第4話
六年前、ガフの部屋が開かれた。死んだ者の魂が集う場所が。人の命は生き死にと共に巡る。永遠に不滅の存在であり、次の肉体に宿るまで、そこに保管され続けるという。
その部屋が外部から、この世の内で人知れず開けられた。誰も知り得ぬ、その神秘に触れた者がいる。それが何者かは分からない。しかしながら、その者の残した傷跡が今もなお開き続けている。
1
朝起きると、珍しく父さんはいなかった。時々こういうこともあるのだ。そういう時は大体、昔の仕事の関係で、政府のお偉いさんが家を訪ねてきている。今回もきっとその類いだろう。
僕は父さんが実は凄い人なのかもしれないと思うことがある。でも父さんは、そのことを自慢げに話すことはなかった。そればかりか、話をふると大体悲しげな顔をするのだ。
偉い人というのは、必ずしも幸せではないのだろうと考えた。大きな権力を持てば、非情に徹して判断を下さなければならない場合もある。父さんの過去は、そんな人生だったのだろうと。
今日は三日ぶりに例の公園を寄った。怜奈さんと会ってからというもの、彼と話をしていないことを思い出したからだ。僕が誰かを助けるチャンス。それを持ってきたという彼は、いつも通りに滑り台の上部の手すりを掴んで立っていた。彼は仮面を被り、少し荒っぽい風に吹かれている。今日は空が灰色の雲に覆われ、日が射さず薄暗い。朝九時の外は肌寒い気温だった。
階段を登り、彼の隣へと向かう。差しのべられる手を握って、狭い柵の中に入り込んだ。そして彼と向かい合う。
「やあ、どうやら上手くいったようじゃないか」
仮面を外し、爽やかな笑みで話す。
「この調子で頑張ってくれよ」
「…次は、どうすればいいの?」
「何も。決まったことなんてないのさ。君は君のしたいようにすればいい。それが君の人生さ」
素っ気ない返答。他人行儀。自分から持って来たと言っておいて、今後のプランはないらしい。
「何か、アドバイスを貰えないかな」
「うん、そうだね。せっかく出来た繋がりだ。君の手繰り寄せた機会なんだ。だから暫くは、彼女に張り付いてみなよ。そうすればきっと、君の変わるきっかけになるだろうさ」
僕が変わる。きっとそうなのだろう。だとしても、僕はどう変わりたいのか。何を目指しているのだろうか。
「僕は…彼女に会って、自分が本当にしたいことが分からなくなってきたんだ。変わるといっても、僕はどうなりたいんだろう。本当に、助けることが目的なのかな。人と話せることが良いことなのかな」
良いこと、という抽象的な言葉。自分で自分が分かっていない証拠だ。本当に何をしたいのかも。それなのに、誰かに答えを期待しているのは何故だろう。
「何だ。考えるまでもないことじゃないか。君は一人が嫌なだけだよ。だから誰かに好まれたいのさ」
「そうなのかな」
「違うのかい?」
聞き返される。四日前、どうしたいか答えたのは僕の方だった。
「分からない。そうなのかも」
「僕はね、君のことなら何でも知ってる。だから君の本当にしたいことも分かるさ。でも、それを教えるのが君のためになるかは分からない。君は君で悩んでこそ君というものさ」
つまり自分の力で頑張れということか。あるいは、教えるのが面倒なだけかも。もしかしたら、慌てふためく僕の様子を見て笑いたいのかもしれない。
「…それはいつか分かることかな」
いつか見つけられるのなら、そう今に急いで見つける必要はあるだろうか。でも、死の間際に知っても後悔しか残らないんだ。
「さあね。きっと分かるんじゃないかな」
…投げやりな回答。彼は僕を知っている。僕の無意識な人格がそこにあるなら、それは疑わないけど。でも、彼が僕のためになるかは正直怪しいと感じる。彼が何を考えているかなんて、きっと永遠に分からないのだから。
「それはそうと、君はもっと大きな夢を持つべきだよ。少年とはみんなそういうものさ」
「僕は…身の回りの幸せさえ叶えばそれでいいんだ」
「それってつまり、自分が幸せならっていうことだろう? みんなそうさ。願いなんて利己的なものだよ。だからもっと欲張ってもいいのさ」
