第7話 過去から前進
私たちはがむしゃらに走った―――。
そう言って遠くを見るミハの深緑色の瞳は、自然とその色を濃くした。
乙は彼の、彼らの過去を聞き“双子”という存在がこの世界でどれ程辛い立場にあるのかを知った。
だからか…。
だから、ミハとニースはこんなにも違うのかと。
違う環境の中で育ってきたから、同じ顔の造りをしているがその印象は全く違い瓜二つの双子であるはずなのに別人に見えるのだ。
そして、そうあることを2人は望んだのだ。
…呪縛から逃れるために。
ミハは再び乙に視線を戻し話し始めた。
***
…がむしゃらに走った。
走って走って走って―――周りから聞こえてくる雑音なんて軽く受け流して。
そしてその努力は報われた。
ミハは軍の№2である東方将軍に若干30で任命された。
その年齢の若さもさることながら、そう高くはない身分である子爵でありながらの異例の大出世である。当然僻みもあったが、何より類まれなる強さや知力にそれ以上の人柄の良さから多くのものが慕い、その出世に皆が讃辞を送った。
いつしか、若い者や爵位の低い者の希望の星となっていた。
そしてニースもまた然り。
彼はワーグナー国中央神殿史上、最年少の25歳で神官長に就任し驚くべき大出世を果たしていた。
東方将軍に神官長。
異例の大出世を果たした2人は当然皆の興味を引き立てた。
2人が双子であることも皆が知っていた。
いや、いつの間にか知られてしまった。
けれど、以前のように忌み嫌われたり嫌悪の目で見られることはなかった。それはつまり、“双子”という呪いから脱したということだった。
光り輝き上位に位置する大出世を“双子”が遂げたことで、徐々にではあるが“双子”という認識が変わっていった。
だからか、時たま2人には“双子”だという者からの手紙をよく受け取った。
『2人に力をもらった』
『双子である自分も、胸を張って生きたい』
『あなたたちは、私たち双子の希望の星です』等々…。
双子として生まれてきたがために辛い境遇に身を投じてきた者たちにとって、2人は希望であり誇りでもあった。
ミハはそういった手紙をもらうととても勇気が湧いた。
ニースを不幸にした罪深い自分が少しだけ価値のある者に思えて…。
…でも、再び不幸は襲った。
ミハはいつしか“双子”という呪いが無くなったのだと思っていた。
しかしそれは大きな間違いだった。深く人々の中に根付くモノがそう簡単に無くなることはなかったのだ。無くなったとそう感じたのは単に、ミハが東方将軍という地位にいるため皆が面と向かって言わなかったというだけだったのだ。
皆心の中では思っていたのだ。
所詮は双子だと。
呪われた双子だと。
ふっとミハは言葉を切り、少し苦笑しながら言った。
その瞳に宿るのは悲痛な色だった。
「…1年前に病を患ってね。ほら、この右足さ」
そう言って、足を覆う様に掛けられていた膝掛を横にずらすと…そこにあるべき足が無かった。
ゆったりとした白い長衣の服を身につけているため形がぼやけ分かりにくかったが、膝から下の足のシルエットが無かった。太ももの足の膨らみが突然無くなっているのだ。
右足が無い…。
乙が声もなく驚いていると、まるで安心させるように優しく言った。
「…病だ。珍しい、肉が腐る病だったんだ。」
「……腐る?」
「そう。足首に違和感を感じてな…医者に見せたら、早急に手当てする必要があると言われた。早くしなければ、毒が全身に回り命も危ない。だから、そのためには、腐った患部を完全に取り除く必要があって、足を切断するしか手はないのだと言われた…」
「…そんな…」
「あぁ。私もまさかと思ったよ。…私は軍人だ。これが戦場で足を失くしたというなら、まだ救いはあったのだがな…まさか病で足を失くすなど、軍人としてなんと不名誉なことであったか…」
ミハは苦しそうに言葉を紡いだ。その言葉からは力が感じられず、ほとんど独り言のようだった。
乙はミハの苦しみを知って心が痛かった。
痛くて痛くて、でも何も言えなかった。
