第11話 小さなお茶会
副題は「ガールズトーク」です。
ある晴れた日。
王宮の花の庭園から、女性たちの軽やかな笑い声が聞こえてきた。
白いイスとテーブル。
その上には、ロマの葉から入れた薫り高い紅茶と、砂糖たっぷりの甘い焼き菓子がのっている。
そして向かい合うように座っているのは、2人の女性。
乙とフィリアである。
2人は嬉しそうにクスクスと笑い合っていた。
ちなみに、乙の横で微笑んでいるフィリアという女性は、ミハやニースの親戚にあたり社交界でも“麗しの美女”と有名な御婦人である。神殿にて療養中のミハの御見舞に来ていた時にばったりと乙と出会い、それから何度か出会い話をするうちに意気投合し、こうして定期的に小さなお茶会を開く仲となったのだ。
花に囲まれた庭園での風情あるお茶会。
今日の乙の装いは、レースの付いた詰襟の白いブラウスに、踝まである紫紺色のロングスカートで、縁には金糸と銀糸の鮮やかな刺繍が施されていた。漆黒の長い髪は頭の高いところに一本で結わえられ、銀のリボンで美しく飾りつけられていた。
シンプルな中に光る手の込んだ装いは、乙の清廉さを余すことなく伝えていた。
一方、フィリアの装いは、豊満な胸とくびれた腰を魅力的に引き立てるデザインで、鮮やかな紅花色のドレスは大胆に背中が開いていたがいやらしさは全く感じないものだった。優しい色を浮かべる赤茶色の瞳と同じ色の豊かな巻き毛が、さらりとその背中に流れていた。
齢33ながら2児をもうける母親であり、その女性的な美しさは衰えることを知らず溢れんばかりの魅力がこぼれおちていた。
そんな麗しい御令嬢と御婦人が花の咲き乱れる庭園にいる様子は、まるで一服の絵のごとく美しいものだった。
給仕をしているマリーや他の侍女たちも、その様子にほぅ…と見惚れていた。
クスクスと笑い合っているときに、そういえば…と今思い出したというようにフィリアは話し出した。
「そういえば…!忘れてたけど、ミハは少し来るのが遅くなるっていってたわ」
「え?そうなの?」
「えぇ。少し治療のほうが長引いているみたいよ」
「治療って…。もしかして、右足の?」
「そうよ」
右足の治療。
ミハは肉が腐る病にかかり、右足の膝から下を切断したのだ。
その後、神殿でニースに治療を行ってもらっているとのことだった。
乙はミハがどのような治療を行っているかは知らなかったが、聞くところによると、ニースが“力”を使って何かしらの治療を施しているということは知っていた。
この“怪我をした人に治療を施す”というのは、慈善活動の一環として中央神殿でも神官たちが定期的に一般の人々を対象に行っているのだ。
具体的に何を行っているのか興味の湧いた乙は、フィリアに尋ねた。
「ねぇ、治療って具体的には何をしているの?」
「あら?知らないの?」
「うん、具体的にはわからないな~」
「そうだったの。…詳しくは神官に聞くほうがいいと思うけど、簡単に説明してあげるわ!」
「やったぁ!ありがとう」
嬉しそうに無邪気に笑う乙を見て、フィリアはクスッと笑みを漏らした。
これじゃ~、ミハもニースも“おちる”わね~と、心の中で呟きながら。
「そぉね。…治療って言うと傷とか怪我とかを治すイメージがあるけど、この神殿で人々に施しているものも、ニースがミハに施しているものも、厳密にいえば少し違うの。治療というよりもむしろ、治癒力を高めていると言ったほうが正解ね」
「治癒力?」
「そうよ、治癒力。簡単にいうと、自己の治ろうという力にさらに“力”を加えることで、何倍にもそれを高めているとのことよ」
「へ~、そんなことができるんだ!」
「不思議よね?“力”って、至高神ホロより生まれいでた“木火土金水”の力の片鱗のことをいうらしいの。それで、神官なら修行を積むことで使用することができるそうよ」
もちろん、ニースの受け売りだけど!――ばちんと音が鳴りそうなほど、茶目っけたっぷりの魅力的なウインクを投げた。
「ミハは定期的にニースに、治癒力を高めてもらっているのよ。だから、神殿で療養しているところなの。神官長サマ直々なんて、特別待遇よね~」