「違うよ。僕が幸せならいいってことじゃない。僕の親しい人、大切な人が、元気に暮らしていてほしいんだ。今は、願うのはただそれだけだ」
「ふーん。まあいいや。でも忘れないでくれよ、君が願えば、どんな夢も叶うんだからね」
それって世の大人たちが子どもに夢を見させる決まり文句だよね。そう言い返したけど、言い終わる前に彼は既に消えていた。まったく、逃げ足だけは速いのだ。
寂しい風に吹かれて、一人残って思考を巡らせた。彼の言葉を整理して、暫く頭を冷ましてから家へ帰った。
2
「よお無減、久しぶりだな」
黒いスーツに身を包む男が、高級そうな黒塗りのバンを運転している。相手が近づいてきたと見えると、タイミングを見計らってドアを開け、助手席に隻腕の男を乗せた。用のある時は大抵、周辺をぶらぶらと走りながら、情報の共有を試みることになっていたからだ。
「三ヶ月ぐらいだろ。で今日の要件は何だ。監視報告でもするのか?」
機関の役人に皮肉を発する。日頃付けているのは承知してはいたが、ここ数年になって堂々と家まで出向いてくるとは思ってもみなかったことだ。家族に説明する手間も増え、自分の過去をどう話させる気でいるのか。頭の固い連中は机上で物事を考えるから嫌いだ。他人事と言えばそれまでなのだろうが。
「お前、最近彼女に会ったそうだな」
「誰のことだ」
「東雲怜奈だよ。珍しいじゃないか」
「ああ、あの子か。どこかで倒れてたのを、息子が運んできただけだ。知ってるだろうが。お前らの管理も、ずさんだってことだな」
「その息子ってのは無減維歩のことだろ? 我々には偶然かどうか判断しかねるが、まあそんなのはどうだっていい」
「なら早く本筋に入れよ。今日は昼から予定があるんだから」
何度も顔を合わせた関係だけあって、相手は嫌な顔せず軽く受け流した。無減家を扱って何年も経つ人間だ。もはや彼の性格をこの世で最も分かっていると言っても遜色ないほどだ。
「連続殺人の件だ。六年ぶりに世間を賑わせているだろ」
「ああ、最近ニュースになってたな。それが何だってんだ。俺達には関係ない話だぜ」
横目で見ると、顔を近付けて耳を貸すよう促していた。極秘な情報など聞きたくもないが。
「ここだけの話、我々は今、彼女を疑っている」
耳元で低い声が響く。その声は情報に重々しい印象を与えた。
「おいおい、何の証拠がある? 死因はバラバラ、証言もなし。彼女に接点や動機でもあるっていうのか?」
連続殺人の被害者は今のところ二人。頭が吹き飛んだ者と、刃物で切り刻まれた者だ。身元はまだ割れていない。目撃者の情報も皆無だ。それでもう犯人を特定しようという気なのか。
「勿論証拠は上がっていない。ただの憶測だ」
「それで、俺にそれを話そうとしているのは何なんだ? 厄介事に巻き込まれるのは御免被りたいのだが」
「まあ聞けよ。報告によれば、彼女の様子が最近おかしいらしい。精神的に不安定というか、人格が破綻している時があるんだとか」
「そりゃ彼女の仕事を考えたらまあ自然だろう。あんなのやってりゃぁ、俺は廃人になってるね。お前もそう思うだろ」
「それが彼女の場合、そうでもないらしい。むしろ一般とは特異なほど耐性があって、こういったことが起こるのはとても稀なんだと」
「でも稀ってことは何度かあるんだろ」
「それが六年前って話だ。機関は二重人格だか夢遊病だかを根拠に探りを入れてる」
「突拍子もない話だな。それはそうと、俺は手を引くよ。不毛な争いには巻き込まれたくないんでな」
話をシャットアウトする。そういうのは他所でしてくれないか。
視線を車窓の外に移す。遥か遠くの太陽を除いて、何もかもが高速でスライドしていく。時間に置いていかれたまま、俺はこの先もただ老いていくのだろう。振り返ってばかりの人生。今はもう、あの頃のように前を向いてはいない。
「あの事故、今も怪しいと思ってるんだろ?」
また隣から声が聞こえてくる。こっちに耳を傾けろ、関心を持てと言わんばかりに。あの事故というのは、同じく六年ほど前の話。ちょうど連続殺人が騒ぎ立てられてた頃の、身内の不幸話のことだ。
「単なる交通事故だ。彼女とは何の関係もないよ」
