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深紅の魔女─レディ・モナルダ─  作者: 智慧砂猫
深紅の魔女レディ・モナルダと捨てられた想い出
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第11話「変えられない」

 淹れたばかりのコーヒーをひと口だけ飲んで家を出る。小さなため息が漏れた。せっかくの休日気分で帰ってきたヴィンヤードも、ゆっくりさせてくれる気はないらしい、とうんざりした。


「おい、クライド。ヴァージルはどんな用件で私を?」


「いやあ、それが俺も詳しくは聞いてなくて。俺が一番体力あるからって」


「他の奴に比べれば体力はあるか……」


 クレールは小さな子供から老人まで女性の割合が大きい。他の町とは違ってヴィンヤードの血筋の穏やかな暮らしが広がるが、やはりヴェルディブルグの人間なだけあって女性が生まれやすい。そのためか若い男は殆どおらず、集会所に出入りしているクライドに呼びに行ってもらうのが手っ取り早いと考えたのだろう、と容易に想像がつく。モナルダに良く思われないとしても。


「(ヴァージルの臆病者め。アイツがなぜ村長でいられるんだ?)」


 自分で動けばいいものを顔を合わせるのが嫌なのだ。ヴァージルは昔からそういう人間で、子供の時からいつだって自分を守るのに必死な男だった。


 それでも前村長の息子だから許している。放っておいている。少しでも責任感を抱いてくれればいい、と思っての事だ。前任者とは仲が良かったから、ヴァージルが真逆を行く性格であるのを心配もした。結論を言えば、まるで変っていないのが、手の施しようがないと物語っているふうだった。


 集会所近くまでやってきて、やっとヴァージルが顔を出したのを見つけて、苛立ちが顔に滲む。なんなんだお前は、と責めてやりたくなった。


「お待ちしてました、皆さん」


「挨拶はいい。何の用で呼び出したんだ」


「あ……実は、それが────」


 呼び出しの理由は、彼女に会いたくてやってきたという、襤褸に身を纏った誰か。少しばかりしわがれた声をして、四十か五十代くらいの印象を受けたヴァージルは、その誰かが高貴な身分だと感じたと話す。


「いなくなったんです、急に。会いたいと言うからクライド君に呼びに行ってもらったんですが、ついさっき『もう十分だ』とかなんとか言って」


「……どこの誰かも分からない奴に私の居場所を教えたのか?」


 モナルダの強い声に、誰もが口を閉ざす。


「此処にいる事は基本的に誰にも話すなと言っているだろう。旅先じゃないんだ、仕事は持ち込みたくないからヴィンヤードを選んだのに」


「す、すみません……。あの、失礼のお詫びにこれを……」


 渡されたのは菓子の入った箱だ。謎の男が土産にと持ってきたものだが、ヴァージルは甘いものが苦手なので貰って欲しいと言った。


「相変わらず、なぜお前はそうなんだ、ヴァージル。父親の影を追う必要はないが、もう少し強くあってほしかったよ。下らん老婆心だ、忘れてくれ」


 手を振って合図をすると、付いてきた面々はいったん外に出た。残ったモナルダは、おどおどするヴァージルをじろっと見てから────。


「お前の性格は昔から変わらない。臆病で卑怯だ、ヴァージル。きっと今回も何か隠しているんだろうと見るだけで分かるよ」


「なっ、そんな事は滅相も……。私はモナルダを大切な家族と思ってます」


 慌てるヴァージルを見て、モナルダは寂しそうに笑う。


「お前は利己主義で嫌な奴だ。信じるに値しない。だが、それでも根は優しいのを知ってる。臆病だからこそ自分を変えられないんだろう。……だから何かあっても責任を感じる必要はないぞ、ヴァージル。ではまた会おう」


 出ていくモナルダの背中に、止めようとして伸ばした手が、ぴくっとする。自分が声を掛けるなんて烏滸がましい。彼女には彼女の理屈があって、自分には自分の生きるための理屈がある。だったら過干渉などしなくてもいい、と。


「出て行ったのかね、彼らは」


 客室から出てきた男に、ヴァージルは小さく頷く。握った拳が震えた。


「出て行きましたよ。あなたには気付いていません」


「うむ、僥倖。後は君が、彼女らを逃がさぬよう留めておくだけだ」


 口髭をやんわり撫でた男が、モノクル越しにヴァージルを冷たく見つめる。


「できないとは言わないだろうね、ヴァージル・ヴィンヤード。私は仕事を全うできない人間は嫌いだ。たとえ、それが意に反するものだとしても」


「……できます。やりますよ、もちろん。その代わりに私の事を助けてくれるんでしょう、ミルフォード公爵様。クライドも上手く潜り込んでいます」


 声が裏返りそうだった。ナイルズ・ミルフォード。自身に決して損な行いはしない男。口約束は簡単に裏切り、狡猾な蛇のように、にじり寄って獲物を締めあげる。たとえそれが、生まれたときからを知る最愛の友人であっても。


「私とて辛い。己の感情を殺さねばならない。だが、だからこそ周囲もそうであってほしい。そうでなくてはならん。三日後の夜が計画実行の日だ。それまでクライドが怪しまれないよう頼むよ。────親愛なるヴァージル君」


 肩をぽんと叩く大きな手。ナイルズが腕に提げた襤褸を着直して集会所を出ていくのを見送り、ヴァージルはただ俯く。


「(正しかった。これでいい。私は生きられる。魔女は責任を感じる必要はないと言ったのだから……。私は死にたくないんだ、まだ死にたくないだけ)」


 本当にそれでいいのか。と胸がちくりと痛む。


 小さい頃、幾度となく臆病者と謗られてきた。厳格な父は彼を甘やかさなかったし、母親も口を出さなかった。男なのだから胸を張って堂々としていろと言われ、うじうじするなと言われ、言いたい事があるならハッキリ言えと言われ、その末にいつだって作り笑いを浮かべて返した。


『努力します、父さん』


 口先だけの答え。変われるわけがない。父親はどれだけ息子が臆病かも知らず、叱責するばかりで理解しようともしてくれなかった。


『お前は利己主義で嫌な奴だ。信じるに値しない。だが、それでも根は優しいのを知ってる。臆病だからこそ自分を変えられないんだろう』


 ああ、その通りだ。モナルダ、君は私を理解してくれる。いつだって理解してくれたのに、私はこれから君の期待を裏切るんだ。いいや、期待などしていないだろう。むしろ分かったうえで、私の心を軽くしてくれた。


 本当にすまない。謝っても謝り切れない。レディ・モナルダ。最高の魔女。ヴィンヤードの誇り。────ああ、私は、こうするしかないんだ。

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