第45話「考えてみて」
届いたコーヒーを飲んで、モナルダはフッと笑う。
「その想像力は感心するよ。まるで私が近い将来、死ぬような言い方だ。お前は魔女が永遠を生きるという事は知らないのかな?」
ブラウニーをひと齧りして横眼にシトリンを見る。彼女は決して表情が変わらない。何を考えているかも分からないが、少なくともそんな事は当たり前だとでも言わんばかりに、べちょべちょのパンケーキを貪っている。
「人間はあらゆる理由で死にます。飢えで、衰えで、病で、事故で、怪我で……。あなたには理解が足りないようです。百年以上も永らえておきながら」
突き放すような言葉に、モナルダがブラウニーを取る手を止めた。
「二十代そこそこに見えるが、随分と達観した考え方だな。まるで未来に期待などしていないかに思える。若いんだから、もっと楽しく生きた方が良い」
どちらも遠回しだが、売り言葉に買い言葉なのは分かる。レティは流石に気まずくなって、黙り込んで耳を傾けながら静かに紅茶を飲む。
「経験は何にも勝る知恵ではありますが、それを時折、当たり前の事だと感じる方がいらっしゃいます。蟻が働く事は知っていても何故働くかを知らないのに、見た事があるから蟻は働くのだと言う。全てを知りもせず」
「何が言いたい。遠回しが過ぎて苛立ってくる。お前は何なんだ?」
振り向こうとした瞬間、スプーンを指すように突きつけられた。
「あなたは魔女は不老不死だと言いますが、魔導書はたった一代で築き上げられたものではないはず。この言葉の意味、よくお考え下さい」
最後のひと口を掬ってズルッと呑み込み、満足げにナプキンで口を拭う。
「では御者台でお待ちしています。行先がなければ勝手に走らせますので」
「……ああ。そうしてくれるか? 私たちもすぐに戻ろう」
不思議と腹は立たなかった。奇妙。その言葉に尽きた。レティはまったく何を感じる事もなかったが、モナルダは鮮明に理解した。させられた。
「(あれは何者だ? 関わっていて大丈夫な奴か?)」
本能的な恐れ。魔女とは何者にも敵わない存在でありながら、かといって脅威足りえるかと言えば、さほどでもない。そのモナルダからして、シトリン・デッドマンはあまりにも脅威だ。とても同じ人間とは思えなかった。
「なんか不思議な人だね。シトリンさんって」
「うむ。……考えるべき必要、か」
改めて言われると不思議な話だ。歴代の魔女が存在する中で、原初の魔女だけが老いを経験した中で、ようやく未来に託せる『不老不死の呪い』を完成させて、その血を分けた者を通じて魔女の存在を歴史に紡がせた。
しかし、代々に亘って、モナルダを除く全ての魔女が百年ほどもせぬ間に役目を終えた。彼女は歴代最長だ。誰よりも魔女を務めてきた。────では、彼女以外の魔女が早々に役目を終えた理由とはなんだろうか?
「(ま、いずれそのときが来たら分かるだろう。シトリンが何者であれ、私には大して関係のない話だ。少なくとも、今のところは)」
二人共、スイーツを食べ終えたら飲み物を喉に流し込んで席を立つ。チップと一緒に数枚の硬貨を分かりやすく並べてから、店員に声を掛けて馬車へ戻った。シトリンは変わらず無表情で、何にも興味がなさげに見えた。
「次はどこへ連れて行ってくれるんだ?」
「グレース・アヴニールという酒場です。もちろん、お金持ち御用達の」
「……言っておくがさほど金は持ち歩いてないぞ」
「問題ありません。ヴェルディブルグの名で付けておきましょう」
「お前、案外やる事に遠慮がないな?」
ただのメイドではないにしろ、その怪しさを除いても図々しい振舞いは一級品だ。とても褒められた発言ではないが、むしろモナルダもレティも中々に面白い提案じゃないかと歓迎する。
「ねえねえ、グレース・アヴニールって確か有名なバーだよね?」
「はい。多種多様なお酒を用意されていて、なんでも遠い島国から取り寄せた純米酒という無色透明なお酒があるそうで。かなりお値段はつきますが」
貴重な酒で運ぶのにも時間が掛かるため、庶民では生きているうちに何度と口にする機会があるかも分からない。それをグレース・アヴニールは少数取り扱っている。王族・貴族御用達ともあって会員制となっていて入るのは容易ではないが、シトリンは「魔女なら余裕です」と自信満々に言った。それで入れなかったときに恥を掻くのがモナルダである事は、気にしない方針だ。
「観光と言ってもリベルモントは案外、見るものは少ないんです。なので、せっかくなら此処でしか楽しめないお酒でパーッとやりましょう。他人のお金で呑む酒ほど美味しいものはありませんから」
「お前の考えには概ね同意だが……後でフランシーヌに何か言われたら、お前も一緒だからな。絶対に逃がしたりしないから、そのつもりでいろ」
そのとき、シトリンが一瞬だけ優しく笑った気がした。だが、彼女はすぐに前に向き直り、手綱を握って────。
「仕方ありませんね。そのときはお友達として一緒に怒られてあげましょう。特別ですよ、レディ・モナルダ」
「はいはい、それでいいよ。じゃあ、次も楽しもう」