左腕を擦る。失くしたものを確認する為だ。その為に切り落とした左手だ。
「顔を背けていても嘘は分かる。何年お前を見ていると思ってるんだ。葬儀の時も、ずっと怪しんでたくせに」
つまり、連続殺人との関連を睨んでいるのだ。今回の事件と六年前の事件が同一人の犯行だと前提しているかのように。そうでなければ、今回と家との間に接点はないからだ。
「俺に何を期待している? 言っておくが、あの子を調べろっていうのはなしだ。あれは俺にとっても親戚の娘みたいなものだからな。お前らと違って、道具じゃないのさ」
「いや、簡単なお願いだ。彼女の着ていた衣類を回収したい。お前も知っての通り、あれは彼女の血液じゃないだろう。であれば被害者の身元を特定出来るって算段だ」
「生憎、処分させてもらった。探しても無駄だ。燃やしちまったからな。身元なら遺体で充分だろ。家を巻き込むな。そういう条件だ」
条件というのは俺が足を洗った時に決めた約束事だ。監視に応じる代わりに、家族に手を出さないこと。条件はそれだけだ。それだけが俺にとって重要だった。
「…お前、わざとだろ」
「何がだ?」
「いや、もういいよ。俺だって厄介事は勘弁だ。あー世知辛いぜ」
「話はそれだけか」
「ああ。このまま家族ごっこの幸せを守りたいっていうのなら、もう彼女には関わるな。どうせろくなことにならないからな」
一回りして家に戻ってくる。近所とも人見知りになりつつあって、違和感はそれほどない。またお偉いさんが来たと、道行く人の視線を集めるぐらいだ。
「そうそう、もう一人会ったろ。今度は男性だ」
「ああ、あいつか。奴には手を出さない方がいいぞ。俺と違って守るものがない分、たち悪いからな」
車が停まったところでドアを開け、その場を離れる。車内でまだ何か言いたそうに見つめていたが、どうせあいつとトラブルでもあったのだろう。何もかも裏切られたんだ。お前らに応じるはずなんかない。
少しは痛い目をみて、こちらの心境を加味して欲しいものだ。こんな不条理が続く世界で、孤独に生きていく者達のことを。
3
お昼頃になって、怜奈さんは来た。約束通りと言えばそれまでだが、僕としては待ち遠しかった。
インターホンが押される。家の場所を覚えていたことに感心して、ドアが開くのをわくわくして待った。隣に立つ父さんが手を伸ばし、そして開かれる。二度目の我が家はどうだろうか。
彼女の姿が映る。この前と同じ姿。変わった点は、手袋が増えたことだった。悴む指先を擦っているのを見たいと思ったが、一回り大きく膨らんだシルエットもいいなと感じた。緩さというか、親近感というか、マスコットキャラクターに求めるあれだ。
対する怜奈さんは、前回来た時と同様、おどおどした様子だった。そういえば堂々していたのは米酢さんの方だったなと思い出す。この違いは何処から来るものなのか。
「お邪魔します」
父さんの手招きで家に入る。慣れないような会釈をして、たじたじの足取りで廊下を進む。緊張なのか、謙遜なのか。僕の前だとああはならないのに。見ているこちらが心配になる。
「どうぞー、入ってー」
炬燵の上に、人数分のコップとお菓子がセッティングされている。父さんの好みの煎餅と、チョコレートと、それから小分けになったバームクーヘンの切れ端。お客さんを迎える用意は既に出来ている。
「…」
「………」
「……………」
「…………………」
そして炬燵についたところから、沈黙が続いている。僕が呼び出したこともあり、父さんも母さんも話が切り出されるのを見守っている。僕が何か言わないと、前に進まない。そんな雰囲気が、じわじわと圧を加える。押しかかってくる。何か言わないと。火蓋を切るのは僕の役目だ。
「えっと…その…」
何の考えも浮かばないまま、口を先行して動かしていく。無言の空気から逃れるように、たった数秒のその場しのぎ。発したことでかえって発言の主導権と責任、次の言葉までの時間の制約を背負うことになるのに。息をつく間もなく、次を考えなければ。思考の放棄は許されない。
「今日は、寒い天気だねぇ…」
