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第16章 有罪? 無罪?

Chapter XVI Is he guilty? Is he innocent?



「俺は公務がある。しばらく好きにしていろ」


 薔薇園から出るや、女王はそう言って城の方へと歩き去ってしまった。

 唐突に、一時的ではあるが自由を言い渡されたアリスは戸惑い気味に白兎を見つめた。


「何をすればいいの?」

「悩むことはありませんよ」困り顔のアリスに苦笑しながら白兎は言った。「本当にお好きなことをなさればいいんです」

「――それなら、公爵夫人の館へ行きたい」


 もっと言えば、チェシャ猫に会いたい。

 女王にされるなんて思いもしなかった。どうすればいいか、まだちっともわからない。

 彼は元の世界に戻る手助けをすると言ってくれたし、話をするためには一度公爵夫人の館へ戻る必要がある。

 

「場所を教えてくれれば一人で行くから」

「――城の外ですか」


 しかしそんなアリスの要望に対して、今度は白兎が困り顔になった。だめなものと見て取ったアリスがうつむくと、慌てて両手を振る。


「いえ、城外へ出ること自体は差し支えないのですが、お一人だけでは危険かと思いまして」

「危険って?」

「周りにいろいろいるんです。悪意や害意はないのですが、もしじゃれつかれたら貴女ではひとたまりもないでしょう」


 アリスは“いろいろ”について詳しく聞かないことにした。


「僕は業務がありますし、馬車を出させますか――いえ、グリフォンがいましたね」ぽん、と軽く手を打って白兎が言った。「あれに言いつけてください、機動力はある男ですし。先程申し上げた通り裁判所にいますから」


 白兎はわかりやすく裁判所の場所を教えてくれた。


「ありがとう」

「構いません。――少々失礼します」


 アリスがその言葉を聞いた次の瞬間、目の前の青年はチョッキを着た真っ白な兎になっていた。そして懐から時計を取り出すと、赤いつぶらな眼で時刻を確認した。


「大変だ、遅れてしまう――それでは僕はこれで」


 懐中時計をしまって礼儀正しく頭を下げると、白兎は城の方へと跳ねて行った。


「本当に“白兎”なのね」


 アリスは小さくなっていく後姿を見送りながら呟くと、回れ右をして歩き出した。


 裁判所は城の東、薔薇園からそう遠くないところにあるらしい。

 トランプのスートをかたどって刈り込まれた樹木や見回りをしているトランプ兵などを目にしながら歩いていると、すぐにそれらしい建造物が見えてきた。

 空に聳えるような尖塔を持つ、暗い灰色の煉瓦造りの大きな建物。入り口の両側には不気味な竜の石像が来る者を睨むように配置されている。アリスは足早にその場を通り過ぎてダークウッドの扉の前に来ると、取っ手に手を掛けて中に入った。


 メインホールは薄暗かった。窓からあふれるはずの陽光はカーテンに遮られ、わずかな隙間から明かりがさすのみだった。壁には城と同じくよくわからない絵がたくさん掛けられている。


「グリフォン?」


 この場にいるはずの彼の名を呼んでみるが返事は無い。ただ自分の声が見上げるような天井に反響するだけだった。

 白と黒のタイルを互い違いに並べた廊下を進むと、突き当たりの扉に行き着いた。どうやらここが法廷のようだ。アリスは扉を開けて入廷を果たした。


 自分が息を飲む音が、いやにはっきりと聞こえた。


 中は酷い有様だった。

 床だけを見ても洋墨インク壺が転がって中身が零れていたり、石盤や石筆が床に散らばっていたり、何か砂のようなものでざらざらしていたりする。壁には刃物の傷や引き裂かれたタペストリー。裁判官席の右側にある陪審員席もひっくり返って壊れている。


(掃除が罰になるのもわかるわね)


 アリスは散らかった足元に気をつけながら廷内を見て回った。

 法廷など一度も来たことがない彼女だったが、本で読んだことはあったのでそこにあるものが何かはわかっていた。

 一段高い裁判官席と向かい合う証言台。被告人席や証人席、裁判を記録する書記官席――。

 ただ、法廷の真ん中に据えられた大きなテーブルとその上に置いてあるからっぽの大皿については皆目検討がつかなかった。

 最後は傍聴席だった。劇場の脇席のように証言台の左右の二階に設えてあり、証人や被告人を横から見られる仕様になっている。アリスは扉近くの傍聴人用の階段を使い、上へのぼってみた。


