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イフ記  作者: 泉海
5/7

第5話

    1


「維歩君、ちょっと寄って行かない?」

 そう言って怜奈さんは、僕の右の手を握り、微笑む。いつも明るいその様子が、僕を癒してくれたし、それに、憧れも抱いていた。僕はこうなりたいのかもしれないとさえ思った。

 怜奈さんが止まったのは、洋服屋の前だった。本当にショッピングが好きなようだ。でも僕のために何か選ぼうとしてるんじゃないかと思って、気を遣わせないよう遠慮したかった。

 そんな僕を、彼女は後ろに回って後押しする。後押しといっても、半ば強引に押しているけれど。僕みたいな人見知りは、このくらいしてもらわないと動けないんだ。

 肩に触れる両手から、優しい温もりが伝わってくる。彼女のテンションが、僕のネガティブを打ち消していく。慣れない不安も、臆病な心も、みんな包み込んでいく。彼女が僕を変えてくれる。僕に踏み出す勇気をくれる。感謝しきれないほどに。僕には、返せるものなんてないのに。

 その両手に運ばれて、建物の中へ入る。小洒落たお店だった。店の雰囲気に直ぐにたじろいでしまうけど、怜奈さんと一緒なら逃げずにいられた。ただ、逃げなかっただけで、居づらいことに変わりはなかったけど。迷惑だと思うけど、怜奈さんにずっと付いて回っていた。

 怜奈さんはというと、周りを見渡して品定めをしている様子だった。マネキンの服装に目をくれたり、並んだハンガーを一つ一つ手にとって吟味する。どれもお店の並べた商品なのだから、良し悪しなんてないと思うけど。勿論、傷んだり解れたりしている場合は除いて。

「うーん…。うーん…」

 何十回と見比べては、唸り声を漏らす。いまいちぱっとしないと言いたげに。自分に合う、合わないを理解しているのだろうか。そんなのは、人によって意見が異なるだろうに。

「維歩君さぁ、何か欲しい物ないの?」

 再び訊かれる。この状況だと、服装に関係した話ということになる。僕がファッションに知識がないのは、既に分かっていると思うけど。

「ないね、これといって。必要ならもう買ってあるだろうし」

 だから怜奈さんがわざわざ気を回すことでもない。僕の保護者じゃないんだから。

「んー。維歩君、帽子被らないよね」

「被らないね。学校じゃ要らないし」

「うー」

 自分の買い物を切り上げて、僕のを考え出したようだ。めぼしい品はなかったよう。それでいて、手ぶらで帰るのも嫌な様子。なければないでいいのに、満足ができないのだろう。

 Tシャツ、上着のコーナーを脱して、防寒具がちらつきだす。帽子や靴下、手袋など。

「これ好いんじゃない?」

 そう言って彼女は止まる。視線の先にあったのはマフラーだった。まあ、有っても困らない物だ。僕の中の彼も、米酢さんのように緩くマフラーをしていた。空想に現実を寄せていくのは、別に嫌なことじゃない。

「何色が好い?」

「地味なのでいいよ。黒とか、茶色とか」

「んー、茶色ねぇ。髪と同じ色かぁ。確かにイメージカラーかもしれないけど、被っちゃうとねぇ」

 商品を手に取る。本気で買う気なのだろうか。

「同系色で攻めるか、コントラストに行くか、どっちが好い?」

 二つの物を手に乗せ、決断を迫る。赤がベースのチェック柄、それと緑がかった青の物。こっちには柄がなく、色の濃淡やグラデーションがえもいわれないデザインとなっている。

「派手じゃない?」

「いいのよ。服が地味なんだからワンポイントになって丁度好いって」

 ファッションに気を遣ってのチョイス。僕にはどちらがいいかなんて分からない。だから好みで選ぶよう勧められている。

「私はねぇ、赤が好いと思うなぁ。でも維歩君、そう言うと赤にするでしょう?」

 うっ…図星。あくまでも僕の意思で選ばせたいらしい。

 空想の彼はというと、水色に近いマフラーをしている。これよりも明るくて、生地も薄い感じ。白いコートに合わせて、爽やかな雰囲気を出す。

 でも、実際に着ることを考えてみる。買ってもらって使わないんじゃ失礼だから。マフラーは寒くて使うのだ。勿論上着も着るだろう。つまり爽やかさとは無縁で、重々しい方が合っている。二つの色の明るさは同じくらいだから、あまり違ってこない。なら何で分けるかを考えると、どちらの方が暖かそうかという、実用性の話に落ち着いた。

