第24話 終わる連鎖1
王宮のとある一室。
重苦しい空気が場を支配していた。
1つの机を向かい合うように、3人が座っている。
…ルドルフ国王と闇の一族の長ザイン、そしてマースである。
ルドルフは机に両肘をつき、口の前で両手を組んでいる。
その強張った表情からも、話し合いがとうてい和やかではないことがうかがえる。
「では、ザイン…始めてくれ」
「はい」
神妙に頷くザインは、そっと遠くを見る様に目を細めた。
すると目元にある皺がより深く刻まれた。
「…15年前。もう、15年も前になります。あの約定が結ばれて…」
「…あぁ」
あの約定――意味することは1つだった。
「始まりは、宰相が我等を謀ったことでしたな。…その制裁として我等、闇の一族は“宰相の命を狩る”という決議をとりました。…しかし、姑息なことに自害をなさった」
「…あぁ」
「ですから、我等は次に“宰相の血族の者の手によって、血族の過ちを正す”という決議をとったのです」
「…」
ザインは1つ1つ過去を振り返るように話していく。
「そうです。それは正しく、ハンナ王妃の手で、カサルア殿下を殺すこと…。しかし、困ったことに、またもや自害をなさった」
「…」
ルドルフは無言で聞いていた。
顔はいたって平時のままだったが、心の中は荒れ狂う海の様に、大いに乱れていた。
後悔の念で――!
…あの時、ハンナには何もしてやれなかった!
…ハンナが辛い時に何もしてやることができなかった!
王という立場上、その時ハンナを助けることなどできなかったのだ。
古より脈々と続く、闇の一族との信頼関係から、その決議に対して否ということはできなかったのだ。
ルドルフは、感情を押し殺すように目を閉じる。
そんな様子を慮ってか、ザインは話を途切れさせた。心配そうにルドルフをうかがうザインに、話を続けよ…と、先を促した。
「…はい、では。…ハンナ王妃の自害によって、またもや約束が破られました」
「…」
「よって、我等は宣言通り、宰相の一族やそれに仕えしものを、狩ろうといたしました。…しかし、陛下が“待った”をかけたのです」
「…そうだ」
「陛下が、そこまでおっしゃるのならばと…。我等も手を引いたのです。…しかしその血族の子に、いつの日にか罪を償っていただけるのならばと…。そうです――」
――我らが、邪魔だと感じた時に“カサルア”殿下を狩ります、と。
「…約定を結んだのです。…そうでございましたな、陛下」
「……あぁ、そうだ」
ルドルフは固い口調で是と答えた。
――15年前に結んだ約定。
それを結んだからと言って、カサルアがすぐに殺されるというのではなかった。しかし、彼らが邪魔だと判断した時に、問答無用で殺されてしまうのだ。
…しかもそれが、何時になるかはわからない。
普通の精神状態だったら、果たして今まで持ったかどうか怪しいものだった。ある意味、カサルアが心を閉ざしてしまったからこそ、今まで生きてこられたと言っても過言ではなかった…。
ルドルフは、そっと瞳を開きザインを見た。
それで…と、再び先を促した。
その眼光は鋭く、抜き身の刃の様な鋭さを持っていた。
「…。はい、そしてこの度“今がその時”と、こちらに控えておりますものが、カサルア殿下を狩ろうといたしました。しかし、神の愛し子であられるキノト様が、その御身をもって阻まれました」
「…」
「…我等にとっても、思いもよらぬこと…。…これほどまでに尊い犠牲を、出してしまうなどと…」
