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深紅の魔女─レディ・モナルダ─  作者: 智慧砂猫
深紅の魔女レディ・モナルダと捨てられた想い出
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第20話「お前は幸せに」



 ひとりのメイドが見たのは、目の前に倒れている三人。ひとりは眉間を撃ち抜かれ、もうひとりは自害している。そして残った一人は、未だ浅い息の中で眠るようにぎりぎりを生きた。月明かりの下で、あれほど美しかった紅髪がこうもくすんで見えるものなのかとメイドは呆然とする。


「……起きて下さい、レディ・モナルダ。モナルダったら」


 倒れている主人の体を抱き起して、優しく声を掛ける。ほんのわずかな延命処置。それくらいなら、ぎりぎり悪魔としての役割を超えた慈善にはならない。これは契約書に血判を押させるためのサービスだ、と。


「ゴホッ……うえっ……。なんだ、まだ私は生きてるのか」


「ええ。私が少しだけ手を施したので、しばらくは」


「余計な真似を。お前は本当に悪魔なのかと問いかけたくなる」


「どちらでもいい事です。あなたが仕組んだせいで、あなたが死ぬなんて……」


 大切な友人が死に直面する姿に、シトリンの赤い瞳が潤む。


「なぜ私をフランシーヌ様の下へ行かせたのです……。こうなる事が分かっていたなら、私を頼れば、誰も死なせなかったのに……!」


「馬鹿だなぁ、お前は……。何も分かってないから困るよ」


 くすっと笑って、血に染まった手で優しくシトリンの頬に触れる。


「お前に、頼るってのは契約する事になる……。でなきゃ、お前が消えてしまうじゃないか。だけど契約はしたくなかった。悪魔に魂を捧げるっていうのは……もう輪廻に戻れないという事だから」


 一度でも悪魔と契約を交わせば、生まれ変わる事ができなくなる。不老不死の呪いをレティに与えたくなかったモナルダは、純粋な死を選んだ。いつかレティが愛する誰かのために子を欲するとして、そのとき自分には彼女を救ってやれる手がない。我が子が老いていくのを眺めるなど、それより辛い苦痛はない。愛せば愛するほどに、先立たれる辛さが身に沁みるから。


「わるいな、シトリン。せっかくお前とも会えたけど、行くよ。その前に少し、レティの傍に連れて行ってくれないか」


「……はい。これでよろしいですか?」


 隣に座って眺める、眠った表情のレティ。額には穴が開いていて、血が流れている。シトリンが気を利かせ、指で触れて傷口を塞ぐ。


「レティ様とも……もう少し話がしたかったです」


「すまん。だが、これは多分、避けようがなかったんだよ」


 優しくレティの頭を撫でて、頬を指でなぞった。愛らしかった娘の温かな頬は、今は冷たくなってしまった。鳥籠を抜け出した先で、どこまでも羽ばたく夢を見ながら、叶わないままに。それでも魔女は微笑んで────。


「お疲れ様でした。よく頑張ったな、レティ。お前には……お前には、私も心を救われた。お前のおかげで、たくさん笑えるようになった。こんな終わり方でごめん、私が不甲斐ないばかりに……」


 生まれて初めて、大泣きした。とうに枯れたと思った涙がぼろぼろ零れた。愛する人の冷たくなった体を抱きしめて、頬を摺り寄せながら。


「ごめんよ、レティ。でも大丈夫。生まれ変わって、きっとまた会える。私たちの絆はそういうものだよな。もしお互いを忘れていても必ず見つけよう。約束だ、私は何があっても、お前にまた会いに行くよ、お前のために」


 レティの体をそっと寝かせ、再び襲い来る体の怠さと視界の不安定さに地面に倒れそうになる。シトリンが支えなければ今頃は頭を打っていた。


「お前とも、お別れだな。こんな形で、なんて、本当にすまない」


「……嫌です。失いたくありません。あなたみたいな優しい人間は初めてです。だから、どうか生きてください。私のために生きてくれませんか」


 泣きわめきながら、契約書を手にしてモナルダに突き出す。


「血判だけでいい、契約はそれで終わるんです! だから生きて、あなたはそれに値する人間なんですから……! そうしたら私が傷を────」


 血まみれの手がシトリンを抱き寄せた。言葉が途切れたのは、口づけをされたからだ。驚きに固まって、言葉が出てこなくなったシトリンに、モナルダは優しく微笑みかけて、また涙をこぼす。


「ふふ、なんて顔だ。お前らしくもない。……だけど気にしなくていい、もう私の事は忘れて生きろ。魔女の口づけは特別だ。だまし討ちで悪いな」


 ピアスからふわっと紫煙が舞った。最期の時、必ずシトリンが来るのは予想ができた。そして、もし現れたら使うつもりの魔道具を隠していた。


「たとえ悪魔だろうと、私の事は綺麗さっぱり記憶から消える。悲しい事なんて覚えてなくていい。お前はただ、お前らしく在ってくれ」


「……い……嫌だ……! なんでこんな事を!?」


 もしかしたら意地でも助けようとするかもしれない。シトリンからは、そんな気配が漂った。だから、少しだけ急いだ。申し訳ないと思いながら。


「お前は悪魔である限り、永遠に生きられる。ともすれば、私たちとの思い出は足枷だ。優しい悪魔のお前には、あまりにも重たすぎる。────幸せになってほしいんだ、私の友達に、もう悲しい想いをさせたくない」


 大切な友達を、何人失ってきただろう。何人に悲しい想いをさせただろう。振り返れば、さほど他人に何かを与えられた人生でもなかった。本当に大切な人には、特に。ただただ与えられてばかりで、幸せが過ぎた。十分だ。最期くらいは誰かに与えたい。願いたい。悲しい事なんて忘れて、楽しく生きて欲しい。


「じゃあな、シトリン。運命が許すなら、私たちも会えるさ」


 とん、と力ない手に押される。握っていた小さな宝石が光って、シトリンを包んでいく。「待って、やめて! 忘れたくない、あなたの事────!」虚しく懇願する声が響いたのを聞きながら、モナルダは言った。


「ありがとう。でも、私の事は忘れて生きろ。お前の事は、もう任せてあるから大丈夫。今よりずっと幸せになれるように祈ってるよ。────またな」 

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