第12話 日常と友人1
乙とカサルアは、3日に1度の頻度で遊んでいる。
…あの日以来、乙と遊んでいるときに取り乱して発狂することは一度もなかった。しかし、カサルアの侍女サオの話によると、やはり何日かごとに発狂してしまうのだという。
それでも、以前よりは取り乱してから立ち直るまでにかかる時間が少なくなったのだという。
サオによると、乙と遊ぶようになってからだと…。
少しずつ、カサルアも成長しているのだと…。
それを聞き、少しでもカサルアの心を穏やかにすることができているんだ…と、乙は安堵していた。
そして―――。
最近、自らを護衛といい乙の前に姿を現したマースが、よく部屋を訪ねてくるようになったのだ。
本人は、「退屈だから遊びに来ているんだよ~」とへらへらと笑っていたが…。
乙は、新たな友人ができたようでとてもうれしく思っていた。
…それでも、少し気になることがある。
マースが部屋を訪れるのは、決まってカサルアと遊んだ日の夜だということ。
偶然なのか狙ってのことなのか…?
乙にはわからなかったが、それでも「まぁ、気のせいかな?」と思うのだった。
◆◆◆
コツコツコツ。
王宮の磨きあげられた大理石の回廊に、軽やかな靴音が響く。
乙は王宮の図書館で借りた何冊かの本を手に持ち、歩いている。
その内容は、絵本と歴史書だ。
今日の午前中は、カサルアと遊んでいて、その際に「たのしいえほん、もってきてぇ~」とおねだりされたのだ。なので、カサルアが興味を引きそうな(男の子らしい、冒険ものが好き)絵本を選んで借りてきたのだ。
そして歴史書は、今学んでいるザウント国に関するものだった。
自主的に借りてくるあたり、乙は学ぶ意欲のある大変よい生徒であった。
自室に戻る道すがら、「これで、ザウント国について良く学べるな~」とウキウキしつつ、乙は上機嫌に鼻歌などを歌っていた。
その後ろで、侍女のマリーが嬉しそうにニコニコと微笑むのだった。
コツコツコツ。
回廊の角を曲った時、前方に見知った背中を見つけた。
乙はその時上機嫌であったのも手伝って、大声で「ルシカ――!」とその名を呼び、ニコニコと小走りで近づいていった。
名を呼ばれたルシカと言えば、突然の事にビクッと驚き「何事!?」と、あわてて振り向いたのだ。
というのも、王宮でこの様に大きな声で名を呼ばれることなどまずないからだ。…あるとしたら、よほどの緊急事態であるときで―――。
ルシカは緊張し険しい顔つきになりつつ、自分を呼んだ声の主の姿を探した。…が、見つけた瞬間、ふわりととろける様な笑顔を浮かべた。
まさに一瞬にして!
「ルシカ―――!」
「キノトッ!!…どうされたのですか?私にご用で?」
「ううん。図書館から帰る途中で、ルシカを見つけたから。嬉しくて、思わず声をかけちゃった!」
テヘヘと照れるように笑う乙。
その愛らしい様子と「嬉しくて…」という何気なく発せられた言葉に、はちみつ色の双眸は甘やかにとろけるのだった。
嬉しそうに微笑む漆黒色の瞳と甘くとろけるはちみつ色の瞳が、穏やかに交差する。
その場は、何とも甘くピンク色の空気に包まれていた。
偶然にもその場に居合わせた見回りの兵士や侍女たちは、皆惚けたように顔を赤らめうっとりと2人を見つめるのだった。
何しろ、本人たちに自覚はないが2人は文句なしの美男美女である。
ルシカはとろけるような甘い端正な顔立ちに、誰にでも分け隔てなく優しく接する好青年である。そして乙もまた、珍しい漆黒の瞳と髪に白磁のように滑らかで肌理の細かい肌、気品漂う美しさを兼ね備えながらも大変明るく穏やかな性格である。2人は老若男女問わず、大変人気があった。
そんな2人が、見つめ合い甘い雰囲気を醸し出していたら…皆が惚けるのも無理はない。
そうとは知らず、しばらくの間他愛無い話を皆の視線を釘付けにしつつ続けていると…やれやれといった顔をして近づく2人組がいた。
「まぁっったく!公衆の面前だってこと考えろよなぁ~!」
「本当に、お二人は自覚が足りませんね~」
「「!!!」」
え!?と乙とルシカが声のした方を振り向くと、ルシカと同じ神官の服装に身を包んだ若い2人連れが立っていた。
「ザック!デリー!」
驚いてルシカが声を上げると、ザックはニヤニヤとデリーはニコニコとしながらこちらに歩いてきた。
「ヤッホ!キノト~、元気ですか?って、いいっていいって挨拶は!元気そうなのはその顔見たらわかるし!なぁ~、デリー?」
「えぇ、キノトだけでなく、ルシカもまた元気そうなのは、見ただけでわかります…よ?」
「「……?」」
「まぁ、それはいいとして。もうちょっとさぁ~、ま・わ・りの事考えたら?」
「そうですよ。さっきも言ったけど、お二人は自覚が足りないと思いますね。…周りを見てくださいよ、お2人が見つめ合って甘~い雰囲気をダダ漏れさせているだけで、どんだけ周りに被害が出ているかを!」
「「えぇ?」」
思ってもみないことを指摘された乙とルシカは、慌てて周りをキョロキョロと確認しだした。
改めて見てみると、多くの兵士や侍女たちに…見られていたのだ!
