第6話 過去
乙は神殿の中庭をとぼとぼと歩いていた。
どこに行くわけでもなく、ただ歩いていた。
そんな乙の元気のない姿を見て植物たちが声を潜めて心配していたが、その声に気付くこともなく通り過ぎていく。
…昨日のことが頭から離れないのだ。
カサルアの発狂。
クロウリィから言われた言葉。
考えても考えても答えが見つからず、心がズキズキと痛んだ。
あの後、どうなったのかとマリーに聞くと、カサルアの発作はよくあることでしばらくしたら落ち着いたのだという。サオもあまりお気になさらずに、また来てくださいと言っていたとのことだ。
乙は“よくあること”という言葉に引っ掛かりを覚えた。
…ならばカサルアは頻繁に、声をあげて泣き叫び暴れていること言うことになる。乙には、カサルアがまるで何かから逃げるように暴れているのでは?と感じていた。
はぁ…。
ため息をついても何にもならない。
あんなことがあって、カサルアについてもっと知りたいと思った…でも、カサルアについて詳しく教えられないのだとサオにもマリーにも言われてしまった。
はぁ…。
もう何度目かもわからないため息をついた。
スッと見上げた午後の空は薄雲に覆われくすんでいた。
まるで自分の心のよう…。
ぼんやりと佇んでいると、不意に声が聞こえてきた。
「?」
何だろうと首を巡らすと、強烈な色彩が乙の眼の中に飛び込んできた。
鮮やかな朱い髪は短く切られまるで燃えているように荒々しいが、精悍な顔に浮かぶ瞳は深い森を思わせる深緑の色をたたえ、その対照的な動と静の強烈な色彩をその身に宿していた。そして室内から窓の木枠にその無駄なく鍛え上げられた逞しい褐色の体をもたせかけ、乙に声をかけていた。
―――ミハだぁ。
そうとわかると乙は嬉しそうに微笑み、ミハのもとへと近づいて行った。
ひたりと漆黒の瞳と深緑色の瞳が絡み合う。
「キノト。散歩か?」
「…あ、はい」
「?…どうした、元気がないようだが」
「………」
「…何かあったようだが、まあこんなところで立ち話もなんだし」
こっちにおいで―――と言い、返事を待たずにグイっと乙の体を持ち上げ、窓を飛び越えてミハの居室に降り立たせた。
突然のことに目を白黒させて驚きつつも、日本人の性か「お邪魔します…」と礼儀正しくお辞儀した乙であった。
意外にも冷静なその様子に、ミハがプッと吹き出したことは言うまでもない。
「落ち着いたか?」
「?」
今、2人は神殿内のミハの居室で相向かいのソファーに座りながら紅茶を飲んでいるところだ。
「…自覚なし、か?さっき庭園でキノトを見たとき、かなり酷い顔してたぞ?」
「酷い…?」
「あぁ…。生気がなく、ぼんやり空を眺めていた」
「………」
「まるで、今にも消えてしまいそうだった―――」
だから声かけたんだ、乙が消えてしまわないように…な?と最後は少しおどける様に言った。
その言葉に乙は、申し訳なさを感じていた。
…ミハに心配をかけてしまった。
しょんぼり俯いてしまった乙にミハは苦笑した。そして、安心させるようにやわらかく微笑みながら乙を見つめた。
「キノト。何があったか知らないが、そう思い悩むな。そんな顔してると、いい考えも思い浮かばないぞ?」
「…そう、で、すか、ね?」
「あぁ、そうだ」
「…そうです、か?」
「そうだよ」
「…そうですね」
「あぁ」
力強く言うミハに乙は頷きぎこちないながらも顔をあげ、心の中で気になっていたことを問うた。
「…あの、突然ですけど。…その。…私って、お節介ですか?」
「…は?突然だな」
「す、すみません」
「う~ん。お節介は、いらぬ世話を焼くってことだよな…。私が思うにキノトは、怖いもの知らずだと思うぞ?」
「怖いもの知らずぅ?」
乙はなんだか豪胆だと言外に言われているようで、思わず言葉尻が不自然なほど上がってしまった。
そのおもしろい声にクククッと笑いながらミハは説明した。
「もちろんいい意味でのな」
「いい意味…」
「そうだ。自信に満ちて、何ものをも恐れずにしっかり地に足をついている…キノトはそういう芯があると思う。そしてそれは、誰もが持てるものじゃない。キノトの長所だよ」
「長所…?」
「あぁ。お節介っていうのだって悪いことじゃない。むしろ、他人のことを気遣うことができるってことだ。…これも長所だよ。まぁ“お節介”という言葉があまりいいように聞こえてこないがな」
「…なんだか不思議。ミハに言われると、とってもいい言葉に思えるから」
「人徳かな?」
「あははっ!そうかも」