「僕も、赤かなぁ」

「そう? じゃあ決まりね」

 早々とレジに向かう怜奈さん。僕も慌てて付いていく。今度こそ満足している様子だった。買い物は、用事を終えるためではなく、満足を得るためにしているようだった。そんな生活で、お金に困らなくならないか心配になった。

 タグのバーコードを読みとって、値段が表示される。それなりの額だった。申し訳ない気持ちになったけど、隣の怜奈さんはそんなことお構いなしににこやかにしていた。霊媒師って、結構稼げるのだろうか。やっぱり危険なのだろうか。不安になってくる。

 お店を出ると直ぐに、首に巻いてくれた。首もとが暖かかった。でも少し、肩が重く感じられる。まだ僕には、似合わないのかもしれない。

「じゃあ、行きますか」

 振り返って、夜道を進んで行く。髪を靡かせ、手を後ろに組んで。足取りは軽く、気分は良さそう。不安や緊張などは感じない。慣れているといえばそれまでだけど。

 行き先は知らない。ただただ歩いていく。徒歩で向かう距離だから、そう遠くではないのだろう。そういえば怜奈さんは、運転はしないのだろうか。そんな疑問が浮かんだが、わざわざ質問することでもないと思って、口に出さなかった。

 五分ほど歩いて、公園に出た。僕が通っている所とは別の場所だ。遊具はあまりなかったが、大人も走り回れるほどの広さがあった。怜奈さんは蛍光灯の側にあったベンチに座って、僕を見る。

「じゃあ維歩君、暫くお願いね」

「えっ」

 そう言って目を瞑り、項垂れる。突然のことにビックリしたが、どうやら意識が抜けているよう。ということは、ここら辺に幽霊が居るのだろうか。全然見えないし、何も感じない。でも怜奈さんには、霊感があるというから分かるのかもしれない。

 一人で居るのに、こんな無防備でいいのだろうか。倒れているにも等しいこの状態。お願いねと言われても、僕は何をしたらいいんだろう。脱け殻の体を見つめても、答えは返ってこない。

 とりあえず僕は、隣に座ることにする。横を見れば、空っぽな彼女。前屈みになった上体を起こして、楽にさせる。彼女に触れるのは少し抵抗があったけど、落ちないようにさせなくてはと思った。背中と肩が背もたれにつくように、優しく持ち上げた。

 ぼんやりと、前を見つめる。街灯に照らされた地面。表面は砂で覆われている。その先にある木々。黒い陰で朧気に立つ。上空には雲の隙間から、白い光が射し込んでいる。

 風が吹く。指先が悴む。それから、無音の間がやって来る。僕はじっと、静寂に浸っていた。こんな時間も、たまには好いなと思う。彼が居なくても、充分なくらい、僕は幸せだ。そう感じる。

 体が崩れ、僕に寄りかかってくる。いつもの背中越しとは違い、肩に顔が乗っている。それと、髪の毛からいい匂いがする。心が落ち着くような、そんな香り。彼女はまだ眠っている。暫くは、このままでいてもいいかな。僕も少しは、人に頼られたい。

 目を覚ましたのは、それから十分ほど経った頃だった。ふと目を開き、ゆっくりと肩から顔が離されていく。まだ意識は朦朧としているかもしれない。何が起きたのか、僕には全く分からない話だった。

「大丈夫?」

 静かな声で訊いてみる。特に異常はなさそうだった。

「何があったの?」

 調子が戻るのを待って尋ねる。僕には何も映らなかった。何も聞こえなかった。何事もないまま、お仕事が終わった。何が危険なのか。僕はただ、側に居るだけだったから分からない。

