第八話 「黒焔、王都に触れる」
魔族視点
王都の夜は、本来なら穏やかだ。
城壁の上を巡回する騎士の足音は一定で、灯火は風に揺れながらも消えない。中央塔の尖塔は月光を受け、白く浮かび上がる。人々は眠り、王城の地下で何が脈打っているのかなど知らない。
だがその夜、王都北東の森は異様だった。
虫の音が止み、風が逆巻く。闇が濃く沈み、空気が焦げる匂いを帯びる。
黒焔が、森の奥に立っていた。
バルゼリオン・ドラク=モルガ。
再生途中の肉体はまだ完全ではない。右角は根元から欠け、左翼は骨組みだけが伸び、膜が再生しきっていない。胸元には白光に焼かれた痕が残り、そこだけ再生が遅れている。
だが瞳の奥の炎は消えていない。
その周囲に、七体の魔族が跪いている。獣面の戦鬼、蛇の下半身を持つ女、鋼のような外殻を持つ巨体、霧のように形を定めぬ影。
「王都結界、視認確認」
蛇の魔族が低く報告する。
夜空に、薄く巨大な紋様が浮かび上がっている。王都全体を包む多層式結界。外層は物理衝撃吸収、中層は高位魔力反射、内層は魔族波長干渉型封印。
バルゼリオンはそれを見上げ、低く笑う。
「強化されたな」
「融合反応検知以降、王都結界は再編成されています。出力三割増し、魔導砲配置も増設済み」
戦鬼が唸るように言う。
当然だ、とバルゼリオンは思う。
“核”が王都にあると王家が認識した以上、放置するはずがない。
バルゼリオンはゆっくり浮き上がる。
黒焔が渦を巻き、森の木々が焦げる。
空気が歪み、音が消える。
次の瞬間、一直線に王都へ向けて加速した。
結界が反応する。
夜空に走る幾何学的光紋。外層結界が波打ち、衝撃波が拡散する。
黒焔が接触した瞬間、轟音が森を揺らした。
爆光。
黒と青がぶつかり合う。
城壁の上で鐘が鳴る。
「北東上空、敵性反応!」
「黒焔確認! 上位個体!」
号令が飛ぶ。
「第一防衛線、魔導砲起動!」
塔の上に設置された三基の対魔導砲が唸り始める。砲身に刻まれた古代紋様が光り、魔力回路が赤く走る。
「充填七割……九割……発射!」
光属性の高圧縮砲撃が夜を裂く。
三条の光が黒焔を貫く。
衝突点が白く弾け、空気が震える。
だが黒焔は消えない。
バルゼリオンは空中で旋回し、翼を広げ、衝撃を流す。
「人間の砲は、相変わらず鋭い」
次の瞬間、城壁の内側から詠唱が重なる。
王都魔導師団。
「光槍陣、第一波!」
二十を超える魔法陣が城壁上に展開し、同時に光の槍が放たれる。
槍は軌道を修正しながら黒焔を追う。
上、下、側面。
逃げ道を潰す。
バルゼリオンは黒焔を膨張させ、槍を焼き払う。だが焼き払うたびに、再生途中の肉体が削れる。
胸の焼痕がひび割れる。
戦鬼が吠える。「侯爵閣下、退避を!」
バルゼリオンは応じない。
城門が開く。
重装騎士団が出撃する。
先頭に立つのは、銀の鎧を纏った壮年の騎士。
王国第一騎士団長、レオナード・グレイヴァル。
長身。灰色の短髪。頬に一本の傷。
剣を抜いた瞬間、刃が金光を帯びる。
聖属性付与剣。
「魔族侵入確認。王都領域内、排除する」
声は静かだが、確信がある。
騎士団が二列陣形で展開する。前列は盾持ち、後列は魔導補助。騎士団の足元に刻まれた陣が光り、地面から淡い金色の壁が立ち上がる。
結界が内側から強化される。
王都は、ただの城ではない。
都市全体が一つの巨大魔導装置だ。
バルゼリオンは一瞬だけ地下方向を見る。
王城地下。
“核”の脈動が微かに伝わる。
弱い。
未完成。
だが確かにある。
その瞬間、魔導砲が二射目を放つ。
今度は角度を変え、翼を狙う。
黒焔が散る。
再生途中の翼膜が裂け、骨が露出する。
痛みが走るが、バルゼリオンは笑う。
「よい。よいぞ」
地上では騎士団長が号令を出す。
「前進三歩、光牢展開!」
魔導師団が詠唱を切り替える。
空間が収縮し、黒焔の周囲を囲う半球状の光牢が形成される。
封鎖型捕縛陣。
バルゼリオンは内部から黒焔を爆ぜさせるが、光牢は一瞬ひび割れるだけで破れない。
王都の総力。
正面突破は不可能。
戦鬼が再び叫ぶ。「侯爵閣下!」
バルゼリオンは、ようやく決断する。
「撤退」
その声は静かだ。
黒焔が一気に膨張する。
爆発。
だがそれは突破ではない。
目眩まし。
爆発の中心から、複数の黒焔片が四方に散る。
騎士団が追撃するが、本体はすでに上空へ退避している。
魔導砲が三射目を放つ。
黒焔が再び削れる。
だが落ちない。
王都結界の外縁へと退きながら、バルゼリオンは振り返る。
白亜の城。
青白い結界。
統制された戦力。
「均衡は、まだ王家にある」
悔しさはない。
確認だ。
「だが核は、王都にある」
それで十分。
蛇の魔族が問う。「魔国領へ帰還なさいますか」
バルゼリオンは空を見上げる。
未完成の翼が軋む。
「急ぐな」
今奪えば壊れる。
核は覚醒寸前が最も価値がある。
「覚醒を待つ」
黒焔が夜に溶ける。
森を越え、荒野を越え、魔国領の境界へ。
境界を越えた瞬間、空気が濃く変わる。魔力が重く満ち、地面が黒く脈打つ。
バルゼリオンは降り立つ。
再生がゆっくり進む。
胸の焼痕に黒焔が集まり、肉が編まれていく。
「アレン」
低く名を呼ぶ。
「恐れている限り、お前は未完成」
黒焔が揺らぐ。
「だが恐れを超えた瞬間」
瞳の奥の炎が深くなる。
「王都は燃える」
遠く王都では、終戦の鐘が鳴る。
城壁上で騎士団長が剣を納める。
「退いたか」
誰も安堵しない。
これは様子見。
試探。
本番ではない。
地下深くで六色が微かに震える。
遠い魔国領で黒焔が応じる。
均衡は、まだ崩れていない。
だが、ひびは入った。




