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漆黒の愛し子  作者: 花垣ゆえ
Ⅱ章 暗闇から光へ
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第22話 記憶

流血します。ご注意ください。



――おかあさまだったのかな。



そう、ぽつりとカサルアが呟いた。


乙や侍女たちは一斉に息をのんだ。

カサルアが“おかあさま”と言った、その言葉に…!

まさか!と思ったのだ。先ほどからうわ言の様に話していたことが、カサルアの母親であるハンナ王妃の事であったとは、誰も想像だにしていなかったから…。


サオは驚愕に目を見開いて、カサルアに近寄っていった。


「…カ、カサルア、様…。あ、あの時とは、まさか…、ハンナ様が――」


ハンナ様が、ご自害なさった時のこと…。そう言おうとして、グッと口をつぐんだ。

カサルアに対しあの日の事は、全てタブーだからだ。

つらい記憶を心の中に封じ込めてしまったカサルアは、あの日に繋がる何かを感じると、記憶が混乱し感情が爆発してしまうのだ。

だから、侍女たちはそうならない様に細心の注意をしてきたが、今の様に自ら思いだしてしまったことに対しては、どうすることもできない。いやむしろ、自ら思いだすという事は、今まで一度としてなかったことなのだ!


緊張に包まれる室内。

カサルアの荒い呼吸音が不規則に木霊する。


「ほんとに、おかあさまだったのかな?…だったら、なんで、どうして、僕に“触らないで”って、“来るな”って!どうして、突き飛ばしたりしたの!!」

「カサルア!落ち着いて!」

「あぁ…、あ、アァッ――!“お前がいるせいで”って――!!」



“お前が生きているせいで”って――!!



両手で頭を抱え込み、金色の髪を振り乱す。

目は血走り、大声で叫ぶように声を荒げる。


途中からカサルアの口調が幼児のそれから、普通の話し方になっていた。


乙は何とか落ち着かせようするが、カサルアが馬乗りになっているため、ほとんど身動きが取れない。

それでも「カサルアしっかりして!」と、何とか手を伸ばす。


すると、カサルアはその手を叩き払い、叫び声をあげた。



「イヤ――!!止めてッ!!おかあさま―――!!」



怯えたように青褪めるカサルア。



そして事もあろうに、乙の首を――手に掛けたのだ!!


「!!!」


グッと細い指が首に巻き付く。

上から体重をかけ、乙のほっそりとした首に徐々に指が食い込んでいく。


側にいた侍女たちが、悲鳴を上げ、場が騒然となる。

どこかで陶器の割れる音がしたが、乙の耳には入ってこなかった。


苦しい…。


頭に血が溜まりぐつぐつと沸騰する。

視界が赤くぼやけていく。


「ハァ、ハァ…。ハハッ!!苦しい?苦しいでしょう?」

「……ゥ」

「お母様!首を絞められるのはね、とっても苦しいんだよ!!」


カサルアは、ハハハと空虚に笑う。

その瞳は熱に溺れ、狂喜に彩られていた。


「…カ…サル、……ア……」


乙は何とか声を絞り出すが、その声はカサルアには全く届いていない。

先ほどよりも体重をかけ、首を絞めあげる。


ぐうぅ…。


薄れそうになる意識の中。

乙は顔にぽつぽつと、冷たい何かが落ちてくるのを感じた。

何だろうと、目をあけると、カサルアの目から落ちてきているのだとわかった。


涙が…。


カサルアのまん丸に見開いたその瞳から、止まることなく涙が溢れていた。



乙は思った。

カサルアは、過去と現在を混同してしまっているのだと。

過去のあの日、母親に首を絞められて殺されそうになった時のことを…。

大好きな母親に、殺されそうになった時のことを…。



乙はそっと手を伸ばし、カサルアの頬に触れた。

哀しい涙が幾筋も流れていた。


「カ…サ……ル…ア…」


両手で優しく顔を包み込む。

ビクッとカサルアが身体を震わせた。


すると先ほどとは違った反応を見せた。


過去を見ていた瞳は、徐々に焦点をあわせていき、本来の色を取り戻していく。

表情も常のように、穏やかなものへと変化していく。


劇的な変化。


まるで、夢から覚めたかのように、パチパチと目を瞬いた。


「あ…、キ…ノ…ト…?」


そう呟いた次の瞬間――。



ドンッッ――!!



