十一月の白い息と、君の体温
高校三年生の、どこにでもいるような女の子だと思っていた。
少なくとも、あの日までは。
「……綾、今日は一緒に帰ろう?」
教室の窓辺で、夕焼けに髪を染めながら紬が微笑んだ。
同じクラスの、ちょっとだけ背の高い、声の低い、いつも少し眠そうな目をした子。
私は一瞬、息が止まった。 だって、紬はいつも一人で帰る子だったから。
誰とも群れず、誰とも深く関わらず、ただ静かにそこにいる。 それが当たり前だった。
「……え、いいの?」
孤高の人って言えばいいのかなそんな感じの女の子がそう言ってきたからびっくりしたから思わず声が裏返る。
私は、紬の事が好きだからまさかそんなお誘いが来るなんて夢にも思わなかった。
紬は小さく笑って、首を傾けた。
「ダメだった?」
「だ、だめじゃない! むしろ嬉しい……!」
鞄を抱え直す手に、必要以上に力が入る。
心臓がうるさい。こんな単純な一言で、どうしてここまで乱れてるんだろう。
並んで校門を出る。
十一月の風はもう冬の匂いがして、紬のマフラーの端がひらひら揺れた。
吐いた白い息が、少しだけ混ざり合う距離。
近すぎて、遠すぎて、呼吸がうまくできない。
「ねえ、綾」
住宅街の入り口、最初の街灯の下で、紬がふいに立ち止まった。
オレンジ色の光が、その横顔の輪郭を柔らかく縁取る。
「私さ、綾のこと、ずっと見てた」
「……え?」
一瞬私何かやったんだろうか?苦情かな。私は一緒に帰れるって有頂天になってたけど少しだけどんより気分が落ちていった。
「一年の体育祭で、綾が転んだときも。文化祭で、劇の本番前に今にも泣きそうになってたときも。屋上で、一人で弁当食べてたときも。全部、ちゃんと見てた」
紬の声が、少しだけ震えていた。
眠たげなはずの瞳が、今はまっすぐ私だけを捕まえて離さない。
ほぼ全部黒歴史にしたい内容ばかり見られてたなんてすごく恥ずかしい。
「好きだよ、綾」
世界から音が引きはがされていく。
風の音も、遠ざかる車のエンジン音も、さっきまで暴れていた自分の心音さえも消えていった。
私は、紬だけを見ていた。
頬を伝う涙に気づいたときには、もう止まってくれなかった。
今、彼女はなんて言ったの?
さっきの一言を、頭の中で何度もなぞる。
「好きだよ、綾」
紬の声が、心の奥で何度も繰り返された。
「……私も」
やっとこぼれた声は、かすれて、ひどく頼りなかった。
「私も、ずっと紬のこと……好きだった。屋上で本読んでる横顔とか、雨の日に傘忘れて困ってた顔とか、全部、全部大好きだった……」
紬の目が、少しだけ見開かれる。次の瞬間、強い力で抱きしめられた。
冷たいマフラーの感触。その奥から伝わってくる、紬の体温。
私は制服をぎゅっと掴んで、子どもみたいに泣いた。
嬉しくて、怖くて、夢みたいで、でもそのぬくもりは確かだった。
「……もう離さないから」
耳元で震える紬の声。
「私も。絶対に離さない」
言葉よりも強く伝えたくて、指先に力を込める。
この温度を、二度と手放したくなかった。
街灯の下、世界は私と紬だけになった感じがした。
顔を上げた先で唇が重なる。
初めて交わしたキスは、涙で少ししょっぱかった。
きっとこの先、時間が流れて、景色も関係も少しずつ変わっていく。
それでも、この瞬間だけは絶対に薄れない。
私の初めての「好き」は、紬で始まった。
その事実だけが、胸のいちばん奥で静かに光っている。




