第17話「まだ止まれない」
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「……暗い夜だ。本当に」
村は静まり返っている。明かりもなく、誰の気配もしない。モナルダは村の入り口の前に立っていて、近付いてくる馬の駆けて来る音に気付いた。
覗いてみると松明の灯りが見える。やってきているのがレティたちではない事。アーサーの姿がない事に、きっと上手くやってくれたと信じた。
「止まれ、止まれ! 魔女がいたぞ!」
王都から派遣された兵士たちが彼女の前で馬を降りる。その先頭に立つ隊長らしい男が、モナルダの前に立って、彼女を僅かに見下ろす。
「レディ・モナルダ。なぜ我々が来たかは分かっていると思う」
「話すまでもない。ところでナイルズはどうした?」
どうせやってくるのだろうと思っていた男の姿がない。兵士たちが顔を見合わせる中、隊長の男が振り返って静まるよう叱り飛ばしてから向き直った。
「暴行を受けた形跡があり気を失っていて、現在は手当を受けている。あなたの差し金だと思っていたが、その様子だと違うらしい」
「そんな度胸があったら今頃は村を出てるよ」
アーサーがやったのだろうか。わざわざナイルズと向かい合う理由もないのに。不思議に思いながらも、モナルダは背を向けて村に戻っていく。
「ついてきなさい。どうせ争ったところで、私がお前たちに勝てる可能性はない。家まで戻ろう、外は寒い。後は好きにしたらいい」
「いや、わざわざそこまで行く理由もない。罠があっては困る」
あっという間にモナルダは取り囲まれる。なんとも品のない連中だと呆れ、大きなため息を吐くと両手を後ろに回す。
「抵抗はしない。縛るなら縛れ、指示があるまでは殺せんのだろう」
「……公爵閣下は捕まえろと命じたが殺せとは言っていない」
「お前は良い男だな。家族はいるのか?」
「妻と娘が二人。他の兵士たちも皆、誰かしら家族がいる」
聞くとモナルダは安心したように微笑んだ。
「それはよかった。私の首ひとつでお前たちも助かるんだな?」
「ああ。……村人たちはどうした。誰もいないようだが」
罪人である魔女を隠匿した罪で連行する事も辞さないつもりでいたが、人の気配がまるでしない村をぐるりと見渡して隊長の男が尋ねた。
「さあ、どこにいったのかな。私は知らないよ」
「そうか。ではあえて聞きはしない。あなただけで十分だ」
部下に指示をして、縄でモナルダの手を縛る。
「逃げ出さないように二人ほどで見張っておけ。三人は村に誰も隠れていないかを見てこい。残りは私と一緒に来い。公爵閣下の指示を仰ぐ」
「ああ、待ちたまえ。お前の名を聞かせてくれ」
立ち去ろうとした隊長の男を呼び止める。彼はモナルダに振り返った。
「クリストバル。クリストバル・ギレルモだ」
「ありがとう、クリストバル。お前と話せてよかった」
クリストバルは言葉を返さずに立ち去った。残された兵士たちは指示通りに三人が巡回に行き、二人がモナルダの見張り番だ。どうせ逃げないのに、と思っても彼らとて仕事なのだろうと何も言わなかった。
「へへっ、やっと楽な仕事だな」
「隊長はめんどくさい性格してるからなあ」
明らかにやる気のない兵士ふたりを見て、がっかりする。クリストバルが隊に乱れのないよう尽くしているのは分かる。だが、他の兵士たちは違う。彼らはただ安穏と過ごして、高い給金を得るのが目的であった。
平和なヴェルディブルグでは大きな仕事もなく、ただ突っ立っているだけでも金になる、と笑っているのがモナルダは気に喰わなかった。
「自分たちの上司をそう言えるのは幸せな証拠だな」
鼻で笑うと、見張りのひとりが顔色を変えた。
「……なんだよ、偉そうにしやがって。魔女とはいえ、何も出来なけりゃただの女のくせに。誰に向かって口利いてんだ、お前は」
飛んできた拳が腹を強く打った。不意の突き抜ける強烈な痛みに吐きそうになるのを堪えたが、その場に膝をつく。