捻り出した言葉は、前に母さんに言われたことだった。今日の天気とか、何気ない話題で友達に話しかけなさいと言っていた。面識があるなら今のように出来はする。ただ、これでいいのだろうかと疑問が浮かぶ。0が一に変わりはするが、一のままでは会話は続かないから。会話は誰かとするものだ。
「…そうですね。冬だからっていうのもありますけど、やっぱり日が出てないと気温が上がらないですよね」
怜奈さんが無難に返してくる。二人で会った時と違って、敬語だった。家族の目を気にしているのだろうか。他の家のことは知らないけど、僕の家族は比較的社交的で、話しやすい方だと思うのだけど。これが大人というものなのか。大人たちの作る社会なのだろうか。
話が続かない。母さんは盛り上がらなそうな会話につまらないぞと言いたげにお菓子を摘まみだし、一方で父さんは放心している。全く頼りにならない親達だ。正直僕も誘ったのを後悔してきた。こんなことなら、事前に流れを考えておくんだった。誘っておいて、彼女にも失礼なことをした。
人見知りな僕と、堅苦しい怜奈さん。家に居るのが悪かったのか、気まずい空気が漂う。おそらく彼女から話を振ってくることはないだろう。ならば僕が訊きにいくしかない。もともと、これは僕の為なんだ。この期に及んで、向こうからやって来るのを待つのか?
「…怜奈さんは、普段何してるの? 趣味とかはあるの?」
「普段ですか。うーん、出かけることが多いですかね。ショッピングが好きですよ。洋服を買いによく出かけます」
淡々と答える。面接をしているみたいに、訊かれたこと以外は話を足さない。僕はきっと面接官としては失格なのだが。あるいは横の二人がその役割を担っているのか。
「僕はその…ファッションとかは良く分からないから…」
喋ってるうちに結局独り言になった発言。こう言われると、向こうも反応に困ってしまう。申し訳なく思う。
「まあそうですよね。でも女の子はみんな好きですよ。お洒落したいですし、やっぱり憧れがありますし」
「そうねー。若い頃は色々お洒落したいわよね。まあ、誰かに見せたいわけでもないんだけど。可愛くなりたいのよ。自分が綺麗だと嬉しいし、楽しいし、あと会話も盛り上がるし」
「…怜奈さんは、その…可愛くなりたいの?」
「うーん。鋭いとこ突いてきますねぇ。どうなんでしょう。特段意識して買い物しているわけでもないですし、気に入ったら買うみたいな感じですからね」
つまり、理由はよく分からないのか。僕にはその空気は共有出来ないから、軽く相槌を打つ他なかった。
次の話題を探る。趣味というありきたりな引き出しを開けてしまったところで、だんだんと考えて質問しなくてはならなくなってきた。好きなことの次に普通聞かれるようなことは何だろう。反対に、嫌なことでも訊けばいいのだろうか。
「じゃあ…苦手なこととかはあるの?僕はその…ほら、話すのが苦手だけど」
「苦手なことですね。ありますよ」
「例えば?」
「維歩君と同じですよ。人との距離が図りにくいです。あとは…そうですね、よく能天気な人だと誤解されますが、私、結構真面目なんですよ。みなさん、先入観でも持っているのか、なかなか払拭してくれませんが。そうですよね、無減さん」
「ん? まあ、そうなのかな。俺が知ってる君は、結構幼かったし、無邪気に思えたけど」
「もう、昔は昔ですよ。私だって、自分の人生を歩んでるんですから。これでももう大人なんですからね」
「まあ、君はあの頃から大人びたところがあったからね。むしろ昔のままでいてくれた方が嬉しいよ」
「貴方は私のお父さんですかっ」
乗りツッコミのように返していく。マイクの横から掌が突き出してくるあの感じ。ビシッという効果音が聞こえてくるようだ。これが能天気でなくて何なのだろう。
「怜奈さんは、その…自分が好きなの? 見ていると何だか幸せそうに思えるけど」
「うー。どっち付かずかなぁ。やっぱりみんな、自分の好きな部分、嫌いな部分がありますからね。どっちが多いとか、そういう問題じゃあないです」
勿論、白黒することではないと思ってる。でも多いか少ないかの問題じゃないのなら、自分が自分をどう思ってるか、どう測るのだろう。自分への気持ちがないのだろうか。好きでも嫌いでもない。それは自分を見ているのか。僕はよく分からない。
