第14話 日常と友人3
聞きたいことはたくさんあって――
でも、聞くことは叶わなくて――
私は自分がとても無力だと感じた。
何もできない小さな自分。
こんなにも小さいから、私の世界はとても小さい。
手の届く範囲――
目で見える範囲――
耳で聞こえる範囲――
全てが小さい。
…小さい。
それでも、見失わないようにしたい。
小さい私の世界に入ったものだけでも、守りたいと思う。
そう思う。
◆◆◆
満月から少し欠けた月夜。
数日前にはまん丸なお饅頭のようにプクプクとしていた月は、今や食いしん坊な誰かにパクッと食べられてしまったかのように欠けている。
誰が食べたのかな――と窓辺に寄り添い、乙はのんびりと夜空を見上げている。
やっぱりウサギかな~?あ、でもウサギは餅つきしてるんだっけ?じゃあ、誰かな~。
本人はいたって真剣に考えている。…もう考え始めて半刻ほど経つ。
う~ん、と尽きることのない思考を巡らせていると――
コンコンコン。
目の前の窓をたたく音が聞こえる。
乙は、何だろう?と窓を開き覗いてみると、そこには蔦の様な植物が葉を左右に揺らしているのが見えた。
「あら?どうしたの?」
夜半に訪ねてきた珍客は、蔦であった。それに向かって乙は朗らかに尋ねるのだった。
――キノト、キノト
――アソボウ、アソボウヨ
蔦はウキウキしながら答え、先ほどよりも激しくゆらゆらと揺れる。まるで、ご褒美を欲しがる子供の様な、そんな姿に似ていた。
その様子に、乙はクスリと笑い「いいよ」と快諾した。
すると勝手知ったるという様に、蔦や木々がその窓辺に集まり、葉や枝をさわさわとのばす。
一本の蔦は細いが、それが何本も集まり固く絡まり太い一本へと成長していく。それに木々も太い枝をのばしより太く頑丈になり、人一人支えられるような太さになった。
そして準備ができると、木や蔦が腕を伸ばし乙の体へと自身を巻き付け、落ちないように窓辺から連れ出す。
王宮にある居室は3階なのでかなり高いため、それらはゆるゆると慎重に乙を降ろすのだった。
トンッと地上に降り立つと、それらはサッ――ともとの蔦や木々に戻っていった。
この一連の行動は、最近何度もしていることなので、乙も木々も慣れたものだ。
乙は、そんな彼らの行動を密かに“ジャックと豆の木、応用バージョン”と呼んでいる。
普通、植物はこの様に動くことはない。ありえないことだ。
しかし、なぜか乙の周りにいる植物たちは驚くべき技をもっている。
…だが、もっと不思議で驚くべきことは、そのことを普通に受け入れている乙自身である。
やはり乙は、かなりの大物と言えよう。
地面に降りた後、近くの木の根元まで行き腰を下ろす。
ふぅ…と乙が息をつき周りを見渡すと、待ってました!とばかりに植物が一斉に話しだした。
――キノト、キノト、コンバンワ
――コンバンワ
――ゲンキ、ゲンキ
――アノネアノネ、コノマエ、オモシロイ、コト、アッタンダヨ
――アソボ、オハナシシヨウ
――キノト、キノト、ゲンキシテル
――オハナサイタノ、オハナ
――タネガデキタノ、タネ
――タノシイ、タノシイネ
色々なところから色々な話が始まる。
乙は聖人君子ではないので一度に全員の話を聞くことはできない。また、それぞれの話す声は小さく囁くような大きさなのだが、この様にたくさんの植物が一斉に話し始めてしまうので、会話が混ざり合ってしまいよく聞き取れないのだ。
しかし植物たちは、“乙がそこにいて自分たちの話に耳を傾けてくれる”ということが一番大事なことのようで、例え返事を返してくれなくても一向に構わないのだ。
なにより、こうして一緒にいられることが嬉しいから…。
乙もまたそのことを知ってか知らずか、彼らの嬉々として一生懸命に話す様子が嬉しくて、見守るように微笑むのだった。
乙も植物たちも思うことは一緒なのだ。
乙にしか聞こえない植物たちの声。
しばらく話していると、不意に植物たちが一斉にピタッ!とおしゃべりを止めてしまった。
「?」
不審に思って乙が、どうかしたの?と声をかけようと口を開きかけた時、すぐ近くから場違いなほどの陽気な声が聞こえてきた。
「キ―ノト―、何してんのさ。こんな夜中に出歩いちゃだめでしょ」
闇の中から浮き出るように姿を現したのは、乙の護衛であるマースであった。
彼は面白そうに目を細めながら乙を見つめる。
そして、音もなく近寄り乙の隣にどっかりと座った。
すると、微かに植物たちがざわつくように揺れた。
植物たちは、マースが来たために先ほどおしゃべりを突然止めたのだ。
…まるで、乙のもとに来たモノを警戒するかのように。
「全く、無防備すぎる。もうちょっとさ、警戒心持ってよ。夜は危険がいっぱいだし…いろんな意味で!」
「…?…うん、そうだった。警戒ね。…あ!もちろん、忘れてないよ!」
以前、マースから無防備だと指摘されたことを思い出し、慌てて忘れてないよ!とアピールをしてみたのだが…マースはただただ、無言で睨むのだった。その目は、「今の今まで、忘れてたでしょ?」と言外に言っていた。
