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災厄指定アレン  作者: 大きい橋


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第七話 「片腕の戦士」

エド視点



白い天井が、ゆっくり揺れて見えた。揺れているのは天井じゃない。自分の視界だ。瞼の裏に残った眩い光の残像がまだ消えていない。鼻腔には薬草の甘苦い匂いと、拭い切れなかった血の鉄臭さが混じっている。喉が砂のように乾き、息を吸うたび胸の奥が痛んだ。エドは瞬きを繰り返しながら、自分がどこにいるのかを確かめようとした。天蓋付きの寝台、磨かれた木目の床、窓から射す淡い日差し。見慣れた屋敷の一室だ。だが、何かが決定的におかしい。身体の右側が、軽い。軽すぎる。布団が右肩のあたりで妙に沈まず、そこにあるはずの重みがない。


嫌な予感が、遅れてやってきた。


エドは身を起こそうとして左肘で体を支えた。そこでさらに違和感が増す。いつもの動きができない。バランスが崩れ、身体が右へ倒れそうになる。咄嗟に左手で布団を掴み、息を吸い込んだ。右手で支えようとして、何も掴めない。空気だけを撫でる感触。肩がずきりと焼けるように疼き、包帯の下で何かが引き攣れる。


「……え」


声が喉の奥で潰れた。視線を右肩へ落とす。包帯が、ぐるぐると固く巻かれている。肩から先を覆うように膨らみ、しかしそこから先に続くはずの形がない。エドは自分の左手を震えるまま包帯へ伸ばし、ゆっくり触れた。温かい。生きている。だが、触れた先にあるのは、終わりだった。手首も指も、存在しない場所へ触れようとしてしまう。指先が空を掴む。身体が理解を拒むように、頭の中で「違う」という言葉が何度も弾けた。


記憶が、遅れて牙を剥いた。黒焔。空を裂いた槍。焼けた匂い。結界が軋む音。父の剣が鳴る音。母の詠唱。兄の叫び。そして、白い光。眩しすぎて、視界がすべて塗り潰された瞬間。あの光の中で、何が起きたのか。胸の奥で、答えが形になる前に、エドは荒く息を吐いた。呼吸が震え、喉が鳴り、涙が勝手に滲んだ。


「……兄上」


口に出した瞬間、胸が痛んだ。兄の顔が浮かぶ。少し俯きがちで、周りの目を避けるように笑う。自分より背は高いのに、いつも縮こまっているみたいに見えた。エドは本気で兄を尊敬していた。全部の属性を扱える。自分には火しかない。兄の広さを、羨ましいと思ったことすらある。けれど同時に、どこかで思っていた。自分は深い。兄は浅い。自分のほうが強い、と。そんな小さな優越が、今、喉の奥で苦い塊になっている。


扉が勢いよく開いた。布の擦れる音と、焦った呼吸。母が駆け込んできた。リディアナの金髪は乱れていて、編み込みがほどけかけている。蒼い瞳は赤く腫れ、目の下に濃い影が落ちていた。数日でこんな顔になるのかと、エドは胸が締めつけられた。母は寝台の脇へ膝をつき、左手でエドの肩に触れ、右手で左手を握りしめた。温かい。震えている。


「エド……っ、目が覚めたのね……よかった……」


声が掠れている。泣いているのに、泣くのを我慢している声だ。母の喉が何度も上下する。エドは母の手を握り返そうとして、左手でしか握れないことに気づき、喉の奥で何かが折れた。


「……母上」


呼びかけると、母は涙を堪えきれず頬を伝わせた。「大丈夫よ、あなたは生きている。生きてるの」と、祈るみたいに繰り返す。エドはそれを聞きながら、包帯の下の空白を見つめた。生きている。その言葉が、今は救いにも刃にもなる。