「うんとね、子どもたちが、泣いてたの。最近物騒だから、ね。被害に遭ったみたい」

 後半は言葉を濁した。言いにくいことだから。それに僕が、まだ幼いからだろうか。

「だから維歩君も、気を付けなきゃ駄目だよ」

 目尻に皺が寄る。悲しんでいるのだろう。考えてみれば、幽霊はみんな亡くなっているのだ。霊媒師はきっと、弔うのが役目なのだ。それも、世間から忘れられた者たちを。悲しみを引き受けるのは、どんな気持ちなのだろう。

「どうだった? 何か、見えたりした?」

「全然。僕には何も分からなかったよ」

「そう、良かった」

 良かった。何が良かったのだろう。何も出来なかったのに。苦しみを共有することなど、僕には出来ないのに。

 そんな僕を気にしてか、怜奈さんが言う。

「維歩君、君は誰かの為に生きる必要なんてないんだよ。君の人生なんだから。でも、だからこそ人の為に行動することが善いことなの」

 その言葉は、僕には難しかった。

「君は社会の一部じゃないの。だから君は、この社会を利用して、自分のやりたいことを見つけなさい」

 聞いていて、何だか僕も悲しくなってくる。あの時呟いていたように、教師の方が向いていると思った。この仕事を続けているのは、他に代わりがいないからなのか。それとも、これが怜奈さんのやりたいことなのか。

「辛くなったり、しないの?」

「するよ。いつもね。でもこれが、私の役目だから」

「そんなの、悲しくないの?」

「悲しいよ。でも、悲しくない。本当に悲しんでる人を前にして、私が特別だなんて思わないから。見えてないだけで、この世界には数えきれないほどの不幸がある。理不尽がある」

 ゆっくりとベンチから立ち上がる。彼女は笑顔を作って、それを僕に振りかざす。無理に笑っているのは明らかなのに、それでも僕を励まそうとしている。その役目は僕が背負うべきものなのに。悲しいのは彼女の方なのに。

「維歩君、幸せを噛み締めなさい」

 その顔が、僕の心に大きな穴を穿った。


    2


 年が明けた。あれからというもの、怜奈さんと何度か仕事に回った。父さんの言うような危ないことは、特に起こらなかった。何も起こらず、ただ、回る度に自分の無力感に苛まれた。

 連続殺人の報道があった。被害者の身元は不明、死亡時刻は先月二十二日の午前だということだ。その他にも複数の殺人が浮上し、番組では模倣犯を疑っている。どこまでが同一の犯行か、元々の共通点がない分、判別がつけがたくなっている。

 正月になって、親戚が集まる。母さんの親戚だ。毎年家に来ることになっている。僕は適当に挨拶して、それからお年玉を貰う。中身は三千円ほどだろう。袋の上からでも、握った感触で厚みが分かるのだ。一日目は、そんな感じだった。

 二日目。父さんの知り合いが何人か家を訪ねる。勿論、僕への小袋を携えて。これが子どもの特権なのだ。年に一度の収穫日なのだ。

「おい、聞いたぜ無減。お前、家族に能力ばらしたんだって?」

「ばらしたって、お前なぁ。人聞きの悪い風に言うなよな。もうあいつらも上がり込んできて、潮時だったんだよ」

 そうに言い返す父さん。例の瀧澤さんは、この日の午後に家に上がった。イライラを隠しきれない父さんは、我慢が達したのか、ひっきりなしに笑い始めていた。どうやら壊れてしまったよう。ただ僕は、生まれて初めて一万円札を手に入れて、とても嬉しかった。

「それで、何て教えたんだ?」

「熱エネルギーの生成と変換」

「へぇ、教育的だな」

 勝手に納得するお客さん。どこまでということは、他にも何かできるのだろうか。というか、お客さんも何かできるのか。そう訊くと、お客さんは自慢げに披露してみせる。

 始めに、腕を捲った。筋肉質の太い腕だ。それから手を握り、力を込める。すると皮膚がバキバキという音をたて、荒い岩盤のように変形する。読んだことはないけど、アメリカの漫画に出てくるヒーローのようだなと感じた。味方の盾になるような、そんなサポートキャラ。あるいは、銃撃の中を突き進んで敵をなぎ倒す切り込み役。どちらも、頑丈さが取り柄の役柄だ。

