第8話 王宮の宴
「今日はルドルフ陛下の即位を祝う宴なんだよね?」
「はい、そうです。毎年陛下の即位を御祝いするのですが、今年は特に即位10年を迎えられましたので、3日3晩国中で御祝いをするのです」
「へぇ~。国中で?ということは、街でも皆お祝いしてるんだね」
「ええもう。街も人もお祭り騒ぎでとても賑やかです」
「楽しそうだな…」
「興味があるようですね…街に行ってみたいですか?」
「うん!行けるなら行ってみたいな。私まだ街に行ったことないから」
「…ではトトゥロ大神官長にお伺いしてみます」
「ありがとう!ルシカ!」
乙とルシカはニコニコと笑い合いながら、王宮の大広間に続く廊下を歩いている。
今日からルドルフ国王陛下の即位を祝う宴が始まったのだ。
一日目の夜の宴では、国内の貴族や神官が王宮の大広間の集まり祝宴を挙げ、二日目、三日目は他国の貴族たちを招くこととなっている。
その一日目の夜の祝宴に2人は参加しようとしているのだ。
ルシカは神官の正装である、薄い灰色の絹の長衣に、白地の絹に銀糸の刺繍で縁取られたローブを羽織っている。
乙は白地に下にいくほどに濃くなる藤色のレースを何枚も重ねた、ふんわりとしたドレスを身にまとい、首元には繊細な作りの銀と紫水晶でできたネックレスをそっと付けている。漆黒の長い髪は頭の上で複雑に結いあげられており、白い項が輝いて見えた。
乙のドレス姿は大変似合っており、大変美しかった。
しかし、今夜の装いに白地のドレスを着るのは…大変珍しい。
夜の宴であるにもかかわらず白地の淡いドレスを身にまとうなど、普通の貴族であるならまず間違いなく着てはこない。
…目立たないからだ。
だから皆、赤やピンクなど色の濃い目立つ色のドレスを身にまとうのだ。
けれど今夜の乙の装いは目立つためのものではなく、むしろその逆で神官の正装に合わせた白系のドレスを着て、その中に上手く紛れ込むためのものなのである。
というのも、普通に貴族たちの輪の中に紛れ込むことなどできるはずもなく、乙の容姿からもかなり目立ってしまう可能性が高いため、それならばとひっそりルシカたち神官の中に紛れて参加しようとしているのだから。
…まぁ、乙がこういった場に慣れていないため神官たちの中に紛れ込むのだが。
祝宴はすでに始まっていた。
2人は目立たないように、皆から遅れて大広間に入ろうとしている。そのため廊下には警備のための衛兵しかいない。
やっと大広間に到着し、重厚な扉の前に立つ。
「では、入りましょう」
「はい」
ググッ―…と重厚な扉が低く唸り声を上げ開いた。
すると一気に大広間から人々の話し声や品の良い音楽、色々な香水が混ざり合った匂いと熱気が流れ出してきた。
独特の雰囲気に少々気押されながらも、ルシカに背を押され歩き出す。
大きな大きな大広間。
そこに何百人という貴族がいる。
そして後ろの壁には神官たちがズラッと並んでいた。
神官は参加こそすれど、貴族たちのようにダンスをしたり食事をしたり…といったことはしない。
大広間の後方に並び思い思いに談笑しているのだった。
「やっと来ましたね」
ニース神官長が笑顔で2人を迎えた。
「只今参りました。…遅れてしまいましたか?」
ルシカがニースに挨拶しつつ、心配そうに聞いた。
「いいえ。ですが、少し遅かったので心配していたのですよ」
「あ~、ごめんなさい。私がドレスを着るのにちょっと手間取ってしまって…」
「ふふふ。今日のドレスも、大変お似合いですよ。キノトは何を着ても似合いますね」
「クスクス。ほめても何も出ませんよ」
「お世辞などでは…ねぇ、ルシカ。大変お似合いだと思いませんか?」
「はい。まるで花の妖精のように可憐で………美しいです」
「~~~。そういうことを真顔で言わないでよ。…恥ずかしい」
ポッと顔を赤らめた乙にルシカやニースはもちろん、周囲にいた神官たちが一斉に顔を赤くした。
