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第14章 茨の地位

Chapter XIV Thorny position



「陛下は女王の間におられます」


 ハートの城に足を踏み入れるや否や、白兎はそう言って先に立ち案内をしはじめた。アリスはその後ろを城の中のあちこちに目をやりながらついて行った。

 昨日は一階にある子供部屋に連れて行かれただけだったのであまり見ることはできなかったが、城の内装は外観に劣らず豪奢で、そして奇妙なものだった。


 金糸で縁取られた赤絨毯が敷かれた広い廊下。そのあちこちに手足や首のない彫像が立ち並んでいるが、それら全ての胸にはハートの形の穴が穿たれている。壁のそこかしこには絵画が飾られており、不思議の国の風景を描いたものが多い。しかし中にはにがたがた動く額縁や首のない肖像画、糖蜜色一色の何を描いたのかわからない絵なんてものもある。高い天井を見上げれば茨を模して鋭い棘をそなえたくろがねのシャンデリア群が煌々と輝き、城内に煌びやかな光をそそいでいる。


「珍しいですか」白兎に声を掛けられ、アリスは頷いた。

「うん。綺麗だけど、ちょっと怖いところが」


 美しいが恐ろしくもある。

 それは不思議の国のどこにおいてもアリスが感じたことでもあった。


 迷路のような回廊を抜け、いくつもの踊り場を巡り、二人はようやく城の西側にある女王の間までたどり着いた。薔薇とハートの紋章が彫刻された高い両開きの扉は城のどの扉よりも美しく堅牢だった。

 この中にあの女王がいるのだ。

 そう思うと、アリスは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


「陛下、お連れ致しました」


 白兎の声と重々しいノックの音。それに呼応するように厳かに扉が開かれる。

 精緻な金工や彫刻が施された赤い壁面の美装。美しい紋様を描いた白大理石の床。巧みな位置に配された特別見事な彫像の数々や豪華な花器に生けられた花々。吹き抜けの丸天井には蝋燭が百本はあろうかという一際大きなシャンデリアが輝き、それらすべてをまばゆく照らしている。


 アリスが息を呑んで見入っていると、白兎が「失礼致します」と一歩踏み出した。慌てて後に続く。

 玉座に上がる階段の前まで来ると、その傍らにグリフォンが控えて立っていることに気づいた。視線を向けると目が合い、にっこりと微笑まれる。アリスもつられて小さく笑みを返した。


「来たか」


 王座の間に響いた低い声に、アリスは反射的に背筋を伸ばした。

 おそるおそる見上げると、金と象牙と赤い天鵞絨びろうどの玉座に座していたハートの女王がその赤い瞳でこちらを見下ろしていた。

 白兎が優雅に一礼したのにならい、アリスもそっと頭を下げる。その直前に目にした女王の顔には幸い怒りの色はなく、むしろ機嫌がよさそうに見えた。

 「顔を上げろ」と命じられ、白兎はゆるやかに、アリスはぱっと姿勢を戻した。


「白兎から聞いているな? 不思議の国の次期女王――俺の跡継ぎにお前を指名した」


 女王はそう宣言しながら玉座から立ち上がった。そしてつい前日に骨や腱ごと切り裂かれたはずの脚で、傷など負ったことがないように階段を降りてくる。

 チェシャ猫が言うように女王は不思議の国でも特別らしい。


(でもその女王様は、私を次の女王にしようとしている)


 アリスがふと思案している間に、女王は彼女のすぐ前まで来ていた。


「利発そうだし、度胸がある。何よりまともなのがいい」


 アリスを“女王”に選んだ条件を口にした後、彼は嘆くように首を振って溜め息を吐いた。


「まったくこの国の住人は揃いも揃って狂ってる。いかれた奴ばかりだ」

「そりゃあ、陛下の治める国ですから」


 そう言った後、グリフォンは自分の失言に気づいて慌てて口を押さえた。彼には幸運なことに女王への無礼は睨まれただけで済まされた。


「こいつのような愚か者、あの忌々しい猫のような罪人――、いい加減辟易していたところだ。お前なら、一国の女王として適役だろう」

「陛下、よろしいでしょうか?」


 その時、白兎が口を挟んだ。アリスのことを考えて、何とか女王の気を変えようと意見を述べる。


「彼女を時期女王に据えるということは、陛下御自身の血を断絶することになります。血縁は“女王”の条件にないとはいえ、長らく続いてきた流れを断ち切ってもよろしいものでしょうか」