確かに、こんな夜中に一人で王宮の庭園にいることが、何よりの証拠だった。
うっ!と口ごもる乙であったが、何とかこの場の空気を変えたくて必死に話題を探すのだった。
「……ぁ、ぇぇと。…そ、そうだ!そうそう!マースってさ、私に会いに来る時はいつも夜だよね!それって、どうして!」
「…話をそらすの?」
「そ、そんなことないよ!ただ、気になって!で、どうして?」
乙は焦りながらもにっこりと笑って答えを促した。
「…ふ~ん、まあいいさ。そのうち、身をもって知ることになるかもしれないし…?」
「?」
何か含みのある言い方をするマースに、どういう意味かと目で問いかけたが、その視線を完全に無視し「夜に来る理由~?」と真面目に考えだすのだった。
マースの性格上、真面目に見える演技をしているだけだが…。
「夜ね~。そうかな?夜に来てるかな…気のせいじゃないの?」
「…。…全部夜に来てるよ」
最初の出会いは除いて――と乙は付け加える。
そうなのだ。
マースは絶対に夜に乙を訪ねてくるのだ。むしろ、夜以外では姿すら見たことはなかった。
それなのに、マースは飄々ととぼけてみせるのだから…あからさまにはぐらかすマースに、乙は前々から思っていたことを言った。…もしかしたら、またはぐらかすかもしれないが。
「マースって、絶対に、私がカサルアと会った日の夜に訪ねて来るよね」
「……ソウナノ?シラナカッタナ~」
「絶対そうだよ」
「……エェ~、ソウナンダ」
「…」
予想通りはぐらかしてきた。
マースのあくまで白を切る様子に、流石に乙も少しむくれた。
そこまで否定しなくても…と少し悲しくなりながら、完全にマースに遊ばれていると自覚している乙は、無意識に頬を少し膨らませた。
これは子供のころからの乙の癖だ。
そんな愛らしい乙の様子に、マースは思わず微笑んだ。
普段しっかりしている乙が見せる子供っぽい表情は、かなりマースのツボにはまった。
…だから、そんな無防備な顔するなって!――と、内心嬉しいながらも他の男に見られたらヤバイなと思いつつ、はぁ~と溜息をつくのだった。
依然としてむくれている乙の、その華奢な肩に腕をまわし、抱きこむようにしながらそっと耳元に唇を寄せた。
「そう、むくれるなよ。かわいい顔が台無し」
艶やかな声音で囁き、膨らんだ薔薇色の頬をツンと突っついた。
途端にぷしゅ~としぼむ頬。
あ!――と声を上げた乙は、まさか自分が頬を膨らましていたとは知らず、その子供の様な仕草に思わず羞恥に顔を赤く染めた。
マースは赤くなった乙を満足そうに見て、クスクスと笑いながらいくらか真面目に言った。
「そうだな~、でもあのガキには気を付けな。後で痛い目を見るかも知んないから…」
「…え?どうして?」
またもや含みのある発言をするマース。
彼の言う“あのガキ”とは、話の流れからするとカサルアの事だと推測できた。しかし、何に気を付ければいいのか。そして、最後に言った痛い目を見るとはどういうことなのか…?
再び問おうと口を開きかけると――乙の行動は分かっていたようで、そっと乙の唇に自身の人差し指を宛がった。
もう、それ以上言わないで…というように。
乙がマースの瞳を見上げると、その瞳には常と同じく仄暗い闇が垣間見えた。
だが、それと同時に自嘲的な翳りも帯びていた。
もっとよく見ようと乙が少し顔を上げると、その視線から逃れるようにマースは自分から乙に顔を近づけた。
そして、その漆黒色の大きな瞳を閉ざすように、柔らかい瞼に唇を落とす。
右にも左にも――
交互に、何度も何度も――
その瞳から逃れるように。
そして、乙を抱きよせ自身の胸に閉じ込めた。
細く力を入れたら折れてしまいそうな身体をキュッと抱き締め、肩に顔を埋める。
夜闇を切り取ったかのような長い漆黒色の髪を、マースは優しく撫でた。
自分の暗褐色の髪色と似ている乙のそれを愛おしげに、何度も何度も。
ほっと息をつき、掠れる声で囁く。
「…キノト。本当に注意して」
「……」
「…キノトは、キノトは…優しすぎる、から。…だから、何でも抱え込もうとしないで。…何でもできると思わないで」
一人で、抱え込まないで…
マースは声を震わせながら、乙を胸に強く抱いた。
そうでもしないと、乙が淡く消えてしまいそうな気がしたから。
ドクン、ドクン…とマースの胸の鼓動を聞きながら、乙は静かにそれを聞いていた。
マースの怯える様に囁く言葉に、乙は「…うん」と答えるしかなかった。
けれど…。
でもね…、と。
乙は思う。
でもね…、マース。
私は、私の世界に入ったものだけでも、守りたいと思うんだ。
例え、私が傷つくことになったとしても…。
守りたいんだ。
乙は目を瞑り、マースの大きな胸に顔を押し付けた。
マースに後ろめたさを感じながら、それでも今だけは、彼の温かい胸の中にいたかったから…。
夜の闇が深まり、悲しき2人を包み込む。
そんな静寂を守るかのように、植物たちはそっと息を殺して見守るのだった。
日常と友人はこれで終了。
最後は、意外な組み合わせでした。