第二十七話 妖精騎士アイギスさんと密かに暗躍する者たち(1)
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魔法都市国家ロルムンド。最高評議会がある魔導府――
その一室に個人的なオフィスを構えるグリュプス上級評議員に"個人的な理由"で、面会に訪れたのだが……
「……なるほど。事情は解った、などと私が気安く納得すると思ったかジェラルダイン?」
「是が非でもしてもらいたいな」
と、事情を説明したにも関わらず肝心のグリュプスには執務机越しに仏頂面で応じられる。
勿論、事情とは言うまでもなく聖魔帝国、新人類帝国、〈妖精連盟〉が後進国であるアウレリア王国を事情上占領下に置いてる件について。
何分、急ぎのことだったので当然、話を通してない。その釈明も今したのだがな。
「地下遺跡の麻薬生産工場までは良かろう、それは聞いていたからな。だからと言ってそれが王国を掌握する理由にはならんだろう」
「それは吸血鬼の帝国に横槍入れられたからと言ったろう?」
「おまえは国家主権をどう考えてるんだ……まったく。しかも、それは百歩譲ってもだ。ロクス教国が関与していた人体実験になぜ聖魔帝国が絡む。ことが面倒ごとになる事は解りきってる筈だな?」
当然、こちらの痛い点を突いてくるグリュプス。この魔法都市国家ロルムンドの軍権に諜報組織さえ抑える事実上の国家主席の男だ。
十年ほど前、魔教皇とロルムンドとの戦いで、席を温めていた賢者どもが一掃され、生き残った連中で一番マシな人物だからな。だから軍権を掌握するなんてことができる。
頭も相当キレる。勿論、優秀という意味で。そのグリュプスを納得させるには仕方無いのでこちらも切り札を切るしかなくなるな。
「一つには真人類帝国に対する目眩ましの為。出てきたのが穏健派のデリアーズ公爵だが、他の連中がそれなりの成果を欲しがってる。丁度よかろう?」
「……色々言いたい事があるが、話が進まなくなるな。まぁ良かろう。次は?」
「ロクス教国が関与した人体実験について我らが天使王聖下から勅命があれば動かざるを得まい。……例え魔女王でもな」
「…………」
元軍人で精悍な顔つきのグリュプスも二の句を告げなくなる"切り札"だ。
なにせ天使王と言えば絶対正義、汎ゆる知的生命の審判者と自らを謳う神話的存在だ。
兎角、度が過ぎた悪党を見つければ裁きを下す。天使王がこの世界に降臨した十九年前から今までのやり方で知れ渡るくらい有名だな。
「これはそもそも"人類最後の守護の砦"、ロルムンドがロクス教国が関与していた人体実験を見過ごしていたのが問題だな。言うのは忘れていたがアリーシャが知って調査してたぞ」
面食らったのかまだ少壮の四十代くらいに見えるグリュプスの頬が一瞬引きつる。
ウチの幼女は天使王とはバレてないようだが、その天使王のお気に入りだとは知られてる。
つまり天使王にバレたも同然。本人だが。
「……聞いてないぞ。ジェラルダイン」
「私もな。ヴェルスタム王国周辺で人体実験騒ぎが有るのは知っていたが、アウレリア王国が国単位で絡んで居たのは初耳だ」
「……アウレリアが絡んでいると言っても所詮は当代の王ぐるみの話だ。ロルムンドにしても、ロクス教国に対する交渉のカードにはなる」
つまり、教国の弱みになるから敢えて放置していた訳だ。
"人類最後の守護の砦"が聞いて呆れる話だが、国家単位、世界全体の現行の秩序体制を維持しようと思えば、些末な犠牲と言えなくもない。
ロルムンドは世界列強勢力を条約で結び付け、世界秩序を保つ盟主。然し、軍事力という点では条約締結国中、ほぼ最弱だ。
だというのに一応の盟主、調停役の立場で居られるのは長年の外交努力の成果に依るもの。今回のような他国の弱みも貴重な交渉の為の切札という事だ。
だが、それはそれとしてグリュプスが自身の境遇に難渋している。それこそ立場がロルムンドの実質代表だからだ。天使王に対しても釈明の必要に迫られた、と感じたのだろう。何よりその天使王の不興を買うのは外交上、不利益が大きいからな。
聖魔帝国のやらかしに対しては天使王に文句を言えばなんとかなる時がある。不信感を持たれ、その外交ルートの裏技が使えなくなるのはグリュプスにも痛かろう。
それに、悪行を見過ごしていた負い目もある。その辺りは善良な男だ。
……ちなみに私に対する負い目も感じて居てくれると良いのだが?