「あぁ…。これは、内輪のこと。…神の子ともあろう方が、犠牲になるべきではなかった」
「はい、それはもう…」
ルドルフとザインは悲痛に顔を歪めた。
ザインの後ろで微動だにせず控えていたマースは、人知れず唇を噛んだ。
「…神の子、御自ら止めに入ったこと。…これを尊重しないわけにはまいりません」
「…というと」
「はい。これにて、我等、闇の一族が約定、成就せり…ということです」
ハッとルドルフは息を飲んだ。
「ということは、つまりは…。カサルアは…?」
勢い余って身を乗り出す様に聞けば、ザインは少しだけ目を伏せた。
「もちろん、何も。…キノト様がお救いになった命です。その命を、なぜ我等ごとき只人が、奪うことができましょうや」
「…ッ!」
ルドルフは目を見張り、顔を歪ませた。
よく見ると、ザインも同じ顔をしていた。
これまでずっと続いてきた、負の連鎖が、ようやく終わろうというのだから…。
ザインは息を吐き出しながら言った。
「…それに、陛下。我等は、カサルア殿下の心を狩りましたゆえ。…殻に閉じこもっていたその心を。だから、もう良いのです。…終わったのですよ」
その瞬間、フッと身体が軽くなり何かから解き放たれた様な、心地よい解放感が全身に広がった。それはこの場にいるルドルフやザインだけではなく、15年前の事件に関わった全ての者たちが同時にそう感じたのだ。
…終わったのだと。
なぜ皆が一様に感じたのかは、わからない。だか15年間、終わらない負の連鎖に、皆が知らぬうちに身体を縛られ、いつしか雁字搦めにされていたのだ。
しかし、その鎖が断ち切られた…。
不思議と感じ、共鳴したのかもしれない。
皆がほうっと息をついた。
…ようやく終わったのだと。
しかし、本当の真実を知るものは数人しかいない。
負の連鎖が、神の愛し子たる尊い方――乙の犠牲によって終わったことを…。
「終わったのだな…」
「はい、終わったのです。…つきましては、2つほど陛下に御報告があります」
「…何だ」
ほっとした余韻に浸る間もなく、ザインは坦々と次の報告を始めた。
「はい。1つ目は、こちらに控える者をキノト様付きの護衛から降ろしまして、その任を別の者に…。また、キノト様の警護はさらに人員を増やし、厳重にいたします」
ザインがちらりとマースに目配せすれば、そっとルドルフに頭を下げた。
実は、この移動はマースの希望でもあった。
乙を守れなかったばかりか、傷付けてしまった…。マースはずっとこのことを悔いていたのだ。いくら乙が『自分が悪い』と言っても、傷付けてしまったことには変わりないのだから…。
不甲斐ない自分では不適格だと…。
ルドルフは、目を伏せるマースの暗褐色の瞳を見つめた。
ルドルフは何か言おうと思ったが、口を開いただけですぐに閉じてしまった。
なぜなら、マースの何の表情も浮かばない、底なしの闇の様なそれは、もう意志を固めていたから…。
「…そうか、あいわかった」
ルドルフはじっとその瞳を見ながら了承すれば、マースはその視線から逃げるように瞳を閉じた。
…自分を見つめる瞳が、本当にいいのかと問うているように思えたからだ。
「…陛下。そしてもう1つ」
「…申してみよ」
ザインは、そんな2人をちらりと見やりながら、表情を固くした。
「…実は、キノト様が、…“力”をお使いになられたかも…しれません」
「何!!!」
ルドルフは突然の報告に、思わず声を上げた。
まさか、乙の“力”についての報告を聞くとは、思ってもいなかったからだ!