普段人の美醜などに惑わされることのない神官たちだが、乙の愛らしい表情を見て不覚にも見惚れてしまったのだ。
ぼ~っと顔を赤くして呆けている神官たちを現実に引き戻したのは…2人の神官長である。
「まだまだ、修行が足りませんな」
「えぇ、全く。ニース神官長も…若いですなぁ~」
「「「!!!」」」
面白そうに言う2人に、神官たちの顔がサッと青ざめた。
何しろ“修行が足りない”と神官長たちが行ったその次には地獄のようなキツ―イ、キツ―イ修行が待っているのだから…。
アワアワとしだした神官たちを眼の端にとらえつつ、ニースは苦笑し「からかわないで下さい…」と、こちらに歩いてくる2人の神官長を少し諌めた。
しかしそんなことは意に介さず、依然として2人は飄々としていた。
「まぁ、あれだけ破壊力があったら…のう」
「あぁ。仕方がないですな~、儂らももう少し若ければ――…」
「御二人とも…!」
ニースは皆まで言わせず言葉を遮った。
2人は面白そうに首をすくめつつも、ニコニコと笑っていた。
そのテンポの良いやり取りを見ていた乙だが、さっぱり話についていけずにいた。
乙の頭の上には、?マークが大量に浮かんでいた。
「えっと…、ドロリア神官長とパル神官長?」
「あぁ、すみませんね。キノト様、ご機嫌麗しゅう」
「お久しぶりでございますな。なかなか儂ら2人はとは、会う機会がありませんでな」
ドロリアとパルとは最初の頃に紹介され面識があったが、忙しいのか乙とはあまり会う機会がなかった。
ドロリアは主に国内の神殿を統括し、パルは他国の中央神殿との協調役をしているため色々と忙しいようだ。その点ニースは、王宮に隣接するこの国の中央神殿を統括しているため比較的乙と会うことができた。
2人とはあまり会うことはなかったが、乙にとっては近所のオジサン的な存在で、こんな風に神官たちとテンポよく話すので面白い人たちだな~と思っていた。
その後、幾分か皆で談笑していたが、神官長ともなれば貴族たちとも色々と挨拶などもしなくてはならず、3人連れだって行ってしまった。
「それでは、キノト様。我等はもう行きますが、どうぞお楽しみください」
「楽しまなければ損ですぞ」
「はい!楽しませてもらいます!」
「ほほ。…それでは、これにて」
「はい、またお会いしましょう」
「キノト、私も行きます。ルシカにあとは任せますから、では」
「はい。お仕事がんばってください~」
乙は3人に軽くお辞儀をして見送った。
ニースは最後にルシカに顔を向け、任せますと言い去って行った。
「忙しそう…」
「神官長ですからね」
「ルシカは?」
「私はただの第一神官ですから。ちなみに、祝宴に参加できるのは第二神官以上なんですよ」
「へ~、確かに…いつも見る人とかいないかも」
「はい。第三神官や神官見習いには、まだ刺激が強いので…」
「刺激?」
「う~ん。…まぁ、修行が足りないってことですよ」
「修行ね~。そういえばさっきも修行がなんだとか言って――…」
「楽しんでるか?」
不意に乙の言葉を遮るようにして、誰かが会話に入ってきた。
えっ?と思い声の主を辿って振り返ると……ミハが立っていた。
乙は思わず、ミハ―――っ!と声をあげてしまった。というのも、一昨日聞いた時点では足の調子が悪いので行けないと言っていたからだ。
ミハはニッと笑いながら乙を見た。
「淡い色のドレスもなかなかいいものだな。キノトによく似合ってる」
「ありがとう!ミハも、すっごくかっこいいよ」
乙は嬉しそうにほほを緩め、ミハの装いを見た。
深緑色の裾の長いローブは金糸と銀糸の刺繍で豪奢に縁取られ、中に着ている長衣は萌黄色で金と深紅の複雑な模様が施されている帯で留めており、首や腕には太い金細工のアクセサリーを身に着けていた。
ミハの深緑色の瞳と燃えるような朱色の髪の色を基調とした装いだった。