 白兎の必死の進言。しかしそれにも女王は嘲笑を漏らすだけだった。


「それが何だと言うんだ? 俺自身、初代と血のつながりはないんだ……歴代の女王たちが度々養子を迎えたためにな。“女王”には資格がある者がなるべきだ」

「ですが……」

「そう憂慮する必要は無いだろう、俺のつながりが全く途切れるわけではないさ――この子は目が俺に似ているしな」


 そうかなあ、とアリスは思った。女王の瞳は血のような赤だが、アリスのそれはブルネットの髪と同じく褐色が強い。彼が持つような鋭さもない。


「そうですか? この子、陛下みたいに目つき悪くありませんよ?」


 口を滑らせたグリフォンは今度こそ制裁を受けた。女王は傍らの花台に飾られていた白磁の花瓶を掴むと、非礼をはたらいた臣下に勢いよく投げつけた。

 硬いもの同士がぶつかる鈍い音に次いで、陶器が割れる鋭い音。

 頭に花瓶の直撃を受けたグリフォンは頭を押さえ、痛みに呻きながらうずくまった。彼を中心にできた水溜りに花瓶の破片や生けられていた花が散らばり、その無残な様に白兎が「余計なことを」と呆れている。


「片付けておけ。――さて、アリス」


 名前を呼ばれ、アリスははっと顔を上げた。


「話は終わりだ。何か言うことはあるか?」


 女王はすっかりアリスを自分の跡継ぎにしてしまっている。ここではっきり言わければ、いつまでもこの不思議の国にいることになる。

 アリスは手の平を握り締めて意を決すると、女王の目を真正面から見据えた。


「私は元の世界に帰りたいんです」一つ息を吐き、さらに強い口調で言い放つ。「だから、女王にはなれません」


 ようやく言えたアリスの辞退の言葉に、女王は眉を寄せて押し黙った。

 空気が切れるような沈黙。アリスはぎゅっと口を結び、寿命が縮むような思いをしながら彼の次の行動か言動を待った。


「――少し時間をやろう」わずかな静寂を破り、女王が口を開いた。「急な話だからな、しばらく考えろ。答えを出るまで俺も待とう」


 そう言って女王は口端を吊り上げてアリスに笑いかけた。しかし、その瞳には笑みの欠片もなかった。


「俺は気が長い方ではないが、まあ、自分の“娘”のためならいくら待ってもいい」


 すると、律儀に花瓶の破片を拾っていたグリフォンが顔を上げ「陛下、ご自分が短気だって自覚おありだったんですね」と感心したように呟いた。

 女王は今度は眦を吊り上げて懲りない臣下を睨みつけると、サーベルを抜いて斬りかかった。


「二度とその口きけないようにしてやる――首を刎ねてな!」

「うわ、すみません、もう言いませんってば!」


 振るわれた刃を何とか避けたグリフォンは、慌てて扉から外へ走って逃げてしまった。女王はそれを猛然と追い掛け、白兎もほおっておけないのか急いでその後に駆けて行った。


 一人女王の間に取り残されたアリスは、呆然と三人が出て行った扉を見つめた。そして、のろのろと床に視線を落とした。


 女王の中ではすでに何もかも決まっている。そして、自身の決定を覆すことなど考えていない。

 ――アリスを帰す気など、これっぽっちもないのだ。


(こうなったら、仕方ない)


 アリスはぎゅっとエプロンの裾を握り締めた。


 女王に内緒で、帰る方法を探すしかない――。



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