第7話「我が子のために」
シトリンは相変わらずの無表情を貫いている。だが、いつもより少し冷たく感じて、モナルダは緊張した。
「……日記に書いてあったシトリンというのは」
「私ですよ、間違いなく。ヴァネッサ様の知り合いです」
冷静に、冷静に。何も驚く事はない。魔女が百年以上生きるのだから、世界のどこかに、似たような存在がいてもおかしくない。たまさか今日まで誰にも見つからず、気付かれず過ごしてきただけの話だと言い聞かせた。
「あまり驚かれないんですね」
「初めて会ったときから妙だとは思っていたからな」
「そうですか。他に気になる事あります? それとも────」
瞬きをしただろうか。いや、していない。しかしモナルダの目の前には小さなテーブルと椅子があり、温かなコーヒーの入ったカップが置かれていた。
「まだレティ様も帰って来ませんから、ゆっくりお話でもいたしましょう。キャロットケーキも頂いてきましたよ。食べますか?」
「……今はいい、コーヒーだけ貰おう」
椅子に座り、シトリンから目を離さない。何が起きているのかは分からないが、少なくとも魔法に近い手段を持っているのではないかと考える。
「なんのつもりで私に接触してきたのか、聞いてもいいのか」
「別に、なんのつもりもありません。ヴァネッサ様との約束です」
ずずっ、と小さくコーヒーを飲んでから。
「私から詳しい事は言えません、規定違反になりますので。しかし、ヴァネッサ様と交わした契約に従って、あなたに会いに来ました。────私が悪魔だと言ったら、あなたは信じますか?」
まさか、と口にしたくなる。目の前にいる女は若いし、まさしく人間の見た目をしている。悪魔とはもっとおぞましいものである。どんな教典にもそう記されていて、絵に描いた怪物は、まさしくそれに相応しいものだ。
目の前の女はどうか。とても信じられないとモナルダは首を横に振った。
「仮に悪魔だとしよう。それを証明されなければ……」
「ヴァネッサ様はアルフォンソに殺害されました」
驚くモナルダをまっすぐ見つめて、シトリンは続ける。
「当時、アルフォンソが貴女を気に入っていたのは確かです。もちろん、自身の欲求を満たすための獲物として。ですが、ヴァネッサ様は彼の異常性にいち早く気付き、あなたを守れるように追い出したのです。しかし、それでは終わりませんでした。ある晩に手紙が届くまでは」
我が子から危険な男を遠ざけたまでは良かったが、アルフォンソは表面を取り繕うのが上手く、本性は実に獣的な衝動に駆られやすい一面がある。脅迫文が届くまでに時間は掛からず、いつ来るかもわからない相手に備える必要に迫られた。
しかし、シトリンはそこに大きな問題があったと話す。
「────ヴァネッサ様は、あなたを産んですぐに魔力を失われました。その事を分かっていながら、魔法もなしにアルフォンソと対峙したのです。そして殺された。あなたが静かに眠っていた、あの夜に」
全身がざわつく。信じられない。信じたくない。帰ってこなかったのは、モナルダを捨てたからではない。守ろうとして命を落としたなど、とても理解できない。自由奔放に生きたようにしか見えなかったから。
「……仮に。あの女が殺された日、お前はそれを知りながら、どこで何をしていたんだ。知り合いだったんだろう?」
「頼まれ事をされたのです。何があっても、あなたの傍を離れないでほしい、と。そして私は彼女と契約を交わし、あなたが旅立つのを見届けた。アルフォンソの始末はサービスです。あの方はあろうことか、ヴァネッサ様を殺害した後に、あなたを狙って家にやってきたのですから」
シトリンは、そう言ってから椅子に座ったまま深く頭を下げた。
「申し訳ありません。私には多少の近い未来が見えます。ですが断片的で、どうしたらそうなるのかまで分からないのです。だから、あなたのお母様を助けてあげる事が出来ず、あなたに合わせる顔がなかった」
静かに、黙って見守り続けた。ヴァネッサが魔女をしていた頃に、シトリンは彼女の付き人として雇われ、自身が何者であるかを明かしたうえで仲良くしてもらったと恩義を感じていた。
「私は人間に強い憧れを持ち、悪魔として生きる事ができなかった。もうすぐ寿命が尽きようといったある日、ヴァネッサから契約を持ち掛けられました。永遠の命を持つ魂なら、ずっと生きていられるだろうと。それも、あなたが生まれてからは変わりました。娘が大事で仕方ないふうでしたから」
主人であり、代わりのいない友人だった。モナルダはヴァネッサの忘れ形見だ。これまでは合わせる顔がないと避けていたが、偶然にもリベルモントの屋敷で再会したときに、彼女の行く末を断片的に見て、傍にいようと思った。
「……私は、おおよその事に理解を示す」
出されたコーヒーを飲んで、液体の表面に移る自分の姿を見た。
「こんなものを見つけたのが偶然だったにせよ。そこにお前が現れて全てを語るのには意図があるはずだ。私には、なんとなく予想はついているが、それが汲み取れていない。だから単刀直入に尋ねよう。────私は死ぬのか?」