フィリアはニヤッと笑いながら紅茶を口元に近づけ、上品に香りを楽しみつつ静かに啜った。
なるほどなと真剣に聞いていた乙は、後でルシカに詳しく聞いてみようかな?と思いつつ、フィリアに倣って紅茶に口を付けるのだった。
ふっ…と一息ついていると、突然フィリアが「それでぇ?」と前のめりになりながら乙に問うてきた。
キラッキラと目を輝かせて問い詰めるフィリアに、若干気押されつつ頭の上に「?」を沢山浮かべた乙は、困ったように目を瞬かせていた。
「んもう!焦らしちゃって!いじわる~、早く薄情なさいな!」
「え?え?な、何を?」
「だ・か・ら!私に話したいこと、相談したいことあるでしょ?って言ってるのよ」
「…え、と。……んん?」
突然、相談したいこと…と言われたが、これといって思いつかない乙はう~んと唸り、考え出してしまった。
その様子に、少し驚くように目を見張り「あらら?な―に?…もしかして気付いてないの?」と小首を傾げるのだった。信じられないというように…。
実はフィリアは、以前会った時の乙とは様子が違うことに気付いていた。
…乙が憂いを帯びた表情をしていることに。
だから内心、いつの間にこんなに色っぽい表情を見せるようになったのだろうか、何か気に病むことがあるのだろうか?と心配していたのだ。
もちろん、心配というのは…憂い、翳りを帯びる色っぽさが、ダダ漏れしていることにだ。
こんな調子では、すぐに狼に喰われてしまうわ!と母親のように心配してのことだった。
未だに考えている乙を見て、流石にあきれたような顔をした。
「…ねぇ、私が思うに最近のことだと思うわよ…?」
「……最近、かぁ…」
結構なヒント的なものを与えられたはずだが、乙はそれでも考え込んでいた。
無自覚なのか何なのか…。
フィリアは苦笑し、もういっちゃうかな?と思ったのだった。本当は、乙自ら言ってもらいたかったけれど…と。
ふっと息をつき、乙をまっすぐに見つめた。
「キノト…。――王宮の宴で、何かあったのではない?」
「!!!」
直球の問い。
ドキッ――。
乙は心臓が大きく跳ねたのを感じた。
目を大きく見開きフィリアを凝視した。…まるで、どうして知っているのかと問うように。
厳密に言うと宴の後に、起こったことだけど…と思いながら。
「…はぁ。…やっぱり、何かあったのね」
「…」
「…もしかしてと思って、あたりを付けて言ってみたの。…といっても、何かあるとしたらそれしかないのだけれど」
「…」
「ねぇ、キノト。…私に、話したいこと、相談したいこと、あるでしょ?」
何でも聞いてあげる――。
柔らかく包み込む様な声音でいうフィリアに、乙の強張っていた体が少しほどける。
乙は少し俯いて、考えた。
あの事を言ってもよいのだろうかと。
あの、クロウリィとの夜のことを…!
口を引き結び、思案する乙であったがフィリアになら相談してもよいのではないかと思っていた。
なぜなら、彼女はとても信頼できる人物であり、かつ人生経験も豊富なためクロウリィのあの行動の意味もわかるのではないか、と思ったからだ。
自分では考えてもわからなかったから…。
そっと顔を上げ、フィリアを見つめる。
無意識のうちに拳を握りしめながら。
「…フィリアさん。あの、あの私…相談したいことがあります。…聞いてくれますか」
「もちろんよ」
フワッと、まるで太陽のように温かく微笑むので、乙は少しだけ瞳を潤ませた。
嬉しくて。
そして、ぽつぽつと語り出した。
クロウリィは…。
彼は―――
太陽のような人。
とても陽気で楽しくて、からかったり、いたずら好きで。
でも。
それ以上に優しい人だって、私は思う。
悲しい時に側にいてくれたこともあった。
彼は、温かかった。
彼からは、太陽の匂いがした。
なのに、なのに…。
あの時、彼は―――
暗い闇のようだった。
あんなにも、怖いと思ったことはなかった。
身に覚えのないことを、責められた。
違うと否定しても、聞いてくれなかった。
いつもの彼とは違った。
…怖かった。
とても。
でも、その後微かに聞こえた「ごめん」という言葉と温かい手。
なぜ?
今度は優しくするのか?
