2.国王の登場
仕立て屋で頼み込んで、スーツの背中に二つの穴を開けてもらった。テーラーは首を捻りながらも注文通りに対応してくれた。
王族が着るには格が足りないかもしれないが、フォーマルな衣装に身を包んだクレイは発光して見えた。スーツから飛び出た翼も輝いている。
サブリナは気後れしながら、自身のドレスの裾を摘んだ。せいぜい成金のお嬢さんくらいには見えると思う。
「とても似合ってますね」
「ありがとう。クレイもよく似合うよ」
「ありがとうございます。よかったです」
お互い照れも媚びもせず淡々と褒めあった。自分でも人でも、見た目にはあまり頓着しない二人だった。
クレイとしては、男装ではないサブリナは貴重で嬉しい。しかし四六時中一緒にいる自分でも見慣れていないのに、ただの通行人が気安く彼女の姿を見ていることは面白くなかった。
「所作も様になってますよ」
「一夜漬けだけどね」
サブリナはこの1週間、寝る間も惜しんでクレイからマナーを叩き込んでもらった。付け焼き刃だが、もともと飲み込みが早いからか、なんとか及第点をもらえた。
「立食形式ですしダンスも無理にすることないですから、大丈夫ですよ」
そう言いつつ、クレイの指導は容赦なかった。言葉遣いや発音から、背筋の伸ばし方、お辞儀の角度まで。
「子供の頃にいたサーカス団よりスパルタだったよ」
「サブリナの覚えがいいから張り切ってしまいました」
遠い目をするサブリナに、クレイは悪びれもせずに言う。彼自身がよほど厳しく躾けられてきたのだろう。
「よし、行こうか」
先陣を切って歩き出したサブリナを、クレイはゴホン、と咳払いで呼び止めた。彼の優秀な生徒であるサブリナは、天を仰いで、振り返った。
「エスコート!」
「はい、その通りです」
クレイが差し出した手のひらに、そっと手を添える。サブリナはぎこちなく腕を掴んで、おっかなびっくり歩き出した。
「……はい、クレイ・クロウリー殿下とサブリナ様ですね」
受付の女官は、クレイの翼にわずかに目をみはったが、丁寧に頭を下げてくれた。さすが王城だ。
二人が並んで会場に入ると、にわかに騒めきが広がった。
「竜人の王子……!」
「……と、誰だ?」
「竜人の女性には翼がないのかしら……」
耳のいいサブリナは、貴族たちの話し声に吹き出しそうになった。竜人の王子と並んでいるなら、確かに竜人だと思われてもおかしくない。
「……クレイ」
「こら。おしゃべりしない」
ヒソヒソと話しかけると、ピシャリと穏やかな声で嗜められた。はい、先生。
二人が進む方向に人垣が開けていくので、流されるままホールの奥に進む。流れる音楽も徐々に大きくなっていく。
豪奢な会場の奥、暗がりから唐突に、輝かんばかりの大男が現れた。
バン!という効果音が聞こえそうな登場だった。
「クレイ殿下!ようこそ、我がユーグラス国へ!」
響き渡る朗々とした声に、周囲の貴族たちが色めき立つ。
男はクレイの正面に歩み出て、ガッチリとした手を差し出した。
「お初にお目にかかる。第三代ユーグラス国王、サーディン・ハリアーだ」
サブリナはクレイの後ろで勢いよく頭を下げて固まった。いきなり大物すぎる。
クレイは薄く笑み。恭しく握手を返した。
「お会いできて光栄です、サーディン陛下。ウォールート国第二王子クレイ・クロウリーです」
和やかながら、ピリリと引き締まった空気が流れた。
「急な訪問にも関わらず、お招きいただきありがとうございます」
「なに、歓迎の宴だ。肩の力を抜いて楽しんでくれ」
サーディン国王は、クレイ越しにサブリナを見た。サブリナは身震いした。目も合っていない、視線を感じただけだ。それなのに全てを見透かされたような気がした。
さりげなくクレイがサブリナの背に手を添えた。
「こちらは私の恩人のサブリナ嬢です。熟練の旅人で、王都まで案内してくれました」
サブリナは教わった通り、軽く顔を伏せたまま、国王の言葉を待つ。熟練の旅人、というよく分からない紹介は聞こえないふりをした。
「旅人か。国王とは最も遠い存在だな」
国王は深く息を吐いた。サブリナは真意が分からず戸惑った。
国王が最も尊いとして、旅人を侮辱したのだろうか、と邪推する。
「素晴らしい」
サーディン国王は染み入るように言った。
「ようこそ、サブリナ嬢。今宵は楽しんでくれ」
手を差し出されて顔を上げると、国王は真正面からサブリナを見据えていた。眉が太く彫りが深い壮年の男性だ。生き生きと輝く瞳に引き込まれる。
これが人の上に立つ人間なのだと、唐突に理解した。
「光栄です。陛下」
クレイの特訓のおかげで、サブリナはすんなりとカーテシーができた。
サーディン国王は豪快な笑顔のまま、手を振って去っていった。
会場に落ち着きが戻る。久しぶりに音楽が聞こえてきた。
嵐のような人だった。
「お疲れ様です。今日の山場は越えましたよ」
クレイが耳元で囁いてくれる。サブリナは安堵して胸を撫で下ろした。背中に冷や汗が滲んでいる。
「越えられていたか?」
不安げに訊ねるサブリナに、クレイはクスクスと笑った。
「大ジャンプでした」
なんだか良くなさそうだ。