「麻薬生産工場の件で手を打つ段取りが蓋を開けて見ればこのざまだ。人体実験と王国絡みは聞いてないぞ。素知らぬふりしてその辺りで手を打つつもりだったな、グリュプス上級評議員」
おかげで私の仕事が増える有様だ。責任を取って貰いたい。次いでに天使王にも怒られろという話だ。
「何も黙って見過ごそうとしていた訳でもない。当代の王で手を引かせるつもりだったからな。バレてしまっては交渉のカードにもならん」
「苦しい言い訳だな。まぁ、良いだろう。天使王聖下にはそう釈明しよう。うちのアリーシャにはそう言って置いてやる。良い感じにな」
「……綺麗ごとだけでは済まされない現実についても釈明して貰いたいものだ。国家間の利害には常に犠牲がつきもの。人間世界の安寧は、常に弱者の屍の上に築きあげられてるとな」
「言うまでも有るまい。一つの国の社会の繁栄は、常に誰かの犠牲に依って成り立っている事をわざわざな。釈迦に説法するのと同じことだ」
そのくらい天使王も知っているとも。ちなみに仏教の開祖、釈迦は天使王の教え――聖典に出て来るのでグリュプスも知ってる筈。
……そして釈迦に説法されるまでもなく、この世界も所詮は奪い合い。公平や公正など厳密な意味では存在せず、世界の誰かに不公平なそのツケ払いが求められる構造だ。
今回の騒ぎもロクス教国の利益とロルムンドの外交戦略に依って見過ごされてきた悪事。お互い、人類の守護者ぶって居ながら道徳的に最悪なことを仕出かすからな。
この辺りは地球世界の国家どもまるで変わらん。
常に世界中の"弱者"に自分達の繁栄の礎になってもらおうと、虎視眈々と策謀を渦巻かせてるのは。
私、魔女王もその例外には漏れないがな。むしろこの世界でも、誰に押し付けるかと常日頃考えているとも。天使王にバレないように。
「では、天使王聖下にはご理解頂ける前提で話を進めたいものだな、ジェラルダイン」
「その前に、一つ問題があるぞ。天使王は良いが、魔女王が収まらん。グリュプス、私は前の段取りで進めるよう、陛下に申し上げたのだがな」
「それは、私の知るべき所ではあるまい。教国の人体実験については私は聞かれなかったし、卿も聞かなかった。その責任が私にあるとでも?」
「グリュプス……おまえが責任問題を回避しようとするのはおまえの勝手。だからと言って私がその責任を甘受するとは思わんことだな。……具体的に言えば、一悶着をロクス教国内で起こす事になるぞ。おまえが責任を取れないならな」
そのまま漣が引くように事後を平穏里に解決したいグリュプスがまた頬を引きつかせる。
苦虫を噛み潰したようにな。
悪いな、グリュプス。
今日は"個人的な理由"で厄介事になることを伝えに来た。アスタロッテが最悪な事をやらかさないよう知恵を拝借、対応策を検討する為に。
最高の学府とも知られるロルムンドの最高評議会に名を連ねるグリュプスは、私の言い草に私が何をしに来たかを悟ってくれたようだ。
有能なヤツはこれだから頼りになる。
「ジェラルダイン……おまえはいつも頭痛の種を持ってくるな。種が花開く前になんとかできんのか」
「その分だと交渉のカードはないんだな? 魔女王は天使王にそれなりの成果を求められている。……グリュプス、今更だがおまえが人体実験の件を私に話してくれたら少しはマシに出来たのだがな」
「それこそ詮無い話だ。今更後戻りもできまい……聖魔帝国は何をしようとしている?」
「人体実験に関与した連中を潰すのは確定。それが天使王からの勅命だ。ただ、聖魔帝国が直接手を出すのは憚りが有る。いつもの裏から手を回すやり方になるな。……さて魔女王としてはロルムンドがそれに対してどう動くかが気になる訳だ」
相談も出来てロルムンドの対応も同時に協議できると一石二鳥だな。これだからグリュプスは頼りになる。多少の不手際なぞ、快く眼を潰れるとも。
ただ、当の本人は不満気だがな。実質、国のトップだというのに任せられる奴が居ない。なに、私も同様だからお互いさまだ。
「今回の件に対して、どう責任を取るか。という事か……私に相談を持ち掛けるという事は他の列強への対策を兼ねて、だな?」
「具体的には対吸血鬼ども、連中以外なら聖魔帝国で抑えられる。真龍どもは絡んで来ないとしてな」
曲がりなりにも"国家"として動いてる世界条約締結国は、聖魔帝国、極東帝国、聖ロクス教国、真人類帝国、不屍帝国に森陽王の妖精国くらいのものだからな。これに真龍族の白龍族と黒龍族が加わるが、真龍族は、人類国家同士の些末な利害関係には余り絡まん。
他にロルムンドを筆頭に魔法都市国家が幾つかあるが……大国の争いにロルムンド以外はまず絡まない。というよりどうとでもなる。
そして大国間の利害と自国の調整に頭を抱えていたグリュプスがやっと口を開いた。