 その後何人かにも魔法を見せてもらった。便利と思うものはあったけど、それまでだった。何か特別になれるようなものでもないらしい。それなのに監視のもとで暮らしているのは、お偉いさんがびくびくしているからだろうか。自分たちにできないことが、恐れる対象なのか。

 三日目。三ヶ日も最終日だ。例年、この日は特に出来事がなく、だらだらと過ごしていた。今年はいつもより用事があったせいか、宿題もたまりがち。正月休みの陰に、現実がちらつく。

 不意にベルが鳴る。父さんが迎える。三日目に来るのは誰だろう。そう思っていたら、その人は直ぐに上がってきた。

 正体は米酢さんだった。相変わらずの我が物顔。常連のお客さんが飲食店に入って来るような、そんな振る舞い。

「おうベイス、今日はどうした」

「どうしたって、別に用なんかないよ。年明けは顔を見せるものだろ」

 お茶と菓子類が運ばれる。米酢さんは珍しく、飲み物ではなく煎餅の方に手を出した。塩味の薄いやつだ。

「いやー、久し振りだなぁ。俺、煎餅好きだったんだよ。このしょっぱさがなぁ。いいよなぁ」

 一人で勝手に呟く。そういえば日本に来たのは最近なんだっけ。

「今までどこに居たの?」

「国外」

 漠然な回答。それよりも食べるのを優先したいみたいだ。どうせなら醤油の方が日本らしさがあると思うけど、多分個人の好みなのだろう。

「ベイス、どうだ、慣れてきたか? お前今、何してるんだ?」

「まあ、慣れてきたのかな。もともとこっちで育ったわけだけど、やっぱ不便さは感じるな。その分物価が安いのは驚きだけど」

「お前、生活出来てるわけ? お前みたいなのは社会に馴染めないだろうなって思ってたが」

「おいおい、日本人なめんな。ペコペコしてりゃ生きていけんだよ」

「でもお前、できないじゃん」

 …何だ、この会話。ただ、お互いが言いたいことを勝手に言ってるだけ。噛み合っているようで、噛み合っていない。会話に中身がない。

「…ひねくれ者」

 ボソッと、呟いた。視線が僕に向けられ、ドキッとする。何だよ。無意識に出てしまったのだから、仕方ないじゃないか。

「…ところで米酢さん、お年玉」

 何か言われる前に、僕が切り出す。父さん以外は面識がないのだから、こっちは居づらくて仕方ないんだ。今なら怜奈さんの気持ちが分かる。

「お年玉ぁ? おいおい、テクト。話してないのか? 俺はついこの間まで無一文だったんだぜ。恵んでほしいのはこっちの方だってのに」

「お金、ないの?」

「ないよ。いや、有る。奴らから月給貰ってるから。俺も貧しくてな。お小遣いを貰う立場なのさ」

 何だかな。みっともない人だ。でも、それでも生きていられるのか。このふてぶてしさでいられるのか。

 世の中は、どうやら広いらしい。

「じゃあお金はいいよ。その代わり、何か教えてよ」

「何かってなぁ。その訊き方は無責任だろ。もっと絞らないと困る」

「えぇ…。じゃあ、面白いこと」

「面白いことねぇ。面白いって何だろうな。人間、顎に肘をつけられないっていうけど、これ面白い?」

「うーん。あんまり」

「だよな。何も思いつかん」

「ダメダメじゃん」

「…お前、案外毒舌なんだな」

 毒舌って何だろう。

「まあでも、半年すりゃデカい金が入るから、その時に何倍でも出してやるよ」

「別にお金は要らないよ。買う物もないし」

「じゃあお年玉の話はチャラってことで」

 お茶に口をつける米酢さん。熱かったみたいで、テンションがガクッと下がる。相当に嫌そうな顔だ。

「そういえば米酢さん。幸せって何だと思う?」

「何だ、急に。お前、家ではこんなに喋るのか? シャイボーイの君はどこに行ったんだか」

