間章その一 魔女王と天使王の異世界戦略(対森陽王編)
†
†
聖魔帝国首都バビロンシティ――
その首都を睥睨するように直立する、軍事中枢拠点たるバビロンタワー内。
魔女王の執務室のデスクには本来の主に代わり天使王がその座を占めていた。
「ふむ。ではアイギスちゃんの〈妖精共同体連盟〉のおかげで妖精たちの環境問題はなんとかなる?」
聖魔帝国の絶対君主である幼女の下問に答えたのは聖魔帝国の外交を一手に引き受けるルインだった。
「はい。妖精連盟が出現した事で科学文明の伝播に伴う環境破壊の対処に目処が立ちました。杜妖精たちからの全面的な協力が得られれば、自然破壊に対して一定のブレーキをかける事もできるかと」
「ふ〜む。それは素晴らしい。……でも争いの予感がする」
だがルインの至尊の主の表情には一抹の陰りがあった。
妖精連盟の創設に関与し、聖魔帝国が外交上のサポートを行っても果たして上手くいくかどうか。
杜妖精たちの離反的な行動に他の妖精たちがどう思うか……何より妖精たちの王、森陽王がどう動くのか。
その天使王の疑問には魔女王が答えた。
「アリーシャ。何事も完璧に、とは如何。不安要素が多いのは解るがな、一定の外交的成果というものだぞ。森陽王とはともかく他の妖精たちと共存する道が拓けた。大きな成果だ」
「良い。ルインの仕事はグッジョブであった。……ただ、あの森陽王と争う可能性が気に掛かる」
今後、世界を牽引していく聖魔帝国の懸念事項であった杜妖精たちとの対立は避けられるのは喜ばしい事であった。
科学文明を世界中に広げれば自然破壊は必要になって来る。妖精連盟と聖魔帝国の力を合わせれば妥協点を見つける事や破壊された環境を回復させる事に希望を見出せた。これは望ましい成果だ。
だが、森陽王はおそらくそれを望まない可能性が高い。
かつての古代魔法文明の終末期は経済格差や社会不安、種族差別などはあったものの自然環境という点では概ね保たれて居たのだ。
だというのに森陽王は魔法文明を崩壊させる終末戦争の引き金を引いた。
妖精達の滅亡や危機に直結するような切迫した事態ではなかったのにも関わらず。
魔教皇の関与も疑わしいが、何より当時の社会状況の分析から終末戦争に森陽王も関与してるのは予測できるのだ……
「争いはほぼ必然だな」
「やはり避けられぬか……時間的猶予はどの程度?」
「向こうに依るな。仕掛けて来るのが遅ければ遅いほど向こうが不利になる。妖精連盟が本格的に動き出せば森陽王に不満を抱いてる連中が離反するのは明らかだからな」
「杜妖精たちや聖樹神の教えを信じるエルフたち……それに各地に散った亜妖精たちともアイギスちゃんは交流を持とうとしている……」
「尚更だな。何も手を打たなければ、アイギスの支持が集まるばかり、逆に森陽王の声望は地に落ちる。既に杜妖精対妖精人の構図だが、妖精人の離反はあっても杜妖精の離反はないだろうからな」
「う〜む」
常に明朗なアリーシャが悩ましげな様子……
だからこそアリーシャは悩むのだ。
おそらくこの状況なら、仕掛けた方が有利であろうと。
争いになるのが解っているなら、こちらから状況を動かし制御下に置いた方が有利に決まっている。
然し、天使王はその事が解っていながら動けない。今、こちらから動けば犠牲がどれほどになるか予測ができないからだ。
勝利を納めても、森陽王の妖精国の滅亡は避けがたい。但しそれすらも希望的観測で、世界すら天秤に掛ける可能性があった。
「どのみち本格的な戦争になれば、森陽王が"神"を召喚するのかどうかが鍵だ。その対策は立てる事はできるがコレばかりはヤツ次第」
