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『嫉妬は心が狭いのでしょう? では、私ももう嫉妬いたしません』

作者: 萩野P
掲載日:2026/10/26

婚約者ルシアンに幼馴染のソフィアばかりを優先され、嫉妬深いと責められてきたアデライード。

しかし彼女はもう嫉妬することをやめ、自らの才能を磨き、隣国との交易交渉で輝かしい功績を上げる。

その活躍を認めた隣国の第二王子セドリックは、彼女の聡明さと気高さに惹かれていく。

やがてアデライードはルシアンとの婚約を解消し、自分を心から尊重してくれるセドリックの求婚を受け入れる。

一方、彼女を失って初めて自分の愚かさに気づいたルシアンは、後悔しても取り返しのつかない現実に直面するのだった。

「すまない、アデライード。今夜の晩餐会には行けなくなった」


侯爵家の応接間で、婚約者のルシアン・ド・モンフォール侯爵令息は、悪びれもせずにそう告げた。

アデライード・ベルナール伯爵令嬢は、手にしていた招待状を静かに置いた。


「……また、ソフィア様ですか?」


「仕方ないだろう。ソフィアは最近、心細い思いをしているんだ。俺がそばにいてやらなければ」

ソフィア・リヴィエール男爵令嬢。

ルシアンの幼馴染であり、彼が何よりも優先する女性だった。

彼女が寂しいと言えば、ルシアンは駆けつける。

彼女が欲しいと言えば、贈り物をする。

彼女がアデライードとの予定を知って涙ぐめば、ルシアンは決まって婚約者との約束を取り消した。

今日で、五度目だった。


「ルシアン様。今夜の晩餐会は、わたくしの父が主催するものです。両家の婚約を正式にお披露目する、大切な席だったはずですが」


「だから何だ?」


彼は眉をひそめた。


「俺たちの婚約は変わらない。たかが一晩、俺がいなくても問題ないだろう?」


「……では、わたくしが寂しいと申し上げたら?」


ほんの少しだけ、期待してしまった。

彼が一度でも、自分の気持ちを考えてくれるのではないかと。

しかし。


「ははっ!」


ルシアンは楽しそうに笑った。


「お前、まだそんなことを言うのか。幼馴染に嫉妬するなんて、心が狭いぞ、アデライード」


「……心が狭い」


「ああ。俺の婚約者なら、もっと堂々としていろ。ソフィアは俺にとって妹のようなものだ。お前が気にすることじゃない」


妹。

その言葉を聞くのも、もう何度目だろう。

アデライードは、ふと気づいた。

彼はいつだって、自分が傷ついたと訴えると笑った。

けれど、ソフィアが傷ついたと言えば、何を差し置いても駆けつけた。

彼にとって、自分の悲しみは些細なものだったのだ。

それどころか。

自分が嫉妬している姿を見て、彼は満足していた。


――この人は、わたくしが自分を好きでいることを確認したいだけなのね。


胸の奥で、何かが静かに途切れた。

悲しいはずなのに、不思議と涙は出なかった。


「……承知いたしました」


「そうだ。それでいい」


ルシアンは満足そうに頷き、立ち上がった。


「では、行ってくる。機嫌を直せよ」


扉が閉まる。

アデライードはしばらくその場に座っていた。

そして、テーブルの上の招待状を手に取ると、そっと微笑んだ。


「ええ。もう、機嫌を損ねることもございませんわ」


翌朝。

アデライードは父の書斎を訪れた。


「お父様。モンフォール侯爵家との婚約を、解消したいのです」


父は驚かなかった。

ただ、深いため息をついた。


「……ようやく決心したか」


「ご存じだったのですか?」


「娘の顔色が悪くなっていくのを、父親が見逃すと思うか?」


父は机の引き出しから、一通の書類を取り出した。


「実は、モンフォール侯爵家には以前から懸念がある。ルシアン殿は、君との婚約を背景に、我が家が支援する事業の利益を当然のように求めてきた」


「そんなことまで……」