 そう言われると、確かにいつになく話しかけているように思う。なぜだろう。怜奈さんとの社会勉強の成果だろうか。それとも、米酢さんが相手であることに理由があるのか。

「そんなのテクトに訊きゃいいだろ。親子なんだから」

 また父さんをテクトと呼ぶ。その呼び名に意味はあるのか。

「父さんは米酢さんに訊いてみなって」

「どうして俺なんだ。そういうのは幸せな奴に訊けばいいじゃないか」

「逆だよ。不幸な奴に訊くからこそ、幸せという言葉に何を求めているか分かるだろ?」

「まあ、一理ある。でも不幸ってのは、あくまで打ち消しだぜ。反対語じゃなくて、捕集合。解らないまま生きてる奴だって居るだろ」

 父さんを言いくるめる。言葉で打ち負かされるのを初めて見た。やっぱりひねくれ者は、口は上手いのだろうか。

「…お前、俺を変人扱いしてるだろ」

 どうして分かったのだろう。顔に出ていたのか。もしかして、相手の心を読む魔法か。

「米酢さんも、魔法が使えるの?」

「魔法? ああ、テクトのあれか。無理だよ。俺は普通の人間だし、遺伝子変異もないから」

「じゃあどうして分かったの?」

「お前、今自分で白状したぞ。人を変人扱いしやがって、排他的な野郎だ。島国の日本人の悪い癖が出てるな」

「でも米酢さんも日本人でしょ」

「育った環境が違うからセーフだ」

 何がセーフなのか。排他的という奴か。だったら米酢さんも自分で認めたということだろうか。

「別に解ったわけじゃない。推測だよ」

「勘てこと?」

「好きなように呼べ」

 ひねくれる米酢さん。僕がこう感じたのと、同じことだろうか。

「まあ俺が使えるというわけではないが、弄られてるからな」

 そう言って、腕を伸ばす。最近見た能力は、どうも腕にまつわることが多いなと感じる。人が何かするのに、手が身近だからだろうか。そう進化しているのか。

 手を開く。自然とそこに目がいく。すると掌の辺りから、不意に百円玉が飛び出る。出てきた瞬間は、よく見えなかった。

「やるよ。小遣いだ」

 からかうように、僕を見る。さっき要らないと言ったばかりなのに。思ったよりも子どもなのか。つまらないことに頭を回して。

「どうせマジックでしょ。上着の裾から飛ばしたとか」

「まあどう思ってもらっても構わないが、これは俺とテクトしか出来ないから、見たくなったら親父に見せてもらうんだな」

「それって魔法なの?」

「魔法だよ。突き詰めると科学だがな。俺の能力ってわけじゃなくて、昔の友人が掌に魔法をかけて、それがそのまま残ってるだけ」

 手の内側に向かって別のレイヤー層が広がっているとか何とか。広さは一立法メートルほど。手の表面が出入口になっているから、何でも入れられるわけじゃないし、中身も確認できないそうだ。だから、飲食物はどうなるか分かったもんじゃないと、持ち歩くのは護身用の腐らない物に限っているとか。

 思ったより便利じゃない、というのが聞いた感想。正直言ってしまえば、よく分からない話だった。何かを隠して持ち歩ける。そういうことだろうか。

「魔法と呼べるものがあるとすれば、俺にはこれぐらいだ。あとは未来の科学と、培った技術だけだ」

 父さんは、前々から米酢さんは普通だと言っている。こっち側だとか何とか。二人の過去は知らないけれど、こんなにもひねくれて育つぐらい、酷い人生だったのだろうとは感じられる。不幸という面に、僕は同情する。

「勝手に可哀想な奴だと決めつけるな。失礼だぞ」

 失礼なのは米酢さんの言動なのだが、まあ多めに見てあげよう。なぜか上から考えてしまうが、それはきっと米酢さんが子どもっぽいからだろう。わがままを許すのも大事なことだと、こうして教えてくれているんだ。ありがたいね。