「良い。やはり先手は打てぬ。ジェラルダインの、森陽王への見立てが正しいなら、多分、召喚して来る。あの者はおそらく、やる。このアリーシャちゃんには予感がするのだ」
「かつての災厄、"神々"をこの世界に招いた男だからな、まあやるだろう。それにアリーシャの勘は無下にできないからな」
かつて魔教皇ヴェルサリウス・ノウスと手を結んだ事があったが天使王は言ったものだ。
いずれあの者とは戦う事になる、と。
その時は十年近い歳月が掛かったが……
「むぅ。予感はするが先が見えぬ……アイギスちゃんを戦いに巻き込む事になるのは避けたい……ジェラルダイン」
「"神"対策の切り札にアイギスが必要な以上そいつは無理だ。最悪の最悪を想定した場合だがな。森陽王相手ならあいつもやる気になるだろうしな」
「ジェラルダイン……子供を巻き込むのはこのアリーシャちゃんは好かぬ」
幼女、最大の懸念である。
果たして地獄になるであろう戦いに耐えられるのだろうか。
アイギスの強さという点では申し分ない。鍛える必要はあるが基礎的な戦闘能力は自分達と同格だ。
問題はその心であった。
「好き嫌いでの話ではないな。どのみち巻き込まれるし、突っ込むさ。少しばかり時間が欲しいという点には同意するがな」
「このアリーシャちゃんやジェラルダインは良い。ただ……アイギスちゃんには護るべきものがある。強さは同時に弱さにもなる」
「……何が言いたい?」
「あのアイギスちゃんには揺らぎがあるのだ、ジェラルダイン。わたし達のようにまだ"道"を定めては居ないのだ」
「覚悟なら有りそうだが……お前の懸念はそれか」
「戦争を仕掛けられるのが早ければ早いほど不利になる。ジェラルダイン。戦いが避けられないのは、もう良い。時間を稼ぐ必要がある。しかもそれを見破られないように」
過程をいくつか飛ばした答えだが、天使王たるアリーシャにはいつもの事だ。人には見えないものが見えているのだから。
何よりもそれはジェラルダインにも確かに引っ掛かる事柄だったからだ。アイギスが精神的にもまだ未熟だという点は。
決して座視できない不安要素。
場合に依っては自分たちの敵になる可能性も考慮すればその危険性を無視できない。
「やはりアリーシャ、おまえの勘は的を得ているよ。戦いに勝ってもアイギス次第で今度はこちらに敵対されかねないな。然し……"道"か」
「多分、それが最大の問題。アイギスちゃんは何処に行きたいのだろうか……」
天使王たるアリーシャの"道"とは即ち生命の可能性を導くことだ。この世界は壊れやすく生命は尊い。
その為に世界を保全し保護せねばならない。
だが、場合に依っては断罪という淘汰も必要であろう。
見捨てる必要も出てくる。
だからこそ、人には愛が必要で慈しむ心が必要なのだ。天使王だけではすべてを果たせないが故に人々を教え諭して導いていく。
その結果を見定める事こそがアリーシャちゃんの、天使王としての"'道"であった。
「さて、そればかりは私が決める訳にも如何しな」
「ふむ。なら、ルインよ。森陽王には細心の注意を払うのだ。マンセマットにも命じる。あの者ならこのアリーシャちゃんの期待にもきっと応えてくれよう」
聖魔帝国、諜報工作の切り札。大天使マンセマットの重用は最大限に事に当たるという意思表示に他ならない。
ルインはその意味を即座に理解した。
「アリーシャさまのご聖慮、確かに拝命いたします。ですが、恐れながら……」
「ふむ」
言い淀むルインに幼女が小さな掌を向け先を促す。
「アイギス殿下の妖精連盟については如何しましょう。時間が必要という点は重ね重ね承知しておりますが……」
「ふむ……」
と、アリーシャは美女姿の魔女王その人にその蒼い眼を向ける。考えろということだな?