「そして私は軍を退役した。…もはや以前のように戦うことのできない身体で、いつまでも軍人としてその位に居座ることは無意味だったからな。…だが、そんな私を不憫に思ったのか、陛下が大臣の職を私にお与えになった。…私は根っからの軍人なのにな」
「……」
「足を失った哀れな私に、皆は口々に言ったよ。“双子の呪い”だとね…。その言葉を聞いた瞬間、思ったよ。どこまでいっても自分は“双子”であり、皆心の中では呪いは無くなったと浮かれる私を嘲笑っていたのだとね」
「そんなことっ…」
「いや、そうなんだ。一度溢れた悪意はすぐには収まらない。…現にニースも、私のせいで色々と悪く言われてしまった。彼の目が見えないのは“双子の呪い”のためだとか、神官長になれたのも他の候補を呪ったからだとか…私のせいで、ニースが散々に言われてしまった。双子の呪いは無くなったと思ったのにな…」
感慨深そうに言うミハに乙は胸が締め付けられるように苦しくなった。
気付いたら乙は叫んでいた。
「違う!ミハもニースも、だれも、悪くない!双子の呪いなんて、そんなもの、ウソです!!」
ミハは突然大声で叫び出した乙に驚いたようで、目を大きく見開いた。
しかしそんな様子のミハには構わず、乙は必死に言葉を続けた。
「みんな、みんな勝手すぎる!呪いなんて、あるはずないのに。ニースの目が見えないのも、ミハの足が病気で失ってしまったのも、全部偶然なのに。呪いなんかじゃない!ただの、ただの偶然なのに…酷い!」
「…キノト………」
「双子の何が悪いの?私にはわからない!…私にも、双子の兄たちがいるの。兄たちは本当に仲が良くて、それがすごく羨ましくて…私も双子で生まれてきたかった!だからミハとニースがすごく羨ましい。それに双子って、一度に命が2つも授かるんですよ!…こんなにも素晴らしいことはないのに。みんな、みんな分かってない!みんな、勝手すぎる!!」
顔を真っ赤にしながら必死に言い募る乙に、ミハは少し泣きそうに顔を歪めながら見つめた。
やはりキノト、君は…。
乙は未だに興奮が収まらないのか、肩で息をしながら唇をキュッと噛んでいた。
「…キノト。人は噂とか慣習とか、そういったものに惑い囚われてしまう。…悲しい生き物なんだ」
「…」
「だから“双子”というものを虐げ、凶兆だ呪いだと囃し立て…それで自分がなんとか優位に立とうとする。そうすることで、簡単に自尊心が保たれる…簡単にな」
「そんなこと馬鹿げてる!」
「そう。だけど、それが現実だ。…そしてキノト。君はそんなこと関係なく、初めから私たち双子をただの兄弟と、ただの人間だと見てくれた。…あぁ。その言葉にどんなに救われたことか。…私たちは言葉にできぬほどの喜びを感じたんだ」
「……わ、私は、思ったことを、言った、までです」
ミハの言葉は乙の胸にスッと入ってくる。
荒ぶる心が自然と穏やかになるような、優しく温かく包み込むような言葉だった。
だから、少しだけ涙が出そうになった。
…悲しいのはミハのはずなのに、自分はただ思ったことを言っただけだったのに。その言葉が、ミハやニースを救っていただなんて…そんなこと思いもよらなくて。でも、その言葉がすごくうれしくて…。
乙は堪えるように美しい柳眉を寄せ、涙で潤む漆黒の瞳を揺らした。
そんな健気な姿にミハは穏やかに微笑み、朗らかに笑った。
「私たちは救われたんだ、キノトに。…でも、本当に私は臆病だ。なかなか前に進めないでいる。…ニースとも、何も、何も変わっちゃいない。…きっと、ニースは私を怨んでいるから」
「そんなことないです!そんなことっ!!」
「…いや、そうなんだ。私さえいなければ、ニースは…」
「勝手に決め付けちゃだめ!…ニースがそう言ったの?違うでしょう?それは、ミハが勝手に思い込んでいるだけです」
乙はミハが、いや…ミハもニースも過去に囚われていると感じた。