ルドルフが驚くのも無理はない。
ザインとて、その報告を聞いた時には、にわかに信じられなかったのだから…。
なぜなら乙は神の愛し子でありながら、今まで一度として、至高神ホロの力の片鱗である“木火土金水”の“力”を扱うことができないでいたのだ。だからこそ、乙に特別授業と称して、“力”を扱うための訓練を受けさせていたが、良い報告は受けていなかった。
それなのに、一度も使えたことのない“力”を使ったというのだから、驚かないはずはない。
「それで、いつ、どこで?」
「…はい。実は…、カサルア殿下をかばわれた時、だそうで…」
「?」
「あの時、キノト様はこの者の背後におり、多少離れた場所にいたということですが…いざ、短剣を振り下ろそうとした時には、キノト様が2人の間に、突然、入り込んできたというのです」
「どういうことだ…」
困惑したようにルドルフは問う。
「えぇ、つまりは…遠いところにおられたはずなのに、瞬間的に、2人の間に移動された…ということかと…」
「何!!そんなことが――」
出来るのか…と、呆然と呟いた。
瞬間的に移動する。
…その様なことが果たしてできるのだろうか。
長らくある歴史の中で、誰か1人でもその様な摩訶不思議な“力”が扱えたものがいただろうか。
…いや、いない。正史にはその様な記録など残っていない。
目を見開くルドルフに、ザインは力なく言った。
「それこそ、天下に比類なき、神の愛し子たる御方の“力”…。その“力”の片鱗なのでしょう…」
一度は和んだ空気も一気に重苦しいものへと変わってしまった。
乙の未知なる“力”。
人智をも超える“力”。
それは、この世界にとって正か悪か…。
「…いずれ、嵐が来る」
ルドルフは、ぽつりとつぶやいた。
その言葉は、たゆたう水の波紋の如く室内に響いて消えていった。
◆◆◆
「キノト、大丈夫?傷、いたい?」
「大丈夫だよ。傷もほとんどふさがったみたいだから」
乙が安心させるように言うと、カサルアは嬉しい様な悲しい様な、複雑な顔をした。
ここは乙の王宮にある居室。
あの事件から1週間がたち、面会謝絶が無くなったのと同時に自室に戻ってきたのだ。
すると、それを聞いたカサルアがすぐに飛んできたのだ。
「キノト…ごめんね。ごめんね。…僕のせいで」
「…カサルア。もういいの、もういいから謝らないで。…ね?」
乙はベッドから上体を起こし、顔を歪めるカサルアの頭にそっと手を伸ばす。
肩口できれいに切り揃えられている金色の髪は、さらさらとした手触りでとても気持ちがよかった。
乙は微笑みながら、何度も何度も手で梳く様に撫でた。
カサルアは気持ちよさそうに目を細めながら、どこか眩しげに乙を見ていた。
しばらくして、ぽつぽつと言葉を紡ぎ出した。
「…キノト」
「ん?」
「…キノト」
「なぁに?」
「…うん。あのね…、僕は…、僕は、心のどこかで…わかっていたのかも」
「うん」
「…お母様が、死んでいるって、ことを」
カサルアは、フッと息を吐きだす。
「…わかっていたけど、信じたくなかった。…うん、信じたくなかったんだ」
「…カサルア」
「だから、忘れようと…心の奥底でふたをした。…でも、時々そのふたが取れちゃうんだ。…それで、とっても怖くなって、よくわからなくなっちゃうんだ…」
「…うん。怖いよね、怖かったよね」
何度か目にしたことのある、カサルアの発狂は乙が想っていた通りだった。それは、目の前で母親が死んでしまった、あの時の恐怖を思い出したが故のものだったのだ…。
カサルアは今にも倒れそうなほど顔を青褪め、微かに震えていた。
しかし、それでも話を止めることはなかった。乙は、カサルアの強い意志を感じていた。
…10歳の時にふたをした記憶。
…そして止まった時間。
カサルアは、勇気を出してその歪められた時を、今まさに動き出そうとしている。
自らの力で再び歩み出そうとしているのだ…。
カサルアは血の気の引いた顔をしていた。
それでも、肥沃な大地を思わせる柔らかな色彩を帯びる茶色の瞳は、真っすぐに乙を捉えていた。
「キノト…」
そっと囁く。
「ありがとう…」
たくさんの思いが詰まったありがとうを――万感の思いを込めて。
躊躇うことなくぶつかってきてくれたことも――
自身を危険にさらしながらも守ってくれたことも――
そして…大きな愛で包み込んでくれたことも――
全てに。
乙がしてくれた、すべてに――
――ありがとう
乙は知らず、漆黒の瞳から一雫の涙を流した。
あぁ…、カサルアは、一歩踏み出したんだ…。
そう思うと身の内から熱いものが込み上げてきた。
はぁ…と、熱い息を吐き出しながら乙は言った。
「うん…」
柔らかい陽光が2人を包み込む。
輝くような光の中でどちらからともなく近付き、そっと抱きしめあった。
互いの温もりを感じながら…。
しっかりと…。
ごめんなさい!書いていたら8千字超えてしまったので、2つに分けました;;
明日更新します!
マースと乙ちゃんのからみ~!次回必ず!必ずです!!