あははっ――とミハと笑っていると、先ほどまで淀んでいた心が不思議と晴れていくのを乙は感じた。
そんな柔らかくなった乙の表情に安堵しつつ、ミハは少し温くなった紅茶を啜った。
そして何かを考え込むように目を閉じた。
ふと考え込んでしまったミハに、どうしたのかな?と思いつつ、折角なのでミハの顔を眺めていた。
…やっぱり。
乙は改めて思った。
ミハとニースは、双子の兄弟なんだと。
その身に纏う色彩や体格や物腰、性格は真逆といってもいいほどで、全く似てはいない。しかし、時折見せる素の表情やよく見ると同じ顔の造作などは大変似ている。
今、こうして目を閉じているミハは、生まれつき目が悪く常に目を閉じているニースと全く同じ表情をしている。
かなりジロジロとミハを観察し熱い視線を送っていたのを目が閉じていてもわかったのか、クククッと面白そうに喉を鳴らして目を開いた。
「そんなに熱く見つめられると、体が焦げてしまいそうだ」
「え!?目を閉じてたのに…わかってたんですか?」
「クククッ。あぁ、あれだけ熱心に見つめられたらな」
「あ~。すみません」
「で?観察結果は?」
「ぷっ…。はい、ええとですね。結果は、やっぱりミハとニースは双子の兄弟なんだな~って思いました!」
「………」
ミハは思わずビクッと震えた。
まさかそう言われるとは思っていなかったからだ。
でも…。
不思議と嫌とは思わず、むしろその逆の思いを感じていた。
長年、双子というだけで忌み嫌われていたため、常ならば“双子”という言葉を聞くだけで恐怖と嫌悪を感じその言葉を吐いた奴を睨め付けていたのに…それが、乙が言うとなぜか“双子”という言葉が至上のものと思え、誇らしくも感じるのだから―――。
やはり、乙がミハとニースを曇りのない眼で見て、そして受け入れてくれた初めての人物であるからだろう。
ミハは太陽のようにニコニコと笑う乙に慈愛に満ちた笑顔を向けた。
「ありがとう、キノト。」
「???変なの―。ありがとうってなんで?」
「双子である、私たちを認めてくれたからさ…」
「ふつうだと思うよ?」
不思議そうに首を傾げる乙をこれまた愛しそうに見つめつつ、ミハは思った。
…話そう、と。
きっと、乙にはそれを知る権利がある。
「…キノト。…私たちは、キノトに救われたんだ。…初めて神殿の中庭で会った時に」
「え?」
「…あの時、キノトは事もなげに言ってくれた。双子も“ただの兄弟と同じ”…その言葉がどれほどすごい言葉であるか。どれほど欲してきたか。どれほど救われたか…!」
突然の血を吐くような吐露に、胸を締め付けられる。
ミハの言うことがとても重い言葉であると、乙は感じた。
そして、この世界では双子というのはそれほどまでに…?と。
「……。…キノト。…だから、君に話そう。私たちの過去を―――」
震えそうになる唇を噛み締め、ミハは言葉を紡いだ。
***
この世界では、双子は凶兆の前触れとされ忌み嫌われてきた。
人は皆異なる己自身の顔を持って生まれてくるのに、どうして双子は同じ顔を持って生まれてくるのか。
それも寸分違わぬほどに。
その不可思議さ気味悪さから同じ顔を持った双子は嫌悪されてきた。
しかし同じ双子でも、違う顔を持って生まれてくる兄弟もいる。その双子は“一度に二人の子供を授かるなんて、なんと縁起の良いことか”と大勢から祝福を与えられる。
天と地ほどにも差のある“双子”。
双子…。
顔が似ているだけで、人であることには何の違いもないのに。
この悪しき考え方は、今もまだ人々のなかに深く深く根付いている。
***
ガーバント子爵家は、貴族ではあるがそれほど裕福な貴族ではなかった。
貴族といえど、爵位は子爵。家族は小さい領地の中で、慎ましやかに生活していた。
そしてうれしいことに、奥方の腹の中には子供が宿っており近々出産という時であった。
しかし、少し不安なことがあったのだ。それは…奥方のお腹が異常に大きいことだった。
奥方は、もしかしたら…。と思っていた。
また医者も奥方と同意見だった。
そう。
…お腹の子は、1人じゃない…2人だと。
双子を産むことは、出産にかかる母体への負担が数倍増すことにもなるし、それに加え、もし、“顔が同じ双子”が生まれてきたら…そのリスクは計り知れない。
けれど、夫婦はどのような子どもが生まれてこようとも、せっかく授かった命なのだから自分たちの手で守り育てようと考えていた。
程無くして生まれてきたのは、朱い髪に深緑色の瞳をもつ瓜二つの顔の双子であった。
両親はわが子に訪れるであろう辛い現実を思い涙した。