 そこでようやくグリフォンを見つけた。

 ただし、傍聴席の一つに寝転がり昼も前から昼寝の真っ最中だった。

 アリスは思わず口元を緩めると、足音を立てないようにして彼に近づいた。そして顔を耳元に寄せ――


「起きろ、怠け者!」


 女王の口調を真似た声に、グリフォンは勢いよく起き上がった。


「すみません! すぐに……」


 あたふたと立ち上がるグリフォンは、横にいるアリスの顔を見て目を瞬かせ、ほっとしたように笑った。


「なんだ、君かあ」

「ええ、私よ。掃除は順調?」

「見ての通りだよ」


 グリフォンは嵐が通り過ぎたような法廷を見やると肩をすくめた。進捗なし、である。


「どこから手をつけようか考えてたら眠くなっちゃって」

「本当にひどいわね。――誰の裁判だったの?」


 アリスはこの惨状を見た時から気になっていたことを尋ねた。グリフォンはすぐに答えてくれた。


「ああ、俺だよ」


 アリスはぽかんとして彼の顔を見たが、当の本人は平然としたものだった。


「ついこの間のことだけど、陛下のタルトをうっかり食べちゃってさあ。それでかんかんに怒って裁判沙汰さ」そこまで言うと眉尻を下げて、はあと息を外に吐いた。「地下にある独房にも入れられたんだよ? ひどいよねえ」


 アリスは「そうね」と言いながら笑った。今わかった。テーブルの上にあった大皿はタルトの皿だったのだ。

 つまみ食いでそこまでする女王も、されてしまうグリフォンも何だかおかしかった。


「それで、結局どうなったの?」

「無罪だよ。あんまりめちゃくちゃだったから裁判自体がお流れになったんだよ。あれから何の裁判もなかったからずっとこのままだったんだけど。――そうだ、おいで」


 グリフォンはアリスの手を引いて階段をおりると、裁判官席の横に設えられた本棚の前につれて来た。そして一冊の本を取り出し、ページをぱらぱらとめくりはじめる。


「不思議の国の裁判の判例集だよ。俺の裁判も書かれてるはずだけど――あった」


 目当ての箇所が見つかり、グリフォンはアリスの方に本を向けた。




 ハートの女王 タルトを望んだ ある夏の日にこしらえさせた

 ハートのジャック タルトを盗んだ 一つ残らずきれいに食べた

 



「罪状っていうより、詩か唄みたい」アリスは感想を述べた。「なかなか面白いわね」


 判決の欄には確かに“裁判続行不可能により無罪”の文字がある。他にも証人の名前や証言の内容、十二人の陪審員の名前が記されている。


「三月兎に眠り鼠、帽子屋が証人だったね。あと公爵夫人のところの料理女」


 そこでアリスは「あ」と声を上げた。“公爵夫人”の名前に当初の目的を思い出したのだ。


「私、あなたにお願いがあってここに来たんだったわ」

「何?」

「公爵夫人の館につれて行ってほしいの。――でも、掃除の途中なのよね」


 アリスは絶望的な法廷を見回して声を落としたが、グリフォンは「全然かまわないよ」と喜んだ。


「むしろ助かったよ。君の頼みなら陛下だって怒らないだろうし、掃除なんかより外に出るほうがずっといいし。――あ!」


 今度はグリフォンが声を上げた。自分の側頭部を軽くたたく。


「掃除が終わったら帽子屋のところに行くように言われてるんだった。その後でもいい?」

「ええ。何か用があるの?」

「これを届けなくちゃいけないんだ」


 グリフォンは法廷の隅に行くと、そこに置いてあった高さ15インチ程の円柱型の木箱を持って戻って来た。大きさや形から、シルクハットなどを入れる帽子箱ハット・ボックスだろうとアリスは思った。


「そうだ、飛んでるときに落とすと困るから君が持っててくれない?」

「いいけど、中身は何? 帽子?」

「違うよ」


 グリフォンは笑って答えた。


「罪人の首さ」


 アリスの全身から血の気が引いた。



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