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漆黒の愛し子  作者: 花垣ゆえ
Ⅱ章 暗闇から光へ
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第15話 血涙

少し流血します。


どんよりと厚い雲に覆われた空。

しとしとと灰色の天井から透明な雫を垂らす。


常春の国といわれるワーグナー国は、一年中暖かな春の陽気である。

それと同時に、雨も多く降る事で有名だ。

大陸一、広大で肥沃な大地は、春の様な穏やかな気候と豊富な雨水や河川によって維持されている。

したがって、街の至る所に優美な噴水があり、ワーグナー国の豊かさを物語っているのだ。


昨夜から降り続く雨は朝になってもやまず、庭園でフィリアとお茶会をする予定だったが中止となった。替わりに、フィリアは乙の居室で乙のドレス試着会を始めてしまった。

普段着なれないということもあり、貴族の御令嬢が着る様な派手で豪奢なドレス(乙にとってはそうだが、周りの者からしたらそれらは普段着用のドレスなのだが…)はあまり着ない。着たとしてもシンプルなデザインのものばかりだ。

似合わないからと、あまり着飾りたがらない乙に、周りの侍女たちは口惜しい思いをしていた。

「絶対に似合うのに!」と。また、「着飾った麗しいキノト様の姿を見た殿方は、愛を囁かずにはいられなくなるのに!」と事あるごとに言っている。

なので、フィリアが「今日は、キノトの着せ替え大会を開きま~す!キノトに着せたいドレスや装飾品があったら、ジャンジャンもってきてね!」という掛け声に、侍女たちは目の色を変えて飛び付いた。

もちろん、乙の意思は完全無視である。

箪笥の肥やしとなりかけた、豪奢で優美でド派手なドレスたちをここぞとばかりに引っ張り出してきては、次々に着せ替えていったのだ。


結局、午前中ずっと着せ替えをさせられた乙であった。


しかし、侍女たちは興奮が冷めやらぬようで午後も続けたがったが、乙が「午後は、カサルアのところに行く予定あるから!!」と必死に断り、何とか解放されたのだった。…が、それでも諦められない侍女たちは、せめてとばかりにカサルアに会いに行く時の格好として、シンプルだが淡い桃色に白いフリルのついた可愛らしいドレスを着ることを迫った。

そのオトメなドレスに顔を真っ青にした乙であったが、マリーが薄いレースのストールを肩に掛けてくれたので、何とか着ることができた。…ストールを羽織ることで、オトメさを軽減することができたからだ。


…助かった、と乙がつぶやいたのは言うまでもない。




◆◆◆




「こんにちは。カサルア」


朗らかに挨拶すると、カサルアは待ってましたとばかりに乙に近寄り、ガバリと抱きついて出迎えた。

キノト、キノト――!!と、名前を連呼しながら身体全体を使って喜びを露わにするカサルアに、乙もまた抱きしめ返すことでそれに答えた。


「キノト―!まってたのぉ!…あ!きょうのキノト、きゃわいい!ももいりょの、ようせいしゃんみたい!」

「えぇ!?」


ニコニコと笑いながら、いつもと違い可愛らしいドレスを着た乙を褒めちぎった。

乙はいきなりドレスのことを指摘され、動揺しながらも小声で「ありがとう…」と言った。頬はほんのり赤く色づいていた。

そんな2人の様子を見ていた侍女たちは、「初々しいわ~」と思うのと同時に「カサルア殿下、天然のたらしね…」とキラリと目を輝かせるのであった。やはり、カサルアも父であるルドルフの血を引いているわねと。もちろん、半分血の繋がった異母兄弟であるクロウリィもまた然り…と。


そうこうしているうちに、乙は抱き締められたまま「こっちこっち」とぐいぐい引っ張られ、二人掛けのソファーに座らされた。もちろんその隣にはカサルアが座った。

幼児のように舌っ足らずにしゃべるカサルアだが、身長は乙よりも視線一つ高いし力も強い。


相変わらずなカサルアの様子に苦笑しつつ、先ほど渡しそびれたものをカサルアに渡した。


「はい、これカサルアにプレゼント」

「え?ぼくにぃ?」

「そうよ。カサルアが喜ぶかな~と思って、来る時に摘んできたの」

「ぼくにぃ?」


それは、しとしとと降り続く雨のなか摘んできた花束だった。


…まぁ、花束と言ってもそう大層なものではなく、何本か摘み取った花の茎の部分にリボンを縛って簡単にまとめたものだ。だが、束と言うほどの量はなく、人に…ましてや殿下と呼ばれるほどの御仁に贈る様な贅沢な装飾もされていない。