「それでさ、戻ってくるけど」

 僕もお茶に口をつける。熱かったけど、たいして驚くほどでもなかった。これが一般的な温度だとは思う。

「幸せって、何?」

「訊くまでもないだろ。心の状態だよ」

 今度は真面目に応えているよう。やれやれ、大分脱線したけど、ようやく戻れてこれたみたいだ。訊きたいことがある時は二周するよう覚えておこう。

「どうしたらなれるの?」

「そんなの、割り切るしかないだろ。俺は幸せなんだって」

「幸せってどんな状態?」

「そんなのも分からないで、なりたいとかほざいているのか。まあ、俺は満足のようなものと捉えている。金持ちだったり、家族が居たりして、心が飽きることだよ。勿論、この例だからって幸せになれない奴もいるし、逆に何もなくても幸せを感じる奴もいる」

「飽きると幸せなの? 飽きっぽくてつまらないと思う人もいるんじゃないの?」

「飽きるって言っても、嫌になるって意味じゃなくて、充分だって思うことだよ。充分だから飽きるの。放り投げるんじゃなく」

 ここまでの説明を聞いて、僕にはよく理解できなかった。解ったことは、幸せが満足に似た状態だということだ。満ち足りた生活、それこそが幸せなのだろうか。

 そんな僕の様子を察したのか、米酢さんは言う。

「まあ、理屈で解るものでもないだろう。次は幸せな奴に訊け。体験談を聞くのが一番だろうさ。まあ、それが自分に当てはまるのかは分からないものだが」


    3


 だらだらと過ぎて、日も落ちた。三ヶ日ももう終わりか。残り数日で宿題を終わらせなければならない。

 焦る気持ちがある一方で、手をつけようとしない自分がいる。人間そんなものだ。追い詰められないと、自分を言い聞かせることができない。

 米酢さんは、まだ家に居る。お菓子をつまんだり、ふと話を見つけたりして、何だかんだで長い時間になっていた。ひねくれてはいるが、おかしな人ではなさそう。思春期に抱くような厭世的な見方が続いているだけだと、父さんは言う。父さんが言うのだから、その通りなのだろう。

「米酢さんて、なりたい自分ってある?」

 最近の悩みを投げてみる。といっても、人に訊くのは初めてのことだ。

「ないよ。分かってると思うが、俺は自分の好きなように生きてるからな。なりたい自分があるとすりゃ、弄られる前の俺に戻してもらいたいよ」

「便利でいいんじゃないの?」

「お前には俺の気持ちは分からないよ」

 急に突き放した言い方になる。いや、言葉遣いが乱暴なだけか。

 でも確かに、人の心を知る方法はない。僕は他人じゃないから。それでも、分かり合えないのは悲しい。孤独はいいものじゃないと感じる。

「じゃあ、やりたいことは?」

「それは人生を通してってことか? それとも目先の話?」

「人生で。自分が本当に求めてること」

「本当って言葉は好きじゃないんだがなぁ」

 頭を掻きながら視線をずらし、考えている様子。どことなく彼と同じ雰囲気をかもし出す。不真面目な緩い態度からだろうか。

「まあ、夢みたいのはあった」

「へえ、米酢さんも夢があったんだ。どんなの?」

「普通のことだよ。平和な世界。平等の社会。子どもながらに誰もが抱く理想だ」

「諦めたの?」

「諦めたと言うよりは、嫌になった。熱が冷めたんだ。誰も望んでないことに後になって気付いて、求める理由がなくなったんだな。…まあ、諦めたんだよ」

「誰も、平和を望んでないの?」

「ああ。そう見えるのは、お前がまだ青いからだよ。人間というものを知ったら、綺麗事なんて嫌になるさ。偽善ていうのは、悪よりも醜く映るからな」

 何だか夢のない話だ。でも、世の中の大人たちはきっとこういう人なのだろう。僕もあと十年したら、こんな風になるのかもしれない。

「そもそもの話、この世は競争社会なんだ。それに搾取される多数派が今の先進国を回している。お前らの日常だよ。平和だの公平だのっていうのは、現実問題、邪魔なのさ。倫理的な話は置いといて」