「じゃあ、怜奈さんは、幸せなのかな」
そこで視線が外される。そっぽを向いて、それから目を閉じて腕を組む。訊いた僕自身、それが何なのか分かっていない。さっきから、分からないことだらけだ。それでも訊くのは、せっかくの機会に答えを得る為だ。外に答えを求めているからだ。
「それはですね、分かりません」
お茶を一口呷って、きっぱりと言いのける。やっぱり分からないか、というのが僕の感想。元々そんな気もしていたけど、答えが見つからないと分かると寂しくなる。
「まあ、そんなものだよ。自分は幸せだなんて言える奴はそう居ないさ。勿論、見つけた奴も」
つまり僕たちは、幸せを探し歩いても無意味なのかもしれない。でも僕が幸せと感じたい時はどうしたらいいのだろう。幸せになるにはどうしたらいいのだろう。答えがないなんて、そんなのは悲しい。
「幸せって…何だと思う?」
怜奈さんは答えない。間を見計らって、母さんが口を開く。
「幸せって、そりゃ幸せでしょ。幸せっていう概念でしょ。何? 哲学でも始めるわけ?」
煎餅を砕きながら、呑気に言う。そりゃ概念だと説明が出来ないか。じゃあどうやって掴むんだろう。大まかなものを。
「まあ、そういうのが知りたければあいつに訊くんだな」
今度は父さんが口を開く。余裕のあるような、ゆったりとした声。
「あいつって?」
「ベイス。一昨日来た人」
「あの人って、昔の知り合いなんでしょ。よく分からないけど、けっこう歳離れてるわよね」
そうだ。古い友人と言っておきながら、この疑問はまだ残っていた。若く見えるのか、それともただ父さんが子どもと友達だったのか。
「まあ、今日はそのことに関連した話をしようと思って彼女を呼んだわけだ」
「ええ、そうでしたね」
僕の知らないところで、そんなやり取りをしていたのか。彼女が誘いに乗ってくれたわけではないのは、少しショックだ。でも、何とか仕向けてくれた父さんには感謝の気持ちもある。
「もうずっと黙っていたことだ。これは母さんも知らない」
「何よ。今になって隠し事でも白状するの?」
「いや、最近になってあいつらも家まで押しかけるようになったし、もう隠してられないと思って」
「ああ、瀧澤さんのことね。何、昔の仕事のこと? もしかして不正絡み? やばい話?」
だったら聞きたくないんだけど、という様子。僕もあの人のことはよく知らないし、何か凄い人なんだなという印象を抱くだけだった。仲良くしてくれたわけでもないし、いつも堅苦しそうだったから。
「驚くだろうが、言わせてくれ。俺は、その…魔法使いなんだ」
突拍子もない告白に、思わず吹き出す。母さんも同様だった。放心して、それから笑うことに決めた。
「へー、可愛いじゃない。何? 猫でも連れてるの? 箒に乗って手紙でも配るの?」
「いや、そうじゃない」
父さんは右手を差し出し、人差し指を上に向けた。そのままじっと固定し、みんなの視線を集める。すると指先数センチ浮いたところから、蝋燭のように火が灯った。
「うわっ、火が出た」
見たままのことを口走ってしまう。びっくりした。指の先からいきなり火がポッと出たから。しかも、よく見ると火は宙に浮いてる。
「何これ。マジック?」
父さんは苦笑いして、握っていた手を開いて掌を上に向ける。すると今度は掌から十センチほどの火の球を出した。
「ほら、普通丸い炎はできないだろ」
そう言って、赤い塊を見せる。メラメラと燃えていて、熱も感じる。何かが焼けているのではなく、火そのものがそこにあるように。
「凄い。何かゲームのキャラみたいだね。イメージ通りの魔法だ」
「マッチ売りの少女ならぬ、マッチ売りの中年男じゃん」
思った反応と違ったのか、テンションの落ちる父さん。そりゃ驚いたけど、宣言を聞いたこっちの身としては、どうせなら天地がひっくり返るようなことを期待してしまうじゃないか。
「で、どうなってんの。全然ネタ分かんないんだけど」
未だマジックだと思ってる母さん。いや、本当にマジックなのか?