そこから抜け出せずに、そして新たに傷付くことを極端に恐れているように見えた。実際に神殿の中庭で会った時、2人は互いに予期せぬ相手がそこにいたことでかなり動揺していた。…2人は、8歳のときからずっとギクシャクしたままなのだ。きっと心をさらけ出すこともしていないで、ただそうと勝手に思い込んでいるだけなのだ。
「…いや、そんな――」
「いや、じゃないです!…何も、2人は始まってないし、もちろん終わってもいない。2人はスタート地点に立ってすらないの!そこに立つことすら避けてるんです!だから、だから、まずそこに立って、きちんと2人で話し合ってください。今から始めるんです!」
「………始まっていない…?終わってもいない…?」
「そうです!相手の気持ちを勝手に思い込むんじゃなくて、ちゃんとぶつかって!きっと、きっと思いは伝わるから。…だって、2人きりの兄弟じゃないですか」
そう言って、フッと堪えていた涙を一筋流す。
キラキラと伝い落ちる涙。
美しい宝石のようだとミハは思った。
するとミハの身体は無意識に動き、相向かいの乙のソファーに座った。
ギシッ…と軋む音とともに、逞しく鍛え上げられた胸に乙を優しく包み込んだ。
「ありがとう、キノト。私たちのために、泣いてくれて。…そうだな、私たちは、避けていたんだな。…勝手に思い込んで。そんなことにも気付かなかったなんて」
自嘲気味に笑い、乙の長く流れる夜闇の様な漆黒の髪を撫でた。
まるで、自分を納得させるように。
「…ぶつかるのか…ニースと…」
「そうだよ。…ぶつかることって、すごく怖いことだけど。…立ち止まっているままじゃ、何も始まらないから」
「あぁ、そうだな。始めてみるよ。…スタートラインに立てるように」
「うん。…私も、始めてみようと思う」
乙はこの時カサルアのことを思った。
カサルアの闇を、孤独を理解したいと。
そして一緒に笑いたいと。
キュッと乙がミハの服を掴み、顔をあげる。
「一緒に、一緒に始めてみよう。勇気を出して」
「…あぁ。始めよう」
やわらかく朗らかに微笑み合う乙とミハ。
ミハは思う。
乙は本当に強いと、そしてその心がなんと美しいのかと。
…ありがとう、とミハが言うと、少し照れくさそうに笑いその瞳からまた一筋の涙を流した。
美しい宝石がまた頬を伝った。
それを見てミハは、その涙がもったいないと感じた。
だから自然とその伝う涙を、己の唇で止めた。
乙は突然のことに驚いて大きな目を真ん丸に見開いた。なにせミハの顔がいきなり近づいたと思ったら、頬に唇を寄せたのだから…。
大きく見開かれた漆黒の瞳の中には、白く白磁のごとくすべらかな頬に口を寄せるミハの姿が映っていた。
そのことに満足げにクスッと笑うと、次に涙が伝った跡を唇で拭い、目じりに溜まった涙をチュッと吸い上げた。
あからさまなチュッという音に乙はドキッとして、顔を真っ赤に染めた。
「あ…あっと、…えぇと…ミ、ミハ?」
「うん?どうした?」
消え入りそうなか細い声を出す乙に、何の事だかさっぱりといったように惚けてみせた。
そして優しく包み込むように身体を覆っていた腕を乙のほっそりとした腰にしっかりと巻き付け、髪を撫でていた手を髪の中に埋めて後頭部に這わせ上向かせるように手を動かした。
下から見上げてくる乙の漆黒の瞳は熱っぽく潤んでいた。
誘っているのか、ただ羞恥に潤んでいるのか…まぁ、確実に後者だろうが、おずおずといった様に上目遣いで見上げてくる乙にミハはやわらかく微笑んだ。
白磁のごとくすべらかな顔は、今や真っ赤な薔薇色に染まっていた。
ミハはその美しい花園に、いきなりキスの雨を降らせた。
…優しい親愛のキスを。
最初は小雨でパラパラと。
乙は恥ずかしそうに身を捩りながら、先ほどよりも真っ赤に頬を染めた。
その様子に満足しながら、瞼に、頬に、額に、目じりに、鼻に…沢山の雨を降らせた。
降るごとにそれは段々と激しくなり、仕舞には土砂降りになった。
チュッチュッと絶え間なく音が鳴り響く。
不意にミハはキスを降らすのを止め、顔を離し乙を気遣う様に伺い見た。
当の乙はというと、真っ赤に顔を染めながらもミハのキスの意味がわかるのか、照れながらも柔らかく微笑んでいた。