わからない。
わからないの。
彼のこと。
クロウリィのこと。
囁くように言葉を紡ぐ。
乙の漆黒の瞳は、不安に揺れていた。
フィリアは何も言わずに、ただ聞いていた。
けれど、その瞳に映る色は―――興味深そうに輝きながらも、とても穏やかな色を湛えていた。
そして思わず、フフッと笑みをこぼすのだった。
…なぜか。
それは、フィリアにとってなんてことはないものだったからだ。
むしろ、「心配して損した~」とまで思っている。
だから、彼…クロウリィがとった行動の訳について思い悩む乙に、“それ”を教えてあげることは可能だった。もちろん“それ”はあくまでフィリアの推測でしかないのだが、しかしかなり高い確率―――否、確実にそうだと確信さえ持てるほどだった。
…それほどわかりやすいことだったのだ。
でも…、とフィリアは思案した。
ここで教えることはとても簡単だけれど、それは当人たちの問題であり、第三者がズケズケと土足で踏み込むようなことではないのでは?と憚られた。それに…、「こんな簡単なことなんでわからないかな~!キノトもクロウリィ殿下でさえも!」と、呆れる気持ちが大きかった。
したがってフィリアは、心を鬼にして教えてあげないことにしたのだ。
だから乙に「私もちょっと良く分からないわ~」と残念そうに言うと、先ほどよりもさらにしゅんとしてしまった。
そんな乙を少しかわいそうに思い、何かしらヒントでも出そうかな…と不安を色濃く宿す漆黒の瞳を見つめるのだった。そして、何か思いついたように赤茶色の瞳をニヤッと弧を描くように細め、テーブルに置いてある甘い焼き菓子に手を伸ばした。
「ねぇ、キノト~。男って、いつまでたってもガキなのよ。知ってる?」
「………え?」
突然の質問に、乙がパチクリと驚いたように瞑目していると、「はいどうぞ」と手に取った焼き菓子の1つを渡すのだった。そして、いたずらを思いついた子供のような嬉々とした表情を見せた。
「あのね~。ミハとニースって、大の甘党なのよ!あんな顔しておいて!」
「…ほぇ?」
「ふふ。おかしいでしょう!でもね、いい歳して甘党だってばれるのが癪みたいで、私の前でさえ我慢するのよ!ばればれだって言うのにね!ハハハ!」
「は、はぁ…」
「だからね、私が甘いお菓子を勧めても『いらない』って拒否するんだけど。実際に、『いらいなら私が食べるわ』ってこれ見よがしに食べようとすると…、」
「…すると?」
フィリアはここぞとばかりに、にっこりと笑った。
「『やっぱり、お前に食べられてしまうよりは!』って、私が手にした焼き菓子をわざわざ奪って、足元にいた愛犬にあげちゃうのよ!!」
「えぇ…!?」
「本当なのよ!行動の、意味がわからないでしょ!?ハハハ!ガキよね~、プププッ!」
フィリアは、最初こそ貴婦人らしく口元を扇子で隠して微笑んでいたが、徐々に深くなる笑いを隠しきれずに、今ではケラケラと扇子を手で叩きながら音を立てて笑っていた。内心、絶対キノトはこのヒントに気付いてないわねと思いながら。
対する乙はというと、フィリアが出したヒントにはもちろん気付いておらず、冷静で大人であるミハやニースがとる子供のような行動がおかしくて、あはは!と盛大に笑っているのだった。
その時、いつの間にそこにいたのかテーブルの目の前に人影ができた。
「…おい。…なんて話しているんだ」
低く響く声が降ってきたと思ったら…今の今まで笑っていた乙とフィリアは、同時に笑いをピタリと収め、そろそろと声がした人物へと顔を上げた。
…ミハであった。
「「!」」
はっ!と驚いたのは同じだったがその後の対応は違った。
乙は悪いことをしている気分になって、思わず右へ左へと視線をさまよわせた。
フィリアはいたずらが見つかった子供のように少々ばつの悪い顔をしたが、次の瞬間にはツン――とすまし顔になり、反論するのだった。
「別に、なんでもありませんわ。女同士の秘密の会話ですもの。殿方は口出し無用ですわ」
「…先ほどまで、俺たちの――恥ずかしエピソードを披露していたような気がするが?」
「さぁ~て?何のことでしょうかぁ?」
あくまで知らぬ存ぜぬを繰り返すフィリアの様子に、ミハは呆れたような顔をしていた。
2人のやり取りを見守っていた乙は堪え切れずにプッ――と、吹き出しクスクスと笑った。
その様子にフィリアもミハも、クスッと笑みをこぼした。
クスクスクス―――。
午後の王宮の花の庭園。
見事に咲き誇る色鮮やかな花々の中に咲き誇るのは如何なる花か。
美しい花たちに囲まれ、今日もまた3つの小さな花たちの笑顔が咲くのだった。