「君が彼を信じているうちは、余計な口出しをすまいと思っていた。だが、もうよい」


ーー父は娘の手を取った。


「お前は誰かの機嫌を取るために生まれてきたのではないよ」


その言葉に、アデライードは初めて泣いた。

自分の悲しみを、悲しみとして受け止めてもらえたから。


「ありがとうございます、お父様」


「婚約解消の申し入れは、正式な手続きを踏んで行う。お前はしばらく好きなことをしなさい」


好きなこと。

そう言われて、アデライードは思い出した。


幼いころから学んできた外国語。

各国の商取引に関する知識。

父の仕事を手伝うために身につけた、交渉術。

本当は、もっと学びたかった。

もっと、自分の力を試してみたかった。

けれどルシアンは、いつも言っていた。


『女が難しい商談に口を出す必要はない』

『そんな時間があるなら、婚約者の俺を立てろ』


アデライードは窓の外を見た。


「……わたくし、王立交易院の仕事を手伝ってみたいです」


父は満足そうに笑った。


「いいとも。お前なら、きっと面白い仕事ができる」


その日、アデライードは初めて、自分自身のために予定を立てた。

そして三週間後。

彼女の人生は、思いもよらない方向へ動き始めることになる。

王立交易院の会議室。

隣国との貿易交渉が難航する中、誰も解決できなかった契約書の一文を、アデライードは見事に読み解いた。


「この条項は、翻訳の誤りではありません。相手国の古い商法に基づく表現です。こちらの解釈のまま契約すれば、関税の負担がすべて我が国に偏ります」


室内が静まり返った。


「……では、どうすれば?」


「原文の意味を踏まえ、こちらの負担範囲を明記した修正案を提出すべきです。先方にも不利益が出ない形にできます」


一時間後。

交渉は、見事にまとまった。


「素晴らしい!」


交易院長が立ち上がった。


「ベルナール伯爵令嬢。ぜひ、今後も我々に協力していただきたい!」


拍手が起こる。

その輪の中に、一人の青年がいた。

深い藍色の髪に、澄んだ金色の瞳。

隣国エルディア王国の第二王子、セドリック・エルディア殿下だった。

彼はアデライードに歩み寄り、優雅に一礼した。


「お会いできて光栄です、ベルナール嬢。あなたのような方と仕事ができるとは、思ってもいませんでした」


「恐れ入ります、殿下」


「いえ。あなたの知識だけではありません。先ほど、相手国の使節が自国の誤りを指摘された際、恥をかかせないように言葉を選ばれたでしょう」


セドリックは微笑んだ。


「優れた知性と、他者への敬意。その両方をお持ちなのですね」


アデライードは、一瞬だけ言葉を失った。

自分の努力を。

自分の心遣いを。

誰かが、きちんと見ていてくれた。


「……ありがとうございます、殿下」


その笑顔は、ルシアンの前で見せていたものとは違っていた。

心からの、晴れやかな笑顔だった。

そして、その頃。

モンフォール侯爵家では、ルシアンが苛立っていた。


「アデライードは、なぜ手紙を寄越さないんだ?」


婚約者から届くはずの手紙は、もう三週間も届いていなかった。

以前なら、一日たりとも欠かさず便りがあったのに。


「まあ、よろしいではありませんか。最近のアデライード様は、ずいぶんお忙しいようですわよ」


ソフィアが紅茶を飲みながら言った。


「王立交易院に通っていらっしゃるとか。ご令嬢が商談なんて、少し変わっていますわね」


「……あいつが?」


ルシアンの胸に、初めて小さな不安が生まれた。


「でも、きっとすぐ飽きますわ。だって、アデライード様にはあなたしかいないのですもの」


ソフィアは微笑んだ。


「そうでしょう?」


ルシアンは答えられなかった。

なぜなら、彼もまた、そう信じていたからだ。

アデライードは自分を愛している。

自分が呼べば、いつでも振り向く。

自分が謝れば、いつでも許す。

そうでなければ、困る。


――彼女が本当に、自分を必要としなくなっていたら?