魔女王は美貌の顎先に指を当てて思案した。
……自分達の招いた状況だが、時間が必要となると妖精連盟の活動に枷を設けざるを得ない。
されど、こちらの動きを鈍らせればアイギスが万全とは言い難い状況を見破られかねない……
つまり下手に動け無くなる訳だ。
元より森陽王の権威を失墜させる計画である以上、ここに来て急ブレーキを掛けるのは至難のように思えた。しかも、こちらの妙な動きがバレずに。
結論、魔女王陛下は困って両手を広げる。
「私では手に負えないな。あの森陽王が相手だ。浮ついた事をすれば見破られるのが目に見えてる。アスタロッテに任せるのが無難だろう」
「アスタロッテはこの状況を理解してるだろうか?」
「多分な。あいつの得意分野だ……そう言えば、今思えばこの状況を危惧していた可能性すら有るな……」
森陽王を相手に真っ先に過激な劇薬を飲ませる計画を立てたのは誰だったか。それは、あの謀略好きなアスタロッテだ。
(然し、あの時の段階では、どのみちアリーシャが許可せん。理由もなく的を得た最適解を出して来るのは親子だな。この状況になるなら相手の準備が整う前に一気に仕掛けるのも有りだったか)
「……まあ今更か。では、奴の手並みを拝見するか。森陽王はアスタロッテに一任しよう。ルイン、念密に打ち合わせをしておけ」
「はっ」
直ちにルインがその場を後にした。
方針の転換とその対策については早い方が良いのは明らかだからこそ。
そしてルインが立ち去りその後を見送った後、幼女はジェラルダインに執務机から視線を転じた。
「アスタロッテがアイギスちゃんに付いて居れば、良い感じになる……ならないのは森陽王。何を考えているのか」
「……いくつか考えられるがどれが正解やら。……ただ、真意を仮面で隠す事には長けているだろうな。こちらに意図を読ませない、解った時にはおそらくもう遅い」
「ふむ……なら、このアリーシャちゃんが出るのも良い感じ?」
「思案どころだな……」
アリーシャの行動はまったく予測がつかない。魔女王最大の懸念事項だ。
森陽王と天使王を勝負させるのは賭けになる。
何より幼女は好き勝手して引っ掻き回すという点では右に出るものが居ないが、こちらも引っ掻き回されるという諸刃の剣。天使王が倒されるなど最悪な状況にもなりかねない。
何かの拍子で上手くいく可能性も捨てがたいが……
「……やはり危険が大き過ぎるな。私なら初手で神々を呼び出す手をうつ事も考えるぞ」
「ふむ、森陽王はそれほどの者か。まあ良い。少しアイギスちゃんの様子を見ておこう」
「その辺りが無難だな。森陽王が相手だと結果が出たとこ勝負だ。……ヤツだけが相手と考えると足元を掬われる気もするしな」
「聖ロクス教国に暗黒神殿?」
「他にも雑多な奴らが動いて居るさ……さて、ヴェルスタム王国やベイグラム帝国と他にも手を回さねばならぬし難儀だな」
同じ大陸ではイースロス地域にアヴァタール帝国と後進国の状況にも介入し、世界秩序の再構築を企てているのが聖魔帝国だ。
世界の状況を安定させ経済を握り利益を貪りつつ世界平和を実現する欲張りな計画である。
まぁ、半分成功すれば良いと行った所であるが。
「森陽王ばかりにかまけても居られん。そろそろその座席を譲ってもらいたいが?」
「ジェラルダイン。偶には冒険はどうだろうか?」
「冒険者としては最近、余り動いては居ないが……アイギスの相手か」
「うむ。一度アイギスちゃんと冒険がしてみたい」
「……先程の話もあるしな。まぁ良かろう……」
「ひゃあ、冒険〜!」
と、豹変するように喜んで執務机の椅子から降りる幼女。この程度の奇行に反応するようなら魔女王はやれない。
そのままテンションを上げて出ていく天使王を見送る。
どんな冒険を持って来るのか……
考えても想像付かないので魔女王は頭の隅からも憂鬱を消去した。
「……しまった。久々にアリーシャに付き合わされるのか。アスタロッテも……来そうではあるな」
一難去ってまた一難。
しかもアイギスまで居る……前途多難はいつもの事だな、と逆に軽く嘆息するのがジェラルダインの"道"であった。