「不屍帝国と極東帝国は聖魔帝国の友好国だからな、抑えれるか。……なら、森陽王はどうする気だ?」
「神祖の妖精王が〈妖精連盟〉を立ち上げてこちらに居るな……さて、奴とアイギスが和解したとは私は聞いてないが?」
「森陽王が手出しすればヤツをぶつけるか、考えているものだ」
「下手に手出しすれば人類国家同士の争いになるという手筈だな。……それを実際に血が流れないよう差配するのがロルムンドの役割だ、責任を果たして貰いたい」
「相変わらずそちらの都合が良いように使ってくれるな、ジェラルダイン。余りやり過ぎると神祖の妖精王も気づかぬ道理が有るまい……大丈夫なんだろうな?」
「それはヤツ次第。……なんならヤツに世界をくれてやっても良かろうよ。その気があるならな」
「…………」
グリュプスの立場――世界の平和に対して自ら責任を引き受ける男には聞き捨てならなかったようで、目つきが険しくなる。
軽口は如何な。気軽に話せる内容では無かったらしい。ちょっとした冗句のつもりだったが……仕方無いので釈明する。
「なに、この世界を率いる正当性という点ではヤツ以外には適任が居るまい。神祖の妖精王はこの世界の原点。……ヤツ抜きでは歴史は語れず、しかも伝承の類ではまさしく"神祖"だ」
「太古の世界の救世主や、神々の頂点でもそれが世界を支配する理由にはならん。というよりその程度では治めきれまい。人間……いや、数多の種族がそれを理由に納得するとはとても思えんな」
「なに、全てを支配する必要は有るまい。多数派を支配できればな」
「多数……なるほど。人類という意味でか」
グリュプスが気づいたのは神祖の妖精王に、人類の支配の正当性の根拠がない訳ではないという事。
この場合の人類とは、妖精族の妖精人はもちろん、人間種族もだ。かつて十万年以上昔に神祖の妖精王が降臨した際には人間より妖精族の方が人口が多かったくらいらしいからな。
……混血も進み、現生人類にもその多くに妖精の血が入っている。例えそこらの人間でも先祖のどこかに妖精人や亜妖精が居る。逆に純血の人間を探す方が難しかろう。
つまり、狭義の人類というカテゴリーには人間種族と妖精族が含まれる訳だ。
そしてアイギスは妖精という存在の神だ。つまり殆どの人間に取っても神という事になる。
「……つまり権威という点でヤツ以上は存在せん。権威主義に靡かぬというのならそれは構わんが……利用しようとなれば幾らでもな」
「……聖魔帝国はそれすら視野に入れてるのだな。いや、なら森陽王は……?」
「この話をすれば、そこに気づくだろうな。だが、ヤツがそこまで考えてるかは解らんな」
人間に妖精族の血が入ってるとなれば妖精人が多い。そして森陽王はその妖精人の祖神たるヴィネージュの孫だ。
さて、ヤツが人間種族をどう思ってるやら。
妖精族は家族主義だが、混血妖精の扱いに関しては氏族ごとに対応が別れるからな。
「……考え過ぎか。さすがに今更だろうからな」
「だろうな。人間種族の支配権としてはアイギスに劣る。今となっては二番煎じだ。まぁヤツの胸中、考えは別かも知れんが。で、アイギスも世界の支配には興味が無さそうだからな。取り敢えずは安心かな、グリュプス」
「できるものか。その爆弾をこれ見よがしに見せびらかされてはな。しかも亜妖精の祖神との娘まで居る。……その気にさせるなよ、ジェラルダイン」
「なに、妖精族だけで奴も手一杯だろう。それにヤツも人間の悪行には一際手を焼いている。まず、支配するなどという厄介事を引き受けんさ」
「…………」
ただ、グリュプスにしても疑念が晴れた訳ではないらしく、快くその後の会話が弾むという事にはならなかった。
私も余り冗談が上手くないからな。
場合に依っては世界支配を狙ってると思われたかも知れん。それは私がもっとも忌避すべき状況だぞ。聖魔帝国だけで手一杯だというのにそこまで面倒を見て居られるか。
そして、後は事務的な対処……
聖魔帝国がこう出ればこうする。という具体的な協議の話――仕事を進める。
せいぜいロクス教国には自国内でやらかした奴らを粛清してもらって、他に迷惑が掛からんようにと予め対処を決めている訳だ。
然し、改めて考えれば私はヤツの子孫どもに手を焼かせられてるという事だな。
なにせこの世界の人間どもには毎回手を煩わせる。
少しは愚痴を言いたくなるものだぞ。
奴らが神の被造物の子孫だと思えば尚更に、な。
誰しも他人の、しかも子供まで面倒を見たくはない。私はアリーシャだけで手一杯。
ただ、そのアリーシャがこの世界の人類の面倒を見ようとしてるのが、この私の苦労の原因でな。
……愚痴も言いたくなるだろう?
責めての救いは、私が好き勝手にやってる事ぐらいではあるがな。でなければやろうとも思わん。




