところ手をつけられない料理を前にぺちゃくちゃと騒ぎ散らしている。酔いが醒めたらしく、尻尾がないビルもパットの横で三席分の場所を取って寝そべっていた。
やがて六時になり、柱時計が重々しく、威厳を持って鐘を打ち鳴らしはじめた。時刻を告げる音は体の奥にまで響くようで、六つの鐘が鳴り止む頃には音楽と歌は中断されていた。招待客たちは皆席から立ち上がり、ひそひそと囁き合いながら玉座の方を見上げていた。
喇叭の音が鳴り響き、獣の姿の白兎が控えの間から跳ねていった。玉座の横には首と腕が無く、胸にハートの形の穴が開いた彫像が左右対称に配置されている。白兎はその左の彫像の真ん前でぴたりと脚を止めると、仰ぎ見る招待客に向かって高らかに声を上げた。
「女王陛下がお出ましになります」
白兎の声を受け、緋色の軍服の女王が不思議の国の民たちの前に姿を見せた。アリスもそれに続くと、女王より一歩下がった場所で立ち止まった。その背後ではグリフォンが王冠を載せた赤い天鵞絨のクッションを捧げ持っている。
女王はぐるりと己が国の民を見渡すと、その口を開いた。
「皆、よく集まってくれたな。今夜この場に招いたのは他でもない。朝すでに知らせた通り、この不思議の国の次期女王が決定した」
わっと歓声が上がり、音楽と歌が一際盛大に奏でられる。女王は満足そうに口端を吊り上げた。
「今夜はその顔見せだ。こうして祝宴の場に呼ばれ、姿を目にして、声を聞くことができることを光栄に思うがいい。さて、ここにいるのがその――」
ここで機嫌よく話していた女王の口が止まった。祝い事に興奮してじっとしていられない住人たちが騒ぎ散らすひどい騒音に話を妨げられたからだ。誰も彼もが狂ったように浮かれており、食器を打ちつける者やテーブルに跳ね上がる者までいる始末だ。
しばらく眼下の状況を睨めつけていた女王だったが、やにわにサーベルを抜くと、そのまま右の彫像の胴を叩き切った。支えを失った上半身は床に崩れ落ちて砕け、破片が薔薇色の大理石に飛散した。
「どいつもこいつも静かにしろ! 俺がしゃべってるんだぞ! 全員まとめて首を刎ねられたいのか!」
怒号と、見せしめにされた彫像に誰もが動きを止めた。大広間にあふれていた声、歌、楽器の演奏のすべてが途絶える。高い天井に響いていた余韻がやみ、水を打ったように静かになったところで女王がサーベルを鞘へ戻した。そしてアリスの背を軽く押し、住人たちの前に引き出した。
「紹介しよう、次期女王のアリスだ」
たくさんの目に見上げられ、アリスは緊張に体を強ばらせた。ちらと女王の顔を伺ったが、「名前を言え」と言われただけだった。仕方なく一歩前に出て、ワンピースの裾をつまんでお辞儀をする。
「アリスといいます。私のためにこうして集まって頂いて、ありがとうございます」
ようやくそれだけ言って一歩下がる。しかしアリスのやっとの挨拶にも群集からは何の反応もなく、死んだように静まり返ったままだった。これは次期女王を歓迎していないのではなく、女王の「静かにしろ」という命令を守っているのだ。口を両手で押さえている者までいる。
いつまでたっても黙り込んでいる住人たちに痺れを切らし、女王が下半身だけが残った彫像を蹴り倒した。
「何とか言え!」
彫像が砕ける音と共に、弾けるように歓呼の声や拍手が上がり、音楽の演奏と歌が再開された。
「次は乾杯だな。さっさと用意しろ。――聞いているのか、のろのろするな!」
女王の叱咤を受けて給仕たちは急き立てられるように動き出した。見ていると、半分が招待客に赤葡萄酒のグラスを配り、半分が手に提げた籠から何かをテーブルにばらまいている。
「何をまいてるの?」
「釦と麩です。このようなパーティーでは乾杯前にこうするのが、この世界のしきたりなんです」
いつの間にか人の姿になっていた白兎がアリスにグラスを手渡しながら説明した。料理が駄目になりそうなしきたりだ、とアリスは思った。
グリフォンが持ってきたグラスを受け取った女王は、準備が整ったのを見て取ると杯を高く持ち上げた。
「次期女王を祝して――アリスの健やかならんことを!」
女王が声を張り上げ、住人たちは一斉に杯を傾けてグラスをあけた。アリスも何とか全部を飲んだところで、同じように杯を干した女王がこちらを振り向いた。
「さあ終わりだ。あとは好きにしろ」
アリスはえっと顔を上げた。この後もお礼のスピーチやら何やらをさせられるのかと不安だったので、安堵するやら困惑するやらだった。
「もうおしまいですか?」
「そうだ。今夜は姿を見せるだけだからな。下に降りて飲むなり食べるなりすればいい」
「いいんですか? それなら行ってきますね!」
グリフォンが待ちかねたように控えの間から下へ降りて行った。女王は「お前じゃない!」と怒声を上げた後、ふと考えるように赤い目を左に向けてからアリスを見た。
「クロッケーはできるか?」
突然の質問にアリスはつかの間ぽかんとしたが、すぐに我に返った。
「はい、できます」
「それなら、明日はクロッケーの試合だ」女王は言いながら玉座に腰を下ろした。「あの猫に邪魔されて以来やる気が失せていたが、そろそろまた開催してもいい頃だろう。白兎、準備をしておけ」
「承知致しました、陛下」
白兎は一礼すると、くるりと背を向けて階段の方へ駆けて行った。すれ違い様に聞こえたのは「競技場の整備に、フラミンゴと針鼠の用意、トランプ兵を集めて――」という忙しない呟きで、アリスはまた仕事を増やしてしまったと少しだけ後ろめたくなった。
「お前も行ってこい。あいつらにかかれば料理などすぐになくなるぞ」
浮かれ騒ぎながら飲み食いし始めた招待客たちを顎でしゃくり、女王は溜め息を吐いた。最早椅子に座らず、自分の食べたいもののところへ行き立ったまま食べている者が大半だった。皆が目を見張る食欲だ。
女王は何もいらないようで、ひしめきあって晩餐を楽しむ住人たちを眺めるにつとめている。アリスはその背に小さく行ってきますを言うと、控えの間から大広間への階段へ歩き出した。