それも、皆惚けた様に顔を赤くしながら…。
何事!?と驚く2人であったが、理由まではわからなかった。
なのでそのまま、目を見開いてまわりにいる人々を凝視していると、その視線にハッ!と気付き我に返った兵士や侍女たちはいそいそとその場から去っていくのだった。
「「???」」
未だに状況が分かっていない2人に、ザックとデリーは内心ため息をつきながらも、顔はからかうようにニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていた。
「まぁ~?積もる話もあることだし?」
「公衆の面前ということもありますし?」
「「東屋にでも行こう!」」
笑顔一杯に息もぴったりに言う2人の迫力に、ルシカも乙も黙ってコクンと頷くのだった。
…ザックとデリーは良いコンビといえる。
◆◆◆
「う~ん。本当にマリーが入れてくれる茶は美味しいな~!生き返るぅ!」
「茶って…、ザックは全く風流じゃないですね。…これは、ライノの花とセリとフラカボの薬草をブレンドしたハーブティかな?絶妙なバランスでブレンドされていますよ」
デリーがそうでしょう?と確認をとるようにマリーを見ると、「はい、よくおわかりになりますね」と微笑んだ。
どうよ?と言わんばかりに得意そうにしているデリーを見て、ザックの口からは思わず愚痴が飛び出した。
「…お前って、…なんか嫌味な奴」
「ザックが無知なだけです。キノトもルシカもわかってますよ」
「「……」」
…と、当然のように言われてしまった乙とルシカは、飲んでいたハーブティをぐっとのどに詰まらせた。
そしてさり気なく互いにアイコンタクトをとりあい、『わかりましたか?』『わからないよ~』『『…ですよね~』』と苦笑いを浮かべる2人であった。
………。
しばしの沈黙。
いたたまれない空気に包まれたこの場を変えたのは、意外にも乙であった。
「…そ、そうだ!わ、私、前々から気になっていたことがあったんだ~!」
「な、なんですか!どうぞ何でも聞いてください!」
少し声を上ずりながら努めて明るく言う乙に、ルシカもまた渡りに船とばかりに引き攣った笑顔で答えた。
「あ…、と、えぇと…。そ、そうそう!“力”ってどういうことかなって思って!…うん、そう!聞きたかったの、前々から!」
「…“力”というのは?」
「えぇと、ほら!至高神ホロの“力”?の事なんだけど。私良く知らないから。前に、フィリアさんに少し教えてもらったんだけど、詳しくは神官に聞いた方がいいって言われて。…ミハはニースにその“力”で、治癒?をしてもらってるんでしょう?」
「はい、そのようです。…キノトが言った“力”というのは、至高神ホロより生じた“力”の事だったのですね」
あぁ、納得!という顔をしてルシカは微笑んだ。
「そう。至高神ホロは無限に広がる漆黒の闇から誕生したのです―――」
ルシカは、至高神ホロの神話『誕生の章』を話して聞かせた。
無限に広がる漆黒の闇。
何も存在しない無の世界。
その闇はやがて意志を持つようになり、命をも持つこととなった。
そしてそれが瞼を押し上げ目を開くとその瞬間、世界に光が満ちた。
――至高神ホロの誕生である。
無限の漆黒の闇の中に、自らが光を放つことで、世界に光を生じさせたのである。
そして、至高神ホロは自らの躰から世界を作り出すこととしたのである。
まず、世界のもととなる5つの力を生じさせた。
爪から“木”を生じ、吐息から“火”を生じ、血液から“土”を生じ、髪から“金”を生じ、涙から“水”を生じさせたのである。
次に、それらの5つの力をかき混ぜることで、互いに関係性を持たせた。
そして最後に、闇と光の力を注ぎ世界を創造したのである。
――至高神ホロが造りし世界、リリーネルシアの誕生である。
「…“力”というのは、この至高神ホロより生まれいでた“木火土金水”の根源的な力を、神より“お借りする”という形で発現させたことをいうのです」
「借りる…の?」
「はい。この世界は、至高神ホロが創りし世界。その根源的な力もまた、元を正せば至高神ホロの力。つまり、神の力の一部を我々が“お借りする”のです」
「へぇ~、そうなんだ。なんだか、スケールが大きいね!」
「ふふふ。相手は神ですから」
