第六話 「契約の名を持つ少女」
王城地下監獄の空気は、いつもより重かった。
封印陣が二重に重ねられ、石壁に刻まれた魔力文字が淡く青く発光している。魔力抑制の圧が皮膚の上を撫でるように走り、胸の奥で脈打つ六色を押さえ込んでいた。
足音が響く。
規則正しい騎士の足取り。その中心に、ひとつだけ軽い音が混じっている。
鉄扉が開いた瞬間、騎士たちが一斉に膝を折った。
入ってきたのは第一王子ルークレシア。その後ろに、ひとりの少女が続く。
少女は静かに立ち止まった。
濃紺の髪を高い位置で結び、首筋がすっきりと露わになっている。翡翠色の瞳は澄みきっていて、こちらを正面から見据えていた。華奢な体躯だが、背筋がまっすぐ伸び、立ち姿に揺らぎがない。ドレスではなく、動きやすさを優先した簡素な貴族服。袖口には細い銀糸の魔導紋様が縫い込まれている。
装飾より実用。
その時点で、ただの令嬢ではないとわかる。
王子が低く告げた。
「紹介する。セレスティア・イヴァンジェリン・ハイルシュタイン。ハイルシュタイン侯爵家の長女だ」
ハイルシュタイン侯爵家。王家に最も近い魔導名門。代々、王家直属の研究職を担う家系。
つまり――僕を管理するための家だ。
セレスティアは一歩前に出た。騎士の一人が無意識に剣の柄に触れる。彼女はそれを気に留める様子もなく、格子越しに僕を見つめる。
「あなたがアレン・ヴァルディス」
声は落ち着いている。澄んでいるが、柔らかくはない。
「はい」
自分の声がやけに乾いて聞こえる。
彼女は瞬きを一度だけし、僕の両手の枷を見る。次に首輪型の抑制具、足枷、床に刻まれた封印陣へと視線を移す。その観察は速いが正確だ。
「過剰ですね」
小さく呟く。
王子が答える。「安全策だ」
「安全の定義によります」
彼女は淡々と返す。
空気がわずかに張る。
王子は話を進めた。「両名は婚姻契約を結ぶ」
その言葉が地下の石壁に反響する。
僕の心臓が一拍遅れて鳴った。
セレスティアは即座に言う。「了承しております」
迷いがない。
僕はようやく彼女の指先に刻まれた微細な魔導痕に気づく。繰り返し魔力演算を行ってきた者の指だ。理論派。研究者。戦う魔導士ではないが、魔法の構造を理解する側。
「これは感情の契約ではありません」と彼女は続ける。「王家管理下融合適性者との共同監視契約です。私はあなたの監視者であり、観測者です」
観測者。
その言葉が胸に落ちる。
僕は問い返す。「観測して、どうするんですか」
彼女はわずかに顎を引く。「あなたが“何になるか”を確定させます」
冷たいが、残酷な響きではない。ただ事実を述べている。
王子が補足する。「ハイルシュタイン家は融合理論の断片を保有している」
僕は思わず顔を上げる。
「断片、ですか」
セレスティアが頷く。「完全ではありません。分断以前の記録は大半が失われています。ですが、属性は本来、排他的ではなかったという仮説は立証段階にあります」
彼女の瞳が揺らがない。
「あなたは偶然ではありません」
心臓が強く鳴る。
「偶然で理は歪みません。あなたは再現性を持っています」
王子が静かに口を挟む。「だが未完成だ」
「はい」
セレスティアは即答する。
「未完成であることが最大の危険です」
地下の空気が重くなる。
彼女は続ける。
「あなたは自分を恐れている」
唐突だが核心だった。
「……はい」
否定できない。
「恐れている限り、あなたは自分を抑制します。それは安全です」
一歩、彼女が近づく。結界が微かに震える。
騎士が緊張する。
「ですが、受け入れた瞬間、あなたは災厄になります」
声は静かだ。
「その時、私はあなたを止めます」
宣言だった。情はない。使命だけがある。
王子がわずかに視線を細める。
「セレスティアは監視者であると同時に、保険だ」
「保険……」
かつてエドが言った言葉が胸を刺す。
僕は問う。「あなたは僕を守らないんですか」
セレスティアは少しだけ間を置いた。
「守りません」
迷いはない。
「ですが、利用もしません」
その言葉は予想外だった。
「あなたを王家の道具にするつもりはありません。私は理を確かめたいだけです」
理。
彼女は僕ではなく、融合そのものを見ている。
その時、地下深くで微かな震えが走った。
黒焔。
遠い。だが確かに感じる。
胸の奥の六色がざわつく。
セレスティアの瞳が一瞬だけ鋭くなる。「接近しています」
王子が振り向く。「バルゼリオンか」
封印陣が低く唸り、抑制具が熱を持つ。
僕は初めて理解する。
彼女は鎖ではない。
逃げ道でもない。
秤だ。
僕が理に留まるのか、歪みに堕ちるのかを量る存在。
そして、傾いたと判断すれば、迷わず切り捨てる。
セレスティアが静かに僕の名を呼ぶ。
「アレン」
初めて、名に温度が乗った気がした。
「あなたは、どちら側に立つのですか」
王家か。
魔族か。
理か。
融合か。
答えは出ない。
ただ、六色がほんのわずかに触れ合いかける。
その瞬間、封印が強く脈打ち、無理やり押し戻された。
王子が低く告げる。
「混ぜるな。今はまだだ」
鉄扉が閉まる。
足音が遠ざかる。
再び静寂。
だが僕の中では、何かが確実に動き始めていた。
恐れと、好奇心と、わずかな期待。
セレスティアは監視者だ。
だが同時に、僕の力を否定しなかった最初の存在でもあった。
地下牢の天井を見上げる。
六色が、ほんの少しだけ、以前よりも近づいている気がした。