「……兄上は」


その一言を口にするのに、胸の筋肉が痛んだ。母の手が一瞬だけ強張る。呼吸が止まる。エドはその反応で、答えを察してしまう。


母は視線を逸らし、声を落とした。「王都へ移送されたわ」


「移送……?」


「王家の監察下に置かれたの。災厄指定、だそうよ」


災厄指定。その言葉が、耳の中で反響した。兄が災厄。兄が。アレンが。エドは笑いそうになって、笑えなくて、喉が引き攣った。兄はいつも「どうせ僕なんて」と言いそうな顔をしていた。そんな兄に、災厄なんて言葉が貼りつくのが滑稽で、同時に恐ろしく現実的だった。だって、あの白光は確かに世界を壊した。魔族を消し飛ばして、屋敷を抉って、自分の腕を奪った。


「……僕は、どれくらい寝てた?」


「数日よ」


数日。その間に兄はもうここにいない。自分が目覚める前に連れて行かれた。胸の奥で何かが燃えた。怒りなのか、悔しさなのか、置いていかれた痛みなのか、区別がつかない。全部が一緒くたに燃える。


エドは包帯を見て、声を震わせた。「僕の腕は……」


母は唇を噛み、ゆっくり首を振った。「戻せなかった。私の魔法でも……戻せなかった」その言い方が、まるで謝罪だった。母が謝ることじゃないのに、母が謝るほどの出来事なんだと、改めて突きつけられる。


エドは息を吐いた。乾いた音が出た。「兄上が、やったんだよね」


母の肩が小さく震えた。「違う、あれは……」


「融合、したんだよね」


母は何も言わなかった。否定もしない沈黙が、答えだった。


エドは、笑ってしまった。短く、乾いた笑い。自分でも驚くほど、喉が痛い笑いだった。「すごいよね」声が揺れる。「僕にはできない。僕は火しかない。でも兄上は全部……全部持ってて……」言葉が途中で崩れる。胸の奥が苦しくなって、息が上手く入らない。怒鳴りたいのに、泣きたいのに、どちらにも振り切れない。


「兄上は僕を守ろうとしたんだよね!」突然、声が跳ね上がった。自分でも制御できない。「あの黒い槍が来たとき、兄上は……守ろうとして……!」


母が何か言おうとして、口を開いたまま閉じた。エドの言葉が止まらない。「守ろうとして、混ぜて、爆ぜて、それで……」右肩を見る。包帯の下の終わり。「それで、僕の腕はなくなった!」


部屋の空気が張りつめる。母の目が大きく揺れ、涙が落ちた。エドも泣いていた。でも泣きながら声が大きくなる。


「僕、兄上を尊敬してたんだ。本気で。兄上は全部持ってるって思ってた。だから僕は……僕は火しかなくても頑張れば、いつか追いつけるって思ってた」喉が詰まる。「でも……僕、どこかで思ってた。僕のほうが強いって。兄上は広いだけで、浅いって。中級も上級もできないって、ちょっとだけ……ちょっとだけ見下してた」


母が息を呑む。エドはそれを見て、さらに自分が嫌になった。優越があった。確かにあった。兄を愛していたのに、兄より上だと思ってしまっていた。その汚さが、今、腕の空白と一緒に突きつけられる。


「なのにさ」エドの声が低く沈む。「兄上は僕を超えた。僕の腕を代償にして」言ってしまった瞬間、言葉が刃みたいに部屋に落ちた。母が顔を覆い、肩を震わせた。エドは天井を見上げ、涙をこぼした。言いたくなかった。けれど言わずにいられなかった。


「僕、兄上を恨みたい」唇が震える。「恨んで、嫌いになって、全部終わらせたい。でも……」喉が締まる。「あのとき見たんだ。兄上の顔。白光の直前。兄上、泣いてた」その記憶が、怒りを鈍らせる。兄は恐怖に怯えながら、それでも前に出ていた。あの顔を思い出すと、恨みが薄まる。薄まるからこそ、腹が立つ。


「だから余計に腹が立つんだよ!」エドは叫んだ。「僕を守るなら、完璧に守れよ!中途半端に混ぜるなよ!中途半端に優しくするなよ!」声が割れる。胸が痛い。息が足りない。左手で胸を叩く。「兄上は、いつも自分を弱いって思ってる。だから、力を信じない。だから暴走する!」


