第十話 「欠けたまま燃えろ」
エド視点
ヴァルディス伯爵家の大広間は、いつもより静かだった。
天井の高い空間に灯された魔導灯が淡く揺れ、床に長い影を落とす。中央の長机の上に、ひとつの義手が置かれていた。
黒鉄と白銀で作られた精巧な魔導義手。関節ごとに魔力回路が走り、掌には火属性の補助増幅陣が刻まれている。王都魔導工房が急造した最高級品。失われた右腕を「補う」ための装置。
エドはそれを見つめていた。
包帯の巻かれた右肩が、まだ鈍く痛む。疼きはもう慣れ始めている。痛みがあることが、逆に現実を確かにしている。
父、グレゴリウス・ヴァルディスは数歩離れた位置に立っていた。鎧ではないが、立ち姿は戦場のそれだ。視線は冷たい。だがその奥に、焦りのような影がある。
「装着すれば、日常生活に支障はない」
低く、揺れない声。
「王立騎士学院にも再訓練すれば復帰可能だ。片腕でも戦う者はいる。だが補助は必要だ」
合理的な提案。正しい判断。
エドは義手に触れない。
「……いらない」
静かな声だった。
母が小さく息を呑む。
父の視線が鋭くなる。
「何だと」
エドは顔を上げる。瞳に迷いはない。
「補助はいらない」
義手を左手で持ち上げる。重い。冷たい。だが完成度は高い。
「これは“足りないものを埋める”ための腕だ」
義手を机に戻す。金属音が大広間に響く。
「僕は、足りないままでいい」
空気が張る。
「強がりだ」
父の声が低く落ちる。
「強がりじゃない」
エドの喉は震えない。
「僕は騎士志望だった。両腕で剣を握る未来を疑わなかった」
一瞬だけ、喉が詰まる。
「でももう違う」
右肩に触れる。
「僕は欠けた」
その言葉は淡々としているが、重い。
「だから、違う強さを掴む」
父の眉がわずかに動く。
「炎を、完全に操る」
大広間の灯りが、ほんのわずかに揺れる。
「炎で腕を作る」
母が目を見開く。
父は一歩前に出る。
「幻想だ」
「違う」
エドの左手に、火が灯る。
低級火球。だが色が濃い。揺らぎが少ない。
「兄上は混ぜた」
父の目が鋭くなる。
「理を歪めた」
「そしてお前の腕は失われた」
エドは首を振る。
「兄上は守った」
父の拳が強く握られる。
「守った結果がこれだ」
エドは一歩踏み出す。
「守るって何だよ」
その問いは静かだった。
「地下に閉じ込めることか」
母が小さく「エド」と呼ぶ。
だが止まらない。
「兄上は恐れてる。自分の力を」
父の目が揺れる。
「父上は何を恐れてる」
その一言で、空気が変わった。
父の表情が硬くなる。
「強さとは、制御だ」
父の声は鋼のようだ。
「力を暴れさせないことだ」
「違う」
エドは即座に言う。
「強さは、立ち続けることだ」
左手の炎がわずかに大きくなる。
「失っても、進むことだ」
父は距離を詰める。
「感情論だ」
「違う」
エドは炎を圧縮する。
色が変わる。赤から白橙へ。
炎が伸びる。
指の形を模すように、五本に分かれる。
未完成で、揺らぎ、すぐ崩れかける。
だが確かに「腕」の輪郭を描いた。
母が震える声を漏らす。
父の瞳が細くなる。
「暴走する」
「しない」
エドは炎を消す。呼吸が荒い。額に汗が浮く。
「兄上は衝動で混ぜた」
「僕は計算する」
父の声が落ちる。
「十三だぞ」
「だから決める」
迷いのない言葉。
「僕は旅に出る」
大広間の空気が凍りつく。
「強い者のいる場所へ」
「魔国境でも、学院でもない。もっと先へ」
母が涙を浮かべる。
「エド、やめて」
父の声が雷のように落ちる。
「許さん」
エドは怯まない。
「許しはいらない」
その瞬間、父の拳がエドの頬を打った。
乾いた音。
身体が揺れる。
だが倒れない。
左足で踏みとどまる。
視線は逸らさない。
「それでも行く」
父の声が震える。
「片腕で何ができる」
エドは静かに答える。
「炎は欠けない」
その言葉は、宣言だった。
「腕はなくても、火はある」
「火は、僕の中にある」
父の呼吸が乱れる。
初めてだ。
父が言葉を失う。
エドは続ける。
「兄上は恐れと戦ってる」
「僕は強さと戦う」
「対等にならなきゃ、隣に立てない」
静寂。
大広間の灯りが揺れる。
エドの左手に再び炎が灯る。
今度は形を作らない。
ただ、密度を上げる。
空気が歪む。
未熟だが、確実に強くなっている。
父はその炎を見つめる。
そこに、自分と同じものを見る。
強さを求める目。
だが方向が違う。
父は低く言う。
「……旅に出るなら、命の保証はない」
「保証はいらない」
エドは背を向ける。
義手は机に置いたまま。
補助はいらない。
欠けたまま進む。
炎はまだ腕にならない。
だが、決意はすでに形を持っている。
そして父は初めて理解する。
この少年は止まらない。
止めれば、壊れる。
止めなければ、遠くへ行く。
そのどちらも、怖いのだと。




