第2話「困った事」
抱擁を交わして、ラヴォンは思い出したように少し待っているように言ってから家の中へ飛び込んでいった。『親父、モナルダが来たぞ!』と喜ぶ声が響くのを外で聴きながら、三人はくすくす笑う。
「まさか、貸してるって言うのがラヴォンたちだったなんて驚いたよ。どうして今まで言わずに黙ってたのさ?」
「言ったら会いに行きたがっただろ。あの二人には時間が必要だった」
後ろ暗い事をして生きてきた親子だ。ろくに会話らしい会話もなく、互いを思いやってはいても仲間の手前、堂々とした事はできない。そんな二人に穏やかな時間を与えるのも悪くない。もしフローリンが生きていたら、きっとそれくらいの事はしてやっただろう。モナルダはそう考えて、家を明け渡した。
「今は再会を祝おう。彼らが村で困っている事がないかも聞きたいし」
「そうだね。にしても、結構大きな家だね?」
「ああ。ほとんどの部屋が倉庫代わりだが、片づければ使えるだろう」
視線が緩やかにシトリンへ向く。
「しかし、流石に五人も過ごせるほどの備えはない」
「……むっ。致し方ありませんね、私は別の場所に泊りましょう」
シトリンは特に異論を唱えたりはしなかった。申し訳なさそうにしながら言われて、嫌だ嫌だと子供のように我儘に振る舞う気はない。
「悪いな、シトリン。おそらくは集会所で寝泊まりしていると思うから、村長のヴァージルという男を訪ねてくれ。私の名前を出してくれて構わない」
「責任は負うという事ですね。わかりました、堂々と行って参ります」
荷物の詰まったトランクを両手に、シトリンは軽くぺこりと会釈をしてから、振り返ったりする事なく坂道を下っていく。
「行かせて良かったの?」
「本当にないんだよ。泊めてやれるならそうしたとも」
「そうじゃなくて。結構好き勝手しそうなんだけど」
静かに、モナルダは首を横に振り、僅かな悲しさを目に宿す。最初から期待などしていないし、そうならない事も考慮したうえで提案したのだ。
あのシトリンに、まともに注意を促しても意味を成さないなんて事は。
「……そっか。そうだよね、まあいっか!」
「気にするだけ無駄だ。私たちは私たちで楽しもう」
そうこうしているうちに、家の中からレスターがエプロン姿で飛び出してくる。ちょうど部屋の掃除をしていたところだったので、手には濡れた雑巾を持ったままだ。あまりの慌てぶりに、またくすっと笑った。
「お、おお……! こりゃ本当に魔女殿じゃないですか!」
「敬語はやめてくれ、好きじゃない」
「こりゃあ、失礼。でもまさか来てくれるなんて」
「私の家なんだから帰っても来るさ。元気にしてたか?」
あとから来たラヴォンの肩をレスターがバンバンと叩く。
「そりゃあもう、揃ってのんびり暮らしてたよ! ラヴォンは魚釣りが好きでね。近所のガキ共とよく川に遊びに行ってんだ!」
照れくさそうにするラヴォンも、まんざらではなかった。
「良かった。お前たちに紹介しておいて居心地が悪いとでも言われたら、どうやって痛めつけてやろうかと思っていたんだよ」
突然、親子の顔が青ざめてピタッと止まる。
「ジョークのつもりだったんだが」
「君が言うとジョークにならないよ、流石に……」
魔女がその気になれば、いくらでも出来る事だ。『隠れ家として提供されたものに文句をつけたら……』などと言われて臆さない方がおかしい。冗談だと分かって胸をなでおろす姿を見て、申し訳ない気持ちを誤魔化すように頭を掻く。
「悪かったよ。とにかく今のところ問題はないんだな?」
「……あぁ、それなんだけど魔女殿。実はひとつだけ」
「ビビらずに話してくれ。さっきのは冗談だと言っただろう」
レスターとラヴォンは顔を見合わせて頷く。穏やかさをひっこめた真剣な眼差しが、ただ事ではないのかもしれないとモナルダも姿勢を正す。
「アタシから話すけど、村の若いのに困ったヤツがいてさ」
それなりに大きな町からやってきた、田舎の生活に憧れた若い男。話してみれば、それこそ気さくで最初は良い風に映った。ヴィンヤードはやがて廃れゆく運命にある小さな村でしかない。だから移住してくる人間に対して、多少なりとも好感を持つ者は多い。実際、誰とでも打ち解ける男だった。
問題は歳の若い女性に対して距離が近い事。そして特に、同じ移住者としてラヴォンの事が気に入ったのか、頻繁に訪ねてくるようになった。何度断っても当然のようにやってくるし、村人とも仲が良いので下手に村長に相談しても『同じ外から来た人同士だからだろう』と取り合ってもらえなかった。
そこまで聞いて、レティが「助けてあげようよ」と言うと、モナルダも深く頷いて返す。若い男が何者かはさておいて、村長の対応には苛立ちを覚えた。
「もっと具体的な話を聞きたい。続きは中で話そう」
「助かるよ、魔女殿。俺はコーヒーでも淹れておくよ。あれこれはラヴォンから聞いてくれ。これまでどう過ごしてきたかってのも報告したいからな」