08 聖女、自立を目指す
聖女のマミ(真実)は上機嫌だった。
「みんな私の畑を凄いって褒めてくれたわ。ふふ。ここの農家さん達って農業の知識が乏しいのよね。学校を出てないんだし仕方がないか。でも食糧不足で危なかったから人助けが出来て良かった。次はどこかに実家と同じイチゴ園を作れないかしら。ふふふ!」
聖女マミの功績で「この王国」に広大な農園が次々と誕生した。
農園のお陰で国は数百年に一度の天災が齎す食糧危機を乗り切る事が出来た。
未曾有の天災が去ると平穏が訪れた。
食糧豊富で人口増加となった。
飢餓で亡くなる人が激減して生まれ育つ子供の数が増えた。
王国は増えた口を養うために更に農地を広げた。
森林が切り拓かれ焼かれ、肥料が撒かれ環境変化が起こった。
これまでいた固有種が幾つか消え、いなかった生物が現れ始めた。
更に見渡す限りの大農園を維持する為に働き手が集められた。――外国から。
いずれも聖女マミの知るところではない。
聖女たちはよくやってくれた。
王国中枢は聖女たちを絶賛し、決して「その裏」も「その後」も伝えたりしない。
何もしない、と言ったって何もしないではいられなかった。
相変わらずマリンは腹が立っていた。静かに。
神殿や城でアレックスと出くわす度、素っ気ない態度を取った。
笑顔はない。口でなく無表情で示した。
「貴方には賛同しておりませんので――」という意思だ。
反応の薄いマリンに気付き、アレックスは少し慌て始めた。
「マリン、何か心配事があるのかな」
「無いです」
「そ、そう? あ、今度の週末また狩猟館に行かないかい?」
「予定があります」
「そ、そう。じゃあその次の」
「予定があります。失礼致します」
マリンは意思を示し続けた。
アレックスが気付くか気付かないかはどちらでもいい。
あまり失礼な態度では怒らせてしまうかも、と思わないでもないが彼にもプライドがある以上、無茶は出来ないだろうと思った。
神殿のお祈りはいつも以上に適当になった。
これでもマリンは、最初の頃は礼拝像に向かって瞑目して両手を組み、「誰だか知りませんけどおはようございます」くらいの念は飛ばしていた。
最近では単なる独り言しか念じていなかった。
「今日の晩御飯どうしよう」とか「部屋が素っ気ないから一輪挿しでも飾ろう」とか。
今日からはこうだ。
「就職先を探そう」
聖女という名のニートを辞める。
とはいえ正面から神殿に「辞めます」と言ったところですんなり認めてもらえるとは思えない。
毎日の授業を担当してくれているレフィンの熱心さからも伝わる。
レフィンはマリンを一人前の聖女にしてくれようとしている。
「分からない事は何度でも訊いてください。いつでもどこでも構いません」
呼び出したらいつでもどこでも出張サービスしてくれる気らしいと知って、マリンは微笑んだ。
「まさか。これ以上お忙しいレフィンさんにお手数をお掛けしたりしませんよ」
「私の事など――」
「あ、ランチタイムの鐘だ。失礼致しますね」
鐘の音を聞きながら講堂を出てシオンと合流する。
廊下で繋がった神殿に入ってようやく口を開いた。
「今日はご近所の喫茶店でナポリタンを食べます。ナポリ全然関係ないナポリタンです」
「は」
「付き合ってくださいますよね。店内で私をボッチにしたりしないですよね」
「……は」
「喫茶店のナポリタンって自分で作るより遥かに美味しいですけど、何が違うんでしょうね」
「皆目」
「シオンさんってお料理は?」
「一切出来ません。その代わり何でも食えます」
「良いですね、それ」
「以前所属していた部隊で手違いからカビたパンが配られた際も、仲間たちが倒れていく中で私だけが平気でした」
「良いですね、それ。――彼女さんがメシマズさんでもへっちゃらです」
一拍遅れて、シオンは「――は」と頷いた。
自分で話を振った癖してマリンはちょっとだけ面白くなかった。
彼には「そんな女性はおりません」と言って欲しかった――気がする。
脱ニートの手始めに服でも作ろう、とはマリンは考えなかった。
第一歩にしては歩幅が広過ぎる。ロックミシンが無いのに大変な作業になる。
ミシン欲しさに錬金術師を訪ねたりは勿論しない。
何もしないと決めた。
服の襟元やバッグ、帽子を飾るアイテムを作る。ささやか極まりない手芸だ。
制服を着ている人たちのワッペンが安全ピンで留められている事に気付いた。
ピンバッジもクールだが金属製なので技能が要る。誰かに発注しなくてはならない物はパスだ。布製のワッペンでいく。
生活圏から離れたエリアの手芸店まで足を延ばし、安全ピンやら生地やらを調達して家に戻る。
買い物帰りのついでに荷物持ちをしてくれたシオンを家に招き入れた。