楽しそうに講義のような会話をする2人をじっと見つめていたザックとデリーは、心底意外そうな顔をしていた。
まるで「キノトは、知らなかったのか?」という表情で…。
元々、乙は便宜上、トトゥロ大神官長の遠縁にあたる娘として学びに来ているのである。なので、そっち関係の疑問はトトゥロ大神官長に聞けばすぐにでも解決できるものであるだろうし、なによりも立場的にトトゥロ大神官長の血縁者であるため、その様なことはだれに教わるわけでもなく良く知っているだろうと思っていたのだ。
なので、乙が全く“力”について知らなかったということに驚いたのである。
…まぁ、その様に2人が思うも無理はない。
何しろ、乙の本当の正体を知っているのは、国と神殿の上層部の極限られた人間でしかないのだから…。
神官であれば、第一神官以上のものである。ザックとデリーは第二神官であるため、詳しくは知らないのだ。
その様な事情があるので、2人が誤解しても仕様がないのだ。
へぇ~と感心したように聞いていた乙であったが、少しすると新たな疑問を感じた。
“木火土金水”の力を使うのなら、どのようにしてニースは“力”を使って治癒?を行っているのかと。治療であれば、痛めた患部を“水の力?”などを使い冷やしたりして、活用できなくもないが…治癒とは如何に?と、ぽつぽつと呟くとルシカは笑って答えるのだった。
「あぁ、“力”といっても、根源的な火を出したり水を出したり、ということではありません。その様に力を出すことは…、あまりないのでは?…説明するのが少し難しいのですが、“力”というのは『こうしたい』という強いイメージと祈りの力によって生じさせている―――って、わかりずらいかな?」
「うん、ちょっと。…じゃあ、ニースはミハの怪我が治るように祈っているってこと…?」
「そうです。『怪我が治るように』とイメージして、神に『怪我が治るように、治癒する力をお貸し下さい』と祈り詠唱することで“力”を発現させているのです。…私たちは、直接的に怪我や病気を治すことはできませんが、この様に治癒という形で“力”を与え、回復へとつなげることができるのです」
「う~ん。…なんか、すごい。……頭が痛い」
乙が育ってきた日本ではありえない話が、この世界には当然として存在している。
ルシカが乙にもわかりやすいようにと、かなり噛み砕いて話をしてくれたのにもかかわらず、日常とは程遠い摩訶不思議な“力”の話を半分も理解できないでいた。
したがって、沢山話してくれた感想に乙は「…頭が痛い」の一言で締め括ったのだった。
その瞬間、ブゥ―――!!とザックが勢いよくハーブティを口から吹き出しゲホゲホと咳き込み始め、「汚い!」とデリーの非難する声が上がるという騒動が起こった。
「だ、だ、ゲホッ、だってよ。感想が、『頭痛い』だぜぇ?うぇ、ゲホゲホ。…笑えるだろ!」
「まぁ、確かにオチとしてはなかなかのものでしたが。ザック…せめて、飲み込んでから笑ってほしかったよ」
ザックは咳き込みながらもお腹を抱えて笑っており、デリーはザックを非難しながらも顔は完全に笑いをこらえるように歪んでいた。
乙は自分の失言にポンと赤くなり、だって~と言いながらルシカに「ごめんね」と小さく謝るのだった。
未だにケラケラと笑うザックを横目に見ながら、デリーは付け足すように乙に教えた。
「そうそう、“力”っていうのは、修行を積むことでより強くなるんだよ。そしてそれは、神官の見た目にも表れる。…何だと思います?」
「…え?見た目?」
そう言われて、乙は3人を見比べた。
ルシカは、とろける様なはちみつ色の瞳に、肩口で切り揃えられた灰色の髪。
ザックは、海の様に青い濃青色の瞳に、短くツンツンととがる様に立てられた茶灰色の髪。
デリーは、木の実のように赤みがかった榛色の瞳に、ショートカットの茶灰色の髪。
パッと見ただけではわからなかったが、良く見ると…髪の色にそれがある様な気がするのだった。
なので、「…なんとなくだけど、髪の色かな…?3人とも、灰色っぽい髪色だよね?」と言うと、デリーは嬉しそうに「正解」と笑った。
「灰色ってところがポイントです。修行を積み“力”が強くなると、灰色に染まっていくんだ。髪の毛とそして瞳の色が」
「瞳の色も…?あ~、そういえばトトゥロ大神官長やドロリア神官長、パル神官長の瞳の色は灰色だね!もちろん髪の毛の色も!」