普通ならば他の貴族と同じように礼服を着るところだが、右足が膝から下がないためパンツを履くとどうあっても不格好になってしまう。なので長衣という装いなのだ。
ミハの装いは大変かっこよかった。
先ほどから男女問わず貴族たちの熱い視線をミハは受けていた。
その視線から乙を上手く隠すように、ミハとルシカはさり気なく移動して壁を作った。
乙はいつもとは違うミハを嬉しそうに見つめていたので、そんな2人には全く気づかなかった。
「楽しんでいるみたいだな」
「はい。さっきまで、3人の神官長たちとお話していたんだよ」
「そうか…」
「ニースも、楽しそうだった…よ?」
「………フッ」
乙はいらない情報かとも思ったがニースのことを話した。
ミハはそんな乙の気遣いに微笑ましいものを感じつつ、知りたいなと思ったことを乙が先んじて話してくれたことに感謝していた。
一昨日、ミハが双子の話をした後に、互いに“ぶつかってみよう”と“一歩踏み出してみよう”と約束し合ったのだ。
ちなみにその後、ミハのキスに気を失ってしまった乙であったが、起きた後にミハから「ごめんな。キノトは妹のように可愛くて、つい…」と謝られたのだった。ちょっとばつが悪そうに頭をかきながら言うミハは、乙の双子の兄の仕草に良く似ていて思わず吹き出してしまった。
ミハからのキスには驚いたが、やはりミハはミハでしかなく、兄の様にも思っていたのであっさりと許してしまった。
普通なら、あれほど官能的なキスをされておいて「兄の様な人からのキスだし、まぁいいか」と完結できる者はいない。…さすが、乙である。
そんなこんなあったが、乙とミハは今までと変わらない様子でいた。
…2人は、物怖じしない強心臓の持ち主ともいえる。
楽しく3人で談笑していると広間の前方から突然、キャ―――ッッ!!!という黄色い声が上がった。
何事かと見やれば、まさに黒山の人だかり状態で貴族の御令嬢たちが、ある人物を囲んでいるところだった。
乙は何とか見ようとつま先立ちになって頑張ったが、何より遠いことと背が足りないことで見えなかった。
え?え?だれ―?とミハとルシカに聞くと、2人は顔を見合わせつつ深いため息をついた。
「???」
2人の反応がよくわからず、質問にも答えてくれないため余計に見たくなった乙は、はしたないかとは思ったがぴょんぴょんとジャンプをして見ようとしだした。
そんな乙に苦笑しつつミハは、見たいか?と聞いた。
すると間髪入れず、もちろん!と元気よく言うものだから、ミハは右手に持つ松葉杖をしっかりと持ち左手で乙の腰を抱え込みヒョイッと持ち上げた。
乙がドレスを着ているにも関わらず、いとも簡単に持ち上げてしまうのだから、退役したとはいえやはり根っからの軍人なのであろう。体力があるということと女性の扱いとしてはなってないというところとか…。
当の乙は全然気にしていないが…。
突然視界が上がったことに、乙はうわっ!と驚きの声を上げた。
視界は一瞬にして背の高いミハと同じになった。
ルシカは、なんてことを!と驚いて苦言を呈したが、ちょっとだけだよと言うミハに渋々頷いたのだった。
「どうだ?見えるか?」
「あ―…とっと。…あ!見えた見えた!」
「で、誰だった?」
「クロウリィ!」
正解!と言いつつミハはゆっくりと乙を降ろした。
そう。
沢山の貴族の御令嬢から黄色い声を上げられているのは、クロウリィであった。
クロウリィは濃紺色の生地に金の刺繍と房がつけられた礼服を着ており、片方の肩からは白地に金糸の刺繍の施された長いマントを身に着けていた。
何故か彼が着ると、その礼服は危険な色香を漂わせ妖しく見えた。
そんな姿に貴族の御令嬢たちは、メロメロの夢見心地でうっとりとしていた。
またそれに答えるかのように、端正な顔立ちに浮かぶ碧色の瞳を妖艶な流し眼を使って彼女たちを見るものだから、ますます効果絶大といえる。
キャ―――!!!イヤ―――ン!!!こっちを向いて―――!!!
