第2話 日常
空は、清々しい五月晴れである。
ピチチ…
朝の柔らかい日の光の下で、小鳥が空へ元気よく飛び立っていく。
それと同時に家の中から「おはよ―」と元気よく家族に挨拶する年若い女性の声が響く。
次に彼女はリビングの窓を開け放ち、庭に向かって「みんな、おはよ―」と朝の挨拶をするのだった。
もし、家族以外の人がその光景を見たなら「?」と思うであろう。
なぜなら、庭にはだれもいないから…。
では誰に向けて挨拶をしたのか?
庭にある(いる)のは手入れの生き届いた草木や花だけなのだが…その不思議な行動に対して彼女の家族は全く気にしていないのだった。
そんな彼女の名前は速水乙といい、歳は21である。
実は、彼女は昔から植物と話すことができる不思議な力を持っているのである。
驚くべきことだが…。
彼女が言うには、植物に“意識”を向けるとその植物のささやかな声が聞こえてきて、“伝わるように”と“意識”をすると話をすることができ、自在に会話をすることができるのだという。
家族がその乙の力に気付いたのはまだほんの小さな時分であった。
はじめ植物に話しかける乙を見て家族は“小さな子供がお人形に話しかけるのと同じ”だと捉えていたのだが、乙がだんだんと成長していくに従ってどうも違うようだと気付いたのだ。どうやらこの子は…
この子は、植物と会話ができる―――?
さらに近くに寄ってきた小鳥とも植物と同じように話していることから、動物とも話すことができるのでは?とも気付いたのだ。
こんな不可思議な力を持ってはいたが、両親や2人の兄たちはそんな乙をすんなりと受け入れたし、この上なく愛したのだった。
それというのも、乙が“話せる”と分かった時に家族は「あぁ、やっぱり。自分たちがずっと感じていたことは間違っていなかった」と思ったのだ。
実は、乙がこの世に生まれたときに「おや?」と家族全員が感じたことがある。
何がどうということはないが、感覚的に感じたのだ。
この子は、違うと。
何が?
命の輝き…?まとう空気…?
はっきりとは誰もわからなかったが、家族皆が感じたのだ。
あぁ…この子は………
だから乙に不思議な力があったとしても、驚きはしたがそれもあり得るなと全員が納得したのだった。
朝の挨拶がすんで食卓に座ると「「「「いただきま―す」」」」という掛け声とともに食事が始まった。
乙は何から食べようかなぁ~とわくわくしていると、不意に「今日は仏像展行くんだっけ?」と母親の美咲が尋ねてきた。
そうなの?と驚いたように父の誠司や双子の兄の透と遥は眼を見開いた。
どうやら男性陣は知らなかったようだ。
乙は「そうだよ」と仏教美術に関するレポートを提出するために、近所の国立美術館で開催されている仏教展を見学に行くのだと――簡単に説明した。
彼女は現在大学4年生で、国文学の仏教美術について学んでいた。
それだけなら特に普通の大学生といえるが、彼女の学歴?はとても不思議なものだった。
最初に理解をしなくてはいけないのが、彼女が神社の子であるということ。つまり、父親や兄が神主をしている、そういう家の子なのだ。ちなみに双子の兄たちは乙と10歳も年が離れており、今年で31歳である。余談であるが…
乙はそんな家の子ではあったが、高校はクリスチャン系の学校に通った。さらに、大学では仏教について学んでいるという実に変わった“変歴”を持っていた。
神道、キリスト教、仏教と色々な宗教について学んできたのである。
家族はというと「乙の好きにすればいいよ」と、むしろ広い見聞を持つことに対して大いに賛成しており、本人は「宗教のその先にある、心について知りたかった」という理由から様々な宗教について学んできたのである。そのためこのように珍しい学歴を持つこととなった。
…そうか。と父や兄が納得したようにつぶやいたが、その瞳は感情を押し殺したように熱を持って揺れていた。その様子に何かを感じとった乙だが、意味までは理解できなかった。
なんだろう。なんか…変。
ううん。それだけじゃない…周りが――世界がいつもと、違…う…気がす…る?
違和感。
思考の海に潜り込みそうになる寸前、それを遮るかのように乙に声がかかった。
「…と。…のと…。乙…?」
「…………ぅん?あぁ、何…?」
名前を呼ばれ、ふいっと顔を上げると父がやさしく微笑んでいた。
「乙、行っておいで…」
「―――うん」
「…でも、怪我とか病気とかしないでね…」少し心配顔をしながら母親がいう。
「――――うん?」
あはは。と笑いながら「心配しすぎ。だって俺の自慢の妹だぜ」「そうそう、乙は乙だもんな。がんばれよ」と双子の兄は明るく、心配ないよと言って笑っていた。
「――――――う…ん?」
何だろう。全く会話が成り立たない気がする。…それとも、成り立っているのかな。
うーん。と再び思考の海に潜り込みそうな雰囲気を感じてか、父がパンッ―――と手を鳴らし「御馳走様でした。さぁ仕事、仕事」といつの間にか朝食を食べ終えて席を立ってしまった。それに続いて兄たちも「「ごちそうさ―ん」」と席を立った。
それを見て「いつもながら早いな~」とのほほんとそんな感想を浮かべていた乙も「電車に乗り遅れてしまいますよ」と母にせかされ、慌てて食べかけの料理に箸をつつきだした。
すると「あっ♪」と思わず声を上げてとろけるような笑みをこぼした。
朝ご飯にはどうかと思うメニューではあるが、乙の大好物のハンバーグがあることに気づいたのだ。
ラッキーと、夢中で頬張る嬉しそうな乙の笑顔を家族全員が微笑ましげに見ていることには全く気づかなかった。
次、いよいよトリップ。
さらに、乙の容姿も!