その考えが浮かんだ瞬間、ルシアンは勢いよく立ち上がった。


「明日、ベルナール伯爵家へ行く」


「えっ?」


「アデライードと話をする」


しかし翌日。

ベルナール伯爵家の門前で、ルシアンは思いもよらない光景を目にすることになる。

アデライードが、隣国の第二王子セドリックと並んで馬車から降りてきたのだ。

二人は何かを話しながら、楽しそうに笑っていた。

その笑顔を見た瞬間。

ルシアンは初めて、自分が失ったものの大きさを知った。


「……アデライード?」


彼女が振り向く。

そこにあったのは、礼儀正しい微笑みだけだった。

かつて自分だけに向けられていた、愛情に満ちた眼差しは、もうどこにもなかった。


「ごきげんよう、ルシアン様」


「お前……どうして、その男と?」


セドリックの眉が、わずかに動いた。

しかし、アデライードは穏やかに答えた。


「こちらはエルディア王国の第二王子、セドリック殿下です。交易に関する会議をご一緒しておりました」


「そんなことを聞いているんじゃない!」


ルシアンの声が荒くなる。


「なぜ、俺に何も言わなかった!」


アデライードは不思議そうに首を傾げた。


「……何を、でしょう?」


「王立交易院の仕事だ! 俺は何も聞いていない!」


「お話しする必要がございましたか?」


「婚約者だろう!」


その言葉に、アデライードは初めて、ほんの少しだけ目を細めた。


「そうでしたわね」


静かな声だった。


「ですが、ルシアン様。わたくしが何かを学びたいと申し上げたとき、あなたは何とおっしゃいましたか?」


ルシアンの顔が強張る。


「女が難しい商談に口を出す必要はない。婚約者の俺を立てろ、と。そうおっしゃいましたわね」


「それは……」


「ですから、もうお邪魔をしないことにしたのです」


アデライードは微笑んだ。


「ご安心くださいませ。わたくし、もう嫉妬もいたしませんし、あなたのお時間を奪うつもりもございません」


そして、最後に一言。


「何しろ、嫉妬は心が狭いそうですから」


ルシアンの顔から、血の気が引いた。


「アデライード、俺は……」


「申し訳ありません。これから殿下と、交易院へ戻らなければなりませんの」


彼女はセドリックに向き直った。


「参りましょう、殿下」


「ええ、喜んで」


セドリックはルシアンに一瞥をくれると、アデライードに手を差し伸べた。

彼女は迷わず、その手を取った。

二人が去っていく。

ルシアンは、その場に立ち尽くした。

追いかけることも、呼び止めることもできなかった。

なぜなら、初めて理解したからだ。

自分はずっと、アデライードが自分を愛していることに甘えていた。

彼女が悲しんでも、寂しがっても、最後には自分のもとへ戻ってくると信じていた。

けれど。

彼女が自分を必要としなくなった今、何を言えばいいのか、何一つわからなかった。

そして数日後。

ルシアンのもとに、ベルナール伯爵家から正式な書状が届く。


婚約解消の申し入れだった。

添えられた理由は、約束の度重なる不履行、婚約者への侮辱、そして将来の伴侶としての信頼関係の破綻。

侯爵家がどれほど抗議しても、ベルナール伯爵家の意思は揺るがなかった。


さらに、交易院でのアデライードの活躍が社交界に広まるにつれ、ルシアンの評判は目に見えて悪くなっていった。


「ベルナール嬢ほどの才女を、あのように扱っていたのか」

「幼馴染を優先するにしても、婚約者への礼儀というものがあるだろう」

「しかも、彼女が活躍し始めた途端に慌てているらしい」


誰もが、彼の振る舞いを疑問視した。

一方、アデライードはもう、振り返らなかった。

彼女には新しい仕事があり、新しい出会いがあり、自分を尊重してくれる人々がいた。

そして、セドリックは会議のたびに彼女の隣に立ち、彼女の意見を求めた。

ある日の帰り道。

セドリックが、少し緊張した様子で口を開いた。


「アデライード嬢。ひとつ、お願いがあるのですが」


「何でしょう、殿下?」


「次の休日、私と二人で庭園を歩いていただけませんか」


彼女は目を丸くした。


「お仕事のお話でしょうか?」


「いいえ」


セドリックは、真剣な眼差しで彼女を見つめた。


「あなたと、もっと個人的なお話がしたいのです」


アデライードの頬が、ほんのりと赤くなる。


「……喜んで」


セドリックは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。では、ひとつだけ約束してください」


「約束、ですか?」


「寂しいときは、寂しいと言ってください。悲しいときは、悲しいと。あなたが我慢することで成り立つ関係には、したくありませんから」


アデライードは、思わず彼を見上げた。

ずっと欲しかった言葉だった。

嫉妬することを責められるのではなく。

寂しさを笑われるのでもなく。

自分の気持ちを、そのまま受け止めてもらえること。


「……セドリック殿下」


「はい」


「わたくし、実は少し嫉妬深いのです」


セドリックは一瞬考え、それから真面目な顔で頷いた。


「では、私があなたを不安にさせないよう、努力いたします」


「……それだけですの?」


「ええ。それに、あなたが嫉妬してくださるほど私を大切に思ってくださるなら、嬉しくないはずがありません」


アデライードは、とうとう笑い出した。

もう、嫉妬する自分を恥じる必要はない。

誰かを好きになることは、弱さではない。

ただ、その気持ちを大切にしてくれる人を選べばいいのだ。


彼女は差し出された手を取り、春の庭園へと歩き出した。

その頃、ルシアンは自室で、かつてアデライードから届いた手紙を読み返していた。

何度も読み飛ばした、何気ない日常の報告。

自分を気遣う言葉。

一緒に過ごす未来を楽しみにしているという一文。

最後の手紙には、こう書かれていた。


『次にお会いできる日を、楽しみにしております』


ルシアンは、その文字を指でなぞった。

あの頃の彼女は、本当に自分に会える日を楽しみにしていたのだ。

それなのに、自分は。


「……アデライード」


返事をする者は、もう誰もいなかった。

彼女が自分を愛していた時間は、確かに存在した。

けれど、その愛情が永遠に続く保証など、どこにもなかったのだ。

嫉妬は心が狭い。

かつて彼女にそう告げた男は、ようやく知った。

人の心を狭くしていたのは、嫉妬ではない。

自分の愛情だけを当然のものとして、相手の気持ちを見ようとしなかった、その傲慢さだったのだ。

そしてアデライードは、二度と彼のために涙を流すことはなかった。


――おしまい――

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― 新着の感想 ―
女性が口やかましく言ってきてる間は、まだ愛情が残っていることになるんだけど、それを理解してない男性は多そうですね。 あと愛情の反対は無関心ということを今頃理解しても、すべては遅いのですが。 これは家族…
ソフィアは結局、何がしたかったのか? ソフィアには何も罰は無かったのでしょうか?
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