「ネタって言われてもな。簡単に言うと、俺は熱エネルギーの生成と変換ができるんだよ」
「と言うと?」
「熱を光や音、電気や運動エネルギーに換えられるのさ」
「よく分からないけど、それって普通の人間が出来ること?」
「やってみれば分かる」
「出来ないでしょ」
認識があやふやだから、あまり驚かなかったのかもしれないと思った。原理とかは知らないけど、体から火を出せるのは普通じゃないなとは思う。それがどれくらい特別なのかは分からない。
「それって、焼けないの?ほら、手に火なんか持っちゃって」
「ああ、俺は大丈夫。他の人は駄目だけど」
駄目というのは、焼けるということか。引火しないのが不思議だ。というか、浮いてるのが不思議だ。まるで空間のこの場所と決められて置かれているかのようだ。
「無減さん、その…長いこと出してると空気が悪くなるんで」
怜奈さんが発言する。そういえば父さんが火を出した時、驚いた様子はなかった。
「もしかして、知ってたの?」
「まあ、見たことありますからね」
さらっと言いのける。どうも二人の関係がよく分からない。除霊の関係でこれをしたということだろうか。それってどういう状況だろう。幽霊相手に火を投げつけたのか。悪霊退散とでも叫んで。
「まあ、というわけで俺は危険人物ってことさ。だから監視であいつらが付きまとってるわけ。プライバシーも何もない」
あいつらというのは、あのお偉いさんのことだろう。でも、じゃあ仕事はどんなのだったのか。魔法が使えると言われて、今までの想像と違ってきた。父さんは、彼らの一員だったというわけではなさそうだ。
「まあよく分からないけど、とりあえずそれはいいわよ。で、それがどうしてあの人と関連してくるわけ?」
話が戻ってくる。米酢さんとの関連。父さんの昔を知る人物。どいういう関係なのか、これで掴めてくるかもしれない。
「俺は元々、違うところにいたんだ。二十年ほど前にこっちに来て、それからあいつらのもとで仕事をしてたんだ。だから、それまではベイスと一緒にいた」
「それが最近越してきたと。でも二十年前でしょ。彼、何歳よ」
「三十くらいだと、思う」
「へー。大分若く見えるわね。私なんか、高校生だと思っちゃったわよ。でもあなた、昔自分で天涯孤独とか言ってなかったっけ?」
「いるのは兄弟だけだ」
「兄弟のような友人でしょ。二十年ぶりとか、どうやったらそんな友情が続くのかしら」
「まあ、そんな話はいいんだ。重要なのは、この世界に俺みたいな外の人間が居て、さらにその中には能力持ちがいるってこと」
「そのベイスさんも能力があるわけ?」
「あいつはもともとこっち生まれだから、そういうのはない。所謂普通の人間だよ」
「こっちだのあっちだのよく分からないんだけど。おもいっきり日本人だったし。ばりばりの日本語だったし」
「まあまあ、その話は置いといて、先へ進みましょう。私が来た意味なくなっちゃいますよ」
怜奈さんが横から告げ口する。魔法だの能力だの、あっちだのこっちだの言ってきて、何の話だか整理がつかなくなってきたところだ。
「私が呼ばれたのはですね、これ私が言っちゃっていいんですか」
「頼む」
コホン、と咳払い。口の前に握った手を添えて、親指と人差し指に向かって音を鳴らす。
「ずばり、維歩君に社会勉強をして欲しいとのことです」
「そういうことだ」
「…」
いや、そういうことだと言われても、どういうことか分からない。ちゃんと説明してくれないと。
「…本当にいいんですか? 普通に生きられる道だってあるかもしれないのに、自ら飛び込みに行くなんて」
静かな声で話す。普通という言葉が引っかかる。普通じゃないということについて、はっきり認識でもしているのか。
「ああ。もう二度と、同じ轍を踏ませたくはないんだ」
その言葉を聞いて、母さんが顔を逸らす。どこか暗い顔だ。僕の記憶にない、苦い思い出があるのだろうか。
「怜奈ちゃん、今日はお仕事入ってる?」
「ええ、夜から入ってますけど。まさか連れて行きたいなんて仰るつもりですか?」