そして、何としてでもわが子を愛し守り抜こうと夫婦は決意したのだった。
生まれ出でた子供は、ミハ・ロード・ガーバントとニース・リラ・ガーバントと名付けられた。
双子が生まれたら、凶兆。
だから双子は、引き離されて育つ。それか…生まれた瞬間に一方を殺してしまうのだ。
しかし、どちらの選択もせず双子を同時に育て上げるという夫婦に、親戚は猛烈に反対していた。「そのうち、禍が起きる!」「そのとばっちりを受けるなんて御免だ!」と散々言われ罵られたが、頑としてその主張をはねのけていた。
しかし悪いことに…数か月後、あることが発覚したのだった。
それはニースが外界に対して全く反応を示さないということだった。
…目が見えないのだ。
目の前でおもちゃを振っても、まったく反応せずにずっとぼんやりとしている。
夫婦はどうにか目が見えるようにとあらゆる方法を試し、医者や神殿を訪ねては治療を施したが全く良くなる兆候はなかった。
悲嘆にくれる夫婦であったが、このときを待っていたとばかりに親戚たちは「やはり双子は禍のもとだ!」「早急に離すべきだ!」と連日やってきては説得にまわった。しかし夫婦は頑として受け入れなかった。
けれどその後、元々あまり体が丈夫ではなかった奥方は、親族からのプレッシャーや日頃の心労も相まって体調を崩し寝込んでしまった。
どうにも宜しくない状況に陥っているガーバント子爵家の内情を知り、今まで静観を決め込んでいた奥方の兄は「このまま双子がガーバント子爵家にいたら確実に不幸な身の上に置かれてしまうだろう…夫婦もまたしかり」と大いに危惧した。
したがって目の悪い弟の方を自らの家であるトリアナー子爵家の養子にしようと決断し、半ば攫う様にニースを引き取ったのだった。
***
ミハとニースは8歳になった。
ガーバント家とトリアナー家と離れ離れに生活するようになってしまったが、2人は頻繁に会いとても仲良く遊んでいた。兄弟仲はすこぶる良かった。
ニースは養子として引き取られトリアナー家で生活をしているが、肩身の狭い思いなどはしておらず伯父やその家族から惜しみない愛を存分に受けていた。ミハもまた然りである。
また、すくすくと真っ直ぐに成長する幼い2人にこれ以上辛い思いをさせないために、大人たちは周りの害意から徹底的に守ってきた。…が、やはり全てを遮断することは不可能で時折聞こえてくる噂話などから、2人は“双子”という存在についてだんだんと理解してきていた。もちろん、両親たちはそのことを問うと否定していたが…。
そしてある日、2人がいつものように遊んでいると、ニースがおもむろにミハに言ったのだ。
ニースは、今までそのことを一度も口に出したとはなかった。
きっとずっと感じていたことであっただろうに、しかし子どもながらにそのことは言ってはいけないと分かっていたのだろう。
それでも、不意に言葉に出してしまったのか、その言葉を初めてニースから明確に聞いたのだ。
『どうしてふたごなのに、ぼくだけめがみえないの?』
『どうしてぼくだけと―さま、か―さまとくらせないの?』
『ミハがぜんぶとったの?』
『………ぼくから………ぜんぶ………』
一言一言が、胸に突き刺さった。
ニースの言葉は真実の言葉。
今まで、ずっと目をそらしてきた事実。
ミハは幼いながらも感じた。
…そうだ、自分さえいなければと。
そんなことがあってから、ミハはニースと顔を合わせにくくなってしまった。
子どもながらに、もう会ってはいけないのでは…?と感じたのだ。
それは単に、ニースから逃げたいがための体のいい建前なのかもしれない。
これ以傷つきたくなくて…。
だから、会いたいけど会ってはいけないのだと自分を正当化させた。
そうは言っても幼い心では、なかなか割り切れず整理もつかない。
だから…ミハは荒れていった。
喧嘩である。
ギシギシと痛む心を身体の痛みで誤魔化すように。
また、そうやって家の外に出て初めて分かったことがある。
今まで自分は、大切に大切に家に守られてきたのだと。
一旦外に出て見たその世界は、知らない世界だった。知らない色をしていた。
皆がミハに嫌悪の視線を浴びせたのだ。
初めての感覚だった。
知らなかったのだ…。
こんなにも、双子というだけで忌み嫌われるなんて。
その苦しさを紛らわすようにより一層、喧嘩に明け暮れ荒れていった。
***
相変わらずニースとは、ぎくしゃくした関係が続いていた。
10歳になった時、両親からニースが神官になるべく自らその門をたたいたのだと聞かされた。
なぜ、神官なのか?
