8話:最初の1mm
せっかく手に入れた力、どうにかして使いたい。
そう考えて試行錯誤を繰り返す蒼。
ノートに書き込み、スマホで録画。
さっきは走りながら転移してみてダメだったから、次は転移範囲を弄ってみる。
転移は体の周りの衣服も一緒に転移できる。ちょっと頑張れば周りの荷物も一緒に。
海外の冒険者のエディなんとかさんが言ってた。
その範囲をめちゃめちゃ広げたらどうなるのか。
カメラの前に立ち、転移をしてみる。
何回も転移を使おうとして疲れ気味の蒼。ポーズを構えたり掛け声を出したりする余裕はなくなってしまったので、自然体での転移だ。
「あべしッ」
蒼はバランスを崩し、顔から地面に倒れ込む。
しかしその顔は満面の笑み。
「成功した! 今絶対に転移した!」
蒼はカメラに向かってガッツポーズ。
充電が切れていることには気付いていないようだ。
スマホが録画を続けていると思っている蒼は、再びカメラの前に立ち、確かめるように転移を発動。
1mm前に移動して転移成功を喜ぶものの、重心が崩れて後ろに倒れる。
地面で頭を打った蒼は、後頭部を押さえて転がり回る。
口元には笑み。
待ち望んでいた転移能力を手に入れた蒼は、笑顔がこぼれるのを止めらない。傍から見るとちょっと怖い。
それから蒼は何度も転移を繰り返した。
1mm転移したら5mm転移してみる。
問題なく転移できたので次は10mm転移してみる。
転移する距離が延びるほど制御が難しい。
蒼は1mmの転移を何回も繰り返して遊んだ。
ほんの少し、本当に少しの移動だけれど、バランスを崩してしまう。
転ぶたびに擦り傷が増えていく。
しかしそれでも蒼はやめない。
楽しい。
たった1mm。10回繰り返しても1cm。
わざわざ転移を使うよりも走った方が速い。しかし、走るよりも楽しい。
ダンジョンが存在しなければ感じることのなかった、未知の感覚が癖になる。
今自分はファンタジーの真っ只中にいるんだと、そう思える。
§
一通り転移で遊び終わったので、ノートにメモメモ。
できる研究者は、常に考えをノートに書き記すものなのだ!
脳内の天才研究者蒼がキリリとした顔でそう述べる。
さっきまで頭を打って地面を転がったりしていた人間の思考だとは思えない。
夢中になって遊んでいたのは無かったことになったらしい。
『転移する範囲を大きくすると、転移が発動するようになる』
この文章で最後。ノートを開いて左上から右下まで文字で埋め尽くし終わった。
実験の様子や観察して思ったことをびっしりと書いた。びっしりと書き過ぎて読みにくいくらいだ。本人は達成感で満足そう。
なぜ発動するようになったのか、その考察をノートに書こうとして、ペンが止まる。
ノートに書くスペースがない! せっかくいい感じに見開きで書いているのに、最後の最後で三ページ目に突入するのはちょっと嫌だ。蒼はそう思った。
余白が狭すぎる。そう書こうとも思ったけれど、それで困るのはノートを見返したときの自分だ。
諦めて三ページ目に突入した。
真っ白なページに、さて考察を書こうとして、ペンが止まる。
感覚的には理解しているけれど、上手く言葉にできない! ゴチャゴチャと無駄に言葉を並べそうになってしまう。蒼はそう思った。
余白が狭すぎる。そう書こうとも思ったけれど――いや書いてしまったけれど、そこから下には白紙が広がっている。
流石に無理があるだろと思い直して、線で消した。
それに、今適当なことをして困るのは後でノートを見た時の自分なので、もっと真面目に考えることにした。
転移範囲を自分の体ギリギリに指定して転移をすると、転移元の判定時に転移先の前側が、転移先の判定時に転移元の後側が引っかかる。
転移範囲を自分の前後に広げてやれば、転移元と転移先の両方の範囲に体が収まる形になる。