「駄目かな?」
「駄目じゃないですけど、その…危なくないですか? てっきり私、お姉さん的な何かだと思ってたんですけど。ほら、説明係というか、教師代行みたいな」
「何言ってるの。そういうのはおじさんに任せておくものだ。君は若いんだから、頑張って働いているところを見せないと」
「でも、私のはやっぱり不適切ですよ。もっと人を選んだ方がいいですって」
消極的なところを見ると、話を合わせてきたわけではないようだ。霊媒師って、危険な仕事なのかな。危険って何だろう。
「大丈夫、俺の息子なんだから。それに君だって、一緒にいる方が気が紛れるだろう」
僕の顔を覗いて、そう言い張る。その自信はどこから来るのだろう。
「…分かりました。でも分別は保ってくださいよ。危ないと思ったら、こちらから止めさせてもらいますからね」
「ああ、それでいい」
しぶしぶ納得し、僕抜きにして話がまとめられる。仕事を見学に行くようだ。僕としても興味はある。でも、うまくやれるだろうか。彼女の邪魔にならないだろうか。それが気がかりで仕方ない。
「本当に、いいのかな。そういうのって、専門の人じゃないといけないというか、迷惑になったりしないかな」
「ちなみにどんなお仕事なの?」
「除霊です」
「除霊ぃ!」
声を張り上げる。その大音量に、母さんより僕の方が驚いてしまう。今日一番驚いたのは、多分この時だった。
母さんは思考を巡らしている様子。思った以上の専門職だったのだろう。我が子が関わることについて、よく分からないながらも危ないと考えるかもしれない。そう予想した。でも母さんの返答は違っていた。
「除霊ってあれよね、スピリチュアルな感じよね。維歩、せっかくだからお祓いしてもらいなさい。憑き物が落ちるかも」
耳打ちするには大きい声。僕に何か憑いてると思ってるのか。親として、子供をどう見ているのだろう。というか、母さんはそういったものを信じているのか。
「大丈夫ですよ。維歩君には、何も憑いてませんって」
そう言われると安心する。目に見えないものほど怖いものはないから。でも、未だに幽霊がいることに半信半疑な自分がいる。霊感がなければ見えないというし。
「じゃあそんなところで、暫く頼むよ。何、こき使ってくれても構わないから」
それからというもの、家族と怜奈さんの団欒が続いた。緊張もだんだんと和らいでいるようだったし、何よりも、幸せそうにしていたのが眩しく感じられた。
4
「じゃあ、そろそろ行きますね」
午後六時を回った頃に、お暇を切り出す。その瞬間、側に居る少年がビクッと体を揺らせる。
慣れない環境に身を乗り出すのは、いつだって緊張する。それでも必要とあらば、やる他ないという時もある。今回もそんな時なのかも。
玄関に向かう。無減さんが送りに来る。維歩君も、寄ってくる。この二人は本当に仲が良いのかもしれない。本当の親子のようだ。そんな様子を見ていると、あの発言が頭の中に木霊する。
「同じ轍を踏ませたくない」
あれはきっと、息子さんのことだろう。無減さんは自分に責任を感じているのかもしれない。だから今度は、維歩君に外の世界を見せようとしているのか。
「怜奈ちゃん、気を付けて。奴らも君に目を付け始めてる」
別れ際にそう伝えられる。彼らもいよいよ、私に目を向けだした。だから私は、もっと注意していなさいよと。
「ありがとうございます。それじゃ維歩君、預かっていきますね」
扉を閉める。外はすっかり暗くなっていた。夜の闇が、私を包んでくれる。この闇は、どこに行っても私と一緒に居てくれる。
相変わらず、無減さんは鋭かった。きっと私が無理をしているのを気付いていた。今回のことも、ある程度気付いているのかもしれない。それでも黙っていてくれた。
その優しさは、今は家族に向けられているのだろう。私がずけずけと入って壊してはいけないものだ。
「そうかぁ、あの人にも会えたのか」
口が勝手に滑る。単なる独り言だ。他人の幸せを妬むほど、私はまだ堕ちていない。
