第12話「動き出す運命」
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「────つうわけで、俺とラヴォンは買い出しに行ってくるんだけど、何か欲しいものはあるかい? 金ならたんまりあるぜ」
ヴィンヤード滞在にして数日。大所帯になったので食料が予定より早く尽きてしまった。レスターとラヴォンは、その買い出しに行く事になった。
「私は別にない。ただ、レティを連れて行ってやってくれないか」
珍しくモナルダはテーブルに魔導書を開き、普段は掛けない大きな丸い眼鏡を掛けて熱心にペンを握っている。新しい魔法を記しておきたいと言って。
「だってよ、レティ。どうする、アタシたちは別に構わねえけど」
「んー、そうだなあ。じゃあお邪魔しよっかな?」
皿洗いを終えてタオルで濡れた手を拭いながら、ふとモナルダを見る。いつになく真剣で、奇妙な雰囲気があったが触れないようにした。
「気を付けて行って来いよ。何かあればシトリンにさせておく」
「えっ、なんで私なんですか。すごく面倒くさい」
「暖炉の前でクッキーを貪って寛ぐメイドがどこにいる?」
「はい、ここにいますよ。そういうメイドがここにいます」
「では休憩時間は終わりだ。さっさと洗った皿を戸棚に戻せ」
渋々立ちあがって作業を始めるシトリンを可笑しがりながら、レスターたちは家を後にした。しんと静まり返り、食器のぶつかる音だけが小さく響く。
「よろしかったんですか、行かなくて。朝からずっとソレですよね」
「ああ。なんだか落ち着かないんだ、お前と話した日から」
必ず訪れるであろう死の未来。恐怖心はなかったが、『何かしておかなければなららない気がする』という想いが胸の中に湧いた。
「感じるんだよ、何か……何かが動き出した気がするんだ。だから、シトリン。ひとつ頼み事をされて欲しい」
「わかりました。ですが、簡単な仕事でお願いしますね」
戸棚に皿を片付けながら振り返ったシトリンが、ぴくっと動く。テーブルの上に置かれた魔法薬と、その傍に置いてある一枚の折りたたまれた紙。
「届けて来てくれ、フランシーヌに」
「今日で魔女をやめるという事ですか?」
「……あぁ、そうするつもりだよ」
飲めばフロールマンを継ぐ事になる。その瞬間から、モナルダは魔女ではなくなる。深紅の魔女は、時代に託されていく。
「お前ならすぐに届けられるんだろう?」
「ご理解が早い。ええ、一瞬で届けて来ますよ」
「なら土産も持っていけ。アイツはフルーツケーキが好きなんだと」
「分かりました。リベルモントで買って行きます」
瓶を手に取り、もう一度だけシトリンが尋ねる。
「やめていいんですか。もしかしたら死ぬ未来を回避できるかもしれない。なのに、わざわざ大切なものを捨ててまで……」
「魔女である事は誇りさ。だが、そうさせたのはお前の言葉だよ」
ぱたん、と本を閉じて優しく微笑みかけた。
「私は魔女である以上に、ひとりの人間だ。どんな結末が待っていても最後まで足掻きながら、泥臭く生きてみるよ。だから魔女は他の奴に託す。そうやって魔女は受け継がれていく。魔導書を預けていく。それが私の選んだ生き方だ」
本をシトリンに渡して席を立ち、ぐぐっと体を伸ばす。
「散歩してくる。届けておいてくれよ」
「……ええ。わかりました」
モナルダは家を出て、村を歩く。懐かしい村。愛する村。多くの思い出が詰まった場所。母親との確執があった。互いに不器用がすぎた。村の人々の穏やかな生活が、時間が流れていくのが、今はとても心地が良い。
どこへ行っても挨拶される。魔女だからではなく、モナルダが彼らと信頼関係を築いてきたからに他ならない。幸せな時間だった。
「あれ、魔女様。どっか行くのか?」
「クライド……。いや、ただの散歩だ。何か用か」
「暇してんだったら釣り教えてよ。レスターの兄貴に断られちゃって」
「だろうな、アイツは忙しいから。そして私も断るよ」
「そう言わずに。ちょっと話がしてみたいんだ、あんたと」
嫌な誘いだ。それでも、不思議とモナルダは気が乗った。
「いいだろう、川釣りは難しいから私にも教えられないが、良いスポットは知ってる。お前が構わないのなら付いて来るといい」
村の事はよく知っている。それだけでなく、ちょっとした田舎の遊びも、他の誰にも教えていない秘密の場所も。脇道に逸れて草木を掻き分けながらモナルダが向かったのは、村からそう離れていない場所にある川だ。たまに猪が出るというので危険だから近付かないよう言われているが、モナルダは気にしなかった。
足場が悪く、土も湿って枯れ葉を踏むと滑りそうになるクライドが、活き活きとした様子で先を歩くモナルダを見て驚く。
「……ふう、ふう……! 魔女様ってのは体力が無尽蔵なのか?」
「ハッハッハ! 歩き慣れているだけだよ、坊や!」
「マジかよ、ありえねえ……。結構鍛えてるんだけどなぁ、俺」
いくら釣りの道具を自分だけが持っているにしても、追いつけない事があるのかと驚きっぱなしだ。不甲斐なさに呆れもした。しかし、そうやって疲れながら歩いた先に広がる美しく澄んだ川の景色は息を呑んだ。
「おお、すっげえ。こんなきれいな場所は初めて見たよ」
「自然は素晴らしいだろ。私以外は、まず来ないんだ」
「いいのかよ、俺にそんな場所教えちゃっても?」
「どうせヴィンヤードで暮らすんだろう。なら構わないよ」
流れる広い川を前に、モナルダが横目でクライドを見た。
「ここならどんな話をしても、誰かに聞かれる心配はない」
「……あぁ、そのために。でも大した話じゃねえんだよ」
いそいそと釣りの準備をしながら、クライドはそれとなく言った。
「あんた、なんで村に帰ってきたの? 王都じゃ噂だよ。魔女が皇室と袂を分かったなんて。なのにヴィンヤードに来るなんて」
「誰でも故郷は好きだろ。必ずあるわけじゃないんだ、戻って来たくなったのさ。お前にだって、帰りたい場所があると思うがね」
小石を拾ったモナルダが、ひょいっと投げると水面を何度か跳ねた。
「お前が何者で、何を考えて村に来ているかは知らんが、私はそれを問題にはしない。気にしなくてもいい。すべき事をしたまえ」
「なんでそう思うんだ。俺はただ引っ越してきただけだぜ」
クライドの問いに、モナルダはフッと笑って首をやんわり横に振った。
「百年も生きてると嗅覚が鋭くなる。最初はただの馬鹿かと思ったが、どうもそうではないらしい。……なあ、クライド。私は近いうちに死ぬかもしれないから言っておくよ。────どうか、村の人たちをよろしく頼む」