体と体がぶつかる様な衝撃音。

それと同時に、乙の首を絞めていた戒めが無くなり、一気に肺に新鮮な空気が流れ込んできた。


ゲホゲホと身体を丸めて咳き込む。

全身に酸素が行き渡るのが脈打つ血管からわかるくらいに、ドクドクと激しい激流となって身体を襲った。


乙は涙目になりながら、薄っすらと目を開いた。

すると、黒い何かが視界いっぱいに広がっていた。

それは乙を覗き込むようにしており、薄目を開けた乙へあからさまに呆れた様な吐息をもらした。


「はぁ…、全く…。大丈夫?キノト。言ったでしょ、何かあったらすぐに呼んでって。僕は、君の陰だからって…。それに、こうも言ったよね。あのガキには気を付けろって…」


飄々とした口調で言いながら、咳き込む乙の背を優しく撫でる。

乙は涙に歪む視界で、闇の様な衣と髪と…そして、瞳を見た。


「…マー…ス…」


掠れる声で、闇の一族の一番手であり、乙の護衛をも務める彼の人の名を呼んだ。

すると、嬉しそうに目を細めた。



そう。

馬乗りになって首を絞められていた乙を助けたのは、マースだったのだ。

なので、マースから体当たりを受けたカサルアは、床に叩き落とされていた。


マースは白いシーツの上に広がる、漆黒の髪を手に取った。

そっと唇に持っていき、静かに口づけを落とす。


「キノト…、君は優しすぎるよ。どうして、抵抗しなかったのさぁ…」


囁くように言うマースの表情は苦悶に満ちていた。

乙は口を開くが、首を絞められていたせいか、声を出せなかった。

その様子にますます苦しそうに顔を歪める。

そして、乙の首筋にそっと目を落とすと――マースが目を見開いた。


乙の白く陶器の様に滑らかな首筋に、赤黒く鬱血した醜い痕が残っていたからだ。


…そしてそれは、くっきりと、指の形をしていた。



スッ―…と、マースの表情に温度がなくなる。

全身に、仄暗く冷たい闇を纏っていく。


乙は驚いてマースの闇色の衣を掴むが、マースが立ち上がった拍子にするりと手から抜けてしまった。


気配なく佇むマース。

その闇色の冷たい瞳は、少し離れたところで呆然と立ち尽くすカサルアを捉えていた。


「…カサルア殿下。15年前の、闇の一族との約定を覚えておいでか?」

「…」


固い口調で話すマース。

カサルアは何の反応も見せない。


「私は、闇の一族の者。決議と掟に従う」

「…」

「今こそ、15年前の、その約定を…成就させる」

「…」


乙は、坦々と感情なく述べるマースの言葉の意味がわからないでいた。

しかし話の流れから推測するに、悪い方向に向かっているのだけはわかった。


「…貴方は、目障りで邪魔だ…」


マースの地を這う様な声が響く。



「…闇の一族の一番手である、この私が、貴方を――」




狩る――!!




カッ――と、眼光を光らせた。


あっという間の出来事だった。

マースは、獲物に狙いを定める獣の如く姿勢を低くし、カサルアの元へと一気に距離を縮める。

そして、流れるような無駄のない動作で、衣の中に隠し持っていた短剣を頭上に翳した。



ご覚悟を――!!



マースが叫び、短剣を握る手に力を込めた。

それが、まさに振り下ろされる瞬間――!!



ふぁさ…、と闇夜を切り取ったかのような漆黒が、マースの視界に入りこむ。

全てがスローモーションのように見えた。



漆黒……の…髪?



ハッ!!と、絶句するマース。

そう。何を隠そう、マースとカサルアの間に飛び込んできたのは、乙だったのだ!!


乙はマースに背を向け、カサルアをその胸に抱き込んだ。



クソッ――!!



マースが気付いた時にはすでに遅く、銀色の鋭利な切っ先が、乙の背を目掛けて振り下ろされていた。

勢いがついたそれを、だれも止めることはできない。

それでも、何とか軌道をそらそうと、マースは手首を捻るが――



ザシュッ――……。



衣と肉を切り裂く音が、悲しく響く。


「!!!」


声にならぬ乙の叫び声が空気を震わせる。

反った身体の背後に、真っ赤な花弁が大輪の花を咲かせた。


――血飛沫だ。



乙はカサルアを胸に抱いたまま、崩れるように絨毯へと倒れ込んだ。


「「「キャャァァアアア――――!!!」」」


侍女の数多の叫び声と怒号が室内に響く。



カサルアはカタカタと小刻みに震えていた。


「…あぁ、…あ。…キ…ノト、…な、なん…で…?」


自分の身代わりになる様な事をしたのか…。

未だに乙の腕に抱かれてるカサルアは、そっと顔をあげて乙を見た。

目が合うと、何と乙は…ふわりと微笑んだのだ。


「――あ…」


その瞬間、カサルアの頭の中でずっと閉じ込めていた記憶が、一気に脳内に溢れだした。



――あの日。お見舞いに行ったカサルアに、柔らかく微笑んだ母親の姿。

――突然叫び声をあげて、カサルアを突き飛ばした母親。

――憎しみに彩られた表情で『お前さえ生まれてこなければ』と呪いの言葉を吐いた母親。

――カサルアの首を絞め、短剣で突き刺そうとした母親。


そして…。


――最後にふわりと頬笑み、短剣で自らの首を掻き切って自害をした、血まみれの母親。



忘れたくて蓋をしていた記憶。


衝撃的な映像に頭が付いていかない。

しかし、一部の冷静な思考回路で、わかったことがあった。



お母様は、すでに、死んでいる…。



過去の再現の様な今の光景。

ガンガンと内側から金槌で叩かれている様な、鋭い痛みで目の前が霞んでいく。


カサルアは青褪めながら、意識を失ってしまった乙を掻き抱いた。

その背中からは止め処なく、温かい血が流れ出ていた。



…ご、ごめんなさい、キノト。

こんな僕を…!!



カサルアは目を瞑りながら、懺悔するように胸の中で囁いた。



キノト…。

ごめん……。

ごめんね……。

僕が、現実を、受け入れていたら…。

こんなことには…。



自然と涙が溢れてきた。

それは洪水のように頬から流れ落ち、真っ赤な血の中へ落ちていった。



「キノト…、キノト。……キノト――――ッ!!!!」



カサルアは叫んだ。

喉が潰れるほどに…。



その慟哭は、王宮を揺るがすほどだった。






きのとちゃんの命はいかに・・・?

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