「あの人って?」
少年が尋ねる。私も、この頃が懐かしい。もし戻れるなら、そんな考えは何千回と切り捨てて来たのに。未練が捨てきれないままだ。
「アイルさん。無減さん、ちょくちょく昔の話をしていたから」
そう。彼も過去に囚われていたのかもしれない。二人の確執が今の無減さんを生んだ。それがやっと会えて、謝れたのだろう。憑いていたのは、彼の方だったから。
「父さん、僕の前だと昔の話をしたがらないんだ」
うつむき加減で話す。やきもちを焼いているのかも。その子どもっぽいところが、私に良心を訴えてくる。私を排斥しようと努めてくる。それは私が失ったものだから。
「まあ複雑な事情だからね。でもね、維歩君。君はお父さんの過去じゃなくて、一緒にこれからを作っていけばいいんだよ」
子どものうちから振り返ってばかりじゃ、きっとこれからが暗くなる。私の思い描いていた未来も、こんなものではなかった。夢と期待に膨らんだ世界が、そこには在った。例えそれが幻想に過ぎなかったとしても、確かに意味はあったのだ。
これは贖罪だ。償いの人生だ。私は罰を欲している。誰かに責められたがっている。沢山の罪を犯しておいて、それでものうのうと生きているのは、私が狂わずにいられるのは、それ以上に誰かを助けているからだ。今も私は、隣の少年に救いを求めている。無減さんに赦しを求めている。誰かを助けることで、誰かの命を奪ってしまったことを贖おうとしている。私にはもう、幸福になる資格は残っていない。
「維歩君、欲しい物ある?」
何気なく訊いてみる。答えを求めているわけではないけれど、反応は少し期待している自分がいる。でも案の定、返答は返ってこない。人見知りなだけじゃなくて、この子はもともと欲がないのかも、なんて。何かを望むということに理由を求める子だ。衝動なんて知らないのだろう。
「サンタさんには何をお願いしたの?」
「えっ、サンタさんには、怜奈さんに会えるようにって…」
そんなロマンチックな返しをされるなんて、少しびっくり。この子のことだから、本当にそう思ったのかも。昨日のメールもそういうことだったのか。
「どうして私なの? 世の中いっぱい人がいるのに」
「僕の中だと、怜奈さんだけだよ。家族以外で会いたいと思うのは」
どうやら少年は私に好意を持っているようだ。でも、そう仕向けたのは私かもしれない。うわべだけの私を気に入ってくれるなんて、嬉しい反面、罪悪感も残る。
「怜奈さんはどうなの?」
「ん? 何が?」
「会いたい人っているの?」
邪気のない質問。私の会いたい人がいるとするなら、それは私を裁いてくれる人だろう。私を救ってくれる人だろう。そんな回答をするわけにもいかない。そういう意図で聞かれたんじゃないんだから。今日はクリスマス。みんな、幸せな一日を望んでいる。
「うーん。私にはいないかなぁ。それにクリスマスって、家族と過ごす時間だしね」
「そうなの?」
「そうよ。日本じゃ恋人と一緒にいるイメージができちゃってるかもしれないけど、海外では家族でいるのが一般的だし」
「怜奈さん、家族はいるの?」
「いるよ」
みんな、私の家族。孤独の犠牲者。社会の除け者たち。そして、私の愛しい共犯者。だから無減さんの家族を思う気持ちも分かる。ここが私の居場所なのだと。私の痛みを分け合ってくれる者たちなのだと。傷を舐め合って、じくじくしていたいのだ。
「じゃあ維歩君にプレゼント考えなきゃね」
「えっ、いいよ。そんな…悪いから」
「そう? でも私なんかがプレゼントなんて、つまらないでしょ」
君には幸せになってもらいたい。それが私の心からの願いだ。きっとこれから、大変な人生が待っている。どうか子どもたちには、逆境を乗り越え、夢に向かって行ってほしい。
私の役目は、そんな辛い時に、立ち向かうための思い出を遺してあげること。だから私は、今日も能天気に笑って、地上に星を降らせる。その輝く瞳に写った、醜悪なまでの自分に吐き気を催したとしても。