母が震える声で言った。「アレンも……苦しんでいるわ。あなたを傷つけたことを……」


「知ってる!」エドは即座に返した。知っている。だから腹が立つ。兄は自分を責めて、自分を罰して、地下牢で縮こまっているはずだ。自分が痛いのに、兄も痛い。自分が怒っているのに、兄は泣いている。その構図が、息苦しい。


エドは深呼吸しようとして、うまくできなかった。何度も息を吸い、吐き、やっと少し落ち着く。落ち着いた分だけ、怒りが形を変える。爆発ではなく、決意へと沈む。


「……僕は、兄上を止める」


母が顔を上げた。涙に濡れた瞳が揺れる。「エド……」


「守られるだけは嫌だ」エドは左手だけで布団を押しのけ、ゆっくり起き上がった。片腕のバランスが取りづらく、身体が右へ流れる。無意識に空白の腕を使おうとして、また何も掴めない。悔しさが喉を焼く。それでも、起き上がる。起き上がってしまう。ここで崩れたら、兄に追いつけない。追いつきたくないのに、追いつかなきゃいけない。


「今度は僕が兄上を守る」声が低くなる。「兄上が災厄なら、僕はその隣に立つ。止める。止めて、戻す」戻す、という言葉が苦い。何を戻す?腕は戻らない。時間も戻らない。けれど、関係なら戻せるかもしれない。兄が自分を罰するだけの場所から引きずり出せるかもしれない。


母が震える声で言う。「王都は……簡単に会わせてはくれないわ。王家が……」


「だから行く」エドは即答した。「僕が行く」胸の奥で炎が揺れる。これまでの炎は、勝つための炎だった。見せるための炎だった。今の炎は、違う。痛みを燃料にしている。怒りも、愛も、悔しさも、全部混ざって燃える。兄の禁忌は融合だ。自分の禁忌は、感情だ。混ぜたら危険だとわかっているのに、混ぜずにいられない。


エドは右肩の包帯に視線を落とし、左手でそっと触れた。そこにあるのは欠損。だが同時に、刻印みたいなものでもある。自分は見た。兄の力を。世界が歪む瞬間を。なら、目を逸らしてはいけない。


「母上、父上は?」


母の表情が固くなる。「……あなたの父は、何も言わない。王家の決定に従った。アレンを……危険だと」


危険。兄を。父が。エドの胸にまた熱が走る。「兄上は危険かもしれない。でも、危険にしたのは誰だよ」言いかけて、飲み込んだ。母を責めたくない。母は今、誰よりも裂けている。


窓の外で、遠く馬の蹄の音がした。屋敷は動いている。世界は何事もなかったように回っている。自分だけが置いていかれたみたいだ。兄も、置いていかれている。地下牢で、独りで。


エドは唇を噛み、声を絞り出した。「兄上に伝えて」母を見据える。「僕は恨んでるって。腹が立ってるって」母の瞳が揺れる。「でも、行くって。逃がさないって。兄上が自分を捨てようとするなら、僕が引っ張り上げるって」


母の頬を涙が伝う。「わかった……伝える」


エドは目を閉じた。怒りが収まったわけじゃない。むしろ、はっきりした。自分は兄を嫌いになれない。尊敬も消えない。だから、爆発する。爆発して、前へ進むしかない。


遠い王都の地下で、六色が微かに脈打っているのを、なぜか想像できた。兄は今も、混ぜることを恐れている。恐れている限り安全だと、誰かが言ったらしい。だが、それだけでは何も変わらない。


エドは左手を握りしめた。片腕でも握れる拳がある。それだけで、まだ戦える。


「兄上」声は小さい。けれど芯がある。「僕は、止めに行く。怒りのままにでも、愛のままにでも。どっちでもいい。兄上の隣に立つ」


その言葉を言い終えた瞬間、胸の奥の炎が静かに安定した。激しい炎ではない。消えない火だ。これから長く燃える火。


そしてエドは、、初めて自分の欠損を“終わり”ではなく“始まり”として見た。


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