――けれど、乙の気持はこもっている。



カサルアの居室に行く際に通った回廊でのことだ。

何の気なしに、ふと庭園を見た時に見つけたのだ。


雨の雫に負けず、凛と輝き咲き誇るその花を。


黄色く淡い色合いで、大きさは親指ほどしかない小さなその花は、一本の茎に沢山の花を付け咲き乱れていた。

それはまるで、太陽の輝きを思わせる美しい花だった。


きれいだなと乙は思った。

そして、どことなくカサルアに似ているなと思ったのだ。


屈託なく笑う笑顔が、太陽の輝きを思わせるその花に似ていると。


だから、雨の中傘をさしつつ手ずから摘んだのだ。

カサルアに見せたかったから…そして何より、その花の願いだったから――


――ツレテッテ、と。




カサルアはじっとその花に見入っていた。

途中でカサルアの侍女であるサオが、「握りしめておられると、すぐに萎えてしまいますよ」といって、ガラスの花瓶に花を生けた。

手から解放された花は、水を得られ嬉しそうに、より美しく花を咲かせた。

その間も目を離すことなく、カサルアはじっと見入っていた。


何かその様子は鬼気迫るものがあり、乙は容易に話しかけられなかった。




しばらくその状態が続いた時、突然カサルアが「あ!!」と声を上げた。

どうかしたの?と問えば、目を輝かせ頬を上気させながら言った。


「これ、こりぇね!す、すきだったんだ!うん、おもいだした!」

「好きって…カサルアがこの花好きなの?」

「ううん、ちがうの。ぼくじゃなくて、あのね…あのね、お、お、おかあしゃまが、すきなおはななの!」

「…お母さん、が?」

「うん、うん。そんなきがしゅる!」


そう言ってじっと見つめながら、記憶を掘り起こすように、花の色だとか枚数だとか香りだとかを改めて確認しながら「やっぱり、そうだよ!」と言った。



カサルアのお母さん…。

乙はそっと吐息とともに呟いた。

カサルアの母親は、随分昔に亡くなっているのだと聞いた。とても美しく、聡明な方だったという。


カサルアの母親が好きだったという花。

それは、カサルアに良く似ている花で…。


ぼんやりとカサルアと花を見ていると、ぽつりとカサルアがつぶやいた。


「おかあしゃまが、ぼくに…ぼくに、にてりゅっていってた」


その言葉を聞いて、やはりと乙は思った。

カサルアの母親もまた、この花を見て似ていると感じていたのだ。


「…私も、そう思うよ。この花…サランは、カサルアに良く似ているよ」

「ほ、ほんとう?ぼ、ぼくに、にてりゅ?」

「うん」

「そっかぁ~」


キャハハ、と笑いうっとりとサランを見つめるカサルア。

だが、不意に背後で侍女たちが息をのむ声が聞こえてきた。

「?」

なに――?と、振り返ろうとした時に、カサルアが「ねぇ、ねぇ、キノト~。このはなの、はなことばってなぁに?」と腕を引っ張って聞いてくるものだから、振り返らずにカサルアに向き直った。


「え?花言葉?…この、サランの花の?」

「んっ!そう!キノトしってりゅ~?」

「えぇ、知ってるわよ。サランの花言葉はね、愛、親しみ、慈しみだよ」

「あい?」

「そうだよ。…もしかしたら、カサルアのお母さんは、カサルアのようなこのサランの花が好きだったのは…この花を通してカサルアの事を見ていたからじゃないかな。愛してるって…カサルアの事を想っていたんじゃないかな」

「…ぼくを…おかあしゃまが…あいする…?」

「うん」 


きっと、カサルアの母親は“サランの花が好き”なのではなく、“カサルアに似ているからサランの花が好き”だったのではないかと…。乙は、この花を見ていてそう思ったのだ。

愛という花言葉とともに。




カサルアは無言で花を見つめていた。



おもむろに手を伸ばし、ガラスの花瓶をもつ。

立ち上がり、右手で花瓶を、そして左手で…花を鷲掴みにして…



バサッ――!!!



とテーブルに投げつけた。


「!!!」


そして、瞬時に右手を振り上げ、花瓶をその上に勢いよく叩きつけた。



ガシャァァアアンンンッ!!!



ガラスの割れる音が鳴り響く。

底が割れた花瓶からは、水が一気に飛び散った。

突然の事に声を忘れ、呆然とする乙。

周囲からは、甲高い悲鳴と部屋を走るバタバタという音が聞こえた。



…ガンッ!…ガンッ!…ガンッ!