鞄を除く服だけ範囲に入れて転移しようとしてみたり、鞄も一緒に転移してみようとしてみたりと、範囲を弄る練習をしておいて良かった。どれも発動はしなかったけれど。
能力の分析とか考察とか、そういうのを考えたり書き込んだりしていたら疲れてきちゃった。
ダンジョンに入ってからそれなりに時間も経っているし、お腹も空いてきた。そろそろ家に帰ろうかな。
帰るために荷物を鞄に入れる蒼。
本人はデキる冒険者仕草で片付けているつもりだが、ノートを無理やり押し込んでいる時点でデキる冒険者から大きく離れている。
忘れずに、録画していたスマホの回収に向かう。
うわ、スマホの充電切れてる。
鞄の中の充電器を探るが見当たらない。そういえば家に置いてきた。
無理やりノートを入れるために、鞄の中身を家に置いてきたのが裏目に出た形。
遅くなると家族を心配させるからと、スマホも無理やり押し込んで、無理やり鞄を閉じる。
§
受付嬢のお姉さんに帰還しましたよ、と挨拶をして組合の建物から出る。
沈んでいく夕日が美しく、祝福してくれているように感じる。
転移能力も手に入れることができたし、スキップしたい気分だ。
蒼はコンビニを見つける。
見つけると言っても、いつも通っている道のひとつで、コンビニ自体もいつも見ているものだ。しかし、いつもと違ってコンビニが蒼に訴えかけて来ているかのように思えた。
コンビニのにっこり笑顔のロゴマークが、口を動かして蒼を誘う。
『うちで買い物していきなよぉ。うちのホットスナック買っていきなよぅ。美味しいよぉ』
怖い。純粋に怖い。
蒼はコンビニの方に誘われていく。
まあ、コンビニのロゴマークが喋ったのはただの蒼の幻覚幻聴なので良しとして、先日見た夢のせいで蒼はホットスナックの買い食いがしたかった。なんなら普通にお腹が空いているのでアメリカンドッグでも食べたかった。
ダンジョンで体を動かして頭を使ったことを免罪符にして、夕食前に買い食い。今、蒼はその罪悪感に惹かれている。
船員がセイレーンに魅了され海に身を投げるように、蒼はホットスナックの魔力に魅了されコンビニに入店した。
「いらっしゃいませ」
滅多にひとりで店に入ることのない蒼は、店員の声にびっくりしてしまう。
入り口付近で急に立ち止まった蒼を不思議そうな目で見た店員だったが、すぐに自分の仕事に戻っていった。
視線が自分から外れたことを確認して動き出す蒼。
緊張感で手足が震える。
震えを力ずくで抑えて、顔に微笑を浮かべる。
人生、笑顔を浮かべていれば何とかなるとは母親の言。
やってみせる。
人生舐めすぎお母さん、その言葉を信じ覚悟を決める蒼。
とてもコンビニで買い物をしようとする人の思考ではない。
そんな蒼の目的はアメリカンドッグ。
人差し指を立ててアメリカンドッグを指す、さらに追加で指を立てて注文。鞄から財布を、財布からお金を出してミッションコンプリート。
ドキドキしつつ脳内シミュレーションを終える。購入のためのシミュレーションだ。
目の前のお客さんが会計を終えて出ていく。
いよいよ自分の番。
シミュレーション終了と共に一歩前に出る。
蒼の動きが止まる。
指を指そうとホットスナックの入っているケースの中身を見ると、なんと中にはアメリカンドッグが1つしかないじゃないか。
しかもよく考えたら財布は家に置いてきている。
脳内では慌てている蒼だが、周りから見ている限り違和感はない。ただの笑顔の少女だ。
大丈夫、大丈夫、まだ馬鹿は晒してない。周りから見たらただの美少女。そう自身を落ち着かせる蒼。
そのままレジ前を素通りして、何食わない顔でコンビニから出る。
祝福してくれている夕日が、蒼を慰めるかのように沈んでいく。
天にも「今日はやめておきなさい」と言われたような気がして、肩を落としてトボトボと帰路についた。
コンビニに入り、何も買わずに出てきた姉の姿を、弟の翠が見ていた。