フッとミハは笑う。
「キノト。キスは嫌だったか?」
「………い、いやじゃなかった……けど、恥ずかしい」
無意識にキュッとミハの服を掴み顔を俯かせながらぼそぼそと言った。
クスクスと笑いながらミハは少し安堵した。…拒絶されなくてよかったと。
俯く乙の頭を撫でながら、キノト――と優しく名前を呼んだ。
恐る恐る顔をあげると、優しく目を細めた深緑色の瞳と出会った。
「…嫌なら、嫌だと言って」
そう言い終わるや否や乙の唇にミハの唇が重なった。
えっ?と思ったらもう離れていた。
一瞬のことだった。
ミハは口元に笑みをたたえながら、次の瞬間には再び乙の唇に口付けていた。
乙は状況が飲み込めずに目を白黒させていたが、ミハは構わず触れては離れ、触れては離れのキスを繰り返した。
そして再び不意にキスを止め、顔を離し乙を気遣う様に伺い見た。
「…キノト。…キスは…嫌だったか?」
「……い、いやじゃ、なかった」
少し掠れたような声を出すミハの問いに、乙は頬を染めながら反射的に思っていることを口に出してしまった。
そう、嫌ではなかったのだ。
乙はずっと女子高に通っていたため、男性といったら父や兄だった。
だからミハがキスしたり抱きしめたりすることは、父や兄が(もっぱら兄が)以前乙にしたキスやハグと同じものだと感じていた。どれもこれも、親しみのこもった親愛のもの。
なので、嫌だとは感じなかった。
もちろん、傍から見たらその感覚はかなりおかしいことなのだが…。
ある意味、兄たちが乙に悪い虫が付かないように固く固くガードしすぎて、男性=父や兄という方程式を構築させてしまったことが裏目に出ている。異性からのキスは、どんなに親愛のものだとしても普通はお断りするだろうに、方程式に従って乙は何も気にしていないのだから…。
ミハはそんな様子の乙にどこまで気付いているのかはわからないが、明らかに深緑色の瞳はその奥で熱っぽく煙っていた。しかし欲情し理性を失うというのではなく、その瞳は終始愛おしそうに優しく乙を見つめていた。
「…なら、もっと…いいか?」
掠れつつ低く響く声がそう乙に問うが、ミハは返事を聞かぬまま再び乙の唇に口付けた。
あっ…と小さく声をあげた乙であったが、その声はミハの唇に吸い取られてしまった。
先ほどと同じように触れては離れ、触れては離れを何度も繰り返す。
チュッチュッと音を立てながら何度もキスの雨を降らせる。
そしてそれは次第に角度を変えて啄ばむようになった。
…少しずつ強く、激しくなっていく。
ミハは乙の果実のように瑞々しくやわらかい唇を一心不乱に貪った。
何度も何度も角度を変えて、時折唇を食ませながら。
そのうち、飢えた獣が食事にありつくように、赤く色づく唇を激しく喰らうように口付けた。
息も吐かせぬほどのキスの嵐。
乙はどんどん息が苦しくなり、空気を求めるようにミハの唇から逃げる様にもがいた。
腕をミハの逞しい胸板にあて距離を取ろうとして突っ張るが全くびくともしなくて、なんとか首を反らして唇が離れた瞬間に必死になって息を吸う。
けれど、ミハはそれを許さず直ぐに唇で覆ってしまう。
しかし、それだけではない。乙が口に吸った空気をミハは遠慮なく、唇を貪ると同時に吸い上げて奪ってしまう。
「……やぁ…ん……んぁ…はぁ……あ」
苦しくなって、やめてと言葉に出そうにも、その言葉をミハが吸ってしまうので言葉にならない。そしてさらに酸素不足に陥ってしまう。
だから、必然的に空気を強く求めてしまう。
ミハの口の中に。
自衛本能のように無意識にミハの口から空気を奪うように吸い上げる。
だがそれはミハにとってうれしい反応だった。乙にはそういう意識は全く無かっただろうが、ミハの口に空気を求めることでキスに応じている格好になるのだから。
必死に唇を動かし、唇を貪る。
互いに激しく求めるキス。
するとさらに繋がりを深めるように、乙の薄く開いた唇に熱くヌメルものを捩じ込んだ。
舌である。
んんん!!!