「じゃあ、今はもう、やりたい目標はないの?」

「あるよ。人に教えるような話じゃないけどな。そういうお前はどうなんだ」

「僕?」

「こういうのは、訊いた方から答えるものなんだよ。まあ、単に人の話だけ聞くこともあるけどな」

 何度も繰り返されてきた問いが、僕の身に降りかかる。頭を巡らして考えてみるに、やっぱり周りの人を幸せにしたいというのが、僕の願いなのだと思う。僕は誰かを助けたい。質問には、そう答えた。

「へぇ。まあ、個人の自由だよな」

 その返答に込められた意味が、僕には分からない。

「どういうこと?」

「自分の命を何に使おうが、人にあれこれ言われる筋合いはないってこと。自己犠牲の精神は反吐が出るが、それが自分の為っていうのなら、咎める理由はないよな」

「自分の為じゃなくて、人の為でしょ。人助けなんだから」

「じゃあお前は、人を助けて何を得るんだ?」

「何も貰わないよ。ただ善いことをしたという実感を味わうだけ」

「それが欲しくて助けるんだろ。人を助ける不利益と、助けることによる幸福感を秤にかけて、お前は後者を選ぶだけだ。もっと言えば、そうして周りから向けられる印象を好くしたいと考えてるかもな。計画的偽善さ。そうでなくとも、善意なんて所詮、自己満足なんだから」

 米酢さんの言葉は冷たい。たとえ本質を突いていたとしても、子どもに向かって言うようなことじゃないのは確かだ。夢を全面的に否定するような、意地悪な大人だった。僕は何だか悔しくて、言い返したい気持ちだった。

「僕は、君とは違う。人を助けるのが善いことだと思ってる。たとえそれが自己満足でも、きっと社会にとって善いことだと思ってる」

 善いことが何かなんて知らない。それでも、感覚的にそう感じるのだ。誰かを救うべきだと。救われるべきだと。

「ああ。お前は俺と違うよ。誰も守ろうとしないお前とは」

 自分は余裕だと見せたいのか、視線を切って一口ぐいっと飲みほす。まあムキになるなよ。そんな心の声が伝わってくるようだ。

「俺は別に否定しているわけじゃない。ただ嫌いなだけだ。だが覚えておけよ。誰もお前に本心で話したがろうとしない。お前はまだガキだから、みんなそれに合わせて話してるのさ。なんなら親に確かめればいい。誰も対等に見てくれてないって判るからな」

 米酢さんはさらに言葉を続けた。

「思い込むのはお前の勝手だ。でも自分を見てほしいと思うなら、誰かの言葉に頼るのは止めろ。お前も、立場を気にして振る舞うなよ」

 険悪な雰囲気が立ち込む。気に留めていないのは父さんだけだった。もともとの人物像を知っているから、仕方ない。でも僕は、許せない気持ちでいっぱいだった。母さんもきっとそう。失礼なのを気にする方だから。

「じゃあ俺は帰るよ。またな、テクト」

「おう」

 玄関に迎えに行く。早く帰ってほしいものだ。この胸の苛立ちが、妙に僕を急かしてくる。一秒一秒を、深く刻んで。

母さんの顔を窺う。僕よりも苛立っているよう。機嫌は大分悪い方だ。続いて父さんの顔を覗く。悪かったなと、軽く謝る様子だった。ああ、明日から宿題漬けの日々だ。この項垂れた気持ちが覚めないものか。

 …僕は、子どもだ。それは仕方のないことだ。時間がゆっくりと解決していくことだから。

 僕は子どもだから、甘やかされている。それが悪いと言うつもりはない。みんな優しくて、僕に何かを求めてこないから。楽でいいんだ。

 ふと怜奈さんの姿が頭を過る。僕をどう見ていてくれただろう。やっぱり、子どものように扱ってくれた。僕の身を気にして、色々とお金を出してくれて、僕はそれに甘んじていた。

 もう一度、親の顔を見る。どうしたの、という表情。僕を気遣う、そんな素振り。僕は保護された人間なんだなと、実感する。

 その瞬間、何もかもが嫌になって、自分を見失った。僕はどこに居るのだろう。その目に、僕はどう写っているのか。それは果たして僕なのか。

 僕は、外から自分を探し始めた。僕とは何か。その評価を得たかったんだ。

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