との声が響く中、乙は感心してその様子を見ていた。
「本当に、人気あるね。あっ、モテモテっていうんだっけ?」
「そうだな。何せ、あの顔にあの地位だからな。皆狙ってるんだろ」
「へ~。ハーレム状態だね。スゴイ、スゴイ!」
「はぁ…。もう少しあしらってしまえばいいのに…」
「お!キツイこと言うな~神官」
「笑いごとではありませんよ、ミハ様。彼は全く本気ではないのですから。…本気の御令嬢たちが哀れです」
「本気じゃないんだ?」
「もちろんですよ」
3人がクロウリィについて話していると、近くにいる貴族たちがコソコソと噂をしだした。
『全く、あの調子じゃ~参るよな』
『ほんとだ』
『女遊びも大概にしろって。この国の王子サマだろ?』
『確かに。全く“愚弟殿下”だよな。これなら病弱のカサルア様の方が、まだマシかもな』
『違いない。花街にもいっつも行ってるみたいだしな。もう少し自重しろって』
『いや、俺が聞いたところによると、この1カ月くらいは全く行ってないみたいだぞ』
『へ~、何の心境の変化かな』云々…。
乙は陰でコソコソと言う貴族に腹が立ち思わず、貴方達!と声を上げそうになったが、それに気付いたルシカがサッと乙の腕を引いた。
それにムッとなった乙は、どうして?とルシカを仰ぎ見たが、ただ首を振るだけだった。
ミハは苦笑しつつ乙の頭に手を置き、落ち着かせるようにポンポンと撫でた。
「…キノトが怒るのも無理はないが、殿下はああいう性格だ。仕様がない。陰口をたたくのはどうかと思うがな」
「でも…」
「自業自得という言葉もあります。彼は、その、本当に遊び方が激しくてですね。有名なんですよ。またその行いを正そうともしない…困った人なんです」
「クククッ。花街では結構有名だぞ」
「花街?…それって、何?」
ミハは面白そうに乙の顔を覗き込んでいた。
ルシカはと言うと、余計な事を言うなとばかりにギロッとミハを睨んだが、そんなことはお構いなしに笑いながら言った。
「花街はな…。春を売るんだ。…つまり、娼――」
「はい!もう結構です」
ルシカは強引にミハの言葉を遮り、もう聞かせないとばかりに乙の耳を手で覆った。
ミハはニコニコしながら、お固いね~とか言いつつルシカの冷たい視線を浴びていた。
そんなことしても無駄だよ。キノトも子供じゃないんだから、もうわかったみたいだよ。ほら、顔…と言いつつ乙の顔を見てみなさいとばかりに言うので、ルシカが渋々見て見ると…
乙はこれ以上は限界!というほどに、真っ赤になっていた。
顔も耳も首も…。
真っ赤になり、恥ずかしそうに俯く乙をよく見ようとするように、ミハが顔を近づけるが、からかわないで下さい!とルシカは乙を自分に振り向かせ、やさしく胸に閉じ込めたのだった。
ハハハッ!悪い悪いと、全く悪びれる様子もなく言うミハに再び冷たい視線を送るルシカであった。
3人で楽しそうに戯れる姿を遠くから見つめる者が一人。
―――クロウリィである。
彼は楽しそうにじゃれ合う3人を見て、スッと目を細めた。
その瞳に映る色からは、全く感情が窺い知れない暗い色をしていた。
どうしたんですの?と、腕にしな垂れかかっている御令嬢にクロウリィが目を向けた時には、もうすでに甘く妖しい色を煌めかせていた。
なんでもない…と甘く囁くと、彼女はうっとりと瞳をとろけさせた。
クククッと喉で笑いながら、オンナって生き物は…と嘲りつつ妖艶に微笑むのであった。
祝宴は色々な人々の色々な思いを乗せて、坦々と進んでいった。
クロウリィ・・・前回からちょっと怪しいですね。
そのうちに、爆発するかも・・・