間幕2
月杜:御影《つきもり:みかげ》がカース・ド・キャットを捕らえた約半日後。
都内にある超高層ビル。
その一室に、土御門:鉄心《つちみかど:てっしん》は通された。
浅黒い筋骨隆々の身体。
剃り上げられワックスで輝く禿頭。
白と赤のコントラストが美しい巫女服。
実にいつも通りの彼である。
ただでさえ吐き気を催す姿をしているのに、シックで落ち着いたデザインの部屋に居るせいで、いよいよもって異次元みたいな存在になり果ててしまっている。
鉄心は部屋をぐるりと見渡すと、テーブルを中心に四つ並んでいるソファーのうち一番出入り口に近い物に腰を降ろした。
本来、このビルの持ち主にとって鉄心は客人である為、彼は出入り口から一番遠い奥のソファーに座るのがマナーなのだが。
格好は兎も角、名門土御門家の次期当主たる鉄心は勿論それくらいの知識はある。
だが敢えてそうしなかったのには、二つ程の理由がある為だ。
一つは、長居をする積もりはないという意思表示。
もう一つは、自分が納得するまで相手をこの部屋から逃がす積もりはないとうう意思表明。
ドアが軽くノックされ、「失礼する」という声と共にグレーのスーツに身を包んだ壮年の男が入ってきた。
「あらん、こんにちわー、吉武しゃちょー」
鉄心がソファーから立ち上がり、後ろを振り返る。
吉武と呼ばれた男は、鉄心の気持ちの悪い格好、気色の悪い言を無視してただただ彼の座っているポジションに注目した。
吉武:文武。
戦前から重金属の貿易で富を成しグループ傘下の企業は五十を超える、吉武グループの若き社長である。
このビル、吉武貿易株式会社本社の持ち主にして、今回の鉄心の依頼主だ。
吉武は鉄心の腹積もりをある程度理解しつつ、それでいて本来鉄心が座るべきポジションへと足を運んだ。
そして
「どうぞ、おかけください」
と、笑顔を向けたのだった。
――――流石は若くしてグループのトップにまで上り詰めた、重金属界の雄!
こちらの思惑を読みつつ、敢えて乗る剛胆さに鉄心は内心舌を巻く。
だがそれを表に出さないあたり、鉄心も流石は土御門の次期当主と云えよう。
「それで早速で申し訳ないですが、土御門さん。私に話があるそうですが?」
吉武が穏やかに話を促す。
「あーそうなのよん。実は受けていた【カース・ド・キャット】捕獲の依頼なんですけどねん――ごめんなさいん。こちらの手違いで殺してしまったのよん」
違約金や損害賠償は勿論支払うわよん――と鉄心が繋げようとした時、吉武が口を挟んだ。
「おや、私が小耳に挟んだ話では、月杜:御影という貴方の懐刀が無傷で捕獲に成功、と」
「――――ッ」
――――やってくれるじゃないのよん!
あくまでも穏やかに語る吉武に、鉄心は歯噛みしそうになるのを必死に堪える。
土御門:鉄心は決して善人ではない。
ましてや正義の味方などには程遠い人物である。
何故なら、彼は必要と在らば怪奇だけでなく人間も躊躇無く殺す男だからだ。
逆を云えば、必要が無いのならば人間は勿論のこと怪奇も殺さない男なのだが。
そこら辺が退魔師、土御門:鉄心のスタンスでありポリシーなのである。
簡単に云ってしまえば、バランスである。
本来その空間に居るべき存在が居なくなれば、必ず何かしらの歪みが生じる。
逆もまた然りである。
例え人に害なす怪奇であろうとも、無闇やたらに殺すべきではない。
その怪奇を殺すことで更なる災いをもたらすこともある。
例えば、表向き火山の噴火と云われているもの。
例えば、表向き地震と云われているもの。
例えば、表向きテロと云われているもの。
……。…………。
今回の様に本来日本に居ない怪奇が、逃げ出したなんて話は以ての外である。
故に鉄心は、一手《嘘》を突いた《吐いた》のだが……。
迂闊だった。
表側の大企業如きが裏の――こちらの業界のことなど知るよしもない無いだろうと高をくくった、鉄心の完全なミスである。
なかなかの痛手だ。
鉄心は、依頼主である吉武に虚偽の報告をしたことになるのだから。
土御門家の信用に泥を塗っただけではなく、吉武:文武に個人的な貸しを一つ作ってしまったことになる。
だが、カース・ド・キャットという存在は、この様な事態になるかもしれないリスクを孕んででも一般人に触れさせるわけにはいかない危険物であり、吉武グループとはそれぐらいのリスクを孕まないと渡り合えない大企業なのだ。
この後の展開をどう持っていくか。
一本取られてしまったのは取り返しようがないのだから、これからどれだけ損失を減らせるか。
勝負はそこにくる、と鉄心は冷静に頭を切り替える。
そして鉄心は、吉武の動向を鋭い眼差しで追い続ける。
更に鉄心は、頭の中で出入り口付近を選んだ理由に新たなものを付け加える。
いつでも逃げ出せるようにとの消極的姿勢、を。
「そう、恐い顔をしないでいただきたい」
そう云って吉武は、チラリと部屋の隅に鎮座している柱時計を注視した。
吉武の一挙手一投足何も見逃すわけにはいかないと、目を光らせていた鉄心も釣られて時計を見る。
15:30
そろそろ御影が帰ってくる頃だ。
そしておそらく彼は葉月神社へ顔を出しにくるだろう、自分に話を聞く為に。
時刻を確認した鉄心はそんなことを思う。
そうなるよう仕向けたのは、他ならない鉄心だ。
おぞん荘に新しくやってきた少女。
その少女がアルバイトを探していること。
そして、わざと御影が疑問に思うようぼかした表現。
それらを駆使して鉄心は御影の行動を誘導したのだ。
今現在、吉武が鉄心を誘導しているように。
――――もっとも、アタシ自身も何が起きているのか把握出来てないのよねん。
ただ、神社が忙しくなったのには何か裏が――よくないことが起こっている気がする。
――――カース・ド・キャットが原因かとも思ったのだけどねん。
改めて情報の重要性を認識した鉄心なのであった。
「申し訳ない。ついつい時間が気になってしまいまして」
「お気になさらずなのよ~ん」
恥ずかしそうに頬を緩める吉武に、鉄心は彼が演技ではなく素で時計を気にしてしまっていたということを悟る。
「高校に通う娘が居ましてね、そろそろ帰ってくる頃かと」
「娘さんですのん?」
そういえば……と、クライアントの情報を纏めた資料に一人娘がいると書いてあったことを鉄心は思い出す。
――――それにしても、まさか同じことを考えていたなんてねん。
重金属界の雄が不意に見せた父親の顔に、鉄心は内心苦笑する。
鉄心にとって、御影はただのビジネスパートナーというわけではない。
御影がこの業界に入る時から、鉄心は彼のことを気にかけてきたのだった。
と云うより、鉄心自身が御影をこの業界にスカウトした。
その為鉄心は御影のことを、自分の弟子や息子の様に思っているのだった。
たとえ鉄心と御影の年が十と離れていないとも。
要は軽い同族嫌悪である。
さて……、と吉武が咳払いをして仕切り直しは図る。
「本題へ入りましょうか、土御門さん。実は折り入って“お願い”がありましてね」
いきなり借りを切ってくる、吉武。
「――――と云うわけなんですよ、土御門さん」
「な……っ!?」
吉武から伝えられた衝撃の“お願い”に、鉄心は文字通り絶句したのだった。