「そうそう。位が上になると…というか、それだけの実力があるので灰色に染まっているんだよ」
「んでもってッ!真打登場、我らがルシカさ!見てみ、完全に灰色の髪の色してるだろ。俺ら2人は灰色になりかけの色だけどさ。ルシカは、若手のホープだからな!こんな若さで、もう第一神官さ~」
ニカッと満遍の笑みで嬉しそうに笑うザックとデリー。
その様子を見ただけで、どれほどルシカが皆に慕われているかが分かる。
しかし、当の本人は乙の前でべた褒めされたことで、恥ずかしさを隠すように苦笑していた。
「2人とも持ち上げすぎ…」
「んなことないって、なぁ~デリー?」
「あぁ、本当の事だからな!」
「……はいはい。…そうだ、他にも少し例外的ですが、精霊の愛し子や精霊の加護を与えられた者は、瞳や髪が銀色に染まると言われています」
「銀色に…?世界は広いんだね~」
「世界っていや~、最近じゃあ、ルディアンの王族の若造が加護を受けてなかったか?」
「聞いたことあるな。確か王宮で掌中の珠とカワイガラレテいるとか、いないとか…」
「…ルディアン」
突如話題に上った、精霊の加護を受けたという人。
前にルシカから、神や精霊が人を愛し子としたり加護を与えたりすることが稀にあるが、それは極めて珍しいということを聞かされていた。
その、稀とされる精霊の加護を得た人物がルディアンにいるという。
もっと知りたい…。と乙が思うのは自然な流れで、そのことを口にしようとした瞬間―――、
ゴ――ン
ゴ――ン
ゴ――ン
と、午後の3時を刻む鐘の音が響いた。
すると、3人は「そろそろ神殿に戻る時間だ」と慌てだした。
その様子を見て、せっかく聞こうとしていただけに残念だな~。また次の機会に聞こう…と、乙もまた自室に戻る為に皆と一緒に東屋を後にした。
◆◆◆
東屋から庭園を横切り、王宮の回廊に到着した。
これから乙は王宮の自室に、ルシカ達3人は神殿へと向かう。
「じゃぁな、キノト!今日は楽しかったぜ!」
「またご一緒に、美味しいハーブティでも飲みましょう」
「えぇ、もちろん!今日はとっても勉強になったし、とっても楽しかった~。また誘ってね!」
「ふふふ。キノトにお時間があればいつでも呼んでください。もちろんこちらからもお誘いします」
「うん!楽しみにしてる」
「…んじゃ、そろそろ行きます…か…、て…、あれって…え?」
和やかな雰囲気で別れの挨拶をすませ、ザックが「行こう」と号令をかけたのだが、…その声は何かを見つけ、不審そうな声へと変化した。
皆が「?」を頭に浮かべつつ、眉間にしわを寄せているザックの視線の先を辿ると…その先には、とても遠くではあるが、男性の肩に女性がしな垂れかかって歩く姿がちらりと見えた。どうやら、その男女が向かう先は王宮の裏手の出口の様で…。
険しい表情で見ていたザックは、ぽつりと確認するように言った。
「…あれ、殿下じゃないか?…クロウリィ、殿下」
その瞬間、ドキッ――と乙の胸が大きく脈打った。
…なに、これ?
乙の胸はうるさいほどにドキドキと暴れまわるのだった。
…なんなの、これ?
なぜ、こんなにも勝手に脈打つのか――乙は自身の反応に困惑していた。
だから、3人の会話は全く耳に入ってこなかった。
「…あぁ、そうだな。あれは、クロウリィ殿下だよ。…最近大人しくしていたんじゃないのか?」
「俺もそう聞いてた…けど。あれはどう見ても…花街に行くんだろ?」
「…どうしたんでしょうかね。…ルシカは、何か知っていますか?」
殿下と親しいでしょう?とデリーに言われたが、ルシカは静かに首を振り「知らない」と答えた。
そして、険しい表情をしたままクロウリィが消えていった方を見つめた後、乙に視線を落とした。
そっと様子を窺うと、胸の前に小さな両手を握りしめ、苦しそうに俯く乙がいた。
ルシカは切なそうに乙を見つめた。
しかしその表情とは裏腹に、はちみつ色の瞳には、仄暗い色をした冷たい炎が静かに揺れていた。
何かの決意をもって…。
平和な日常風景を描きました。
日常があるということは、それを打ち壊す何かが今後あるわけで・・・つかの間の小休憩のような日々です。
かなりザックとデリーは良い性格しています!
書いていてとても楽しかったです!