乙は口の中に入ってきた異物に驚き、声をあげるもくぐもって舌に絡めとられてしまう。
あまり力の入らない手で、トントンと力いっぱいミハの胸を叩き抵抗を試みるが全く通じない。それどころか、身体に回されたミハの逞しい腕にギュッと力をこめられ、隙間なく身体が密着してしまい身じろぎすらできなくなってしまった。
酸素が薄くなり、激しいキスに翻弄され意識がぼ―っと遠のき始めた。
うまく働かない頭で、口の中を暴れまわる粘着性の熱いモノを自らの舌を使って押し出そうとする。
だがそうやって舌で押し出そうとする行動もまた裏目に出て、自分で舌を絡め積極的に応じているようになってしまった。
ぴちゃぴちゃ、と舌が絡まり合い互いの唾液をかき混ぜる音が室内に妖しく響く。
ミハが覆いかぶさるように乙と舌を絡め合っているため、乙の口の中には2人分の唾液が溜まっていた。喉に流れ込んでくる唾液を無意識にゴクゴクと嚥下していたが、止め処もなくそれは流れてくるため飲みきれない。咽そうになりながらも必死に飲み込むが、飲みきれず溢れた唾液が唇の端をツッ――と流れていった。
細い顎を伝い首筋まで流れる粘液を目の端に捉えたミハは、それを追う様に唇を離し舌を使って透明なその筋を舐めあげた。
はぁっ!と唇からミハが離れたことで胸一杯に息を吸うが、すぐさま唇は塞がれ先ほどよりも深く深く、より激しく唇を貪り舌を絡めとられた。
深く激しく。
乙はそれについていけず、フッと意識を手放してしまった。
ぐったりと力が抜けた乙を抱きしめる。
思った以上に激しく求めてしまったことにミハは苦笑しつつ、熱に耽った頭をフルフルと何度か振りその余韻を消し去ろうとする。
時折痙攣するように、ピクッと動く乙の身体を優しくソファーに横たえた。
華奢ではあるが女性らしい美しいラインをもった身体をそっと隠すように膝掛をかけつつ、名残惜しげに柔らかな白い頬を撫でる。
美しい。
フッと頬笑むミハはその柔らかい表情のまま、扉の方に目を向ける。
扉は閉めていたはずなのにいつの間にか開いていた。
否、ミハは知っていた。
扉が開く音も、人が入ってきた気配も、そして物陰でずっと見ていたことも…。
全て知っていて敢えて無視したのだ。
一見誰もいない空間に見えるが優秀な軍人であるミハには、気配でどんな人物がどこに隠れているのかといったことまでが手に取るように分かる。
だからミハは、朗らかに朝の挨拶でもするように言った。
「これはこれは。何のご用でしょうか?………クロウリィ殿下?」
「……」
すると、スッと物陰から姿を現したのは、ミハの言った通りクロウリィであった。
2人は無言で見つめ合った。
冷え冷えとした男たちの鋭利な眼差しが交差していた。