「おい、やめとけって。こんな事が隊長にばれたら……!」
「平気だって、ビビってんのかぁ?」
いかにも柄の悪い若い兵士が、モナルダの髪をぐっと掴む。
「魔女って不死身なんだろ。首切ったって死なない奴をちょっと痛めつけてやるくらい、どうって事ねえよ。なあ、魔女様」
「やってみろ。それでお前が後悔しないのであればな」
挑発されて、男は掴んだ頭を地面に軽く叩きつけた。
「調子に乗んな。主導権はこっちにあるのがなんで分かんないかな。俺が誰だかも分かんないような奴だから、当然って言えば当然か」
くっくっ、と小馬鹿にする男に、モナルダが鼻で笑って返す。
「コビン・グリンフィールド。親とは違って細身だな、可哀想な奴。栄養は足りてるか? 私の家に行けばビスケットでも置いてあるかもしれんぞ」
挑発にコビンが激怒する。愚かなコビン、短気なコビン。早く私を殺しておくれ。モナルダは強く願う。自分が死んでさえいれば何もかもが済む。戻ってきて欲しいと願いながら、戻って来ないでくれと祈る最愛の人。
最期に会う事は叶わないだろう。最期に会う事を願ったとしても。それほど品行方正に生きたわけでもない。間違った事は嫌いだが、間違わなかったとは言わない。だが全てにおいて正しいと思う道を歩んできた。でも魔女だ。誰もが恐れ敬う魔女を担った。百三十年を生きた。もう十分だ。愛情は手に入ったのだから。
「このクソアマ! 死ね、死ね! 魔女なんか怖かねぇ!」
「おいやめろって、バカ! やりすぎだ、本当に死んじまう!」
仲間に羽交い絞めされても興奮は収まらない。だが、細身で大して鍛えてもいないコビンが、仲間を振り払う事はできない。徐々に冷静になっていく。
しかしモナルダは、殴られても蹴られてもうめき声ひとつあげもせずに耐え、跪いて震える足で体を支えながら彼を見つめて、また鼻で笑った。
「父親が処断されたのは誰のせいだ、コビン。たまたま悪事を暴いて罠に嵌めた私か。それとも出来が悪く兵役に就かせてやっても生意気な態度の取れない息子が、馬鹿が過ぎるせいで、いつだって金が必要だったからか?」
あまりに頭に血が昇りすぎて、とうとう暴れて仲間を突き飛ばす。肩に革紐で吊り下げていたマスケット銃をモナルダの頭に押し当てた。
「黙れ黙れ黙れ! もういい、どうせ後で殺すんだったら、今ここで殺しても一緒だろ!? だったら俺が殺してやるよ、魔女様よォ!」
引き金を引こうとして、彼の頭が横から撃ち抜かれた。森を駆け巡る銃声の主は、包帯で怪我を覆うナイルズだった。
「馬鹿者め。グリンフィールド家への温情で、何も知らないドラ息子に機会をくれてやったというのに。……随分と手ひどくやられたな、ミズ・モナルダ」
「おかげさまで死に損なった。と、言いたいが……」
突然、モナルダが強く咳き込む。内側から響く痛みに血を吐いた。
「メディック! ミズ・モナルダを運んで傷を診てやれ、死なせるな!」
「は、承知いたしました! 担架を用意して────」
モナルダは今が好機だとポケットから小さな宝石を取り出す。魔力を込めた誰でも使える魔法の道具。もし死に損なった時には、使いようもあるだろうと隠し持っていた。この瞬間のためにある、とばかりに。
「悪いが、手当なんてまっぴらごめんだ。時間がないんでな」
傷の痛みはない。苦しかった息も今だけは穏やかだ。頭には裂傷があり、流血が酷い。殴られて開かなかった右目が真っ赤に染まり、服に隠れて見えない体の痣は、いくつもある。まるで死人とさえ思える顔色のまま立ちあがった光景には、誰もが恐れた。やはり魔女だ、怪物だ、と慄いて後退りさえした。
ナイルズでもぎょっとする状況。わずかな隙を突いてコビンが落とした銃を取り上げて構え、大勢の敵を鋭く睨む。
「たかが女ひとりと見誤って軽装で来たのが仇になったな。────道を開けろ。死にたい奴がいるのなら志願するといい。私が道連れにしてやる」