ガラスの破片と水滴が、カサルアが花瓶を振りおろすごとに宙に舞った。

カサルアは髪を振り乱しながら、何度も花瓶を振りおろし、花を潰した。



やがて、もう残骸としか言えなくなったそれを静かに見おろした。




――と、カサルアが突然…笑いだした。


クククッ…クッ、アッハハハハハハ――!!!!


カサルアの目は焦点が定まっておらず、虚空をぐるぐると彷徨っていた。

そして、とち狂ったかのように笑いながら、叫ぶように感情を露わにした。


「お母様が、僕を愛する?…ハッ!!嘘だ、嘘だ、嘘だ…嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!」


カサルアは頭を抱え、目を見開いた。

…本人は気付いているのかいないのか、いつの間にか口調が幼児のそれから普通の話し方になっていた。


「あぁぁぁ…。嘘だ、嘘だ、嘘だ!!!お母様が、この僕を、僕を!!!僕などという存在を愛するなんて、そんなはずがない!!!」


そう言い終わるやいなや、手に持っていた花瓶を窓に向けて投げつけた。



ガッッ!

バリバリバリバリッガッシャンンン――!!



大きな音を立てて窓ガラスが割れ落ちた。

窓の外からは兵士の驚く声が聞こえてきた。



カサルアは肩で大きく息をしながら、空虚な眼で乙を見た。

「!!」

そして、首を傾げながら一歩一歩乙に近寄る。


「ハァ…ハァ…、キノト…ねぇ、キノトはさ…お母様が僕を、あいするっていったけれど…しょんなはず、ないんだよ。…だって、だってね、あのとき…あのとき!」


カサルアは、青年の口調と幼児の口調が入り混じった話し方をしていた。

幽鬼のように少しずつ乙に近寄り、そっと手を伸ばし、青ざめて冷たくなっている頬を包み込んだ。

その瞬間、ぬるっとした生暖かいものを乙はその頬に感じた。

――ツンと鼻につく臭いで分かった…血だということが。


カサルアはガラスの瓶を何度もテーブルに叩き付けたため、その拍子に握り込んだ花瓶が割れて手のひらに傷を作っていた。

しかもそれだけではない。

ガラスの破片が飛び散り、顔や首筋、腕に無数の裂傷ができ、だらだらと血を流していた。


その痛ましい姿に、咄嗟に乙はカサルアの手を掴んだが、その瞬間に勢いよく振り払われてしまった。

目を見開く乙の腕を掴み、血走った眼を向けた。


「あぁぁぁあああ!!ちがうちがうちがう、うそだうそだうそだ!!」

「カサルア!」

「あぁ、キノト!!いやだいやだ、いやなんだ!!キノト、キノト、キノトキノトキノトキノト!!!」


何かから逃げるように、頭や髪を振り乱しながら、叫ぶようにうわ言のように乙の名を呼んだ。

その間ずっと乙の両腕をギリギリと握り締めた。


「カサルアッッ!!」


乙が一際大きく叫んだが…カサルアには何も聞こえていない。

何度乙が言っても無駄だった。

カサルアは、心の闇に囚われてしまったかのように叫び狂うだけだった。



まただ…。

あぁ…、私は何もできない。


乙は悔しさに唇を噛んだ。すると――口の中に鉄錆の味が広がった。

瞳にはいつの間にやら涙がたまり、徐々に視界がぼやけていった。



あぁ…、私は何もできない。

なんて無力なんだろう…。


キュッと瞳を閉じると、その拍子に堪えていた涙がぽたりと流れ落ちた。



――と、今まで乙の両腕を締めあげていたカサルアの手が、パッと離れた。

え?と思い、ゆるゆると瞼を上げると…長い金糸の髪の残像が見えた。


全てがスローモーションのように、ゆっくりと流れる。


誰かが乙とカサルアの間に割り込んで、力ずくでカサルアを引き剥がし、乙の腕の拘束を解いた。

そして、抵抗するカサルアを捩じ伏せ、鳩尾に一発拳を叩き込む。

うっ…!と声をもらし、力なく倒れ込む体を支え、素早くソファーに横たえた。

すると、瞬時に控えていた侍女たちがカサルアの元に駆け寄った。

それを見届けた誰かは、ゆっくりと振り返り、乙を見た。


途端に、今までゆっくりと流れていた時間が一気に流れ始めた。




ハッと我に返った乙の目の前にいたのは、金髪碧眼の男性。



…クロウリィであった。






Ⅱ章もそろそろクライマックスに近づいてまいりました。

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