疑問もあったがもうすでに決まったことであり、自分に何ら相談もなく決めたニースに不満もあった。
だが、ニースのことを思うと…何も言えなかった。
神官になるということは、いろいろと制約がついて回る。
厳しい世界だし、神官見習い中は修行のため外界とは一切の接触を断つので親族ですら滅多な事がないと会うこともままならない。さらに、神官になるということは“家”を捨てるということである。神の御前では家柄(爵位)などは関係がないということで、ニース・リラ・トリアナー(トリアナー家の養子になったので、その名を冠している)からただのニースとなるのだ。これは単に、神の御前では“平等”というだけではなく、政治と宗教というものを離すという意味合いも含まれているのだ。
だから神官になるということは、家を捨てるということなのだ。
こんなにも重大なことを、なぜ一言の相談もなしに決断してしまったのか…。
ミハは思った。
ニースは本当のところ、ミハという双子の片割れである者から逃れたかっただけなのではないのかと。
双子という呪いから逃げたかったがために、自らが“家”を捨てることで幕引きをしようとしたのではと。
…私さえいなければ。
ミハは深く自分を責めた。
ニースばかりが、全てを背負い込もうとしている。
自分は喧嘩に明け暮れ逃げていただけだというのに…。
何と自分は、罪深いのか。
自分は、ただニースを不幸にしているだけだ。
***
数年後、14歳になったとき…天変地異がリリーネルシアを襲った。
各国は混乱し、人心は惑い、戦争に飢饉があちこちで起こった。
そしてそんな中、ある流言が飛び交った。
“双子が災いを呼び寄せた”
その言葉に踊らされた人々は、魔に魅入られたようにその年に生まれた双子を悉く殺したのだった。
何の罪も無い、無垢な赤ん坊たちを。
しかしそれでも飽き足らず、人々は“神に双子を生贄に”と自らを正当化させ狂ったように殺戮したのだった。
今や双子は狩られる対象だった。
ミハの命が危ないと、両親は家の最奥に身を隠させ、嵐が過ぎるのをひっそりと待った。
また両親もミハもニースのことが気がかりだったが、神に仕える者の集団なのだからそんな流言には騙されないだろうと思われたし、会って元気な姿を見ることは叶わないまでもトリアナー家から定期的に送られてくる『ニースは無事』という知らせを聞いていたので一先ずは安堵していた。
天変地異から2年ほど経ち、世界が安定してくるとミハも屋敷の外に出られるようになった。
それでも、人々は以前にも増して憎悪と嫌悪の入り混じった汚いものを見る目で“双子”であるミハを見てきたのだった。もちろん各国や神殿は“双子”は天変地異とは何の関わりもないと再三にわたり触れを出し指導していたが、それでもなお人々の心の奥底に深く根付いているのだった。
そしてその年、ミハは双子だというだけで価値がないものと扱われる世の中に嫌気が差し、己の力さえあればどこまでも高みへ登り詰めることのできる世界へと足を踏み入れたのだ。…軍隊である。
時を同じくしてニースは、その才能と信心深さから神官見習いから第三神官へと昇格したのだった。
2人は“双子”という呪いから逃れるために、自らを鼓舞し荒波の中で努力していったのだ。
そしてその頑張りは実を結び、2人は異例の出世を遂げていったのだった。
シリアスな内容です。
次話もこの続きからです。