第13話「魔女の騎士として」
風が吹く。川のせせらぎが聞こえる。なのに静かだった。
「……はっ、ありえねーって。死ぬなんて縁起でもない」
「だから、もしもの話だよ。ここで話した意味は理解してほしい」
「無理っす。俺には理解できねえよ、そんな話」
釣り竿を振って、川にぽちゃんと針が落ちた。
視線はもっと遠くに、クライドは寂しい表情をした。
「正直もっと楽な仕事、想像してたんだ。元々、田舎の暮らしって奴に興味があったし、実際楽しい。年寄りの話は長いけど、耳心地は悪くない。チビ共はすぐ悪戯するけど、相手してやると喜ぶのが俺も嬉しい。王都には妹がいてね。病気がちで引っ込んでばっかりだから、友達が欲しいってよく言ってんだ。だから田舎には良い女がいっぱいいるらしいし、兄ちゃんが友達になって連れて来てやる、って」
がっくり項垂れて大きなため息を吐く。こんなはずではなかった、と。
「いまさら遅いよ、魔女様。俺は妹のために、あんたらの命を売る事になる。そうしなきゃならねえ。もう引き返せない」
「狙いは私たちだろう。……いや、私だけでもいいはずだ」
クライドが、ハッとして目を見開く。モナルダは最初から分かっていた。狙われているのは自分だけでなく、レティやラヴォンたちもだ、と。
「この計画の首謀者……いや、その大本はおそらくフロランスだろう。しかし、実行を執り行うのは────ミルフォード公爵。私のよく知るナイルズだ」
徹底主義者であるナイルズの計画に『取り込まれた』としたら、もうクライドに逃げ場はない。遂行する以外に選択はない。ナイルズ・ミルフォードは冷徹で『仕事を全うできない人間は使い道がない』とあっさり切り捨てて始末する。
魔女がいるかどうかを確かめるためだけに送り込まれただろうクライドが、計画を後になって知ったのだとしたら、家族にさえ危険が及ぶ。危険分子の芽をすべて摘むために。全て真実だと分かった今、クライドもまた被害者だった。自分たちの未来が欲しいばかりに手を伸ばした先で、彼もまた罠に絡めとられただけ。
「大勢の人間を前に、自分だけ助かりたいと言うほど私は愚かではない。そのときが来たら、お前に私の首をやる。だからレティたちは────」
釣り竿が川に落ちて流されていく。立ちあがったクライドがモナルダの肩を強くつかんで、怒りを覚えた眼差しで見つめた。
「なんで他人のためにそこまで出来るんだよ。助かりたいって言ってくれりゃ、俺だって後腐れなく殺せたかもしれないのに。これじゃあ、こっちが惨めになってくだけじゃねえか……。保身のために殺そうってんだぞ」
「知るか。それが普通で、私がおかしいだけだ。気にするな」
そっと肩を掴む手を押し退けて、モナルダが優しく笑った。
「誰だって逃げ出したいものだ。誰だって助かりたいものだ。それでも、百人が全員そうとは限らない。たまさか異端が混ざっていたくらいで気にしすぎだ」
「でも。もう遅いって言ったろ、魔女様よ。公爵閣下は動き出す準備に入ってる。日が暮れる頃にやってくる。村の人たちに説明して避難してもらうような時間が残ってない……。このままじゃ皆殺されるぞ」
既にナイルズの計画は大詰めだ。月が昇る闇に紛れて、彼らは村へ侵入する。相手は魔女だ、万が一に備えて村人という人質も取るつもりでいる。かといって、それをモナルダやクライドが伝えて回るには数が多い。クレールだけでなく、オーカーでさえ彼らは襲撃するのが目に見えていた。
「焦る必要はない。村の人間は私を信じて、手伝ってくれるだろう。ただ、ヴァージルの事は誰にも言わないでいい。時間が許す限りで急いでくれ」
人手が足りないのなら増やせばいい。皆が動けば動くほど緊急事態と理解してくれる。魔女の言葉であれば『そんな事があるのか?』と疑念に感じても、ひとまずは従う。モナルダは絶対に大丈夫だと念押しする。
「でもよ……。どっかに公爵閣下が隠れてるはず────」
「ああ、森は一本道だ。森の出入り口で仲間を待ってるだろう。もし誰かひとりでも助けを求めに出ようとしたら殺すつもりだ。アレは平気でやる」
では逃げ場がないじゃないか、とクライドは苛立ちを覚えた。村には年寄りも多い。彼らの捜索の手から逃れられるはずがない。それはモナルダも理解している事で、だからこそ、その手段が活きるのだ。
「此処は見通しがいい。月明かりに任せても足下がよく見える」
「あっ、まさか俺に釣りスポットを教えたのって……」
驚いた顔を見て、モナルダがニヤリとする。
「年寄りだからと馬鹿にならんぞ。森に生きる者は森の歩き方をよく知っている。騎士だの軍隊だのに後れを取ったりはしない」
「そっか……。ハハ、そりゃそうだ。俺でもキツかったんだから」
手で顔を覆って、空を仰ぎながら笑った。最初から魔女は分かっていた。見抜いていた。そのうえで自分の命を擲って大勢の人間を救おうという。なんともはや、自らの国のために平気で命を奪える女王とは違う。ここまで寛大で覚悟の決まった人間を見るのは初めてだ、とクライドは姿勢を正す。
「改めまして自己紹介を、レディ・モナルダ。我が名はアーサー・カーライル。近衛騎士隊が第一の刃。隊長を務めます、アーサー・カーライルと申します。此度はミルフォード公爵閣下の斥候としての任を授かり、潜入しておりました」
真っすぐ姿勢を正して胸に拳を当てて名乗るのは騎士隊の礼儀作法だ。モナルダは彼が信頼に足る人物だと感じて、手を差し出す。
「お前に魔女の騎士としての名誉を与えよう、アーサー・カーライル。私の命に構う事はない。だが、村の人々の安全はお前に掛かっている。────必ずフロランスは失脚するだろう。それまで、彼らを守り抜いて欲しい」