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第10章 あなたのための歪んだおはなし

Chapter X Crooked bedtime story for you



「お話って?」


 アリスは膝に手をそろえて置き、話を聞く姿勢をとった。

 その様子にチェシャ猫は微笑み、ベッド脇のサイドテーブルに腰掛ける。行儀が悪くとも、部屋には椅子がないので仕方がない。


「俺はあんたに何かを聞かれてばかりだった。でも、どっちかって言うと質問する方が好きなんだ」

「私に聞きたいことがあるの?」

「たくさんね。でもまずは」チェシャ猫は横にあるキャビネットに置いてあった仔豚入りの瓶を吊られていない左手でひょいと取り上げて、言った。

「あんたのいた世界って、どんなところ?」


 唐突な質問にアリスは目をぱちくりさせた。


「それが知りたいこと?」

「だって気になるじゃないか。あんたが帰りたがる世界だ。さぞかし、いいところなんだろうね」

「そんなふうに言われると何だかやりづらいわね」


 アリスは思案しながら顔を上げて――天井飾りである漆喰プラスターの骸骨と目が合い慌てて下を向いた。いざ自分の世界を説明するとなると難しく、なかなかいい言葉が出て来ない。そのためまずは違うところから挙げてみることにした。


「まず、人が猫にはならないし、猫が人にもならない」アリスは言葉を続ける。「それから動物はしゃべらなくて、グリフォンやトランプ兵みたいな変わった生き物もいなくて、傷の治りもずっと遅くて――」


 指折り数えながらそこまで言って、アリスは小さく笑った。


「つまらないところでしょ」

「そんなことないよ」


 チェシャ猫は何とはなしに見入っていた瓶入りの仔豚をサイドボードに置く。その時、ホルマリンに浸されていたはずの豚の子供がぱちりと瞬きをした。

 アリスはぎょっとして肩を跳ねさせたが、すぐに一息吐いて落ち着きを取り戻す。


「それ、どこかに持って行ってくれない?」

「お気に召さない?」

「少し怖いわ」

「こうやって瓶詰めにされてるにしては、かわいい方だと思うけどね。帽子屋の屋敷なんかすごいよ」

「できれば行きたくないわね」


 アリスが眉を顰め、チェシャ猫が瓶の蓋の上に手を乗せながら首を傾げる。彼の白銀の髪が揺れる様を見ながら、アリスはぼんやりと呟いた。


「ここは本当に不思議ね。私のいた世界とはいろんなことが違ってる」


 何気ない言葉だった。

 しかしその途端、チェシャ猫の金色の瞳がゆっくりと細められた。


「――違う世界なんて、本当にあると思ってるの?」


 静かに言われたその一言に、アリスは目を見開いてチェシャ猫の顔を見た。

 吊り上げられた口端とそこからのぞく尖った牙。彼はいつも笑っているが、今はちょっとだけ違う笑い方をしている。


「何言ってるの、それじゃあこの世界は何なのよ」

「もちろんこの世界は本物だよ。俺が言ってるのは、あんたがいたって言う世界だ」


 アリスは意味がわからないまま目の前の青年を見つめ続けた。しかし胸の中にわずかな――燠火おきびのような不安が芽生え、知らず心音が早くなるのを感じた。


「俺はあんたが住んでる世界の存在を肯定した覚えはないよ。あんたの口から聞いただけで」

「私が嘘吐きだって言うの?」

「まさか!」チェシャ猫が大袈裟に肩を竦める。

「嘘のすべてが罪とは思わないけど、あんたはそういうのじゃないよね。心から信じてることを口に出してる」

「――馬鹿にされてるのかしら?」


 アリスは溜め息を吐いて、ふとチェシャ猫から視線をはずし――思い出した。

 ハートの城の子供部屋にまでチェシャ猫が来たときのこと、そして今のように、アリスの世界と不思議の国の話をしたことを。

 あの時も、チェシャ猫はおかしなことを言っていた。


「あなた言ってたわね。『選ぶとしたらここ』だって、『この世界しかない』って」アリスはチェシャ猫に向き直った。

「あれはどういうことなの?」

「そのままの意味だけど」

「じゃあ言い方が悪いんだわ。ちっともわからないもの」

「ああとしか言いようがないよ」

「お願いだから、わかるように言って」


 アリスは焦れたように首を振った後、俯いて暗い声を出した。


「『帰れない』ならまだわかるの、考えたくないけど。でも『選ぶとしたらこの世界しかない』って? この世界と元の世界なら、私は絶対に元の世界に帰ることを選ぶわ」

「決意に固執しなくてもいいんじゃない?」

「はぐらかさないでよ」

「――それなら、言ってあげようか。あんたがきっと聞きたくないことを」


 チェシャ猫がサイドボードから軽い身のこなしで腰を上げ、ベッドに座るアリスの真ん前に立つ。

 向かい合い上から見下ろされるのはもう慣れた。しかしどこか不穏な色を持つ瞳に見つめられ、次の言葉を待つしかないこの状況は、まるで自分が被告人である裁判の最中のようだった。


「いいかい、あんたは――」


 チェシャ猫が口を開き、アリスは膝の上にある自分の手をぎゅっと握り締めた。


「あんたは本当は、不思議の国の人間なんじゃないのかな」



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