「相談に乗ってください」とマリンが言うと、彼はほんの少し口元を綻ばせた。
戸棚から紙と鉛筆を引っ張り出してマリンはあれこれデザインを考える。
小さな手芸品だ。それ程悩む事は無い。
「何せ小物ってだけで楽しいし、可愛いので」
マリンが描き上げていく紙を眺め、シオンは目に見えて笑みを浮かべた。
「確かに、これは楽しい」
マリンも笑った。
小物作りについてシオンには聖女の「副業」と告げてある。
「お世話になってばかりでは心苦しいので少しは自立したいんです」
マリンの言い分に、シオンは意外にもすんなり頷いた。
「分かります。私も十代の頃は一人前になる為にがむしゃらでした」
マリンは嬉しくなった。
城や神殿の人たちと違ってシオンは「聖女様はそんな事しなくてもいいんです」なんて言わない。
応援してくれる人がいる。一人ではない事がマリンには心強かった。
この日、徹夜は免れたものの夜遅くまで起きて作業に没頭した。
甲斐あって三点、完成した。
手芸品なので洗練さにはどうしても欠ける。それでも満足のいく出来になった。
翌日訪ねてきたドロシーに見てもらったところ、仰天された。
「わ、可愛いです。特にこれ、銀糸のリボン型ワッペン!」
それも水平ではなく垂直に使うアイテムである。
「ください! 全部買います、このわたくしが!」
勢い込むドロシーにマリンは苦笑した。
「ごめんね、無理かな」
「まあ。なんて意地悪を仰るんでしょう」
「だって貴女のゴージャスドレスに全然合わないもん。お手軽アイテムが一層安っぽくなっちゃう。どちらにとっても悲劇だよ」
瞬いたドロシーは自分の胸元を見下ろして、パッと輝かせた顔を上げた。
「服を変えればいいだけですわ」
「そう来る」
「考えてみたら社交界から遠のいた身でありながらドレスなんて着てて、馬鹿げていました」
「そんな事は無いよ。キラキラコスチ――ドレスお似合いだよ」
「とにかく、この小さなものたちは全てわたくしの物です」
「はいはい。まいどありです」
ドロシーの所為、もといお陰で作ったものが一気にはけてしまった。
翌日、マリンは街外れの手芸店に繰り出した。
平民ルックになったドロシーを伴って店主に交渉した。
ドロシーの帽子とワンピースを飾るアクセサリーを披露したところ店主が大いに気に入ってくれ、一番目立つ棚に商品を置かせてもらえる事になった。
来店時マリンは勿論ドロシーも正体を隠し、身分を偽った。
家から遠い店を選んだのもそれ故だ。馬車は店の通りから離れた位置に置き、シオンにも距離を取って待機してもらった。
実は変装もしていた。
マリンは強い目元になるメイクアップを施して印象を変え、茶色のカツラとフレームの太い眼鏡を装着した。
ドロシーは逆にすっぴんメイクでそばかすを少々プラスし、低いポニーテールを結った上で鍔の広い帽子を被った。彼女の場合、平民ルックと言うだけでもう大変身になっていた。
店主は聖女と公爵令嬢が来店したなどと疑いもしなかった。写真の無い世界で助かった。
「見ない顔だけど可愛いねえ、お嬢ちゃん達」が店主の第一声だった。
その際ドロシーは「北の国境を越えてきたばかりの姉妹ですの」とのたまった。二人の容姿はまるで似ていない。それは良い。どっちかが養女になれば済む。「姉」役が年下のドロシーという点がマリンは気に入らなかった。
マリンの膨れっ面に、遠距離追跡者たるシオンがひっそりと微笑んでいた。
三日後。
商品は、卸したその日の内に売れるようになった。
評判が口コミで平民女性の間でじわじわと広まり、手芸大好き女子のハートを掴んだ。同じものは一つとしてないというのが手芸品の良いところだ。
お陰様で店主もマリンも懐があたたかい。
波に乗って来た。マリンは勝機を見出し、店主に持ち掛けた。
女性客たちの心理を読んだ。完璧に読み切った。
「――小物制作キットを販売すれば良いんですよ、ご店主。みんな自分の手で世界に一つだけの作品を作りたいんです」
「お、おおお、なるほど」
「カラバリをもっと増やせば同一アイテムでも組み合わせ次第で個性が出せます。自由に遊べます。女性はそういうアレンジ遊びが大好きなんです」
「おおお、何やら勝利の光が見えてきた――!」
店主が見た勝利の光は本物で、制作キットは平民女性に大いにウケた。
一週間も経つ頃にはマリンの所持金はふた月分の光熱費や水道代、食費を余裕で賄える額になっていた。
神殿から受け取っている生活費が不要になった。
不要になったものは募金箱――が無いのでドロシーに頼んで孤児院に届けてもらった。彼女自身、月二で慰問しているというので便乗した。寄付の際聖女からという情報は伏せて頂いた。
公爵家の寄付に比べて、あまりにも金額がショボいので……。